京都 大谷本廟 ・・親鸞聖人の眠るお墓。
この後ろに石で作られた巨大な枡の形をした納骨堂がある。
親鸞聖人の遺骨もこの中に眠る。
大谷本廟の納骨堂
遺骨は壺から出され、この巨大な枡の中に入れられる
遺骨はバラバラになり他の人の遺骨に混ざりあって
やがて土になる
希望すれば誰でもこの中に骨を収めてくれる。
浄土真宗では ・・・人間死んだら阿弥陀如来の元で一つになる・・・
死んだら親鸞聖人も一般人も同等との考えのようです。
私の父も、祖父も、祖母も、そのまた親も、先祖代々
ここに遺骨が入れられている
私の本家には墓がありません
「 墓は造っていけない 」
これが亡くなった父の口癖でした
同時にこれが 家訓 でした
筋金入りの 本願寺信徒 は墓を持たない人が多いらしい
私も 家内や 子供に いま同じ事を言っている
「 私が死んでも墓造るな 」
わたしも今生を終えたら、
大谷本廟 にはいります
3年程前 ある縁があって天台宗 大阿闍梨 山田龍真先生
とお近づきになる事が出来た
山田龍真先生は数々の前人未到の荒業を達成された
伝説の修験者であらせられる
同時に 超人的な能力の持ち主
龍真先生に この事を話してみた
龍真先生 はじめは 「????・・・・それは・・・・良くないなー ・・・」
と口を濁して見えた
その後 私をジッと見つめて仰られた
「 ??・・・・ でもあなたの祖先は非常に静かにしておりますね・・・ 」
(成仏しているという意味)
すこし安心できた
龍真先生は 霊魂 を見たり感じたりする事が出来るのです・・・・
私自信の考えでもやはり 墓 は造るべきでないと思いと思っています
龍真先生は口を濁してみえましたが・・・・
良い 悪い は分かりませんが
基本的な部分では 親の意思 先祖の意思 に従うのが
道理 であり 義務 であると思っています
やはり 墓は絶対に造りません