忙し事が良い事であるとは限らない。
世の中には、忙しさに美徳を感じてい人もいる。
幾つも予定をいれたり、作ったり・・
休む暇やボーッと過ごす
時間を造らないようにしている人もいる。
人には性分というものがあり、
常に動き、常に予定に追われるていないと
不安で落ち着けないひともいると思う。
しかしながら、
「いつも忙しい状態にしている人」
の中には私の眼から見て、
「それを趣味にしている」
「その状態に依存している・・」
と思える人が時々いる。
私はこういう症状を
「繁忙依存症」と勝手に呼んでいる。
依存は何らかの弊害を生む。
趣味は個人の自己満足である。
「繁忙依存症」のひとは、
忙しいことに意義を感じ、
優越感を感じている。
「繁忙依存」の人を多く観てきましたが、
このようなタイプの人を
客観的に見ると、
傍から見ると空回り状態・
時間とエネルギーを浪費しているfだけ。
忙しさに見合った収入や実績・実益がない。
余分な仕事をさも重要そうに行う。
余計で、必要のない思考を自分に課すことにより、
常に自分を「忙しい」状態に誘導する。
暇な時間や休む時間を作ろうという意識がない。
仕事を分担して自分の負荷を軽減する能力がない。
私が経験的に感じるとことは、
成功者で実績のある人を観察すると、
「暇な時間を持つ人」ほど
肝心なところで適正な判断ができる。
そして、
安定的な成功者が多い。
適切な投資判断・・
適切な未来予想・・
最善な状況判断・・
新しい発想・・・・
最善な思考・・
とは
暇なときに思い浮かぶ
インスピレーションは、
余裕のあるときの降り注ぐ・・・
追い回されているとき思い浮かぶこととは、
極論になりがちで、
周りの空気を読まない自己満足的な発想となりやすい。
私の場合、ある事情があり、
約3か月前から毎日
自由で、健康に、裕福に、
気ままで、暇な時間を過ごすことができた。
人生何が起きるか分からない・・・
まさにピンチがチャンス。
あるピンチがきっかけになり、
更なる大きなチャンスを獲得した。
この3か月間は、
家庭のこと以外、「やらねばならない」仕事は
半分以下になっていた。
その代わり・・
働かず、カロリーを消費しない
状態であるにも関わらず、
今まで通り、
好物の鶏の唐揚げを食べ続けた。
その結果・・
3か月で、3キロ太ってっしまった・・
暇であるがゆえに、
良いアイデアが湧いてきた。
暇であるがゆえに、
見栄やプライドなど更に気にしなくなった。
暇で有るがゆえに、「不要な物」や「不要な焦り」
を捨てることができた。
焦らず、慌てず、に物事を冷静に見つめること
ができるようななった。
適切な投資判断ができた。
不思議なことに収入も
右肩上がりに増え始めた。
資産も急激に増え始めた。
今まで培ってきた苦労が次々と芽を出し始めたのだ。
こういう時こそ・・・
困っている人を深い意味で
助けることができると思う。
心の余裕を「偽善事業」に役立てたい。
私に慈善の心はありませんが、
偽善の心は人一倍あります。
ウサギ講で言う、「偽善」とは
「善悪の区別」という
虚像を排除したうえでの
「人様に迷惑を掛けない慎ましさ」
「害悪を垂れ流さない善行」
「社会に有益な自己満足」
「嫌われ者になる勇気」
「やらなければならないこと」とは、
その必要性や、
意義の有無を別として、
能力や思考の妨げとなる。
若いうちは「やらなければならないこと」
に追い回される。
これは、ある意味仕方がないことでもある。
私もそうだった。
50歳を過ぎたら、
「やらなけらばならないこと」を極限まで減らす・・
歳を増すごとに、
「やらなければならないこと」を
減ら減らすことが出来る環境を構築する。
この「能力」こそが、
成功のために必要な課題であると痛感した。
「やらなければならないこと」を・・
増やすことが、有意義なこと
と思い込んでいる人に
成功者はいないように思われる。
たぶん・・
貧乏性とは・・
言葉を換えれば・・
「やらなけらばならない依存症」
衣食足りて、暇な状態
この状態こそが
本来の持っている
自由で柔軟な思考を
最大限に引き出すことができる状況を作り出す。
実業家、活動家などは、
大物で有ればある程、
「暇な時間を作る能力」に長けていると思う。
同時に一流で有ればあるほど・・
家庭に関わる時間を多く確保している。
暇な状態を作ること
これが更なる成功への入り口である。
勝たねばならぬ・・・