
「 あのひとは、よい死に方をした 」
というような言葉をよく耳にします。
その反対に、
「 あの人は、心掛けが悪いので、
良い死に方はできない・・」
などというような
意味の言葉がよく使われています。
私も、以前は
・・良い死に方・・
悪い死に方・・
と云う目で、人の死を捉えていました。

しかしながら・・・いつしか、
そういう見方はしないようになっていました。
そのような観かたは、軽率であり、
本質から外れた考え方だと思っています。


病気で死んだとしても・・・
交通事故で死んだとしても・・・
天災で死んだとしても・・
孤独死したとしても・・・
それは、永遠不滅の生命の、
「一幕」 でしかない。
廻り舞台がグルリと回っただけ。
どんな死に方をしたとしても、
それはそれで、


と言える。
慈愛に満ちた、
心優しい慈善家が、
悲惨な死に方をする事もある。
かと思えば・・・
利己的で、意地が悪く、
ひとを困らせ続けて来たひとが、
苦しむことなく平穏に、
死んで行くこともある。
そういう事例はたくさん知っている。
人間の運命は、
多種多様な要素が絡まっている。
多く要素が
螺旋状に絡まって形成されている。
螺旋状・・とは??
細い糸を何本も使って
作られた縄のようなものである。
その、細い糸の一本だけを摘み、
「 この糸が原因だ!!! 」
と言ったところで、
本質を見ることはできない。
占いとは、螺旋状に絡まる沢山の糸の中から、
1本だけを引っ張り出して、
「これが全ての原因だ!!」
と主張する行為。
それ故、占いには限界がある。

「 あの人は心掛けが悪かったから、
良い死に方が、できなかったんだ 」
「 業が深いから、ああなったんだ・・」
などと浅はかな事を抜かす輩も
世のなかには存在する。
このような生半可な
「信仰深い偉い人」
このような輩にこそ、
「 業が深い 」という言葉が、
そのまま当てはまる。
そういう事を言う
自称・「 徳を積んでいる偉いヒト 」こそ、

