先日、私の仕事上の関係者、
宮田さん(仮名)が、
「 見て欲しいと写真があるのですが・・・」
と言いながら、
スマートフォンを差し出してきた。

液晶画面を覗き込むと、6人の男が並んで写っている。
全員がニコヤカに笑い、思い思いにピースポーズをしたり、
隣の人と方を組んだり・・・
かなり盛り上がっている雰囲気。
どうやら、飲み会の集合写真のようだった。
ただ、この写真を見た瞬間、
その楽しそうな光景とは裏腹に、
何やら不穏で恐ろしい気配を感じた。

この時点では、スマフォ画面を一瞬見ただけで、
この写真の細部までは見てはいない。
一瞬、遠目で見る限り、
ごくありきたりの飲み会で撮った写真に過ぎない。
でも・・この時点で、宮田さんがどうして、
私にとって、
何の関係もない記念写真を見せてきたのかが解かった。
一瞬、私は寒気を感じた。
そして、内心で思った。
厄介な写真見せやがって・・・
この、宮田さん、
実は、以前にも厄介な事を言って来た事がある人物なのです。
以前、このブログに書いた、
「 白兎・開かずの間に潜入 」
という記事の登場した人物です。
この男、以前、怪しい宗教に引っ掛かり、
その宗教の霊能者と称する人物に
「 仏壇を焼き払わないと災いが起きる 」
と、そそのかされて、
自分の実家にある先祖代々の仏壇と、
神棚を焼き払ってしまった大バカ者です。

私は、いままで自分が関与したりアドバイスしたりした
人の事は、このブログには一切書かないようにして来ました。
たとえ、個人を特定できないように脚色したとしても、
私を信用して、秘密を話してくれた
人に対して罪悪感を感じるからです。
私の場合、本人の承諾を得ない限り、
徹底して「 体験談 」とか、 個人的な事例 」
を書かないようにしています。

ただ、宮田さんに限っては、例外です。
なぜなら、Mさんは、私にとって
「近付きたくない人間」だからです。
これには、色々な理由がありますが、
それはさて置き、
彼は、友達でもなければ、同僚でもありません。
仕事上、止むを得ず付き合っているだけの人物です。
この、宮田さんが、殺気を感じる写真を、
私に見せてきたのです。

彼は、毎度の如く、
暗い表情で、事情を語り出した・・・
数日前、中学時代の同窓会に出掛けた。
同窓会の後、仲の良い6人が一緒になって
二次会に繰り出した。
カラオケボックスに6人程が集まり、
懐かしさもあってかなり盛り上がった。
そのとき、参加者全員が集合して、記念写真を撮った・・
その後日、その中の一人、E君が、
この写真をフエィスブックで公開した。
この写真をアップしたところ、
写真を見た数人の人間から、
E君にメッセージが送られてきた・・・
「 宮田君の後ろに何かヘンなモノが写ってる・・・あれは何だ・・・ 」
恐~ィお話になってしまった・・・・

あまり見たくなかったが、
彼が差し出したスマホに顔を近づけて
液晶画面に表示された画像を覗き込んだ・・・
ヤバイ・・・・と思った。
写真には、男6人が並んで写っていた。
彼は、中央、一番後ろの場所に立っている。
彼の肩の後ろから、
不気味な人間の腕が真上に向かって出ていた。
衣服を着けていない状態の、
肩から手のひらまでの人間の腕 だった。
その姿は鮮明だった。
頑丈そうな腕で、それは、どう見ても男の腕に思えた。
彼は、身体を正面に向けず、顔だけを正面に向けていた。
腰を少しばかり曲げるような格好で、
少し歪な体勢を取っていた。
そのような条件下で、
腕だけが彼の背後から不自然に突き出ていた。
その状況からして、
彼の後ろに人が隠れる事は不可能な様子であった。

普通、こういう写真は、例外を除いてほとんどの場合、
「心霊写真」ではない。
光の屈折や、反射、その他諸々の偶然が重なって
奇怪なモノが写りこんでいる場合がほとんどです。
ホントウの心霊写真など、千件に1件位のものです。
もし、あったとしても、
誰が見ても明白な、鮮明な姿で写真に写っている事は
まずありえません。
鮮明な写真ほど心霊写真の可能性は低い。
彼の差し出した写真には、人間の腕が、
誰が見ても明らかな形で写りこんでいる。
普通なら、笑い話で終わってしまうような写真ですが・・・
この写真は尋常ではなかった。
強烈な「 不気味な風 」を発していた。
トリック写真でも、光のイタズラでもない・・・
タダならぬ気配を感じた・・・
このような強烈な写真を目の当たりにしたのは初めてであった。
私が関わってしまうと危険であると本能的に感じた。
あまり、じっくり観ては危険だと思った。
ヘタに意見を述べたり解説したりして、
首を突っ込んでしまうと、
私に何らかの害が及ぶ可能性があると感じた。
じっくり観ているようなフリをして、
意図的にその部分を見ないようにした。

この写真を見た瞬間、一瞬感じた事は、
1・・ この写真に写る腕は、この場所に関係する霊のものではない。
2・・ この不気味な『人間の腕』は、宮田さんに関係する霊の腕であり、
・ 他の仲間とは無関係である。
3・・ 宮田さんは多くの魔物・奇神・邪霊を寄せ付けている。
だだ・・
この事は彼には言わなかった。
私にどうする事もできない事を言っても
何の意味も無いと思えたからです。
「 これは、近くにいた人の腕が、偶然、光の屈折で、
カメラのレンズに写りこんだだけだと思いますよ・・・ 」
と、彼に説明して誤魔化した。

宮田さんは、いろいろな
霊を寄せ付けやすい体質であった。
その背景には、多くの要素が複雑怪奇な形で絡みあう。
ただ、多種多様な複雑な要素( 因縁 )を一つずつ分析
して、そのカラクリを解明することは不可能。
どんな人間でも、何らかのマイナス要因 ( 悪因縁 )
を持っている。
ただ、それらの悪い要素の一つ一つを
潰して行こうと努力しても、何の解決にもならない。
それは、太平洋を手漕ぎボートで横断しようとするようなもの。
彼の 「 霊 」を寄せ付けやすい体質の背後には、
彼自身の 心のあり方 」「 気質 」
が大きく関与している。
「 悪因縁・悪業を払い除ける 」的な心構えで
「 闇 」を追い払おうとしても、
闇を消し去る事はできない。
「 闇 」を消し去る方法は唯一つ、
自分自身が「 光 」を放つ。
これ以外の方法は存在しない。
これは、他力に頼ってどうなるものでもない。
彼は、いつも暗い顔をしていた。
彼の発する言葉は、いつも、「 ひと言多い 」
彼は、いつも決まって、最後に
「引っかかる言葉」を付け加える。
彼は、常に丁寧な喋り方をした。
ただ、その丁寧な言葉は、
それをを聴かされた人に不快感を与えるものであった。
例えば・・・
仕事上の話で、
「 何々は、このように処理すればよかったですよね 」と、
彼に対して、再度、確認の意味で、念を押したとします。
そういう時、彼はこう答える。
「 はい、仰るとおりです・・だだ・・・・・
目上の方に対して大変失礼な申し上げ方ですが・・・
この事は昨日既に、お話した事であると思うのですが・・・ 」
彼の言葉は、常に丁寧だが、
常に引っかかるモノがある・・・
「 はい、そうです 」と、ひとこと言えば済むはずだが、
不自然な言葉で、大袈裟な回答をする。
彼自身は、こういう口の利き方が「 誠意ある応答 」
と信じているようで、
悪意がある訳では無い。
こういうのを、、「 慇懃無礼 」、、とうのだろう。
言葉は丁寧だが、丁寧さの裏に、
相手を、バカにしたような雰囲気を含んでいる。
こういう物言いをされると、
「 単純な言葉 」より、
遥かに大きな不快感を覚える。
捻くれ者の私としては、こう云う場合、
腹を立てても何の得にもならぬ・・・
無駄な時間とエネルギーを使いたくない・・・
相手になるだけバカらしい・・・
と思って、いつも聞き流すだけです。
しかしながら、
私のように捻くれていない正直な人間は、
彼に「慇懃無礼」な物言いをされると、カチンと来る。
それ故、彼は客先や、取引先でよくトラブルを起こす。

彼は、生真面目な性格だった。
責任感が強く、正義感もあり、
必要以上に些細な事に拘りを持つ性格だった。
義理堅い性格で、曲がった事が嫌い、
ズルイ事をして要領をカマしたりすることも無い。
老人を労わる心があり、
道で困っていそうな老人がいると、心配して、
仕事中で気忙しい状況でも、声を掛けたりする。
ホンの些細な不正も絶対に行わない。
真面目で、責任感が強くて、礼儀正しく、丁寧な言葉使い。
こういう 「 善人 」ほど、
落とし穴にはまってしまう危険性が高い。
穴に落ちてしまった場合、
穴の中から助け出す事は、不可能に近い。
このような人間は、一般論として、
非難されたり、問題を指摘されたりするような
対象にはなりにくい。
ここに落とし穴が存在する。
彼は幼い頃から、
一撃を浴びせられような経験をした事は
一度も無かったのだろう・・・
一度も修正さる事もなく、
歳だけとってしまったのだろう。
それらの「独善的な習性」は、
それを「水戸黄門の御印籠」にして来たのだろう。

彼は、善良な人間である。
でも、どこかが歪んでいる。
これが、「 善人が陥りやすい、落とし穴 」
こういう落とし穴にハマッた人間には、
独特の 「 暗い影 」が出来る。
この「 暗い影 」をもつ人間は、
邪霊・奇神・魔物を寄せ付け易い。
「 類は類を呼ぶ 」とは、まさしくこの事である。
彼のモノの見方、人との接し方、人生観は、行動は、
結果的に「 自虐 」であるような気がする。
「 自虐 」は、「 自己処罰 」を誘発する。
彼は、心の奥底で、自分で自分を処罰している。
その裏には、「 罪の意識 」が横たわる。
その、「罪の意識」の源は、
彼が先祖から遺伝的に受け継ぐ「 因縁 」に因るものである。
「 因縁 」とは、言葉を変えれば 「 課題 」である。
彼は、生まれてから、成長していく過程で、
家庭的な問題で「課題」が課せられていた。
(この辺の事情は書く事はできません・・)
彼の場合、この「課題」を、
ひがみ、嫉み、嫉妬、皮肉、暗さ、被害者意識、・・・
それらの「 暗い要素 」で隠蔽して来た。
その隠蔽を、更に・・・
「 生真面目 」「 不自然な礼儀ただしさ」
という鎧( ヨロイ )でガードした。
その事が、魂に‘ 隙 ‘(スキ)を作っている。
大きな‘ 隙‘ があるため、
怪神・魔物・浮遊霊が、簡単に入り込んでしまう。

彼は、今まで、何をしても常に不運の連続であった。
同時に、彼は頻繁に事故を起こした。
毎年、必ず1~2回は自動車で事故を起こす。
クルマ同士の接触事故・・・
自転車との接触事故・・・
畑の中に突っ込んだり・・・
追突されたり・・・
たて続けにパンクしたり・・・
あるときは、
走行中、突然マフラーが外れて、走行不能となったり・・
そんな信じられない事が起きた事もある。
何ゆえ、彼にこのような事が起きるか?
これは、彼のもつ
「 暗い心 」
「 ひとを見下した傲慢で無礼な態度 」
「 思いあがった未熟さ 」
「 善良であるという誇り 」
が彼遺伝的な要素と絡み合い、
彼独特の「 下地 」( 雰囲気 )を形成させ、
これらの「 下地 」が、
それと性質を同じくする、
「 邪霊 」や 「 奇神 」「 不成仏霊 」
を引き寄せるのです。
その結果・・・
彼が潜在的に持つ、マイナス要素 ( 悪因縁 )
が昇華されることなく、増大している。
彼の背後に映っていた気味の悪い腕の正体は、
彼が以前、関わった事のある人物の霊。
その人物は、交通事故で亡くなっている。
この人物は、彼にとって他人であり、
特別に深い付き合いがあった訳でもない、
ひょっとすると、
彼の記憶に無い程の付き合いだったかもしれない。
にも関わらず・・・何故か、彼の背後に出てきている。
こんな事は、まず有り得ない事である。
彼が怪しい霊能者にそそのかされて、
先祖代々の仏壇を焼き払ってしまった事も、
負の連鎖のなかの一部分であり、
そこれは、そういう怪しい人間を「 引き寄せた 」のであり、
突発的な原因で悪循環が始まった訳ではない。
これも、彼が自分に課した
「 自己処罰 」であり、
自分にとって不利な選択、不利な願望 、不利な言動、
を、無意識のうちに選択しているのである。
この連鎖のなかで、このような奇怪な事に
巻き込まれているのだと感じる。
こうなると、悪循環を止めることは至難の技となってしまう。

彼の歪な言動、不運や、怪奇現象・・・
それらの「 悪循環 」の源は、
「 自己処罰 」なのです。
自己処罰???
サッパリ意味が解からない・・・・
と、思われるかもしれません。
アメリカの精神身体医学の大家、
カール・オーガスタス・メニンガー博士
(Karl Augustus Menninger、1893年 ~ 1990年)
の著書、「 おのれに背くもの 」。
この本には、興味深いことが書かれています。
メニンガー博士によると・・・
不運や、不測の事態、災難、などは、ほとんどの場合、
外部的要因によるものではなく、
自己の潜在意識が、
他人に自分を虐待するように仕向けている。
その結果として、自分に不運や逆境が引き寄せられる。
その苦しみに耐え忍ぶことによって、
自分を納得させている。

これ、即ち 「 自己処罰 」
メニンガー博士は、こういうパターンの人間を、
「 不運を嘆く一群 」と呼んでいる。
不運・不幸・災難 ・・・
これらを引き寄せる要因は、ほとんどの場合、
「 自分の深層意識 」が関与している。
天罰など有り得ない。
彼が、日常的に連発する、
「 丁寧すぎる失礼な言葉 」の背景には、
「 無意識 」の領域に横たわる、
自分にとって不利な状況を望む願望が糸を引いている。
その結果、善良で、真面目な生き方をしているにも関わらず。
不遇な立場に追い込まれる。
同時に、邪霊・・奇神・・悪霊・・不成仏霊を引き寄せ。
不可抗力の不運の連続。
彼は、まさに魔物の温床状態になっている。

彼は、多くの人の心に暗さを振りまき、
他人を不愉快にさせている。
同時に、自分自身も、常に不運や、災難の連続である。
なぜ、彼はこのような状況を自らが
引き寄せているのか?
それは、彼のなかには、
彼以外の、意識(先祖の霊)が同時進行していて、
その意識を昇華させる事が出来ていないからだ。
彼の、育った家庭環境には、込み入った事情があった。
更に、さかのぼれば、彼の先祖にも込み入った事情が多くあった。
人間の運命は、遺伝的な要素が大きい。
「 家系は繰り返す 」
彼の家系は、彼と似たようなパターンの人生を
歩んだ者が多く存在しているはずである。
肉体的な遺伝・・霊的な遺伝・・先祖の行動や思考の連鎖 、
これ、即ち、 「 原因 」。
それを再現させる事が 「 結果 」。
この2つの要素をひと言で言うと 「 因果 」
仏教で云う 「 因果報応 」とは、かなり意味が違う。
仏教示唆する「 因果報応 」の考え方は、
釈迦の説いた、偉大な教義であり。
宗教の根幹を成すものである。
ただ、そのなかには、
先祖からの連鎖(霊的要素)の真相が含まれていない。
その辺の、区別をハッきりさせないと、
いくら慈善を成しても、
いくら清く正しく生きても、
霊的要素に振り回される。
この事は、私が今まで多くの人を観察し、洞察した結果、
確信した事であり、机上の理論ではありません。
悪い霊的要素は、
それを他力で消し去る事はできない。
もし、霊能者がこれを怪力て追い払ったりしたとしても、
また、別の霊的要素が入り込んで来るだけである。
そうなったら、また、霊能者に追い払ってもらわなければならない。
結果、このひとは、霊能者にすべてを支配され、
運命の奴隷と化してしまうだろう。
霊能者、や、拝み屋さんは、
決して、悪意を持って、意図的にやっている訳ではないが、
結果として、自分に依存して来る人間を養成しているのです。
( なかには、悪意をもってやっている人もいる。
・ その最たる例がOーmの夜腹 )
人の持つ「 因縁 」は、複雑怪奇に絡み合っている。
それは、例えて言えば、
多くの細い糸を螺旋状に編み上げて造った、
太い紐のようなモノである。
その一本一本を根元までたどる事は不可能である。
悪い因縁を打ち消す為に。
「 欠くあらねばならぬ 」
「何々をしてはいけない 」
「 何々しなければいけない 」
と自分に言い聞かせる・・・
このような修練は、
バケツを使って、池の水を空にしようとするような行為ではなかろうか。
力めば力むほど、執着が強固なものになってしまう。
各論には有効だが、総論には通用しないと思える。
因縁(課題)を、超越す方法は、だだ一つ。
「 自己の生命は『神の分霊』である事を悟る事 」
これが出来た時、「 自己改造 」などという問題ではなくなる。
自然に、自分にとって最善の願望が湧き上がる。
最善の願望は、最善の行為を生み、
「最善の行為」は、、「最善の結果」を発芽させる。

この循環こそが真の意味での
「 因果報応 」であるはずだ。

悪あがきはしません ・・・

この境地を音にすると、
南無阿弥陀仏 ・・
南無妙法蓮華経 ・・
アーメン ・・
となるのではないだろうか?
人間の内には『 神 』が存在する。
神は、外にいるのではない。
運の良い人、幸福な人生を歩む人、
これらの人に共通する絶対原則は、
「 自己の内なる神を知り、大切にしている。 」
これ、即ち、 「 ホントウの自分に背かない 」という意味。

ひとりの人間が、
この世に生を受けた事の目的は、唯一つ。
「 自己の生命は『神の分霊』である事を悟る事 」である。
善良な人間であるにも関わらず・・・
彼の身体は、悪霊や、不成仏霊の温床になっていた・・・
彼の映った写真の、背後ある不気味な人間の腕は、
紛れもなく、
彼にすがって寄って来た不成仏霊そのものだった。
彼の身体には、これ以外にも2~3の霊が出たり
入ったりしているように感じる。
前にも述べましたが、
仏教で言うところの「 因果報応 」と
霊的な 「 因果 」を混同してはいけません。
彼は、決して悪い人間ではない。
むしろ 「 善人 」なのである。
真面目で、責任感が強く、正義感があり、
不正な行いは絶対にしない。
義理堅い性質で、世話好きで、親切。人情もある。
年寄りを労わる心が強く、
老人に対しては異常なまで親切心を持っている。
しかしながら、大きな欠点があった。
「 丁寧すぎる無礼な言葉 」を発するため、
接する人に不快感を与える。
( その要因は、自己処罰 )
「 暗い雰囲気 」を発して、まわりの空気をドンヨリさせる。
外見から見ると、この2点が彼の最大の欠点だった。

彼の行動を、仏教でいう「 因果報応 」と照らし合わせるならば、
1・・「 真面目で、責任感が強く、正義感がある。」
・ ↓ ↓
周囲から人望厚と信頼を集め、多くの人から慕われる。
2・・「 世話好きで、親切、 年寄りを労わる、 」
・ ↓ ↓
ひとに親切を与えると、それはやがて自分に戻って来て、
幸福となる。

となるはずだが・・・・
彼の場合、この2点、どちらも当てはまらない。
彼の現実は・・・
私生活での友達は一人もいない。
嫌われてはいないが、多くの人から敬遠される。
お金に恵まれていない。
仕事上、大きな失敗をよくする。
家庭問題が多く、夫婦仲、親戚仲がうまく行っていない。
子供のことで大きな問題を持っている。
頻繁に災難に襲われる。
毎年1回は、必ず自動車事故を起こす。
不運・不遇の連続
どうした事だろう・・・
「 因果報応 」は机上の空論なのか???
なぜ、因果の法則が機能しないのか?
この不可解な現象を説明しようとする時、
「 霊的因果 」
「 自己処罰 」
の言葉が出てくるのです。
彼の、性癖
「 悪意は無いが、無意識に、ひとを不愉快にさせる言葉を発する 」
を分析するなら、

嫌味のある言葉を吐いて人を不愉快にさせる。→ 原因
・ ↓
人から敬遠され、不当な評価を受ける。 → 結果

正当な評価をされないので、精神が不安定になる → 原因
・ ↓
大きなミスをしたり、交通事故を起こす。 → 結果

暗い心 → 原因
・ ↓
暗い環境・運命を引き寄せる → 結果

彼の欠点を、因果の法則で説明するなら、
このようになるはずです。
ならば、なぜ・・・
短所にのみ因果の法則が機能するのに、
彼の長所のすべての部分に対しては、
「 因果報応 」が機能しないのか?
彼の性格に欠点があったとしても、
「 因果報応 」を大局的に当てはめるなら、

親切・善意・善行
・ ↓ ↓
幸運

トータルとして、彼は幸運な生活を送る事ができるはずです。

でも、現実はその反対です。
彼は不運の連続、
邪霊や、悪霊、浮遊霊に振り回されている・・・
なぜ、このような事になってしまうのか?
ここからが、「 霊的な因果 」
「 霊的因果 」とは、言葉を変えれば、
「 原因の‘ 原因 ‘ 」

1・・・彼は、怪しい霊能者の言葉を信じて、
先祖を祀る仏壇を捨ててしまった・・・
2・・・この「 原因 」の 「 結果、」として、
悪霊・邪霊・浮遊霊を寄せ付け易くなり、
不運の連鎖が始まった。

これがこの件に関する 「 因果関係 」
ならば、
何ゆえ ・1・のような「 愚かな気持ち」が湧いてきたのか?
これが、 「 原因の原因 」
人間の考える事、思う事、それは一見、
大脳による「 理論 」に因るもに見えますが、
実際は、そうではないのです。
「 フト、思いつく 」
「 フト、感じる 」
根本的には、
この ‘ フト ‘ が人間の感情や行動を支配していのです。
この、‘ フト ‘ がなければ恋愛などできません。
芸術も、文学も、音楽も感じ取ることはできませ。
この、 ‘ フト ‘がなければ、新しいモノなども生まれません。
「 フト思いつく、ふと感じる 」これが
「 原因の原因 」なのです。
これこそが、「 霊的因果 」
即ち、彼の場合、
全ての出発点であるところの
「 霊的因果 」に、大きな問題があるのです。