名古屋の白ウサギ・1964年生・

自称、宗教家・宗教家は、職業ではなく「生き方」です。
職業・会社員

墓 は造らない

2012-08-31 | 宗教


京都 大谷本廟 ・・親鸞聖人の眠るお墓。

この後ろに石で作られた巨大な枡の形をした納骨堂がある。

親鸞聖人の遺骨もこの中に眠る。



大谷本廟の納骨堂 

 遺骨は壺から出され、この巨大な枡の中に入れられる

遺骨はバラバラになり他の人の遺骨に混ざりあって

やがて土になる


希望すれば誰でもこの中に骨を収めてくれる。


浄土真宗では ・・・人間死んだら阿弥陀如来の元で一つになる・・・

死んだら親鸞聖人も一般人も同等との考えのようです。


私の父も、祖父も、祖母も、そのまた親も、先祖代々

ここに遺骨が入れられている

私の本家には墓がありません

「 墓は造っていけない 」

これが亡くなった父の口癖でした

同時にこれが 家訓 でした

筋金入りの 本願寺信徒 は墓を持たない人が多いらしい

私も 家内や 子供に いま同じ事を言っている

「 私が死んでも墓造るな 」

わたしも今生を終えたら、

大谷本廟 にはいります



3年程前  ある縁があって天台宗 大阿闍梨 山田龍真先生 

とお近づきになる事が出来た



山田龍真先生は数々の前人未到の荒業を達成された

伝説の修験者であらせられる

同時に 超人的な能力の持ち主 


龍真先生に この事を話してみた

龍真先生 はじめは 「????・・・・それは・・・・良くないなー ・・・」

と口を濁して見えた

その後 私をジッと見つめて仰られた

「 ??・・・・ でもあなたの祖先は非常に静かにしておりますね・・・ 」

   (成仏しているという意味)

すこし安心できた

龍真先生は 霊魂 を見たり感じたりする事が出来るのです・・・・


私自信の考えでもやはり 墓 は造るべきでないと思いと思っています

龍真先生は口を濁してみえましたが・・・・

良い 悪い は分かりませんが 

基本的な部分では 親の意思  先祖の意思 に従うのが

道理 であり 義務 であると思っています

やはり 墓は絶対に造りません








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人畜無害  木酢

2012-08-25 | お気に入り

我が家の庭には砂利が敷き詰めてある
庭を管理するのはたいへん
ほって置くとすぐに雑草が生えてくる
苦肉の策で1年前 砂利を敷き詰めた
雑草が生えないように防草シートを敷きその上から砂利を敷き詰めた
その後は メンテナンスフリーの庭に変身

 快適である

 だけど・・・・あらたな問題発生


この上で猫が糞をする
我が家は動物を一切飼っていな
よその家の猫が侵入して来て糞をして行く
非常に腹立たしい
最近は猫にも 人権? (猫権?) があるみたいで
不法侵入の排便行為とはいえ
猫を蹴飛ばしたりしたら
社会問題になりかねない
色々な対策を講じてみた
ペットボトルに水を入れて置いておくと猫が寄り付かないと言う
話があるけど、これは全くの 迷信 何の効果も無かった 

‘ 木酢 ‘

を蒔くと猫が寄り付かないと言う噂を耳にした
ホームセンターで 1リットル 400円~500円くらいで売られている
安い 木酢 を買ってきた

それを砂利に数滴づつ約50センチ間隔で蒔いてみた

本来なら噴霧器で蒔くべきだけど
めんどくさい、

めんどくさい事は長続きしない
長続きしないと、中途挫折のクセがつく
長続きしない事は最初からやらない 

これが私の方針

ムダが出るかもしれないけど
ペットボトルから直接 地面に少しづつ落すことにした

効果的面!!!!

はじめは半信半疑だったけど

散布すると猫が寄り付かなくなった

効果は散布した後 3~5日位持続する

大量に蒔く必要もないので

さほどお金も掛からない

これぞ

 人畜無害
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蚊取り ラケット

2012-08-24 | お気に入り
このラケット
なかなかのスグレモノ

取っ手の部分に単三の乾電池 が2本収納されている
取っ手の側面にはスイッチが付いていて
スイッチを押すとラケットの金属製の アミ に
電気が流れる


このラケット
 蚊 
を退治する道具

夏になると我が家の必需品

蚊が ブーン と飛んできたら
このラケットを手に持ち
スイッチ押しながら 蚊 をキャッチする
蚊 がラケットのラケットの 網 に接触した瞬間
バチッ! 
という音がする

蚊はご臨終

網に流れている電流が 蚊 を感電死させるという仕組み

もし誤って人間が網に触れてしまっても
チクッ とする程度
ビックリするだけで 火傷したり ショック死 する心配はない


殺虫スプレーは蚊を退治すると同時に部屋を汚す
噴射された殺虫液は消えてなくなるはずがない
最後は壁や床に付着する

この ラケット そんな心配はまるでない

ハエやゴキブリにも有効

以前はゴキブリが出たら新聞紙を丸めて叩いていたが
叩いて潰すというのは
あまり気持ちよいものではない

このラケットならゴキブリに触れるだけで
ゴキブリは気絶する
ゴキブリの場合 殺すこ事は出来ない
気絶させておいて後は新聞紙に包んで丸めてポイする

7~8年前 このラケット 1個 千円位していた
今は500円前後で売られている
ホームセンターへ行けばたいていどこでも置いてある
私の家には
蚊が出たら すぐに攻撃出来るよう
いたるところに
この ラケットが配備されている

我が家へお客さんが来ると

ほとんどの人が

「 これなあに ?」

と聞いてくる
この ラケット 意外と知らない人が多い
このスグレモノ
一度使ったらやめられません
知らない方は是非とも
一家に一個 配備する事をお勧めします
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モーツアルト療法

2012-08-22 | 実験

右足を痛めてしまった
少しでも業績を上げようと焦りが生じ
必死になりすぎたのが原因
梨状筋症候群と診察された
接骨院で無理をしなければ半年位で治ると言われた
夜になるとキリキリ痛む

朝、寝起きが一番辛い
起きて30分くらいは股関節に激痛が走る
緊張して仕事をしている時はほとんど痛まない
2ヶ月前からこの状況は続いている

早く治したい。
ヨガやストレッチ、鍼、イロイロな療法を試した
いまひとつ効果がない

ひらめいた!

足にモーツアルトを聴かせたら足の細胞が活性化するのでは・・・・・・

アクチュエータ・ユニットと言うスピカーがある
このスピーカーは特殊なスピーカーで振動版がなく
貼った場所そのものが振動版となり、音を出す
体に貼り付ければ、骨伝導スピーカーのような状態になる
足自体からモーツアルトの音楽を発生させることができるのだ

モーツアルトの音楽が発する 4/4 の揺らぎが細胞を活性化させるのでは・・

足に脳味噌が付いている訳ではないから

足が音楽を聞くハズがない

でも、揺らぎ は感じ取るはず

このスピーカーを使って足にモーツアルトを聴かせたら
足の細胞が活性化するのではなかろうか?

イイ年して馬鹿みたいな発想だけど・・・・

思い立ったが吉日すぐに試してみた


セメントがなぜ固まるかその科学的原理は未だ解明されていないらしい


モーツアルトが細胞を活性化させる
ウソっぽい話ではあるが
ひょっとすると 原理は不明でも、それが起こり得る可能性は少しはあると思う


しばらくこの馬鹿みたいな実験を継続してみることにした

ひょっとして ひょっとするかも・・・・・・

この療法を約1ヶ月続けた・・・・・

今現在、完全に股関節と脚の痛みは無くなっている

足にモーツアルトを聴かせたから治ったのか?

自然治癒する時期が来ただけなのか?

真偽は判らない・・・

オヤジの奇行を見ていた

小学6年の娘が

冷ややかな顔をして言った

「足に耳がある訳 ないじゃん!!!」

なかなかの 正論 ・・・・


返す言葉もない・・・

「遊んでるだけだよー」

と言ってごまかした


どちらにせよ治ればそれでよい



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マザーテレサ

2012-08-21 | 宗教
思考に気を付けなさい  それはいつか言葉になるから

言葉に気をつけなさい  それはいつか行動になるから

行動に気をつけなさい  それはいつか習慣になるから

習慣に気をつけなさい  それはいつか性格になるから

性格に気をつけなさい  それはいつか運命になるから


                マザーテレサ





        六根清浄大祓 (ろっこんしょうじょう おほはらへ)


  天照皇大神の宣わく ・・・・・・

眼に諸の不浄を見て心に諸の不浄を見ず

耳に諸の不浄を聞いて心に諸の不浄を聞かず

鼻に諸の不浄を嗅いで心に諸の不浄を嗅がず

口に諸の不浄を言いて心に諸の不浄を言わず

身に諸の不浄を触れて心に諸の不浄を触れず

意に諸の不浄を思うて心に諸の不浄を想わず
  
   此の時に清く潔き偈あり

  諸の法は影と像の如し 清く潔ければ

  仮にも穢るること無し・・・・・・・ 




これは 日本古来の民族宗教 「神道」 の祝詞(のりと) 

「六根清浄の大祓」の一節

六根清浄(ろっこんしょうじょう)の大祓の祝詞

この祝詞は人間に具わった六根

眼 耳 鼻 口 体 心 

を清らかにせよという事が書かれている




マザーテレサの仰る事と全く同じ趣旨の事がが書かれている


思考に気を付けなさい=  意に諸の不浄を思うて心に諸の不浄を想わず

言葉に気をつけなさい= 口に諸の不浄を言いて心に諸の不浄を言わず

行動に気をつけなさい= 身に諸の不浄を触れて心に諸の不浄を触れず

習慣に気をつけなさい=  眼に諸の不浄を見て心に諸の不浄を見ず

               耳に諸の不浄を聞いて心に諸の不浄を聞かず

               鼻に諸の不浄を嗅いで心に諸の不浄を嗅がず

性格に気をつけなさい  = 此の時に清く潔き偈あり

                 諸の法は影と像の如し 清く潔けれ

                 仮にも穢るること無し 

・・・・・・・・・
 

どんな宗教も 根本はみな同じ

マザーテレサ様はカトリックの修道女

神道とは無縁

だけど


行き着く所は 同じ



キリスト教も 仏教も 神道も イスラム教も

本質においては皆同じ



文化 民族 階級 によって

表現方法が違うだけ

私は 仏教と神道を信ずる日本人

キリスト教の信者ではありません

しかしながら・・・

マザーテレサ様のお言葉 

心に響きます

同時に カトリック さん キリスト教 さん に対して大きな敬意を持っています

マザーテレサ様のお言葉 

肝に銘じて精進します
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モーツアルト  レクイエム 

2012-08-20 | モーツアルト

ネヴィル・マリナー指揮

レナード・バースタイン 指揮


 モーツアルトの レクイエム 

この曲を聴くたびに考える。


モーツアルトはこの曲を書いたから死んだのか・・・・

死ぬからこの曲を書いたのか・・・・

どちらにせよ、人間の英知を超えた曲を書いた以上

この世に肉体を持ち続けるのは不可能かも知れない

この曲は 最も モーツアルトらしくないモーツアルトの極致に思える

モーツアルト の魂の根源から湧き上がる

悲痛な叫び

静寂な響き

この二つの相反する要素が1つになった

音楽史 史上 類を観ない 傑作 と思う



どんな世界においても

究極・最高・限界・を極めるとき

死と背中合わせになるような気がする

数多くの指揮者のレクイエムを聴いた

そのなかで特に私の気に入った2枚です
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うなぎ蒲焼のたれ 

2012-08-18 | グルメ 


キッコーナ うなぎ蒲焼のたれ

うなぎ蒲焼のたれ 

は完成度の高い万能調味料と思う

何に使っても主役の素材を引き立てる

かといってマヨネーズのような素材の味を誤魔化し

自分が主役になってしまうような図々しさがない


肉にも 魚にも 鳥にも、野菜にも 米にも 麺類にも

不思議なくらい相性が良い

焼き魚に塗れば 照り焼きとなり

ハンバーグを焼いて、最後にフライパンの中に投入して少し加熱すると 

照り焼きハンバーグになる

ステーキも同じように使える

焼肉のタレにこれを混ぜると安い焼肉のタレが特製焼肉のタレとなる

しょうゆ味 焼きうどんの味付けの隠し味にも良い

最後、少しこれを加えると格段に美味しくなる


野菜炒めの味付けにも合う

カツどん、親子丼、卵丼、豚丼、あらゆるどんぶり物に合う

どんぶり物の場合、ご飯に直接かけてから具を乗せてもよい

具の汁の中に入れて煮込んでも良い

このまま使っても美味しいが

熱したフライパンに垂らし加熱して少し焦がしてやると更に美味しくなる

マヨネーズと違って 中毒になる心配もない


主役にはなれないが、万能で、あらゆる主役を引き立てる


あらゆるメーカーの蒲焼のたれの味を比べてみた

結論としてはキッコーナに勝るものはないと思った

どのメーカーも値段はほとんど変わらないが

味は ずば抜けてキッコーナが美味しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソーセージマフィン

2012-08-17 | グルメ 


マクドナルドの ソーセージマフィン

仕事前、毎朝ドライブスルーで単品で1個だけ買って食べるのが習慣となっている

1個100円、安すぎる

同時に美味しすぎる

この習慣は3年以上続いている

何度食べても飽きない

毎朝、ウマイ!! と感じる

毎朝感動している

マクドナルドの恐ろしさを感じる

シンプルなものほど難しい

ゴマカシが効かない

そこらの外食産業とは次元が違う

Mバーガーには逆立ちしてもこれは造れない

もし出来たとしても、20分待たせたあげく

1個 300円になるだろう・・・・・


マクドは1~3分で提供する

常に安定品質を保っている

低価格、高品質、安定品質、安定供給、

全てにおいて市場原理を満たしている

マクドのシステムは、文明の英知の結集だと思う



昔読んだ魯山人の本にこんな様な事が書いてあった


・・・・美味しいと思ったものは徹底的に食べるがよい

食べ続けて、それでも美味しいと思うものが本当に美味しいものだ・・・・



           (ちなみにわたくし、魯山人を尊敬していません)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マタイ受難曲

2012-08-15 | 音楽



カール・リヒター 指揮

マタイ受難曲

このCDは1979年に録音された。
今から33年前の録音である。
当然デジタル録音ではなく、ADDのCD。
にもかかわらず、録音が素晴らしい。

最新のデジタル技術を駆使して録音されたCDより、
はるかに美しい音色を奏でる。
私のオーディオセットとの相性がいいのか?
録音されたホールの音響がずば抜けて良かったのか?
それとも私の耳との相性が良いだけなのか?
よく分からない。
マタイ受難曲を振らしたらリヒターの右に出る者はいないと思う。
マタイはバッハの最高傑作と私は思っている。
マタイの壮大さは、後期ロマン派の大規模なオーケストラ奏でる曲と比較しても、
まったく古さを感じさせない。
圧倒的な広がりと力強さ。
最高の指揮者に最高の録音。
極上のメロディー。
立体感のある合唱。
キリストの最期をドラマチック且つリアルに語った歌詞・・・・

どれをとっても文句の付けようがない。

 ある日、歌詞の和訳を見ながら、このCDを聞いた。
すると、突然
瞼の裏側にキリストが磔にされる直前の様子が
映画を見ているようにリアルに浮かびあがってきた。
まるで私がそこにいたかのような光景だった。
恐ろしくなってCDを止めた。
私はキリスト教に敬意は持っているが
キリスト教の信者ではない。

これは

心理学でいう「意識の膨張」
禅宗でいう「禅病」
修験道でいう「行試し」

危険を感じた。
こういった事に恍惚感をもつようになると
ある種の 病気 になってしまう
病気になると
「私はキリストの生まれ変わりだ」
と言い出しかねない
危険極まりない
意識的にシャツトダウンしないととんでもない事になる

深入りは禁物
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

先祖供養は 宗教 ではない

2012-08-13 | 宗教
Aさんと Bさん

2人の人間がいる

Aさんは 真面目で、勤勉で、人に魅惑をかける事もせず

当たり障りのない人間 友達も多く、人望があり誰からも好かれている

敵も少なく 他人と争う事もまずない

経済的にも裕福

ただ・・・あることで 

身内、親族との対立があり、Aさんの一族は円満とは言い難い状態




Bさんは けっこういい加減な所があり、勤勉さがなく、

性格的にも一癖ある 他人から好かれるタイプではない

どちらかと言えば 嫌われ者

経済的に豊かとは言い難い、

貧乏である

でも、身内、親族との関係は極めて良好

家族、親戚 一族全員が争うことなく、対立するこよなく

お互い助け合いながら

円満にやっている



Aさんと Bさん を比較して


どちらが、長い目で見て幸福になれるか?



私はBさんであると思う

これは私が経験的に思った事ですが・・・・

対外的な評価、人望、実績 がいくらあっても

根本である、「自分の身内」 (家族、兄弟、親)


との関係が良好でない人間は

仮に今は絶好調だとしても

長い目で見て 幸運であり続けることは不可能だと

思えるのです。

Aさんそれなりの事情があっての事だとは思う

Aさん理不尽な事をされて、ついに怒ってしまったのかもしれない

でも、Aさんが良い、悪い、 そんな事

問題ではないと思う


「身内同士が争っている」

という 結果 のみが 大きなマイナスになる

事の 善・悪 とは無関係に

絶対原則として、親兄弟や身内と争いや対立を起こす事は

当人にとって計り知れないマイナスとなる


自動車を運転していて、子供が物影から突然飛び出してきた

ブレーキを掛けたが間に合わず

子供を挽いてしまった

この場合、完全に自動車の運転手が悪い

自動車と人間がぶつかれば 理由はどうあれ自動車が悪い

「いきなり飛び出したほうが悪い!!!」

といくら主張してもそれは通らない

自動車を運転する者に責任が問われる

結果がすべてなのだ



交差点で車と車が接触事故を起こした

この場合、どちらも悪い

いくら自分のほうが優先道路であっても、

相手が信号無視であっても

基本的には 過失は 五分五分 

ぶつかれば どちらも悪い  が原則



身内同士の対立は これと同じだと思う

原因や 善悪 などに関係なく

対立したら 絶対に得する事はない

対立したら、理由はどうあれ

罪悪 であると思う

兄弟が相続で対立し 最後は法廷闘争になってしまったとかいう

話はよく耳にする

裁判で勝って 遺産を多く手にしたところで何か得する事があるのだろうか?

金銭には換算できない計り知れない 損失 が発生したに過ぎない

実に浅ましい行為と思える

キリストが言った

「富める者が天国に行くのは、ラクダが針の穴を通るよりなお難しい」

とは こう言う事を言っているのではないかと思う

なにもキリストは 金持ちは良くない 富む事は悪い事だ と言っている

訳ではないと思う

富があるほど 人間更に欲が出る

何もない者は 何も無いのだから ムキになって

親兄弟を敵に廻してまでも 権利を主張したり 争ったりしない

「富める者」は 貪欲になる という危険を多く孕んでいるのではなかろうか

キリストの言いたかったことは そう言う事だと思える



私の場合、親族との関係は極めて円満、


もし仮に 万が一 問題が起きそうになったとしても

親 兄弟 に対しては

いくら理不尽な話であったとしても

10歩でも 100歩でも譲る覚悟はある

勿論 話し合いは必要だが

どうにも平行線になった場合




計り知れない大きな損失を出してまで 

権利を主張しようとは思わない


話がだいぶん反れてしまいました・・・・・・ 



Aさん 真面目で良い人、人からも好かれている

Bさん 他人からは嫌われている 人望も低い

にもかかわらず 将来的に見て

Bさんのほうがトータル的に有利であり

安泰であるとは

理不尽に思える・・・・・

でも やはり Bさんのほうが いい人生を送る事が出来るはず


この例は、極端なたとえ話ではあるけど

このたとえ話に似た実例を私は今まで多く見てきた

その要因は何か?

なぜそうなるか?

人望や 人格や 社会的実績 人柄

は、その人の運命に対して絶対的な因果関係はない

絶対的因果関係が有るのは


 
 
 その人 一族の状態・関係

 その人のもつ 親・兄弟・親族・家族 に対する意識

 その人の 先祖 に対する姿勢・思い

 その人の 先祖 がどうであったか


これらの要素はその人の 

人生、環境、運勢、生活、を絶対的に支配する

親子の関係が円満である人は必然的に先祖との関係も良好

家庭が円満なら、先祖は あの世で 良い思い をしている(成仏している)

家庭が不和なら、先祖は あの世で 苦しんでいる(成仏していない)


 親子の縁を切ってもある宗教に命を掛ける

と言う人も世の中にいる

まったく

 本末顛倒

まるでオカシナお話だ

その人が 真の信仰者なら

「何よりも、親子の縁が重要だ」

というべきだ

これには  理屈も 理論も ヘッタ暮れもない

先祖を敬い

親に感謝する

と言う事は  人間の根本であり、基本であると思う



先祖供養(感謝)は 宗教 ではない

人間の 「義務」



親に感謝は 道徳ではない

人間の 「義務」



この二つができていない人はいくら 立派な人 と賞賛されていようとも

社会的に成功していょうとも

金があろうとも



砂上の楼閣 

簡単に崩れ落ちる








 









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三輪山 3

2012-08-11 | 宗教


[日本書紀]には

第10代崇神天皇の6年、それまで宮中に祭られていた 

天照大神

を大和の笠縫邑(かさぬいむら)に遷し祀った

と記されている

その後

第11代垂仁天皇の25年
 
天照大神を倭姫命(やまとひめのみこと)に託すことになった。

倭姫命は天照大神に鎮座していただく場所をあちこち探した、

最終的に天照大神の希望で、

伊勢国に遷る。

これが

現在の、伊勢神宮
 

伊勢神宮の出発点である 笠縫邑 があったとされる土地が

三輪山の山麓に位置する 桧原神社(ひばら神社)である

この地こそが、伊勢神宮の 元祖 なのだ

 私は15歳のとき始めてこの桧原神社を訪れた

桧原神社 も大神神社(おおみわじんじや)と同様、御神体がない

鳥居があるのみで、鳥居の奥は

三輪山 の原始林があるだけ

この地に初めて立ったとき思った

「この地こそ伊勢神宮の起源である」

ものすごいパワーを感じる場所である


初めてこの地を訪れたのは 33年も前の事だが

それ以来 私は幾度となく この地を訪れるようになっていた


最近 「パワースポット」 とか言う言葉が流行している

この言葉 あまり好きになれない

怪しげな人とメディアが作り出した造語に思える

でも確かに

桧原神社周辺はものすごいパワーを感じる

「パワースポット」といったヘンな言葉は使いたくないけど

他に言葉が見つからない

「パワースポットのような場所」

と表現するしかない

私は、この地に強い愛着を感じている











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三輪山 2

2012-08-10 | 宗教




   万葉集には額田王 (ぬかたのおおきみ)の思いが込められた歌が記されている



三輪山を しかも隠すか 雲だにも

心あらなも 隠さふべしや


   (みわやまを しかもかくすか くもだにも 

      こころあらなも かくさふべしや)
 
                              額田王                                  巻1 18
  ・・・ 訳  ・・・


三輪山をどうして雲があんなに隠すのか。

せめて雲だけでもやさしい情があってほしい。あんなに隠すべきであろうか。


この歌は天智天皇が明日香から

近江に遷都を敢行した時の歌と言われている。



大和を離れ、近江に向かうとき

額田王が

名残惜しい思いを込めて

この歌を詠んだ


 三輪山を眺めていると額田王の気持ちが良く分かる

三輪山には人の心に訴える

優しくて、強力な パワーがある


それ故、縄文時代から 


いつの時代にも

人の心を引き付けた

神の山と崇められ

崇拝され続けた


この山に対する畏敬の念は

現代人にもそのまま受け継がれ

現代も変わることなく崇拝され続けている

こういうのを

・原始宗教・   ・自然崇拝・

と言うのだろう・・


仏教やキリスト教

といった教義をもつ宗教とは違い

自然崇拝は教義をもたない

経典もない

人間が本能的にもつ自然に対する敬意の念が

 ‘自然物を通して 神 を崇める ‘

と言う宗教観を作り出したのだろうと思う

教義をもつ宗教は確かに必要であると思う


でも・・・・


その前提として 原始宗教 は重要な気がする

人間のもつ原始的な本能的な


  自然に対する畏敬の念

  人間のもつ本能的な 信仰心 

  理屈を抜きにした神に対する畏敬の念


ここが重要だと思う


しかし・・・残念ながら・・・・



これを忘れてしまった宗教家もいる

この宗教指導者は


お釈迦様が言われた


・・・山川草木国土悉皆成仏・・・


の言葉を 「環境破壊するな」

という意味に解釈しているらしい

  環境保護 これも確かに大切な事だと思いますが

仏教の教義を無理やりこれに当てはめているとしか感じられません


本質を見失ってはしませんか?

と思えてしまう


この宗教指導者の根底は

 「理屈のみに極端に傾いた唯物論に近い概念」 

  と思えてならりません

 
悲しいことです・・・・・




  








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三輪山

2012-08-09 | 宗教

奈良県桜井市に三輪山いう山がある
標高 467m 周囲16k の独立した山で
その姿は実に美しい
山麓には大神神社(おおみわじんじゃ)と言う大きな神社がある
この神社、年間を通して多くの参拝者で賑わう
ふつう神社には必ず 御神体 というものがある
剣とか 鏡とか 勾玉とか 
御神体として一番奥に鎮座している
しかし 大神神社にはこういった 御神体 はない
拝殿の奥には 三輪山 がある
山が御神体となっている

三輪山を神と崇める信仰は
縄文時代から現在にかけて
途切れることなく続いている
山のいたる所に太古の人々が祭祀を行った遺跡が今尚点在する
 遥か昔からこの山は 「禁足地」とされ
勝手に入山する事が出来ない山であった
いつの時代にも 厳しい管理下のもとに守られてきた
江戸時代には幕府から「入山禁止令」が出され
何人たりとも入山は許されなかった

今現在も、入る事ができない
タダ、神社の許可を得れば
入山ができる。
許可を得て入山したとしても
カメラを持ち込んではいけない掟がある
撮影も厳禁とされているからである

私はこの山をこよなく愛する
今まで数え切れないほどこの地を訪れ
三輪山を眺めた


この山に登った事もある
今までに3回登った
(勿論 神社の許可を得ての入山です)

またいつか登りたいと思っている

麓から山頂まで約1時間かかる
山頂は平らな地形になっている
そこには小さな祠がある
勿論人は誰もいない
祠の周りにはおびただしい数の巨石が隙間無く置かれている
これは 磐座(いわくら) と呼ばれる 古代人が祭祀を行った神聖な場所
この石はどこかから運ばれてきたもの
古代人はこの山の山頂に1個 10トンはあろうこの巨石を
大量に運びこんだ


山の中腹にも いたるところに この巨石群は点在する

神域である為 、今まで一度も 学術調査は行われていない

そういう意味でも  この山は 神秘的な山でもある

私はこの山を見ると 何かを感じる

その「何か」 とは言葉にする事が出来ない

      ・・・つづく・・・

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姓名判断 10

2012-08-05 | 姓名判断
場所を変えて

喫茶店に入る

先制攻撃してやろうと思い

私から ズバリ切り出した

「 お母さん君の事が心配で落ち込んでいるだろう? 」

  はい・・・

「 大学辞めてから、半年以上は毎日ただボーっとしてたんだろう? 」

  はい・・・

「 大学辞めてから友達を造ろうと思っていたかも知れないかど、

     実際は友達がドンドン減ってしまったんだろう? 」

  はい・・・・

「 やりがいがある仕事が必ず見つかると思っていただろうが、

  いくら探してもそんな仕事は見つからなかったんだろ? 」

  はい・・・・

「 暇はいくらでもあるのに遊びが見つからない、好奇心も沸いてこない

  ほとんど毎日、テレビを見るか漫画を読んでばかりいたんだろ? 」

  はい・・・・

 「 ほとんど毎日 インスタントラーメンばかり食べているのだろ? 」

  はい・・・・

「 野菜はまったくと言っていいほど食べないのだろ? 」

  はい・・・

「 昔は良かったと思うかとがよくあだろ? 」

  はい・・・・・

「 世の中 真っ暗に見えるんだろう? 」

  はい・・・・・・

「 今は何をしているんだ? 」

  一ヶ月前、ホテルのレストランでボーイの仕事に就きました

「 修行して一流のボーイを目指しているの? 」

  べつに・・そういう目標はありません

「 その仕事、親が見つけてきたんだろ? 」

  はい・・・・

 遠藤君は無表情に語りだした


遠藤君、大学を辞めてから何もせずにぶらぶらしてたらしい

いつまでもこんな事もいてられないので

半年位たって

自分の理想の仕事を探し始めた

やりたい仕事が見つからず更に半年くらいの時が過ぎた

母親が、心配して

有名一流ホテルのレストランで雇ってもらえるよう

知人のコネを使って支配人に頼み込んだ

その結果の 成り行きで現在 ボーイ見習いをしているとの事


こんな死人のような目をしていてボーイが務まるのか疑問に思ったが


「 何でもコツコツ地道にやっていればいつか必ず良いことあるよ 」

とニコヤカに言ってあげた

 ん・んーん・・・・・としか彼は言わない

その後 私の本分の宗教的観点とニューソート思想の話をしたが

終始 無表情 ・・・

彼には申し訳ないけど 、もう私にはお手上げだと思った

彼の姓名を 頭の中に描いた

彼の未来に明るいものは何も見えてこない


結局、なすすべも無く 彼と別れた

これが彼との別れであった

 これ以来 彼との音信は途絶えた・・・


その帰り道 私は思った

これは彼が自分で決めた運命、全て自己責任

社長はただ引き金を引いただけ・・・

自分で這い上がるしかない・・・・


とはいえ やはり後悔の念がこみあげる


「 あの時 奥の手 を使ってでも阻止すべきだった・・・・ 」

このとき思った



方針を変えるしかない・・・



以後 私に縁のある者が 私に相談して来たら

その人が もし

重要な事柄に対して 完全に不利な選択をしようとしていたら

私に 強い確信があれば

確実に 未来が「 見える 」.( 感じて確信を持つこと )なら

それが理屈で説明出来ない事であったとしても


決死の思いで 

「 奥の手 」を使ってでも断固として阻止 すべきだ

プライドなどと言っていては後悔するだけ

恥も外聞も捨てて

「 インチキ占い師」を演じてやる!!! 」


この後、 私は縁のある人に対して 

奥の手を 使わざるを得ない重大な

場面に数回 遭遇する事になる



人の人生に関わる

重大なことに首を突っ込んだ事もある

人の生死に絡んだ事もある

返り血を浴びた事もあった


この人達は全員 最終的に 

「 名古屋の白兎 の言うと通りにして良かった 」と言ってくれた

私にとって、その言葉が何よりの「 報酬 」 であった

かなり込み入ったプライベートな事もあるので

ココからの事は 書けませんが・・・・・

全て、最善の結果を出せた

でも・・・これ以上やればいつかは大失敗するときがくるだろう・・・・

恐怖感にかられた

36歳のとき結婚を期に、ここらが潮時と思った

それを期に インチキ占い師 から足を洗った




























コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姓名判断 9

2012-08-05 | 姓名判断
遠藤君との音信は約一年位途絶えた

彼の事が相当気になっていた

こちらから一度 連絡をしようとは思っていたが

仕事が忙しすぎてなかなかその機会がなかった

そんなある日、私は珍しく予定のない暇な日が出来た

普段かなりの睡眠不足の私としては

その日 一日中 寝ようとおもっていた

でもよく考えると

寝ている事は 生きている事にならない

時間がもったいない

時間を捨てることは生命を捨てることになる

そう思えてきた

よし、遠藤君に合ってみるか・・・・

早速 遠藤君に電話を入れた

「 明日、夜もし暇なら 街で食事でもしないか?」

ええ、特に用事はないです、行ってもいいですよ

「ならば、 明日の夜6時に 名古屋の明治屋の前で待ち合わせしょう」

はい、わかりました


受話器から聞こえる彼の声は限りなく暗かった、


電話で、3~5分程度喋っただけでも彼の現状が伝わってきた


当日、私は待ち合わせ時間の1時間半 位前に現地に到着するように家を出た

待ち合わせの時間まで明治屋の横にある 丸善書店で本を見ようと思って

早めに現地に向かった


丸善書店の近くまで来て、ふと何気なく明治屋の前を見ると

なんと、遠藤君が立っている

あれ? 時間を間違えたか?

と思い、時計を見る

間違いではない・・・

まだ、1時間30分も前である

遠くから彼の様子をしばらく観察した

彼はうつむいたまま下をジッと見つめている

ピクリとも動かない

時々、まえを足早に通り過ぎる歩行者足元を、目で追っている。

うつむいたままの姿勢で首を少し動かす

暗いどんよりとした重苦しいオーラが漂っている

その姿を 少し離れた場所から見ているだけで

彼の 現在の状況や心境が手に取るように伝わって来る

私が一年前 予測した姿 そのものだった


たぶん彼は私と合う事 以外は今日の予定が何もないのだろう・・・

暇だからといってやりたい事も何もないのだろう・・・

街をぶらつこうという気にもならないのだろう・・・

何の好奇心も意欲も沸いてこないのだろう・・・


私は迷った

約束の時間よりかなり前だがここで私が彼の前に現れて

「あれ? 早かったねー 暇だったので早く着いてしまったけど 丁度よかった」

と言うべきか

でも、彼は1時間半 そこで待つつもりで立っているはず

その事は私には知られたくないだろう・・・


そんな事をしたら彼の顔を潰す事になるような気もする


やはり、約束どおりの時間に現れるべきだ


それから約 1時間15分 私は時間を潰した

うつむいたままジッと立っている彼の姿を想像すると

私にとって この1時間15分は かなり長い1時間15分だった

同時に拷問のような苦痛を感じた


待ち合わせ時間の15分前再び明治屋の近くまで来ると

やはり遠藤君はうつむいたままジッと下をみて立っている

彼に近づき、元気な声で、

「おお!久しぶりだねー」

と声をかける


彼も弱弱しい声で答えた

「お久しぶりです」

「悪い悪い、待たせちゃったカナ?」

彼は答える

「いいえ、僕もいま来たところです」


「そうか、それなら良かった・・早速、何か美味い物でも食べにいくか!

何が食べたい? 中華か、イタリアン、和食の店ならいい店知ってるけど・・・」


「僕、べつに 何でもいいです」


「ならば、中華かイタリアンのどちらかにしよう、どちらにする?」


「僕はどちらでも良いです」


ならば中華にするか?

「お任せします」

・・・・・・・・・・・

中華料理屋に入った

「食べたいもの何でも注文してくれ、今日はおごるよ」


     「僕、なんでもいいです」


「なら、まずはビールと餃子と唐揚でも頼むか?」


   「ええ、何でもいいです」


ビールで乾杯して餃子を食べた、彼は終始無表情


「やはり、生ビールは旨いねー!!!」


と私が言うと


暗い声で「 え え・・」 と言うだけ


「ラーメンでも頼むか? それとも天津飯にするか?」


「僕どちらでも良いです」

・・・・・・・・・・

彼は完全に無気力状態になってる

喜怒哀楽も、感情の起伏も、欲望も、不満も、何もないように感じる

・・・・・・・・・


彼に限らず、何が食べたい? と聞かれたとき、「べつに何でもイイです」

と答える人は運気がない人が多い

例えば、忙しく働いている時の昼飯の場合「 べつに何でもイイです 」

と言うのは自然な気がする。

でも、

さあ、今日はゆっくり美味しい物でも食べるか!

という場面で、「べつに何でもイイです」と言う人は運気も 勢いも無い人が多い

活力のある人、ツイているひと、運のいい人 は

男女を問わず  自分の欲求を持っている

「豚カツが食べたい!」 「和食がいい!」 といった感じで答える

勢いのある人は 

もし本当に迷っているなら

「豚カツもいいけど、和食も最近食べていない・・どちらも捨てがたいな・・・」

と率直な感想を述べる

・・・・・・・・・・


私はこういう場合 「何でもイイです」とは絶対に答えないよう心掛けている。

それが強運の秘訣であると思う。

話がそれました・・・・・

遠藤君・・・

終始 無表情、無関心、無気力、

こういう場合「どうした? 元気出せよ!」

とは絶対に 言わないことにしている

「頑張れ」とか「元気ないねー」とか「元気出せよー」は絶対禁句だと思っている

それを言われると普通 ほとんどの人が 更に落ち込む

この言葉を使いすぎると その人を自殺に追い込む事すらある

これは昔読んだ心理学の本から学んだ

これは今も守っている

食事が終わり

「 若者の集まる楽しい店が 近くにあるんだけど 飲みに行くか?」 

と訊ねた

「どちらでもいいです」

遅くなると困るなら 喫茶店でコーヒーでも飲んで別れれてもいいけど」


「どちらでもいいです、おまかせします」

・・・・・・・・

困りはてた、もう私には手も足も出ない、

疲れてきた・・

彼の近くにいるだけで気分が暗くなってくる。

早く家に帰りたい気分になってきた

彼は以前とは 別人のようになっていた

でも、乗りかかった船だ、ここでサヨナラとは気が引けた

場所を変えて 遠藤君の話を聞いてやろうと思った・・・

                ・・・・つづく・・・・



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする