名古屋の白ウサギ・1964年生・

自称、宗教家・宗教家は、職業ではなく「生き方」です。
職業・会社員

霊能者・陰陽師・・近寄るべからず。

2020-03-29 | 宗教

「 霊能者 」
と自称する怪しいお方が多く存在します。

霊能者は怖いです。
霊能力と人格とは、何の因果関係もありません。

例外的に・・
霊感強く、人格も優れた立派なお方も存在しますが、
そうでない人も多く存在しています。

「陰陽師」・・・と名乗る輩もほとんどが、
「危ない輩」に属します。

怪しい霊能者・陰陽師・・
詐欺師よりタチが悪いです。

金品を奪う盗賊よりも、罪は重い。

詐欺師は人を騙して金を奪いますが、
心や魂まで奪いません。

金は奪われても、働けば取り戻せます。

でも、心や魂を支配されたり、傷つけられたりしたら、
取り戻すことは至難の技・・・

怪しい霊能者は、奇怪な能力を使って、
飴とムチで支配して来ます。

最後は判断力を奪い、奴隷にして
金を搾取し、家庭を目茶目茶にする。

そのうえ心や魂に大きな傷を負わせ、
挙句の果てには、その人を廃人にしてしまいます。

まさに人間の生き血を吸う吸血鬼です。

こういう輩の特徴は、
「 褒めと、脅し、」
初めは相手を褒め倒す。
同時に怪力を使って、「良い事」をお起こす。

例えば
急に大金が舞い込んだり・・・
急に病気が治ったり・・・


依存体質を植え付けることに成功すると、
そのあと「脅し」の技を繰り出す。

前世の因縁云々・・ 悪霊云々・・・
 
先祖の祟り・・・(先祖が祟ることなどあり得ませんり)

水子の祟り・・・(水子の祟りなどありません)

そういった、訳の分からない話
(宗教的観点から見て)を持ち出し、
少しずつ恐怖心を植え付けて来ます。

そして、相手の恐怖心と不安感に付け込み、支配して来ます。

飴とムチを巧みに使い分ける・・

これ、ヤクザ屋さんの使う技と性質は同じです。

霊能者の言う祟りとか、悪霊とかは、
ほとんど場合、その霊能者自身が
「念」の力で作り出した、「 念の合成 」です。

これ即ち、
「 虚像 」「 妄念の塊り 」です。
それを他人に張り付ける。

即ち、奇怪な力を駆使して、
自作自演のドラマを相手に張り付けて、
演出しているだけ。

怪しい霊能者に近付くと、
霊能者の心が描いた、
「 奇怪なドラマ 」の共演者にされてしまう。

更に厄介なことに、霊能者は・・・

必ずしも悪意をもってやっているのではない。

怪しい霊能者は、自分は世の為人の為にやっていると、
大真面目に信じている場合も多くある。

これらの輩のなかには、
純粋で、心が優しい人も多く存在する。

純粋で心の優しい人の言う事だからと言って
それが必ずしも「正しい」訳ではない。

むしろ、そういう人が一旦、妄念に取り憑かれてしまうと、
その人のばら撒く罪悪は甚大である。

悲しい事に、こういった怪しい霊能者自身も、
魔物に支配されている。

この手の方は、左翼思想に傾倒し易い。
私はこの手の犠牲者を、

「 スピリチュアル左翼 」と呼ぶ。

よくテレビに登場する女装した
化け物みたいな情熱的なお方も、この類です。

有名な物書きの尼さん、
(欲情因縁を持つ色ボケ老人、肩書は立派な僧侶)
も同類だと思います。

怪しい霊能者、スピリチュアル左翼の方は、
非業の死を遂げる事が多い。

因みには、名古屋の白ウサギには
霊能力などありません。

時々、不可解な力を発揮することがありますが、
これは霊能力ではありません。

ならば、何だ??? とよく聞かれるます。

これを私は「 ウサギセンサー」「 ウサギパワー 」と
呼んでいます。

来れ、即ち「 芸 」です。


意味不明・・・ふざけているのか?

と思われる方もいるかも知れませんが、
どう判断するかはその人の自由であり、
「 実績が全て 」「 信用が全て 」
と思っています。

狂気を大真面目な顔で語ってはなりません。
アット驚く奇跡を、最後は笑って終わらせれば、
これこそが職人芸と思っています。

はっ、はっ、はーーー

でなければ危険です・・・

以前、私に縁がある人に対して、
洗脳・霊的支配を目論む危険な霊能者
と対決したことがあります。

この怪力者Xの霊能力はインチキではなく、
ホンモノでした。

怪力者Xは、
巧妙な技で、相手に「前世の記憶」を植え付けてしまう。

「前世の記憶」とは・・・もちろん怪力者Xが描いた
虚像です。

怪力者Xが、相手を支配するに都合のよい
フィクション。

前世の記憶など・・・絶対に想いだすことは不可能です。

怪力によって相手の意識に植え付けた「前世の記憶」をネタにして、
相手を脅す。

実に巧妙で、恐ろしい技の使い手でした。

正直言って、怖くて逃げだしたくなりってしまいました・・・

毅然とした態度で臨みましたが・・
実は・・・オシッコちびりそうでした。

捨て身でバカ道まっしぐら・・・
最後は、

怪力者X・・・ウサギ仙人に降参・・

 あっ、はっ、はー 
で「 技あり!!! 」でした。

勝たねばならぬ・・・・
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予知・・予言のカラクリ

2020-03-28 | その他


 コロナウイルス 

 世界的株価暴落 

これを1年前に予測・予言・・
していた人がいるらしい。

有名になろうと必死になり、
予測的中を自画自賛して、
ネットで懸命にアピールしている経済アナリストがいる。



予測したときに、理論的な根拠に基づくものならば・・
「科学的な予測」であり、
的中すれば素晴らしい。

99%の努力と、1%のインスピレーションも然り・・

まさに「人間の叡知」



しかしながら・・・

どういう訳か??
予測・予言を吐いた時は、その根拠を明確にしない。


これ以外にも、

スピリチャル屋さん・・
宗教屋さん・・
拝み屋さん・・
霊感屋さん・・


何だか、怪しげな方たちも、
「我こそは!!!予言していた!!!」と・・
続々と便乗している。


本当に予測していたのか?

予言的中は真実か?



いえ、、、そんなこと誰にでも出来る芸です。

カラクリは簡単です。

まっとうな人はそんな馬鹿げたこと・・
思いつかないだけの話です。



種明かしをしましょう・・・



「来年は株価が大暴落する」

「来年は大地震が発生する」

「来年は疫病が発生する」



この言葉を毎年言い続ける。

この言葉を毎年、文書にして公表、
発言の証拠を残す。



これを続ければ、いつか必ず的中する。

的中しなかったときは沈黙。

的中した時は、発言時に用意しておいた
「発言の証拠」
を示して大きな声でアピールする。

予測の根拠は的中たときのみ
状況に合わせた理屈を後付けする。



金融予想屋さん・・
経済予測屋さん・・
予知・・予言・・・霊感・・・のカラクリは
こんな程度のお話しです。


歴史とは・・・
予測不能・・・想定外・・の副産物。

これを素直に認めたうえで、情報分析をする。
これこそが・・・
最善の未来の未来の第一歩

   

知恵者を気取っている人ほど、
未来を見誤る様な気がします。


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狐が憑いた???動物霊に憑依された??

2020-03-26 | 宗教

キツネが憑いた・・・
狸が憑いた・・・・
猫の霊が入り込んだ・・・

こういう現象は本当にあるのでしょうか?

動物の霊魂が人間に憑依する事はあるのか?
それは有りえません。
人間が動物と交尾したとしても、
妊娠する事は絶対ありません。
事はこれと同じです。

人間のDNAと動物のDNAは異質です。
それと同じで、
人間の霊魂と、動物の霊魂は、癒合することはできない。
水と油の関係なのです。

「 あなたの背後にキツネが憑いている 」
「 蛇が憑いている 」

これは、拝み屋さんとか、
霊能力者がよく発する言葉です。

動物霊が人間に憑依する事が不可能というなら・・・
こういう事を言う拝み屋さんとか、霊能者は
ウソをついてる事になってしまします。

私が思うに、こういう話は、
半分以上は「 ウソ 」です。

人を騙す目的でこの手の事を言う人も多くいます。
でも、そういった悪意を持たずに、
自分の見たまま、感じたままの事を言っているお方も
存在すると思います。

すべてが、ウソではないと思います。

霊能者の眼には、キツネや、狸の霊が見えているのです。
若しくは感じているのです。

見えたり感じたりする事は、事実かも知れませんが、
それをどう捉えるかが問題だと思います。
動物霊が人間に憑依すると信じている霊能者は、
その正体が解かっていない。
だだ、それだけの事であると思います。

そならば・・・その正体とは、


(1)・ 心が創り出した想念の塊(エネルギー)

(2)・ 血の繋がりのある人の霊・先祖霊

(3)・ 深い因縁がある人間の霊

この3個の要素は、姿・形がない
「 見えない力 (エネルギー)です。 」

その「見えない力」を霊能者が関知したとき、
霊能者は、その、実態の無いものを、
脳内で自分の意識という再生機を使って、
「映像」に翻訳してしているのです。

それ故、その「再生機」の性能や性質によって、
映し出される映像が違って来るのです。

映し出された映像が、「 キツネ 」であったとしても、
それが、本当にキツネである訳ではないのです。

よくテレビに登場する、
M〇卓〇(元経済アナリスト、現在大学教授)
この男がテレビに映ると私はかなり不愉快になります。

この男は、東大出なのですが、
この男の言動は、
呆れるほど幼稚で、低俗で、無責任、
この男の経済予測、金融市場展望は、
呆れ返るほど荒唐無稽で、
今まで一度も当たった事がありません。

この男は、経済や時事、政治問題などの討論で、
程度を疑われるような幼稚な発言を頻繁に行うのですが、
その発言に対して、少しでも誰かが反論すると、
眼が潤んで、涙目になります。

まさに、東大出の●●です。
何ゆえ、このような●●がテレビに頻繁に
登場するのか理解に苦しみます。

私は、この男の顔を見ると、この男の顔が
「 豚 」の顔に感じられます。
更によく観察すると、
「 豚が泣いている顔 」
に見えてきます。

なぜ、私の眼にはこのように見えるかというと、
私の意識が、
この男の言動に対して 
「幼稚で無責任で、下品」
と強く感じているからです。

その、風貌と、言動から、「 豚 」というイメージを作り出し、
それを脳のなかで、「 豚 」という姿に変換しているからです。

決して、彼に豚が憑依している訳ではありません。
これは、
私の意識・感情・先入観・が創り出した虚像です。
森●T●の事はどうでも良い事です。
話が逸れました・・・本題に戻ります・・・

先に述べた、
(1)・ 心が創り出した想念の塊(エネルギー)

この場合、「動物霊」という事にしておいても、
重大な問題はないと思えますが、

(2)・ 血の繋がりのある人の霊・先祖霊
(3)・ 深い因縁がある人間の霊
この2つは、重要な問題です。

霊能者や拝み屋さんがキツネとか、狸とか
言っているモノの正体は、
自分に縁のある「人間の霊魂」
である可能性も高いのです。

動物の霊が人間に憑依する事は有りえません。
にも関わらず、
「 動物霊を追い払う 」などと考えたりする事は、
重大な問題が生じるのです。

人間の霊魂なのに、動物扱いされたら、
その霊魂は、たまったものじゃありません・・・

「 動物霊が人間に憑依するなどという現象は、
未だかつて一度も見た事がない・・・」
この言葉は、
天台宗の大阿闍梨(だいアジャリ)様のお言葉です。
( 御本人から直接お聞きした言葉です。)

自分に深い縁のある「人間の霊魂」を
動物扱いすると、どうなるか?

本来自分の味方となってくれるはずだった、
縁のある人間の御霊が、大いに悲しむのです。
場合によっては激怒する事もあり得ます。

自分に縁のある人間の霊魂を悲しませる事は、
自分にとってプラスになる事は一つもありません。








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有害?? 無害??? 極論は避けたい。

2020-03-23 | 思う事



肉食や、動物性の食品を極端に避け、
植物性の食品による食生活を行う人の事を 
「菜食主義者」・・(横文字では、ベジタリアン)
 と呼びます。

宗教家・・
純情派スピリュアル系・・
スビリチャル左翼・・
拝み屋さん系・・
左巻の環境屋さん・・

極端な菜食主義者のなかには、
このような思想、主義に傾倒している人をよく見かけます。

「 菜食主義 」が本当に健康に良いのか?
科学的な目で検証してみたなら、

・・・必ずしも健康に良いと断言できない。
同時に、悪いとも断言できません・・・

・・1・・菜食主義者は長生きだ・・・
と云う科学的?データーもあれば、

・・2・・菜食主義者は短命だ・・・
と云う科学的?データーもあります。

科学的データーとは、
観察者の「希望的観測」が左右することも事実です。

私の経験的な実感を基にした、見解としては、

・・2・・が実態であると感じます。

全般に観て、菜食主義者の方が短命だと思っています。

ならば、別の視点で、
霊的な観点で、そのことに大きな意義があるのだろうか?

肉食・非肉食の違いは、
その人の気質や、人格に何らかの影響を与えるのだろうか?

スビリチャル系菜食主義者及び、
環境屋さんが肉食常習者に対して抱いている認識は、

肉食は大きな視点で観れば犯罪行為に近い。
罪を犯しいている。
健康を害している。
その背景には、自然からの搾取、
弱者からの搾取が存在している。
肉食は動物的な衝動に偏る傾向がある・



スビリチャル系菜食主義者及び、
環境屋さが菜食主義者に対して抱いている認識は、

霊的次元(意味不明)が高く、平和的、非攻撃的、
自然回帰の気質で、穏やか・・・


私の「極端な菜食主義者」に対する見解。
(あくまでも私の主観です) 
・偏屈
・攻撃的
・刺激や、毒素に過敏な反応
・排他的雰囲気
・不和・闘争・葛藤。
・仲間割れ
・やたら愛、、愛、、と連呼するが・・・
結果的には・・・???
・霊的な事に過剰反応と過剰な影響を受けやすい。
・考え方や行動が両極端。
・ナルシスト


私の「肉食常習」に対する見解。
( 動物性排除など極端な拘りを持っていないひと)

・安定気質。
・情緒安定。
・柔軟な気質。
・温和
・剛柔ともに有する。
・臨機応変。
・霊的な事で、過敏になったり、
過剰な影響を受けたりしない。。



もちろん、
菜食主義者・肉食常習者の区別を抜きにして、
それに関係なく、素晴らしく、バランス感覚に優れた、
「中道」を行く、偉大な人も存在します。

決して菜食主義を否定たり、批判したり
している訳ではありません。

「個人差」という要素も無視はできません。
体質によってはそれが有効であることも
あり得ることであり、
ある人にはそれが適切で、
ある人には不適切である場合も多く
あると思っています。

この世(現象世界)は、
時と、人と、場所の三つの要素の微妙なバランスで、
ひとつの事象が、いとも簡単にひっくり返る、
善にもなり、悪にもなり、

毒にもなれば薬にもなる。



絶対的に重要な事は、

1・・食べる事への「 感謝 」

2・・それを生産してくれた人への「 感謝 」

3・・差し出された親切への「感謝」



因みに・・・
私は親切で「 どうぞ食べて下さい 」
と差し出されたものは、基本的には何でも食べます。

以前、友達に誘われてライブバーに行ったときのこと。

バーのオーナーと話が弾み意気投合しました。
人情味あふれるステキな女性でした。

オーナーは「 これはサービスです 」と言って、
皮付きの甘エビの刺身を無償で差し出して下さいました。

甘エビを手で摘まんだ瞬間、
「 これは腐っている・・・ 」
と瞬時に分かりました。

魚介類は、腐敗すると表面に独独の滑りが発生するからです。

さりげなく、匂いを嗅いでみると明らかに腐敗臭がする。

このバーの経営状態は最悪で、財政危機で困っている事は
気配とし感じていました。

にも関わらず、親切で人の良いオーナーは、
色々なお摘みをサービスしてくださいました。

その挙句に
甘エビの刺身までサービス。

オーナーの親切に、唯々、有難さを感じていました。

ここで「腐っていますよ・・食べられません」とは言えませんでした。

私は、躊躇することなく、食べたました。

物凄く美味しかった・・・・

これはやせ我慢でもなく、自己暗示でもなく
「 真実 」です。

腹を壊すだろう・・・と思われるでしょう?

それは、その「想い」が引き起こす、「 現象 」です。

外部からの協力な細菌や、ウイルスが混入していれば話は別ですが、

冷蔵庫に保管された状態なら、
多少腐っていても、それを食べたからと散って、
腹を壊すものではありません。


腐ったモノを食べて良いという意味で言っている訳ではありません。


極端に偏った恐怖感や、信念は、無害なものも「 毒 」変貌させます。

感謝の念は、意識しなくてもごく自然に任せていれば、
「 自分に必要なモノ 」を引き寄せ、
害のあるもを遠ざけます。

仮に害があったとしても、それを無害にするのです。

有害な食品もあることは確かです。


私が極力避けているものは、

・1・・・ マーガリン・ショートニング

・2・・・ a素社が世界にばら撒くカロリーゼロ人口甘味料

・3・ ・・・酸化した油



この3点は有害物質です。
自ら好んで食べようとしませんし、可能な限り避けています。



マーガリン、ショートニングは、
自然界に存在しない物質であり、
分子レベルで検証するなら、科学的に見て、
食品として、「あり得ない」物質です。

カロリーゼロ甘味料は、
もともとアメリカ軍が化学兵器開発の実験の過程で、
偶然に出来た、「あり得ない物質」です。
後に、日本のA社が量産化に成功。
(砂糖に比べコストが低いので飲料水メーカーはこぞって採用)



しかしながら、
親切で差し出されたら、有難く摂取します。

感謝の念は有害物質も無害化するからです。

ありがとうございます。





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科学と迷信は紙一重

2020-03-21 | 思う事


フロイトの「 花瓶を割った医者の話 」は、
人間には、自覚のない「 無意識の領域 」
が存在している事を説明する上で、
ひじょうに興味深い話であると思います。

フロイトはあくまで精神医学者としての立場で、
人間の心の生態を追求したひとですが・・・

フロイトも、ユングも、最終的にはオカルト的な
世界に足を突っ込んでしまいました。

これは、非常に危険なことだと思います。

これは、私の持論ですが、
科学者は科学者の立場を越えてはいけないと思うのです。

医学は科学ではない???

いえ、、、科学であるべきと思います。

医学を研究する者が、その一線を越えてしまうと、
限りなくカルト宗教になってしまうと思うのです。

ひとことに「 医学 」と言っても、医学には、

疫学 ・ 病理学 ・ 臨床医学

との分類があります。
私は専門家ではありませんので、
雑学程度のな事しか解かりませんが、

このなかの、「 疫学 」というのは、
平たく言えば、  「 統計  」の事らしいです。

多く人間の持つ、さまざまな要素と、病気の因果関係を
統計的に分類して、そこから仮説をたて、
病理学 → 臨床医学 
と発展させて、治療方法を確立するみたいです。

この、「 疫学 」とは、ある意味、
観察者の主観が入りやすい部分だそうです。

例えば、研究者が、「 タバコは絶対悪だ 」 
という主観をもって、疫学( 統計 )の手法で検証したなら、

必ず、 「 タバコは絶対悪だ 」
という統計的結論を出す事ができる。

逆に、 「 タバコは必ずしも、絶対悪ではない 」
という主観をもって、検証したら、

「 必ずしもタバコが絶対悪ではない 」
という結論を導き出す事ができる。

要するに、
何をサンプルにするかで、導き出される結果は、
180度、変わってしまうとと言うことなのです。

かつて日本は世界一の喫煙率でした。

しかし、その当時の統計では、
肺ガンの発生率は世界的に見て極めて低かった。
その反面、胃ガンの発生率は、世界のトップだった。

日本と比べて、はるかに喫煙率が低いドイツのほうが、
肺ガンの発生率は、桁違いに発生率が高かった。

最近はあまり見かけなくなりましたが、
「 タバコを吸ってた人の、肺の写真 」
真っ黒な状態で、それを見た人は恐怖心を持ちます。

その写真の横には、
「 タバコを吸っていなかった人の肺の写真 」
綺麗な色をしています。

この写真のアピールは、
「 非科学的な低俗な行為 」です。

身元不明の変死者の遺体を解剖する、
解剖医の書いた著書に興味深いことが書いてあります。

「 身元不明の変死体を解剖した時、
その遺体の肺を観察しても、
その人が、タバコを吸っていたいた人なの
かどうかは、判別不能。
喫煙者か、非喫煙者かの判別は、‘ 歯 ‘を観察する。 」

とのこと・・・

この解剖医の話を聞く限り、
「 肺の色 」、と「 喫煙 」の絶対的因果関係はないのです。

肺の状態は、居住地域の環境的要素、
個別の身体的要素に寄るもので、
喫煙とは無関係。

あの恐ろしい写真は、
意図的に、「 真っ黒な肺 」の写真を探してきて、
「 普通の肺 」を並べただけの 

「 おとぎ話 」 なのです。
余りに幼稚な手法です。

こんな事をしていたら、
作為的に選び出した、
「 水の結晶の写真 」を、
科学的な根拠がある!!と断言して、
「水は語る???」とか・・
奇怪な主張、
モットもらしい解説を加え、荒稼ぎな商売をしている、
疑似科学の達人 〇〇 〇氏と同列になってしう。
( 厳密には氷が解ける時の過程をを映した写真 )


こういうのを、
「講談師」・・若しくは「 ガマの油売り 」
と呼ぶのではないでしょうか?

「お伽話です・・」
と断って布教する分には罪はありませんが。

「科学的」と言った瞬間
・・・詐欺・・になります。

だからといって、タバコの害は無いと
結論付ける事は出来ません。

トータルな意味で煙草は有害であるという可能性も高い。
しかしながら・・・
こういう「 公正ではない非科学的広告 」
がされている事も確かです。

なぜ、そんな方法を取らなければならないのか???

要は、「決定的根拠」が無いからです。

真偽はともあれ・・
どんな事をしてでも、
「煙草は絶対悪」とせねばならぬ・・・
感情的な前提が存在している。

タバコは吸わないに越した事はありません。

タバコについては、私なりに思うことがありますが・・・

それを言うと現在、一般常識となっている、
「 非科学的なヒステリックな理論 」
の逆鱗にふれてしまうので、
気の弱い私は、
恐くて申し上げることはできません。

郷に入りては郷に従え・・
無駄な対立はエネルギーのロス・・
思い。
私も20歳の時から34年間吸っていた
煙草を54歳でやめました。


とはいえ・・・

東大名誉教授の、養老猛氏など、
飛びぬけた大物学者は、
ヒステリックな連中に袋叩きにされる心配がないので、
まったく臆することなく、
堂々と自分の見解を表明しています。

元慶応大学教授・三石巌氏も、
堂々と、公正な立場で、科学者のプライドを持って、
客観的な「科学的主張」を表明しています。

皮肉な事に、三石氏の著書の裏表紙には、
国立がんセンターの部長・永田親義氏の
推薦文が記載されています。

永田氏も、表立っては言えないだけで、
本音では・・・・と考えているのでしょう。

大物でない一般の学者は、
思うことがあっても、ヘタな事を言って、
干されてしまってはおしまいだと思い、
とりあえず歩調を合わせているだけなのかもしれません。


「科学の迷信」を説明する為に
「煙草絶対論」の話をしましたが、

「 科学の迷信 」の創作は、
研究者が、必ずしも作為をもってやっているとも限りません。
でも、「 自分の望む答 」「 望まれる答 」を出す為に、
「 無意識 」
が関与している事も多くあるはずです。

科学や、医学に、垣根をなくした状態で、
宗教が入り込んでしうと、
その主観的要素が、かえって邪魔になると思えるのです。

科学と宗教を融合させないことは、
もったいないような気がすることも確かですが、
リスクが高すぎる。

垣根をなくしてしまうと、そのことによる害悪が
間違いなく発生すると思うのです。

これは、「 宗教 」が、
場合によっては、対立と戦争を誘発したという、
歴史的事実と同じような関係性があると思います。

この状態こそ、カルト宗教予備軍のような気がしてなりません。


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狸の置物を眺めて、精進します。

2020-03-19 | 思う事

狸の持つ8つの意味。

① 笠をかぶってる
( 火の粉が降りかからない)

② 目が大きい 
(他人をよく見て気配りできる)

③ 通帳をぶら下げている
(お金に対して几帳面で信用がある)

④ 徳利を抱えている
(飲み食いに困らない)

⑤ しっぽが大きい
(安定感していて、ピンチがあっても倒れない)

⑥ 腹が大きい
(何事もにも動揺せず、腹を据えて取り組める)

⑦ 顔に愛嬌がある
(幸運と安心感を振りまく)

⑧ …の玉袋 
(金袋。お金が貯まる)
  
もし・・仮に・・・

金銭的な責任を追及されたり・・・
事故を起こして賠償を迫られたり・・
病気をしても医療費が払えなくなったり・・
ツケが払えなくなったり・・

そんな状況に追い込まれたときの
殺し文句が存在する。

ごめんなさい、
でも・・・無いものは無い・・・
どうにもなりません・・・


これを言われたら、一貫の終わり・・
無いものは取れない。

言葉を変えれば・・

取れるものなら取ってみろ・・
矢でも鉄砲でも持ってこい・・・


即ち・・・
「一文無しは最強・・怖いもの無し。」


ヤクザ屋さんなら話は別だが、
普通のひとなら泣き寝入りするしかない。

まっとうに生きるには、
結果に対して極限の責任を持たねばならぬ。

平凡でも、偉大な人は・・・
醜態を晒してはいけないと思い、
長い道のりではあるが、コツコツと
地道な努力を積み重ねる。

この努力の集大成を
「誠意」と呼ぶのではないだろうか。

歪曲プラス思考キリギリスは、
涼しい顔で眺めて冷笑するだろう。



私は・・
蟻でもなく、キリギリスでもなく、
狸を見習いたい。

狸の置物を眺めて、精進します。
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黒狐兎犬の霊言

2020-03-17 | 宗教

黒狐兎犬が宣うた・・・
優しさ。。。。
素晴らしい

だけど。。。。

その前提(動機)が重要。


コンプレックス。罪悪感。劣等感が動機となった
善行は、コンプレックスを隠蔽する逃避。

逃避が前提の良いひと、八方美人は
不運の連鎖。


そんなこと・・・人生経験がある人なら、
本能的に理解しているが・・

それが理解できない輩も多い。

宗教屋さんは、スピリチャル屋さんは
「善行ならなんでも良し」と思い込ませる。

人を支配すること。
資金確保。
信者獲得が目的となっているからです。


徳を積むことなど出来ません。


徳とは・・・放つもの。

打算的思考は、「この世」で通用しても、
「あの世」では通用しません。

ココ掘れワンワン!!!


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生きてるうちは事実の積み重ね・・・真実は死んでから分かる。

2020-03-16 | 思う事


むかし、私は思っていた・・

 善い行いを積み重ねると、
徳が蓄積されて価値のある人になる 

今は、そうは思っていない。

自分の行いなど 真実 ではない。

もし、行いが真実であるとしたら、その真実とは何か?

ここで言う 「 真実 」 とは、

  自分の行いや行動が消えた状態 

を意味しているように感じられる。

善い行為
善い体験
慈善

これらの要素は「 積み重ねる 」 ものではなく、
「 行動があったと言う事実 」
 があるのみである思う。

良い行いをしたからといって、
それが蓄積され、利息が付いて帰って来る・・
るなどとは今は思っていない。

あくまで「 事実 」 があるのみ。

ただ、それだけではないだろうか・・・

いままで自分が行った、
「 善行 」と思われる行為に対して
それ以上の意味を求めることは野暮に思える。

それに拘り過ぎると宗教屋さんになる。


「 事実 」 と、「 真実 」 は別物。

「 事実 」  イコール 「 真実 」 ではない。

如何なる環境下に於いても、
如何なる時に於いても・・
永遠に消えることのない、不滅なるもの

これこそが 真実 ではなかろうか。

生きてるうちは事実の積み重ね・・・
真実は死んでから分かる。
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自分であって 自分ではない。

2020-03-04 | 宗教

自分の中には、自分という
  独立した霊魂  
が宿る事は確かです。

それゆれ、人の数だけ個性があります。

でも・・・・

それだけに留まりません。

自分と云う存在は、自分の「 祖先の霊 」 
の集合体でもあります。

「 独立した霊 」 
 
「 先祖の霊の集合体 」

この二つの要素が一体となっている。

この、 「 一体 」 
という言葉、矛盾した言葉にも思えます。

‘ 独立 ‘ とは、「 単独 」ということ、

‘ 集合体 ‘ とは、「 混ざり合ったもの 」

この全く正反対なエネルギーが一体になっているなどと言う事は、
矛盾しています。

矛盾してはいますが、これが 真実 なのです。

霊 は、「 あの世 」 に存在しています。

でも、「 あの世 」 とは、

別の場所にある訳ではありません。

「 あの世 」 は、「 この世 」 
と同時に存在しています。

物理学者の デビッド・ボーム は、 、

目に映る物理的な世界を  「 明在系 」 
( めいざいけい ) と呼びました。

目に見えない世界を  「 暗在系 」 
( あんざいけい ) と名づけました。


ボームは「 全体性と内臓秩序 」という著書でこう述べています。
 
『 暗在系 では、 明在系 のすべての物質、精神、時間、
空間が全体として たたみ込まれていて、分離不能である。』

ここで言う、「 たたみ込み 」 とは、
数学でいう、「 直交変換 」 という概念です。

これを、「 あの世 」 と 「 この世 」 
に当てはめて考えると、
先に述べた矛盾が矛盾で無くなるのです。

「 あの世 」 には、時間も空間もありません。

それ故、独立した個性( 霊 )
を特定することは出来ません。

「 この世 」 には、独立した自分が存在します。

最先端物理学( 量子力学 )の理論では、

 明在系 と 暗在系 は分離不可能。

即ち、 この世 と あの世 は渾然一体となっている。

「 この世 」  ( 今の自分) 
 のどの部分を切り取っても、

その中に  「 あの世 」 (先祖の霊の集合体) 
が たたみ込まれている。( 直交変換 )

即ち、

自分と云う存在は、自分であって自分でない。

それを自覚しないことには、先祖を喜ばすことが出来ません。

「 先祖を喜ばす 」 
これが先祖供養なのです。


先祖を喜ばす方法とは?

自分自身が喜ぶことです。


但し・・・家族を犠牲にしたり、
文明人としての基本的な常識や経済観念を排除した
独りよがりな自己満足、自己陶酔は
多くの人に迷惑をかけるだけです。


   
自分のしたことで、ひとが喜べば自分も嬉しくなる。

自分の魂が歓喜をあげる。

それが、自分の中に宿る先祖の霊に通じる。

そして、先祖が喜ぶ。

先祖が喜べば、それはそのまま、直交変換され、自分に反映します。

自分も更に嬉しくなるのです。

嬉しい状態とは、心が安定し、
周囲の状況が改善され、苦悩や苦難が消え去って行く状態です。

どういう状態を幸福と呼ぶか?

人には、人それぞれの 幸福があります。

自分にとって幸福な状態とは、
そのひと自身の魂のみが知っていることなのです。

自分にとっての幸福とは、自分にしか分かりません。

これは、他者との比較や、競争とは別次元です。

明在系 と 暗在系 

これこそが
人間の運命を決定付ける最大の要素なのです。
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