名古屋の白ウサギ・1964年生・

自称、宗教家・宗教家は、職業ではなく「生き方」です。
職業・会社員

暇な時間を作る能力

2023-09-30 | 思う事


忙し事が良い事であるとは限らない。

世の中には、忙しさに美徳を感じてい人もいる。

幾つも予定をいれたり、作ったり・・

休む暇やボーッと過ごす
時間を造らないようにしている人もいる。

人には性分というものがあり、
常に動き、常に予定に追われるていないと
不安で落ち着けないひともいると思う。

しかしながら、
「いつも忙しい状態にしている人」
の中には私の眼から見て、
「それを趣味にしている」
「その状態に依存している・・」
と思える人が時々いる。

私はこういう症状を
「繁忙依存症」と勝手に呼んでいる。

依存は何らかの弊害を生む。

趣味は個人の自己満足である。



「繁忙依存症」のひとは、
忙しいことに意義を感じ、
優越感を感じている。

「繁忙依存」の人を多く観てきましたが、
このようなタイプの人を
客観的に見ると、

 傍から見ると空回り状態・
時間とエネルギーを浪費しているfだけ。

 忙しさに見合った収入や実績・実益がない。

 余分な仕事をさも重要そうに行う。

 余計で、必要のない思考を自分に課すことにより、
常に自分を「忙しい」状態に誘導する。

 暇な時間や休む時間を作ろうという意識がない。

 仕事を分担して自分の負荷を軽減する能力がない。



私が経験的に感じるとことは、

成功者で実績のある人を観察すると、

「暇な時間を持つ人」ほど
肝心なところで適正な判断ができる。

そして、
安定的な成功者が多い。

 適切な投資判断・・

 適切な未来予想・・

 最善な状況判断・・

 新しい発想・・・・

最善な思考・・

とは

 暇なときに思い浮かぶ 

  

インスピレーションは、
余裕のあるときの降り注ぐ・・・

追い回されているとき思い浮かぶこととは、
極論になりがちで、
周りの空気を読まない自己満足的な発想となりやすい。



私の場合、ある事情があり、
約3か月前から毎日
自由で、健康に、裕福に、
気ままで、暇な時間を過ごすことができた。




人生何が起きるか分からない・・・

まさにピンチがチャンス。

あるピンチがきっかけになり、
更なる大きなチャンスを獲得した。



この3か月間は、
家庭のこと以外、「やらねばならない」仕事は
半分以下になっていた。

その代わり・・

働かず、カロリーを消費しない
状態であるにも関わらず、
今まで通り、
好物の鶏の唐揚げを食べ続けた。

その結果・・
3か月で、3キロ太ってっしまった・・



暇であるがゆえに、
良いアイデアが湧いてきた。

暇であるがゆえに、
見栄やプライドなど更に気にしなくなった。

暇で有るがゆえに、「不要な物」や「不要な焦り」
を捨てることができた。

焦らず、慌てず、に物事を冷静に見つめること
ができるようななった。

適切な投資判断ができた。

不思議なことに収入も
右肩上がりに増え始めた。

資産も急激に増え始めた。

今まで培ってきた苦労が次々と芽を出し始めたのだ。

こういう時こそ・・・
困っている人を深い意味で
助けることができると思う。



心の余裕を「偽善事業」に役立てたい。

私に慈善の心はありませんが、
偽善の心は人一倍あります。

ウサギ講で言う、「偽善」とは
「善悪の区別」という
虚像を排除したうえでの

「人様に迷惑を掛けない慎ましさ」
「害悪を垂れ流さない善行」
「社会に有益な自己満足」
「嫌われ者になる勇気」



「やらなければならないこと」とは、
その必要性や、
意義の有無を別として、
能力や思考の妨げとなる。



若いうちは「やらなければならないこと」
に追い回される。

これは、ある意味仕方がないことでもある。

私もそうだった。



50歳を過ぎたら、
「やらなけらばならないこと」を極限まで減らす・・

歳を増すごとに、
「やらなければならないこと」を
減ら減らすことが出来る環境を構築する。

この「能力」こそが、
成功のために必要な課題であると痛感した。



「やらなければならないこと」を・・
増やすことが、有意義なこと
と思い込んでいる人に
成功者はいないように思われる。

たぶん・・
貧乏性とは・・
言葉を換えれば・・

「やらなけらばならない依存症」

 衣食足りて、暇な状態 

この状態こそが
本来の持っている
自由で柔軟な思考を
最大限に引き出すことができる状況を作り出す。

実業家、活動家などは、
大物で有ればある程、
「暇な時間を作る能力」に長けていると思う。

同時に一流で有ればあるほど・・
家庭に関わる時間を多く確保している。



 暇な状態を作ること 

これが更なる成功への入り口である。

勝たねばならぬ・・・



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実態の伴った自信とプライド

2023-09-29 | グルメ 




名古屋の栄近辺を歩いた。

   

ラーメン店を発見。

一見すると洒落た珈琲屋のような店構え。



 グルメセンサー反応。

天から声が聞こえたような気がした。

 この店・・絶対に美味しい!!

吸い込まれるように店に入る。

全てが上品で洗練されている。

アサリとシジミで取った出汁は細胞を刺激する。

チャーシューは煮豚ではない・・

生ハムのような・・
ロースト肉のような絶妙な火の通り加減

時間をかけて
低温調理で作られているように感じる。



スープは濃くなく、薄くなく、
軽くて深い風味・・



テーブルには、コショウやラー油など
調味料は一切置かれていない。



たしかに・・・
何も足す必要はない。
何も引く必要はない。

 実態の伴った自信 

それに対するプライド表れであると思う。



厨房の中をさりげなく観察してみた。

静かに
大きな動作をせず
音を立てず
静かにラーメンを作っている。

こういう料理人・・
好感が持てる・・・

 自己陶酔・自己満足ではない、
実態の伴った自信 

こういう姿に私もなりたい。



大盛を頼んだら、
950円・・・
私のような
低所得者の昼飯にしては少し贅沢だが、
納得の味だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

善悪の判別は単純ではない・・

2023-09-26 | 思う事


「 優しさ 」 には裏側がある。

「 強さ 」 にも裏側がある。



「 イヤな奴 」が悪い奴とは限らない。。

「 イイ人 」が、
結果的に多くの害悪を垂れ流す事も良くある。

良い人の垂れ流す罪悪は、
悪意がないので修正が難しい。



思いあがった良い人・・

実に厄介な存在である。

社会経験がある人間なら、
そんなこと誰でも分かっている。

 善悪の判別は単純ではない・

地道に働き、
厳しい競争社会のなかで正気を保ち
生きてきた人なら分かるお話である。



残念ながら・・・

「 自分こそ神から特別に、選ばれたる人間だ 」

「自分は徳を積んでいる」

と思い込んでしまう人も存在する。

こういう思いあがった状態が一番危険な状態だと思う。



「 弱い 」 ・ 「 強い 」

「 イイ人 」 ・ 「 悪い人 」

「 あの人は徳を積んでいる 」
「 この人は積んでいない 」

そんな二元的な見方でしか、
人を見ることが出来なくなってしまう。



 弱い時ほど強いのだ 

表面をだけみて一喜一憂しては、
それだけで今生が終わってしまう。

優しさの奥に、強さの奥にある、
 本質  
を見極めるのが人生の課題であると思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

火に油を注いで差し上げた

2023-09-22 | 出来事
今日の出来事・・



通帳に記帳するため、
車で銀行に出掛けた。



記帳を済ませ、車に戻り、
銀行の駐車場から低速で徐行しながら、
大通りに出ようとした。

駐車場と大通りの間には歩道があった。

歩道を老人が歩いて来た。
(推定70歳・・男性)



私は歩道に出る直前で静かに車を停車させた。



老人が通過するのを待った。

老人は私の車の前を横切ったあと、
立ち止まった。

老人は私に向かって怒鳴って来た。

鬼のような形相だった。

 おい!!お前!!!

 馬鹿野郎!!!

 危ないだろう!!!

 邪魔じゃないか!!!



私は老人の通行を妨害した訳でもなく、
急ブレーキを踏んで
驚かしたわけでもない。

老人に怒鳴られる筋合いはない。

どうやら、暇すぎて喧嘩がしたいらしい。

若しくは、言い掛かりを付けて、
誰かに相手になって欲しいと推測する。



私は、一瞬ムカついた、

老害とはこのことだ・・・と思った。



 うるせぇ! 

 あんたのような老人が
日本をダメにするんだ!!!

 最近の若い者を見習え!!!



と・・・言いたいところだったが、
1秒で怒りスイッチをOFFにすることができた。



私は、満面の笑みを浮かべて
老人の直視した。

そのあと、
さよならと・・
手を横に振り、ニコニコ笑いながら
車を発進させた。

明るく、愛情深い表情で、
嫌味たっぷりに優しく手を振って差し上げた。

私は決して慈悲深い聖者ではない。

 火に油を注いで差し上げた訳である。



老人の怒りは更に高まっている様子だった。

その顔は鬼の形相を通り超して
阿修羅の如き様相になっていた。



この場合・・

私は何も悪くない。
それ故に、
一方的に罵声を浴びせて来る老人に対しいて、
まともに相手にする必要などない。

ニコヤカな表情を浮かべて
愛情(?)を込めて対応して差し上げた。

これぞ・・「最大の報復」



そのあと、時間がたって、
このことを更に深く掘り詰めて考えてみた。



もし、仮に私にも少しでも
落ち度がある場合なら、
この対応は相手を見下した、
「究極の上から目線」となる。

相手を馬鹿にした失礼な行為である。

「極めて傲慢な愚劣な行為」
と思える。



相手が怒っていたり、
真剣に話をしているときに、

ニコニコ笑ったり・・・

話を逸らしたり・・・

本来の言葉の意味を無視した
呪文と化した言葉をを唱えたり・・

美談を語って誤魔化したり・・

これは、「最高レベルで失礼な行為」
「最低の行為」であると思える。

このような愚行を行ってしまう危険性もある。

 状況分析

  自問自答

この二つを心掛けて生きて行かねばならない・・

痛感しました。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見つけた人が拾う

2023-09-21 | 思う事


犬の散歩をするようになって
初めて気付いた🐾

公園には結構、危険物が落ちている。



 ガラスの破片  

子供が転んだら、刺さって大怪我をするワン!

🐾犬が踏んでも然りだワン!!!



見つけた人が拾う・・

私は拾い続ける。

行為に意味など求めない。



徳を積む???

私は徳など積まない。

「徳を積む」に執着すると、
大きな落とし穴にはまる。

「無欲の仮面を被った貪欲な善人」
救いようがない・・

徳とは積むではなく
捨て去るもの。

 自分の良心の声のみを恐れそれに従う 

ただそれだけ。

 勝たねばならぬ・・ワン!ワン!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近になって思うことは・・

2023-09-20 | 思う事


「いつ死んでも悔いがないように。。。。」

以前は、よくそう思った・・・

いまは、そう思わない。



60歳が近づいた・・・

60歳は老人の分類に入ると思う。

老害を垂れ流さないように
自問自答して生きていかねばならぬ。

あとは・・
恩に報いる為に生きてゆく。



最近になって強く思うことは・・

 いつか必ず死ぬ・・
最低限のマナーとして、
いつ死んでも、人様に迷惑を
かけないように死んでゆきたい 



生きてるだけで丸儲け。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日ユ同祖論???

2023-09-12 | 思う事


日ユ同祖論・・・(にちゆどうそろん)

新興宗教系の人が好きな日本の歴史観です。



日ユ同祖論・・とは??

日本人の祖先は2700年前に
アッシリア人に追放されたイスラエルの
士族である・・・

とする説です。



古代日本に於いては、
大陸から多くの文化や技術が
入って来たことは確かです。

だからと言って、
日本人との祖先はユダヤ人である・・
などと云う学説??は
滑稽なお話としか思えません。



なぜなら、
その根拠となる証拠は何一つ存在しないからです。



日ユ同祖論を信じる人の根拠の一つとしては・・

 日本語とヘブライ語に共通点がある。

「あなた」はヘブライ語で「アタ」

「辛い」はヘブライ語で「ツァラ」

「住む」はヘブライ語で「スム」

「困る」はヘブライ語で「コマル」



すなわち・・
日ユ同祖論の有力な根拠とされているのは

  似ている言葉が多いから 



言葉が似ていることが根拠???

ナンセンスとしか思いえない

ならば、・・・「日英同祖論」も成り立つ。

 日本人の祖先はイングランド人だ!!!

と云う詭弁も成り立つことになる。



道路 は英語で「ロード」

設定 は英語で「セッティング」

「イライラさせる」は英語で 「イラテイト」

「坊や」は英語で 「boy(ボーイ)」

「負う」は英語で 「owe(オウ)」

「買」は英語で  「 buy(バイ)」

「なし」は英語で 「nothing(ナッシング)」

「妨害」は英語で 「jammer(ジャマー)」

「吠える」は英語で 「howl(ハウル)」

「冗談」は英語で 「joke(ジョーク)」



「日中同祖論」も成り立つ。

 日本人は漢字を使っている。
漢字と日本語の共通点は多い、
それ故、日本人と中国人は同じ祖先だ!!

 こんな論法が成立するのだろうか???



伊勢神宮の御神体、八咫鏡には
ヘブライ語が刻印されていると唱える人がいる。

ならば・・どうして???

古墳に埋葬されている
鏡や、銅剣にヘブライ語が記されていないの???

未だかって・・
ヘブライ語の刻印された遺物が発見された事例は一つもない。



でも・・・たぶん・・・
日ユ同祖論者は反論するだろう・・

 発見された遺物は
学会の陰謀で、
証拠を隠滅されている 



何を信じるかは自由ですが・・







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無言で実績を示す。

2023-09-08 | 思う事


最近話題になっている
某・有力タレント事務所‘‘j‘‘ の問題。

新社長となった、元アイドルH君が
メディアを集めた会見で言った。

 人生をもって、命をかけてこの問題に取り組んでいく



命がけ????

私はこの言葉を発する人に
違和感を持つ。

この言葉を発する人に遭遇すると
反射的に警戒する。

H君の場合、
自分の立場を揺るがすような
都合が悪い事に関しては
回答が二転三転している。

命を懸けているなら、
都合の悪い事は蓋をする必要などない。
命を懸けている態度とは思えない。

このような態度は
言葉の重みを失うだけであると思う。



私の場合、
真剣に取り組んいることがあっても・・

仮に、そのような心境であっても、
「命を懸ける」
この言葉は絶対に吐かない。



この言葉を頻繁に吐くひとは、
基本的には信用しない。

「話半分」という暗黙のルールを意識して
付き合っていれば問題ないが、
真剣に聞いてしまうと痛い思いをする。

以前、「命がけ・・・」を
連発する人に関わったことがある。

この人は、
立派な思想を持っているお方なので
例外的に大丈夫だと思い、
深く関わってしまった。

その結果として
苦い思いをしたことがある。

本人は「命がけ」と表現しても、、
それはあくまでも自己評価である。

はたから見れば、滑稽なことが多い。

「命を懸ける」は、
自分の心の中の問題として
留めるべであると思う。



「命をかけて」と・・
思うことは、
自然な感情として個人の
自由であると思う。

しかしながら、

地道に働き、
堅実に生きるひとが、

それを言葉にだしたら、
結果的に信用を失うだけであると思っている。



政治家のパフォーマンスとしての演説なら、
それはある種の
「世俗的・大衆文化」
であるかも知れない。

この手の「命を懸ける」発言は、
「ガマの油売り」
の口上としての
決め台詞のような「芸」であり、
その辺のニュアンスは聞いているひとにも
暗黙の認識があると思う。

「話半分」として聞き流しているだけである。

「私は、美味しい唐揚げを食べることに、命を懸けている」

この範囲の「軽さ」がある言葉なら、
許される言葉であと思う。



確かに・・・人それぞれ、大なり小なり、
覚悟を決めて、
懸命にやらなければならない事も存在する。

「命をかけて」

「命がけでやる」

私が、もし仮に本気でそう思うのなら、

それを口に出さない。



特殊な団体
特殊思想集団
趣味のサークル
観念論に支配された輩

など、狭い社会を形成する輪のなかでは
この言葉が通用することもある。

しかしながら、
自由競争社会
民主主義社会
成熟した文明社会
のなかで
堅実に生きる大多数の普通の人は、
このような言葉を恥じらいもなく発しない。

堅気の一般社会では
軽々しく「重たい言葉」を吐かない人ほど、

 実績と信頼がある 

余裕の顔をして、
何も考えず、
気ままに生きているような振りをしている。

普段は涼しい顔をしているが、
人に見えないところで、
人知れず、血の滲むような努力をしている。

そういう人間を何人か知っている。



こういう人には・・人も、物も、金も集まって来る。

このようなお方は、
結果的に裕福な生活をしている。



実関と信頼を重んじるひとは、

「必死な心」を人に見せない。

「命を懸ける」などという
自己陶酔型の誇大広告はしない。

遊んでいるような振りをして、
自画自賛したり大袈裟にアピールしない。

自分を誇大広告する必要もなく、
さりげなく、大きな成果を上げる。

そのことが、結果的には安定的な
深い信用を勝ち取る。



わたしも、
時々調子に乗って
「死に物狂いでやります」
「命がけでやります」
と・・
言いたくなることがありますが、

その「想い」を言葉にせず、
グッと堪えて、
胸の内に納める。

この抑え込まれた「想い」は、
実績を引き寄せるための
エネルギーに変換される。

こういう姿勢を貫いていれば、
人は、私の事を、見ていないようで
「心で感じている」

 これが、言葉では表現できない
信頼関係であると確信しています 



無言で実績を示す者に人は付いてくる。
信用も、金も付いてくる。

勝たねばならぬ・・・


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

唐揚げ定食と、ゆで卵

2023-09-02 | 思う事


黒狐ウサギ犬が呟いた・・・

「欲しいもの」・・と
「必要なもの」
は別物だワン!!!

欲しいものに拘ると、
必要なものを見失う
ワン!



ウサギ仙人が
欲しいモノ・・

 松坂慶子のサイン色紙 

ウサギ仙人に必要なモノ。

 唐揚げ定食と、ゆで卵 



人間・・
死んだあとは裸一貫

松坂慶子のサイン色紙は・・
「あの世」にもって行くことはできない。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする