名古屋の白ウサギ・1964年生・

自称、宗教家・宗教家は、職業ではなく「生き方」です。
職業・会社員

違和感のある言葉

2015-09-30 | 思う事


「 私は、宇宙の真理が分かってしまったのです・・ 」
「 私は、この世を支配する絶対的な原理が分かってしまったのです・・」
「 私は、この原理が分かってしまってからは・・・」
このような言い回をする宗教関係者、
商売人、精神世界関係者がおみえになりますが、

この「 分かってしまった 」
という言い回しをされる方の話を聴くと、
何か不自然さを感じ、警戒感を持ってしまいます。

いつの時代にも、「 ネズミ講 」とか 「 マルチ商法 」とか呼ばれる、
怪しい商売が出現します。

こう云った商売は、商品を連鎖的手法で販売するのですが、
その前提として、「 人の心情や、人情に訴える教義 」
のようなものが準備されていて、
顧客に、まずは、この教義にを信じさせ洗脳します。

「 豊かな心が必要だ 」
「 ひとを喜ばす事が、自分の幸福に繋がる 」
「 自分の繁栄が、他者の幸福に繋がる 」
「 富は無限にある・・ 」
「 無知は、人を貧しくする 」
「 彼方が、繁栄と幸福を得たとしても、
その事が他者を不幸にする訳ではない。」

このような教義とは、その「 部分 」のみを捉えれば、
決して間違っていない。
反社会的なことはひとことも言っていない。

しかし、ここからが問題。

これらの「心情に訴える」教義を客に植えつけたあとで、
高額な商品を巧みな演出によって売りつける。

その上、それを買った人が、また、それを誰かに斡旋することで、
「 多くの人を幸福にし、自分も繁栄する 」
という妄想を抱かせるような誘導をする。

なぜか・・・不思議な事に・・・
こういう手法の商売をしている人は、
「 分かってしまったので・・・ 」
という言葉をよく使う。

「 この素晴らしい原理が、‘分かってしまったので‘ 
私もこの会を人に薦めているのです」

と、教義(?)を説明する。

以前、「XJAPAN」のヴォーカリスト、Toshlという人物が、
セミナーを主催する、カルト宗教に洗脳され、
10億円以上の金を巻き上げられてしまったと事件がありました。

彼を、このカルト宗教に引きずり込んだのは、彼の妻でした。

以前、その妻が記者会見している様子を映像でみた事があります。
このとき、彼の妻は、記者の詰問に対して、
「 私は、大自然の法則、大宇宙の法則が、分かってしまったので・・・・」
というような発言をしていました。

30年位前、「 天下一家の会 」と称する、ネズミ講のような団体が
社会問題になった事がありますが、
このときも、この会の活動家が、
「 私は、会長の主張する、
繁栄の原理が分かってしまったので・・・」
と言っていた記憶があります。

もちろん・・・
「 分かってしまったので・・・」
この言葉を発する人全てが疑わしいという意味ではありません。

もうお亡くなりなましたが、
多くの本を書いている●●●●氏というお方がおみえになりますが、
●●氏の本にも、なぜか?・・・・・
「 分かってしまったから 」という言い回しがよく出てきます。

私にとっては少し残念なことです。

●●氏は、マルチ商法でもなければ、カルト宗教の親玉でもありません。

●●氏の説いている話のは、分かりやすく、
非常に良い事ばかりです。

勉強になる事が多いですが、この言葉を使われると、
何か少し、違和感を感じてしまいます。・・・
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秘儀・うさぎヨガ

2015-09-29 | その他

秘儀・うさぎヨガ
これは難しい技です。

この技を習得すると・・・

1・・ ラーメン屋のオヤジの顔を見ただけで、
その店のラーメンが美味しいか、
マズイか一瞬にして判読できるようになる。

2・・スーパーで買い物をしているとき、
寿司、惣菜、魚等の生鮮食品に、
値引きシールが張られる時間を、
高い確率で言い当てる事ができるようになる。

3・・車を運転している時、前を走っている車の後ろ姿を見ただけで、
その車を運転している人の精神状態がわかるようになる。

4・・布団にダニがいるか、いないか、
布団のシーツを手のひらで一瞬、
(約1秒)触っただけで判定できるようになる。

5・・片足の状態から前蹴り、回し蹴り、が出来るようななる。
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高いハードル

2015-09-27 | 宗教

死後の世界はあるのだろうか?
生まれ変わりはあるのだろうか?
霊魂は実在するなだろか?

色々な学者や、怪しい系統の科学者の方々が、
「 死後の世界は証明された」
「 生まれ変わりは科学的に立証された 」
「 霊魂の実在は、科学で証明できる 」
といった事を仰る。

私が思うに・・・

科学で証明することは不可能。

対象が曖昧な場合、
観察者の主観 や、希望的観測、が結果を左右する。

昭和初期、
東京帝国大学助教授、福来 友吉(1869年12月5日 ~ 1952年)
という心理学者がいた。

福来博士は、念写を科学的に立証したとされている人物。
「 念写 」 とは、
超能力者がカメラに向かって、
エイゃー!!!!
と念力を送ると、カメラに装着さてたフィルムに、
念力の力で映像が焼き付けられる・・・
といった奇怪な技です。

福来氏は、「 科学的にそれを立証した 」と公言したのですが。
その根拠は、どう見ても「 科学的 」とは言い難い。

福来氏は、決して人を欺こうなどとは考えていなかったと思います。
ペテンしでも、ホラ吹きでもない。

善良で真面目で、人格高貴な方だったと感じます。

でも、残念ながら・・・・
福来氏の実験の経緯を見る限り、
誰がどう見ても「 科学的 」とは言い難い。

福来氏は、「 純粋過ぎる人 」であると思います。

それ故、他人を疑う事はせず、純粋さから来る、「 希望的観測 」を軸に、
客観的で合理的実験とは言い難い、
「 念写実験 」を行っていたに過ぎないように感じられます。

福来氏は、ここ他にも、「 千里眼 」の実験も行いました。

千里眼とは・・・
紙に何らかの文字を書き、
封筒に入れ、完全に封印する。

それを、
超能力者が、封を開けずに、
内容を読み取るというものです。

福来氏の実験は、
この真偽を科学的に確かめるというものでした。

福来氏は、ここでも、呆れかえるほど純粋な視点に立ち、
科学的とは言い難い、条件設定のなかで、
千里眼の真偽を問う実験を進める。

そして、最終的に「 科学的に確認された真実 」という結論を発表した・・・

福来氏は、このような経緯の中で、
最終的には帝大(東大)から追放されることになった・・・

今、現在に於いても、
「 死後の世界の科学的証明 」
「 生まれ変わりの科学的立証 」
「 霊魂実在の科学的根拠 」
などと、いったお話は、徹底的に究明すれば、
福来氏ほどではないが、その延長戦上にあるお話であると思う。

このような、擬似科学を基準に 人間の生命 ・ 霊魂 ・
を語ることは、
「 こうあって欲しい」願望に、それに沿った事象をかき集め、繋ぎ合わせて、
その結果完成した「 事実 ?」を「 真実 」であるかの如き信じ、
自分を納得させる。

これ、仮に結論は正しくても、
何か大切な段取りが欠けているような気がする。
こういう、「 心の隙 」はカルト宗教の絶好のターゲットとなる。

「 科学的に解明されている・・・ 」
という言葉を頻繁に発して、神や、霊魂や、
輪廻転生を説く論法は、何か、違和感を感じる。

神は実在する。
人間は死んだら終わりではない。
霊魂は実在する。


ただし!!!
これは絶対に科学的に証明することは出来ない。

量子力学(極微の世界を記述する物理学)は、
物理学の立場から「あの世」を立証する日が来るだろうが、
それはあくまで、高等な数学であり、
高等な頭脳を持つ人間にしか理解できない世界である。

その理論が一般人に通用するものではないはずだ。

誰にでも分かる、反復・再現可能な科学的手法で
神や、霊魂の存在を見ることは生きている限り不可能である。

それ故、
科学と宗教は、水と油の関係であって然るべきであると思う。

神様は、あえて、この厳しい条件を人間に課したのである。

何のために?????

「 自分の内に宿る神 を知る」
「 人間は霊であり、霊は永遠不滅である事を知る 」

その為に・・・
絶対に科学的立証ができな状態の設定が成されている。
これこそが、
「 絶対的真理 」を知るために必要不可欠な
ハードルであるような気がする。
神は、人間に対し、
ギリギリの線で、ハードルを設定しているのだ。

これを完結させる為、あえて、「 死んでからしか分からない事 」
を設定したのだ。
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狂気の理論

2015-09-26 | 思う事
メディアを筆頭とする、反日勢力に洗脳されてしまった
善良な一般市民は叫ぶ・・・

9条!!! 9条!!! 戦争反対!!!
反戦・平和   安保法案反対!!!

とはいえ・・メディアに出てくる一般市民とは、自称であり、
その多くが民主党・共産党・腐った緑・新左翼の関係者ですが・・・

人間は、生きている限り、
必ず何らかの集落や、集団を形成する。

当然の事ながら、集落や、集団は、それを守ろうとする。
そして、外部の者にその安定を脅かされないように防御する。
それでも、解決しない時は、紛争となる。

どんな事情があろうとも、
あくまで無抵抗・無防備を貫き、
絶対に紛争を起こさない事を「 平和 」と呼ぶのか?
もし、そうなら、
植民地化されたり、他国に武力支配されたり、搾取された国は、
「 平和な国 」という事になる。

世界は平和ではない。
ウイグルや、チベットの実情は悲惨である。

民族絶滅を目論む勢力によって瀕死の状態に追い込まれている。

なぜ、このような状態に追い込まれたのか?

ウイグルや、チベットは、外敵の進入を威嚇する
武力を持っていなかったからだ。

現在のウイグルや、チベットの状態を、平和と呼ぶのか?

ウイグルや、チベットの方たちは、
他国に惨殺・支配・搾取・侵略される事によって
平和の理念を全うしたのか?

それが賞賛されることなのか?
ウイグルやチベットの方々は、
家族を失い、生まれた土地を奪われ、迫害を受けている。

抵抗するすべがなく、
焼身自殺をもってして、
その実情を世界に訴える以外、
方法がないところまで追い込まれている。
( なぜか、この手の情報を日本のディアは、報道しない )

「 彼方たちの状況こそが、平和の象徴なのです 」
などと言えるのか?
ふざけるな!!!!
こんな理論は、ウイグルや、チベットの方々に対して、
失礼な屁理屈である。

「 反戦・平和 」という言葉が大好きな、
香港生まれで、カナダ国籍のカン高い声で下手糞な歌を歌う、
チャン・リン・シャンとか言うシャンプーみたいな名前の女性。

甲高い声で、反戦・平和を唱えるが・・・
何故か、ウイグルや、チベットことは絶対に触れない。

たぶん、この香港生まれのカナダ国籍人、の持つ平和の定義は、
無抵抗・無防備・占領・植民支配・
なのであろう。

こんな理屈は、国内では通用しても、世界では通用しない。

このような狂気の理念を持っているのが、
民主党・共産党・腐った緑・新左翼

それを後押しするのが、朝日新聞を筆頭とした
日本のメディアである。

皮肉な事に・・・
こんな、オメデタイ連中が偉そうな顔をしておられるのも、
日本が平和な国である証拠でもありますが・・・
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電動歯ブラシ低コスト運用 「ウサギ流歯磨術」

2015-09-23 | こだわり

新開発・電動歯ブラシ低コスト運用法

最近、電動歯ブラシを使うようになった。
電動歯ブラシの難点は、ランニングコスト。

電動歯ブラシは、
600円~800円程度で売られている。

しかしながら・・・・

ある程度使うと、ブラシがヘタって来る。

交換用のヘッドブラシも売っているのだが、
非常に高い値段設定となっいる。

パソコンのプリンターは、本体は安価だが、
インクカートリッジが高値で販売されている。

これと同じで、
本体で儲けず、消耗部品で儲ける戦略らしい。

この戦略に対抗でき技があるはずだ・・・

あれこれ悩んでいると、突如、
ウサギ・インスピレーション天下る・・・

「 歯ブラシを継ぎ足せ!!!! 」

早速、電動歯ブラシに、
普通の歯ブラシを針金で巻きつけ、頑丈に固定した。

使ってみてビックリ!!!
電動歯ブラシの振動は、ほとんど弱まることなく、
継ぎ足した歯ブラシに伝わる。

同時に、歯ブラシの柄の長さがUPした事により、
非常に使いやすくなった。

電動歯ブラシを使い始める前は、
普通の歯ブラシを左右両手に持って、
「 二刀流歯磨きの術 」を実践してたのですが、
現在は、
左手に、この「 特製・電動歯ブラシ 」を持ち、
右手に、普通の歯ブラシを持って二刀流を実施しています。

両手の歯ブラシを同時に口に入れて上下、左右、交差しながら
歯を磨く。

特製・電動歯ブラシは柄が長いので、二刀流を行うとき
両手をストレスなく、自在に使う事が出来る。

このことで、歯磨き効率が通常の歯磨き方法と比較して、
3倍以上に向上する事になる。

これぞ時間の節約、コスト削減の必殺技
痛快!!!!

時は生命なり
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富士山麓で観たもの・・・

2015-09-16 | その他
富士山麓、・・・山田屋ホテル前から精進湖と富士山を望む。

私は、20歳のとき、(30年前)初めてこの場所に立った。
そのとき、とてつもなく強いエネルギーを感じた。

それ以来、30歳、40歳と、10年毎に、
この地に訪れる事になった。

今回が4回目・・・私は50歳になっていた・・・

残念ながら、今回は、富士山は見えなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

これは、20年前に同じ場所から撮った写真。
30年前に、見つけたものとは・・・・

龍(絵が下手糞すぎますが・・・)

この場所に立つと、パワー全開になる。
パワー全開にしてみたのだが・・・・
あとは、神様にお任せします。

あと何回この地を訪れる事が出来るだろう・・・・
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負けた・・でも、負けていない。

2015-09-14 | 出来事


私がサラリーマン時代に体験した事です・・・

リーマンショック以来、会社の業績は下降線となりました。

当然のことながら、
こういう場合、会社はリストラを始めます。

大企業の経営陣は、
数字だけで物事を推し進めます。

「 従業員を30%減らせ」
「 残業代を50%減らせ」
「 役職手当を50%カットしろ 」
とかいった具合で、
数字がます先行して、リストラに着手します。

そこには、情けなど存在しません。

拷問に近い、過酷な労働を課して、
それに耐えられない者は、
「 どうぞ、ご自由に自主退職してください・・・
替わりはいくらでもいます・・・」

残酷な事のようにも思えますが、
これも、致し方ない事です。

転職の宛がある人間から次々と辞めてゆきました。

自●者まで出る始末・・・まさに戦争です。
過●●したものもいた。

経営者は、会社を守らなければならない責任がある。

人情に溺れていたら、会社が潰れてしう。

経営者は心を鬼にして対処しなければならない。
これが自由競争社会・自由経済の宿命なのかもしれない。

当時、M君という同僚がいました。

M君は、愛嬌があってイイ奴でした。
彼と私は、年が同じという事もあって、
何でも気さくに語り合える仲でした。

会社がリストラを始めた頃、
彼の私に対する態度が豹変しました。

影で、私の足を引っ張り始めたのです。
それは、彼の保身の為であることがすぐに分かりました。

賃金の高い役職者は、まず第一のターゲットになる。

人件費削減の為、何か理由を探し、降格させる。

彼と私は、同じ職位で、同じ部署。

事業を縮小しているので、
どちらかが降格、若しくは左遷される・・・
それは、会社の状況から察するに明白なことでした。

彼も、必死だっただろう・・・

初めは、些細な嫌がらせでしたが、
それがだんだんエスカレートして、
大人気ない、露骨な嫌がらせを始めたのです。

それは、私の会社内の評価や、
信頼が損なわることを狙った陰湿なものでした。
「 殺られたら、殺り返す 」
では、自分も彼と同列になってしまう。

相手の土俵に引きずり込まれたら負けだ・・・

私は反撃せず、冷静な態度で、自分のすべき仕事を
淡々と行った。

そして・・・・彼は勝った・・・・

私は負けた・・・・

彼は自分に言い聞かせていたでしょう。

「 自分には守らなければなない家庭がある・・・
そのためには、綺麗事だけではどうにもならない・・
勝たねばならぬ・・・俺はそれなりの努力をして来た・・
ウサギ君より、俺のほうが生き残る資格があるんだ・・・」

私は思った・・・
結果などどうでもよい・・・
どちらが勝とうが、それは大きな問題ではない。

現実に対して、自分がどのような対応をしたのか?
これが最大の問題であり、それは、個人個人に課せられた
課題である。

私は自分自身に対して「誤魔化し」は、しはしなかった。

彼は、心の中で、モッオもらしい理屈を並べ、
自分自身の良心を「誤魔化した」のだろう・・・

彼の脳味噌は、「 自分は悪くない 」と認識しているだろうが、
汚い手段を使う事に対して、
彼の内に宿る霊魂は、それを許すはずが無い。

彼を咎める者は誰一人もいない。
全員が自分のことで精一杯で、
人の事など構っておられる状況ではなかったからだ。

でも・・・・・

彼の内に宿る良心(霊)は全てを知っている。

彼の頭脳は自分を許しても、
彼の内に宿る「霊」は、自分の浅ましさを許さない。

いつか、彼は
自分で自分を裁く時がやって来る。

彼の内に宿る良心(霊)は、
自分にとって不都合な、不運を呼び寄せる思念を発する。

そのエネルギーは、
無意識のうちに、それ相応の不運を呼び寄せる。

これを「 自己処罰 」という・・・

詰まるところ・・・
善・悪の問題ではない・・・
そんなことどうでも良い・・・
善悪の基準など、「 時 」「 人 」「 場所 」 
によって簡単にひっくり返る。

 正義とか、道徳とか、信念とか、そんな重いお話ではない。

自分にとって得か?  損か? 
・・・ただそれだけの問題だ・・・

わたしは、
彼が悪い奴であるとは思っていない。
ただ・・・
彼は、損得の判断を間違っているだけであると思う。

仮に、彼の陰謀が無かったとしても、
私が負けていた可能性もある。

もし、そうならば、彼は無駄な損失を自らが
創り出しただけのことになる。

お気の毒にも思える。
(皮肉ではありません)
 
神は人を裁かない。

自分の運命は、自分の選択に委ねられている。

天罰など無い。

恐れるべきものは、自分の良心
自己の内に宿る神の声





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損得勘定で生きています。

2015-09-13 | 思う事

わたしは、20代の頃までは、
「 立派な人間になりたい 」といつも思っていた。

今年51歳となった・・・
今現在の私は、立派な人間になろうなどとは、
一切思っていない。

それ故、プライドなど可能な限り捨てるべきだと思っている。

そんな漠然とした抽象的な願望より、
自分の行為や、言葉、願望に対して、
それが自分にとって損か? 得か?
その判断のみで生きている。


***不平不満や愚痴を言って得をする事があるか?
答・・・得することは無い。
更なる不遇を引き寄せる。

***裏切り行為をして、得することはあるか?
答え・・・無い。
後から利子が付いて帰ってくる。

***陰湿な手段でライバルの足を引っ張って
勝利して得することはあるか?
答・・・無い。
いつか、自分も同じ土俵に引きずり込まれる。

***ギヤンブルをして、得することはあるか?
答・・・絶対に無い。
勝っても、負けても、最終的には損をする。

***ズルイ手段で、自分だけ楽をしたり、
儲けたりして、得をする事はあるか?
答・・・無い。
その場は良くても、後からツケが回ってくる。

***ひとに意地悪をして得することはあるか?
答・・・無い。
そんなことしてたら、同じ類の人間は寄って来るが、
自分に必要な人間は寄ってこない。

***苦しみ悶えている人に対して、知らぬフリをして、
得することはあるか?
答・・・無い。
誰も咎めはしないが、自分は全てを知っている。

**家族が殺されそうになったとき、自分だけ逃げて得をするか?
答・・・無い。
死ぬまで後悔する。

***畑になっているスイカを盗んで食べたら得をするか?
答・・・お縄になるだけ。

立派な人間になろうとするより、
何が自分にとって何が 「 得 」なのか?
何が自分にとって何が 「 損 」なのか?
この判断のほうが大切であると感じる。
要するに、これ、「 損得勘定 」

損得勘定をするための物差(基準)こそが、
結果や、成果などに左右されない、
自分の「 真の価値 」であると思ってます。

 
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悪い予言は外れる。

2015-09-12 | 思う事

未来を予言することは出来るのだろうか?

答え・・・未来は、予言できます。

ただし、未来に起きる、「 悪い事 」は、予言できません。

「 良い事 」のみが可能です。

「 悪い予言 」は、
それを前向きな気持ちで受けて止めるならば問題はないと思います。

未来に起こるはずであった
悪しき事を引き寄せる要素を打ち消すからです。
未来を修正するという意味では、意義が生じる場合もあります。

そういう意味では、「 悪い予言 」は、
全てがナンセンスな事とはいえません。
・・・・・・・
仮に・・霊能者とか、怪しい宗教の人間に
「 あなたは、10年後、大きな不幸に襲われます 」
と言われたとします。

多くの人は、そんな事、全く信じません。

でも、それを真剣になって気にするひともいるはずです。

「 あなたは、前世で、悪い要素を作った、今生でも、
それを受け継いでいる 」
というようなお話も、これとまったく同じ。

これも、仏教的な正しい解釈で受け止めるなら、
得るものもあります。

シッカリした指導者が付いていれば別ですが、
ほとんどの場合、この手の話は、
人の潜在意識に罪悪感を植え付けるだけで害のほうが多い。

それが、罪悪感や自己嫌悪となり、
やがて「 自己処罰 」をはじめる。

その、深層心理に宿る魔物は、
自分が、自分に対して、不幸になるように仕向ける。

悪い予言、心が暗くなる内容の神懸った霊言・・
多くの人は、信じないが、気にする人もたしかにいる。

私は、全く信じていない。

・・・・・・・
・・削除 ・・(チョット恐いので)・・

自分の未来に対して、悪い予言をされた時は、
もうその時点で、「 悪い未来 」など、存在しない。

逆に、「 良いこと 」を言われたときは、
その言葉の具体的な意味にコダワらず。

その言葉の背後にある「 明るさ 」と 「 光 」を
信じるべきである。

大切な事は、自分を信じる事。

すべての人間の内に神が宿る。

明るい未来を信じる事。
些細な事でも、目の前にあることに全力を尽くす。
無いモノを数えず、あるモノに感謝する。

未来に対して、具体的な欲求を過剰に意識すると、
それが 「 執着 」となる。

ただし、これは「 努力するな、夢を描くな 」という意味ではない。

「 心の内側から湧き上がる欲求 」と、
「 過去の死骸 」を区別しないと落とし穴にはまる。

「謙虚な行為」と、「悲痛な行為」 
を区別しないと、落とし穴にはまる。

執着は、多くの取り越し苦労を誘発する。

執着は、無限の可能性にフタをする。

執着は、人の心を攻撃的にさせる。

執着は、本来の姿や、最善の願望にフタをする。


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静岡おでん・・・最高!!!

2015-09-10 | グルメ 

静岡市の「 青葉横丁 」にて、静岡おでんを食する。
これ、娯楽にあらず、修行也。


いちばん初めに何を食べるべきか、
前日から悩み続けていたが、
カウンターの椅子に座った途端、
‘おでん‘の囁きが聞えた・・・
「 コンニャクに決まってるだろ!!! 」
なるほど・・・食物繊維を最初に取るのが鉄則だ・・・
最初の一皿・・・
コンニャク ・ 黒ハンペイ ・ たまご ・ 牛スジ


さすが‘静岡おでん‘ 何を食べても美味しい!!!
汁は、中華風の和風スープといった雰囲気。
濃厚にして、嫌味のない味は、素材の旨みを殺すことなく、
最大限に引き立てている。
このような‘おでん‘は、静岡でしか食べる事は出来ないだろう・・

全種類の‘おでん‘を一本づつ食べたあと、
一番美味しいと感じたものを、最後に再度食べる事にした。
「 厚揚げ 」 と 「 たまご 」
これが私にとって一番美味しいと感じた具材であった。

特に、「 厚揚げ 」は、郡を抜いて美味しいと感じた。

ダシ汁が、絶妙なサジ加減で、厚揚げを包み込んでいる。


おでんを堪能したあとは、
作戦を変え、焼き物を政略することにした。

備長炭の発する、静かにして、力強い炎は、
分厚く切られたレンコンを優しく包み込む。

たぶん、備長炭の発する遠赤外線は、阿弥陀佛の後光のように、
レンコン全体突き抜けているのだろう・・・
その姿が見たい・・・

大将に、部屋の照明を落として欲しいと頼んだら、
快く応じてくださった・・・


レンコン全体が赤く輝いている。

それは、神秘的な光景だった・・・
阿弥陀如来の発する後光は、このような感じで、
如何なる障害物も貫通して、
尽十方を無限に照らしているのだろう。
( 不謹慎な例え話かな? )

写真がブレてしまって、分かり辛いですが、
肉眼で観た、「紅のレンコン」は心を揺さぶる光景だった。


次は、 「 白ナスの丸焼き 」
白ナスが丸ごとダイナミックに七輪ぶち込まれた。

ナスが甘みを発し、炭火特有の風味が食指をくすぐる。
美味しい!!!!

静岡おでん ・ 静岡の街 ・・ 最高!!!!




青葉横丁・三河屋  人気店の為、電話で予約が無難。

「 青葉横丁 」ですよ!!!
近くにある、「 おでん横丁 」と混同しないでネ、
( これには意味がありますが、ここでは書けません ) 
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ひとの苦しみが分かるはずはない・・・

2015-09-08 | 思う事

ひとの苦しみが、分かるはずは無い。

自分以外の人間の心のなかにある
複雑な心境や、葛藤が分かるはずは無い。

とはいえ・・・それらを、
可能な限り理解しようとする努力は、必要だ。

でも、
「 あなたに、私の苦しみが分かるはずはない・・・」と、
言われれば、
確かにその通り。
これでもか!!! これでもか!!!
といわんばかりに迫り来る不運に悶え苦しむ人に対して、
真摯に相手の気持ちを理解しようと努力し、
その上で、何らかの助言をしたとしても、
「 分かったような口を利かないで 」
と言われてしまえば、それまでだ。

仰る通りです・・・

当事者でなければ、その人の苦しみ、悲しみ、苦悩などが
分かるはずはない。

ただ、「 その人の人格を受け入れる 」ことはできる。

自分にできる事は、
その人の内に宿る‘ 霊 ‘に対して、
最大限の誠意をもったうえで、
絶対的な信頼と、希望を抱き、
明るい未来を信じることだ。

そのとき、相手の魂はニッコリ微笑み、
奇跡が起きる。

私にできる事は、誠意と、真心を尽くすことだ。

それは、生半可な気持ちでは出来ない。
でも・・・
それ以外、道は無い。
これ、即ちバカになる事・・・
高等な理屈や理論を並べたところで、どうなるものでもない。
それ以前の問題として、
誠意と、静かなる熱意が必要であると感じる。

呪術や加持祈祷をしたところで根本解決にはならない。

合理的な理屈や、合理的判断のみで、
ひとの心は癒されない。
幸運を呼び寄せる事はできない。
奇跡は起きない。

暗闇で、悶え苦しむ人に光を照射するためには、
最終的には、
「 誠意 」 と 「 暖かさ 」
これに尽きると信じる。
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