ニュートン ・ デカルト の登場以来
人類の科学技は急激な飛躍を遂げた。
ニーユートン ・ デカルト
が生み出した近代科学思想は
人類の長い歴史のなかで、わずか300年の間に
人類に多くの 富 をもたらした。
フランスの哲学者 デカルト閣下は
「 物心二元論 」
を唱えた。
物心二元論とは
物質と精神は、まったく別物であり、
分離して考えるべきだ・・・・・
というもの。
デカルト思想は、
宗教に対する挑戦 であった。
対立は一層深刻になるはず・・・・
不思議なもので
その結果として、
血なまぐさい対立や弾圧は格段に減った。
宗教と科学 が完全に分離された事によって
お互いの 縄張りが確立され、それまでに比べれば
はるかに 平和的な状況となったのではないだろうか・・・
私が思うに・・・
ニユートン閣下、
デカルト閣下、 どちらも
神の使い
ニユートン ⇒ デカルト
という流れのなかで
宗教の否定、若しくは
科学と宗教の決別
が行われたのだが、
これも天の摂理
であると強く感じる。
神は
時と 場所と 人 によって
それが神を否定する思想であったとしても
人類にとって最も合理的な方法を
与えているのではなかろうか・・・・
私は、若い頃
科学万能主義者 、無神論者 に対して
敵意を持っていた、
60歳になった今、
その敵意はまったくない。
神 を否定されても腹が立たない
宗教 を否定されても
何とも思わない
科学万能論者 の背後に
神 を感じるからだ。
宗教否定論者の
頭上に 仏 を感じるからだ。
なかには 暴力的な、攻撃的な 強烈な
戦闘意識 を持った
唯物論者 無神論者 もいるだろう。
そういう輩に対しては、
礼節をわきまえた反撃
が必要だと思う。
でも、そういう輩は 沢山いそうだが、
めったにいないような気がする。
同じ人間同士でありながら、
根本的な思想の違い、
価値観の 違いはどうしても起きる。
最も平和的 最も合理的に
人類の進化を目指すなら
宗教と科学はお互いの
領域守るべきであると思う。
もし、融合を目指すなら、
最終的には、争いとなる。
双方が礼節を持ち、
敬意をもち、尊重し合うことのほうが
大切ではないだろうか。
事の本質をたどれば、
宗教は「方便」という大義のもとでは
嘘が許される世界であり、
科学は嘘が許されない世界である。
もちろん、科学にもウソは存在するが、
「原則」としてウソは許されない。
このことを深く受けてめて、
反省することが、
これからの宗教関係者に
課せらた課題はであると思う。
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