名古屋の白ウサギ・1964年生・

自称、宗教家・宗教家は、職業ではなく「生き方」です。
職業・会社員

声を出さずに笑う人。

2021-01-30 | その他

私の知る、一流大学卒のエリート。
某・一流企業の社員X君・・・

仕事の関連で時々接触する。

X君・・・何か問題があるのだろう・・・
彼は毎日、頻繁に上司から小言を言われている。

「お前・・・意味がわかってているのか???」
「お前・・・聞いているのか???」
「お前・・・いつもお気楽だな・・」
「お前・・図太い性格してるな・・・」
「お前を見ていると疲れるよ・・・」

あまり強い口調ではなく、
少しばかり「茶化す」ような雰囲気も含んだ攻撃ではあるが、
それが日常茶飯事の状態になっている。
1時間に1回位は、必ず嫌味を言われている。

何ゆえに、X君がこれほど執拗に小言や嫌味を言われるのか?
私の立場ではその理由が分からない。

彼の行為や能力に何か問題が有るのか??
それとも、単なるイジメか??

その辺のとことは彼と直接関わったこことが無いので、
真相は私には分からない。



ただ・・・
彼に関して大いに気に掛かることがある。

X君・・・会話しているとよく笑う。
ニコやに満面の笑みを浮かべて笑う。

上司に茶化されるような口調で
嫌味や小言を言われても笑う・・・

だだ・・・その笑い方が奇怪過ぎる。



彼は笑うとき、
声を出さずに笑う。



腹を抱えて笑うのだが、
まったく声が出ていない。


彼の笑い方は・・・

満面の笑みを浮かべ、
腹を抱え、
上半身を前後に動かしながら、
連続して、息を吐く・・・

彼は、どんなときも声を出さずに爆笑する。



眼に映る姿は、
どう見ても笑っている「光景」でる。
それも、微笑ではなく「爆笑」である。

にも関わらず・・・「音」がない。

何とも奇怪な光景である。

無音状態でテレビ映像を見ているような錯覚に陥る。



大きなお世話ですが・・・・

私は彼の行く末が心配でならない・・・

私の眼にはかなり深刻な状況に映る。

だからと言って立場上、私にはどうする事も出来ない。



彼はよく笑い、いつも満面の笑みを浮かべ
ニコヤカな顔をしている。

彼は優しい人間である。
「誰に対しても、どんな時も、常に良い人」
を貫いていいる。

何を言われも絶対に嫌な顔をしたり、
怒っありはしない。



私が思うに・・
その「行為」は素晴らしいとおもう。
しかしながら・・・

「行為」に大きな意味はない。

薄っぺらい思いあがった宗教屋さん、
スピリチャル屋さんは言うだろう・・・

「貴方は、徳を積んでいる、因果報応・・
積んだ宝は必ず自分の元に帰って来る。
いつもニコヤカで、争わず、怒らず、
誰に対しても親切な貴方は素晴らしい!!
貴方には必ず幸運が必ず訪れる。」

 ふざけたこと抜かすな!!!! 

と・・・申し上げたい。

このような浅はかで無責任な言葉は、
結果的に善良な人間をどん底に突き落す事になる。

最悪の場合、自殺に追い込む。



肝心なのは、
「その前提」
「その要因」

1・・・「行為の前提」「行為の動機」。
2・・・「どんな時もニコヤカに笑う」その前提。
3・・・優しさの裏側にある「心の弱さ」・・・



コンプレックスの裏側の「笑い」
コンプレックスの裏側の「善い人」

これは、大きな危険を内在している。

ここが肝心であると思う。



X君の場合・・・・
彼は、笑っているのではなく・・
「追い込まれている」

壊れてしまいそうな「自我」を保護するために、
苦肉の策として「誤魔化している」


その歪な動機は・・・「無音で笑う」・・・
という奇怪な現象になって現れている。

彼が異常なまでに「善い人」である前提は、
常に善い人を貫く以外、
自分の居場所を確保し、
存在感をアピールする方法が無いからである。

心の中は極限の状態であり、
追詰められた状態のなかで、
力を振り絞って「防御している」



単純な道徳論、精神論で判断してはいけない。

私には、心の耳には、
彼の悲痛な叫びが聞こえる・・・

たぶん・・その機会が来ることはないだろうが・・・

もし、仮に、彼に相談されたら、
耳障りのよい言葉だけで事を済ませてはいけないと思う。

これは私にとって身を削るような苦痛を伴うが、
逃げる訳には行かない。

謙虚な姿勢で、誠意を持って斬り込む必要があると思う。

細心の注意を払いながら、
慎重に誠実に・・謙虚な姿勢で・・
彼の心の闇にメスをいれる。

この場合、
彼の内に宿る完全無欠な「本性」を引き出すためには、
「肉を切らせて骨を断つ」しかない。

これを「カマス」と申します。

もし、放置したら・・

最悪の場合・・彼は・・・に追い込まれてしまう可能性もある。





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謙虚に生きて行きたい・・・

2021-01-27 | 思う事


若い頃は欲しいものばかりだった・・・



高級な車が欲しい・・・
高級な腕時計が欲しい・・・
高級な料理が食べたい・・・
高級な服や靴が欲しい・・・
地位・名誉・・・人望が欲しい・・・
お金が欲しい・・・



歳を重ねる毎にそれらの欲望は消えゆくような気がする。
いまは、欲しいものなどほとんどない。

高級な料理を食べたいとも思うこともほどんどない。
好きな時に、唐揚げ定食を食べ事がができるだけで・・
ただ、それだけで・・泣けるほど嬉しい。



その反面

人様に迷惑をかけてはいけない・・・

自分の行為に責任を待たねばならない・・・

物や金より、信用のほうが大切・・



そういう思いが強くなって来た。

人様に迷惑をかけないと・・という意味に於いては、
やはりお金は大切だと思うが、
お金があったからと言って贅沢したいとは思わない。



立派な人間に成ろうとは思わない。
徳を積もうとも思わない。

「立派な人間」とは、
それを意識したり、誇っていない人であると思う。

徳は積むものではなく「捨て去るもの」と思う。



「感謝・・」尊い言葉ではあるが、、
尊い言葉も、汚されているような気がする。

煙幕・バリア・逃避・免罪符・・
思考停止の呪文として利用されるて
いる事も多い。

昨今の言霊信仰・・・

言葉の持つ本来の意味(想い)が汚されているような気がする。



呪文と化した言葉を連呼することに恥じらいを感じる。

それ以前に・・・

「お陰様で・・」と云う「想い」を大切にしたい。

謙虚に生きて行きたい・・・
正直に生きて行きたい・・・



下から目線に徹するひと・・・
謙虚なひと・・
尊敬します。

謙虚な人・・真に偉大なひとであると思う。

傲慢な人・・・お気の毒な人であると思う。



親鸞聖人は終始、「 下から目線 」の人だった。

そういう意味で、
親鸞聖人は宗教史上最大の
「 正直者 」であると思っている。


********
よしあしの文字をも知らぬ人は皆

誠の心なりけるを

善悪の字知りがほほ

大そらごと の形なり

              「 三帖和讃 」の一首
(一部、平仮名を漢字に変換)

親鸞聖人  88歳のときに記す

   ・・・  訳  ・・・・・

善悪の二文字の意味を知ったふりをしない素朴な人は、
純真な心の持ち主であるのに、
善悪の意味を知っているような顔をするのは、
大嘘つきの姿である。

************


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♪時の河を渡る船にオールは無い

2021-01-18 | 音楽
薬師丸ひろ子んさんにお逢いしたい・・・

薬師丸ひろ子さん・・・もし、このブログ見て下さったら、
連絡ください・・

薬師丸ひろ子「Woman ~Wの悲劇より~」Acoustic Ver.
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貧乏神の正体。

2021-01-15 | 思う事

演歌歌手、小林幸子さん・・・・・・・
私は敬遠する。

余計なお世話だが、小林さん、
心の方向性 修正したほうが良いと思う。

小林さん、1979年、
「おもいで酒」 を大ヒットさせた。

当時、彼女はテレビに出ると
常に 泣いていた。

「 今まで自分は大変な苦労をして来た。
大ヒットを出すまでの人生は 苦労の連続であった 」

そういった、浪花節 をひけらかすのが彼女の芸風であった。

わたしは当時、15歳 まだ幼かったが、幼ながらに思った。。

この人、一生苦労するだろうな・・・・・

そんな彼女の芸を観るたびに、不愉快な思いがした。

いつしか、彼女がテレビに映ると不快を感じるようになった。

紅白 を見ていても彼女が出てくるとチャンネルを変えた、
貧乏神 が寄ってくるような気がして、
なんだか嫌な気分になるからだ。

演歌歌手という立場もよく判る。

演歌歌手はある程度 影 がなければサマにならない。

でも、
小林さんの場合、度が過ぎる。

それは 芸 ではなく 
「 歪んだ心の習慣 」であるような気がする。 

2007年に起きた 新潟県中越沖地震 のときは、
新潟県が自分の故郷だということで、
新潟の被災者の方々の事を同情して
お得意の 泣き芸 を頻繁に行った。

「被災者の苦労をを思うと、派手な衣装は気が咎める・・」
などと・・宣うて、唯一の持ち芸である 
紅白の ド派手な衣装を取りやめるとか言い出して、
涙ポロポロの泣き芸・・・

お涙ポロポロ


ド派手な衣装を止めたいという願望の口実としか思えない。

被災された方々の苦しみや悲しみを思うと、
確かにお気の毒で涙が出る。
でも、それに同情して涙を流し、
哀れんでいるばかりいる事が 真心 なのか?

テレビに映るだびに、
同情の 泣き芸・・お涙ポロポロ では情けない。

かえって被災者に対して失礼ではないだろうか

こんな 芸 ばかりしていては現代の若者に笑われる。

最近の若者は 賢く 優秀 である。

一節太郎の時代は終わった
こういう 化石のような人に遭遇すると、現代の若者は、

「 ドン引き しちゃう !!! 」

と表現する。

慈悲と知恵・・勇気、希望 のみが人を幸福にする手段であり
同情からは何も生まれない。

もし、私が人から同情されたら、嫌な気分になる。
哀しい気分になる。

同情されて嬉しいとは思わない。

もし、同情される事が 嬉しい感じたら、
その時点で 私も終わり だろう ・・・
未来がないだろう・・・・

懸命に努力し、前を見つめ、
前進する意欲のある人に対して、
同情するのは 失礼な行為 と思える。

そういう彼女の 心の習慣 が、自分自身に対しても、 
「 同情されるような運命を 」
引き寄せてしまうのだろう。

未来のみを意識して、
希望のみを語るのが真の慈善であると思う。

泣き言ばかり言っている人。
過去にすがってばかりいる人。
過去の苦労や不幸を自慢する人。
人に同情されたいと願っている人。

どうぞ御自由に ・・・・・と思ってしまう。

普通の演歌歌手なら、一度、
大ヒットを出せば不動の地位が築けるはずである。

ヒット曲を持つ演歌歌手は息が長い。

でも、彼女の場合、
イロイロな報道を見聞きする限り、大ピンチの様子、
いま、彼女が今すべき事は、これを期に、

自分の中から  貧乏神 を追い払うことだと思う。

そういう意味では ピンチがチャンス、
果たして、彼女はこのチャンスを活かす事が
出来るだろうか・・・

ビンボウ神・・ は、
外からやって来るのではなく・・
自分の心が創り出す・・蜃気楼のようなものである。


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これは・・真剣勝負

2021-01-02 | 思う事


誰に対しても親切な人がいます。

何かを頼まれたら、イヤとは言わない。
(イヤとは言えない)

どんな事でも嫌な顔せず
ニコヤカな表情で何でも引き受ける。

他人から何かの被害を受けても決して怒らず、
ニコヤカに赦す。

謂れのないことで、非難中傷を受けても、
反撃せずニコヤカに笑っている。

意地悪されても、怒ったり抗議したりせず、
ニコニコ笑っている。

親切心が強く、困っている人を見ると
自分のことは後回しにして助ける。

心優しく、弱者への同情心が強い。



このような「善いひと」が・・・

自分の生き方に悩み、追い込まれて苦しくなったとします。

そして、このことを
宗教系のエライ先生に相談したらどうなる??

自称・エライ先生は・・
この人を称賛・絶賛・賛嘆するでしょう。



「あなたは素晴らしい!!! 
どんな動機であれ、善行は尊い。
あなたは陰徳を積んでいる。天に宝を積んでいる、
因果報応・・他人に親切を施せばそれは必ず貴方に帰って来る。」



もし、私がこの場所に居合わせたら、
相手が自称・エライ先生であっても、
遠慮なく申し上げます。



「無責任な事は言わないで頂きたい!!!
貴方の単純な思想は、
人をどん底に突き落とすでしょう。
人の心理は螺旋状に渦巻いています。
そんな型にはまった定型文で
語ってはなりません!!!」



愚かな自称・エライ先生の鼻をへし折る事が出来るのは、
異種同類の「愚かを極めたウサギ仙人」
の役割であると思っています。

愚かなウサギ仙人が・・愚かさを持って、愚か者を制する。

自称・エライ先生の耳障りの良い、
その場しのぎの言葉を真に受けたら、
この善良な人は奈落の底に落ちてしまうでしょう。



最悪の場合・・・自〇・・・
に追い込まれる可能性もあります。

私はその実例を知っています。

もし、こうなった場合・・
自称・エライ先生は言うでしょう・・

「霊的な要因でこのような結果になりました」

後付けの霊言・・・です。

     

自分に理解・説明できないことは何でも
「霊的な事象」とい言って逃げるのです。

     



行為に意味はない。
「行為の前提」が重要。

「善い行い」「優しい人柄」という行為(現象)に意味はない。
その行為(現象)の前提こそが肝心。

コンプレックスの反動としての
「善行」「親切」「和顔」は、
自分の身を削る。。。
得るものはない。

自己肯定感が低いひとのなかには、
コンプレックスや抑圧の反動として、
自己防衛の為に「善い人を演じる」
場合がある。

これを心理学では「防衛機制」と言うらしい。

綺麗ごとばかり言ったり・・・
人に対して過剰に金品を貢いだり・・・
過剰な親切を施したり・・・

この前提は・・
自分に自信が無い。
潜在的な大きなコンプレックスを内在してる。

自信喪失が慢性化すると、
人から嫌われることに過剰な恐怖感を持っようになる。

このような人は、
自己防衛の為に「常に良い人を演じ続ける」という
性癖を身に着けてしまう場合もある。

良い事をしているが、
その行為とは、
自己否定とコンプレックスの裏側であり、
「善い行い」を「楽しんでいる」のでなく、
自分を追い込み、「苦しんでいる」。

こういうタイプの人間は「自分と他人との境界」
が出来ていないことが多い。

それ故に、何かを頼まれると断ることができない。

自分の正当な権利や利益を主張することができない。



この「境界線」が構築されていないと、
どんな場合も、
自分を犠牲にすることが善い事であり、
宿命であると思うようになる。

それは強迫観念でもある。

そのキャラクターを維持することが
自分の居場所を確保する唯一の手段であり、
それ以外に自分の居場所を確保する術が思いつかない。

そして、極限まで自分を追い込んでしまう。

このような人格が形成された背景には、
多くの場合、成長期に於ける
親子関係、若しくは人間関係が起因しているように感じます。



私の知る限り・・・
これが重症化すると、自己破壊を招く・・・

このようなお気の毒な「善人」は多く見て来ました。

胸が痛みます。




まず、肝心なことは、

1・・・「善行の前提」「良い人である動機」。
2・・・「人情深く、同情しやすい性格」の前提。
3・・・優しさの裏側にある「心の弱さ」・・・

この3つをを見極めること・・

もし、この3項目が
「良い人」「善人」の前提だった場合・・・・

お互い、痛みは伴いますが・・・

この部分を鋭くエグリ出し、
そのあと、「本当の自分」「真実の自分」
を見つける手助けする必要がある。

 これは・・真剣勝負 

不自然な心理的動機を軸とした
「善い人を演じる」行為を
取りあえず辞めさせないと悲惨なことになる。

この「魔物」を追い払うことを
何よりも最優先しなけらばならない。

魔物を追い払ったとき、
「真実の自分」が光を放つ。

真実の自分とは、神の分霊・・仏の分身。



もちろん・・・善行は尊い事である。
されど、そんな事・・・誰でもわかっていることです。

そんなレベルの話は昭和の
度経済成長期までのお話しです。

人間は進歩している。


誰にたいしても・・
どんな時でも・・・
どんな場所でも・・

エンドレステープのように
定型文を連呼する輩にはご用心あれ。
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綺麗な言葉に惑わされると、大きな怪我をします。

2021-01-02 | 思う事


はれのひ事件・・・概要・・・


「はれのひ (Hare no hi)」振袖の販売店、4店舗を運営。
フォトスタジオも運営。
着物を着ての撮影や記念写真の撮影などを行っていた。

品揃えの豊富さや価格の安さをセールスポイント。
店舗スタッフは全員女性。

2020年までの全国100店舗展開や、
株式上場、日本国外への進出も構想していた。



2018年1月8日の成人の日。
はれのひの福岡天神店を除く3店舗が突然閉鎖される。
着付け会場へも振袖が届けられていないことが発覚。

振袖を着られなくなったことで、
警察への通報が200件ほど寄せられる。

成人式に振袖を着られない。
レンタル料も返金されず。。

はれのひの社長は、事件発覚後、雲隠れ、音信不通状態。

負債が約10億8500万円。
資産は振袖を売却した1620万円。

2018年7月30日には、はれのひは法人格が消滅し、倒産(破産)。

社長と嫁・家族はアメリカに逃亡
その後、ビザが切れて日本に帰国、逮捕される。
詐欺容疑(粉飾決済)。


「はれひ」の社員は、毎朝、
社長の座右の銘、
キラキラ言葉なる社訓を復唱させられていたそうです。。。

(社員に悪意はなく、社員も被害者です)



愛してます
ツイてる
嬉しい
楽しい
感謝してます
幸せ
ありがとう
許します


(この言葉はすべて、斎藤一人氏の教義のパクリです。)



社長に対する挨拶は『お疲れ様です、感謝します』。

電話に出る際は、『お電話有難う御座います、感謝します』 

    

「感謝」・・・尊い言葉です。

嬉しい・・楽しい・・感謝・・・・幸せ・・

・・ありがとう・・許します・・

深く尊い言葉です・・・



だからと言って・・・
この言葉を連呼する人が・・
信頼できる人(会社)であるとは限りません。



いえ、言葉と人格は無関係です。

言葉と信用は無関係です。



世のなか・・スピリチャアルな言葉が溢れています。

呪文と化した、
綺麗な言葉に惑わされると、大きな怪我をします。



善い言葉を隠れ蓑にしている人も多くいます。

善い言葉で相手を安心させて騙そうとする人も多くいます。

悪意はないけど、良い言葉を呪文をのように連呼して、
自分に都合の悪いことがあると、
思考停止する幼稚な輩も存在します。

感謝・・感謝・・と唱えるが、
誠意がなく、行動が伴わず、肝心な部分で
ダラシナイ人間も存在します。



こういう輩に関わると、痛い目に遭います。





信用すべきは・・・自分自身のみ。

信用すべきは・・自分の内に宿る「神」

信用すべきは・・・自分の内に宿る「先祖想い」









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