名古屋の白ウサギ・1964年生・

自称、宗教家・宗教家は、職業ではなく「生き方」です。
職業・会社員

串カツが囁いた・・・

2017-05-23 | その他


「目に見える状態」のみで物事を見てはいけません。

目に映る世界は、ホンの一部分でしかないのです。

誠意を尽くして話をすることが出来たなら、それが最善です。

「最善」とは、全てが円満に、
完全になるという意味ではありません。

「この世」に、「完全」はあり得ません。
全てが完璧な状態などあり得ないのです。

その制約の中で、
「最大限に善い状態」
を最善と云います。

一番大切にすべきものは、
「自分の良心」です。

「自分の良心を裏切っていない」。
これが出来たなら、
それが「最善」なのです。
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唐揚げ仙人に学ぶ。

2017-05-18 | 出来事


私の好物は、
「 鳥の唐揚げ 」です。

今まで、色々な場所で唐揚げを食べ歩いて来ました。

マスコミなどで紹介されている有名店や、
唐揚げグランプリで金賞を取った店だとか・・・
数多くの店で唐揚げを食べています。
そのせいで、
唐揚げに関しては少々口が肥えているような気がします。

1年位前、通勤の為に毎日通る道の途中で、
新しく開店した唐揚げ専門店を見つけました。

店内には6人位座れるカウンター席があるのみで、
テイクアウトをメインにしているような店構え。

広さは、厨房、客席、合わせて10畳ほどの小さな店です。


毎日前を通るたびに気に掛かり、
唐揚げマニアの私としては、
チャンスがあれば、一度入ってみたいといつも
思っていました。

最近になって、遂にチャンスが到来しました。

店にはいった瞬間、若いお兄さんが、
明るく元気な表情で、いらっしゃいませ!!!

推定25~30歳位の元気の良いお兄さんでした。

ウサギセンサーが反応しました。

 この店・・・なかなか良さそうな気配・・・

カウンター席に座り、とりあえず唐揚げ5個と、
生ビールを注文・・・

10分ほど待つと、揚げたての唐揚げが運ばれてきました。

さて・・・どんなお味か???

少し冷めるのを待ってから、唐揚げを箸で摘まみ、
口に入れました。

美味しいい!!!!

この唐揚げ、以前、博多で食べた有名店の唐揚げより
遥かに美味しいと感じた。

衣は、厚くなく、軽い食感。

衣の味付けは淡泊だが、深い風味を感じる。

肉は柔らか過ぎず、硬すぎず。

肉の下味がしっかりしていている。

白醤油に、削りカツオを入れ、
1日以上、漬け込んであるように感じた。

油は、新しく酸化していない。

ラードと白絞油、ごま油がブレンドしてあるような風味。

これは素晴らしい!!!!

店のお兄ちゃんに声を掛けた。


「 美味しいですね・・・私は今まで
多くの唐揚を食べ歩いて来た唐揚マニアですが、
この店の唐揚げは高得点ですよ・・・」

お兄ちゃんはニコヤカな表情で
「 ありがとう御座います 」と言った。


「 この唐揚げ、どこで修行したのですか? 」

お兄ちゃん、
「 いえ、これは誰かから教わったと言う訳ではありません、
私のオリジナルです。
色々研究して、この味にたどり着きました 」


「 素晴らしいですね・・・
この唐揚・・・
最高に美味しいです。
ニンニクが全く入っていないところが凄いですよ・・・
基本的な部分で、
味付がしっかりしていない店は、ニンニクで
味を誤魔化している店も多いですからね・・・」

お兄ちゃん答えて・・・
「 はい、私はニンニクを一切使わないことにしています。」


「 そういう発想は素晴らしいです・・・ 」

私は、唐揚げの美味しさを褒めたたえ、褒めちぎった。

これは、決してお世辞ではなく、素直な感想であり、
本心であった。

すると・・・突然、
お兄ちゃんの顔が少し真面目な顔付に変わった。

お兄ちゃんは少し声のトーンを落とし、
真剣な眼差しで私に語り掛けて来た。

「 何か問題点はありませんか??? 
改善すべき事がもしあれば教えて頂きたいのですが・・ 」

私は一瞬考え込んだ・・・

何か問題点・・改善点はあるのだろうか????

しばらく考えてみたが、
特に問題点は見当たらない。


「 いえ、別にこれと言って大きな問題点や、
改善点などないと思いますが・・・」

お兄ちゃんは、言った・・
「 いや、どんな些細な事でもイイです、感じることがあれば、
なんでも指摘して頂きたいでのです」


「 ニンニクを使わずに下味に凝っている
ところが素晴らしいですよ・・ 」

・・・お兄ちゃん・・・
「 私もそれを自慢にしているのですが、
自己満足ではないでしょうか?
ニンニクが入っていた方が良いと思う
お客さんも多いような気もします。
そのへんはどう思われますか?? 」


「 私としては、この場合ニンニクを入れないのがベストだと思いますよ」

・・お兄ちゃん・・
「 他に何かお気づきの点はありませんか?
悪いところや、不満なところを指摘して欲しいのです。」


「 唐揚に関しては、特に思い当たる問題点はないと思うのですが・・
敢えて言わせて頂ければ、店に置いてあるビールですね。
麒麟ラガービールが無いのが気に掛かります。
ビール通のひとは、キリンラガーを好む人が多いですよ、
私も、麒麟ラガーが一番おいしいと思っています 」

・・・お兄ちゃんは・・・
「 ありがとうございます。ビールの銘柄については、
よく検討させて頂きます。」



私は思った・・・・

この青年・・・必ず成功する・・・



プラス思考という言葉がある。

マイナス面や欠点に焦点を合わせるより、
良い面のみに意識を向けた方が発展性が
あるという考え方です。

この考え方は間違ってはいないと思うのですが、

プラス思考を極端なかたちで身に付けてしまっている人も
いるような気がします。

悪い面、マイナス面を分析したり、
それを語ることを極端に避け続ける人は、
自画自賛のみに傾く傾向にあるような気がします。

こういう人の特徴は、
他者との関りに於いても他人に
「 批判的 」と受け取られるような、
「マイナスのイメージのある言葉」 
を発することを徹底して避けている傾向が見受けられる。

こういう人は「 よいひと 」なのかも知れないが・・

その裏返しとして、

「 人に異論を唱えさせない雰囲気を発する 」

その結果、

「 独りよがりで、自己満足 」となる。

飲食店や飲み屋で、
オーナーが自ら料理人もしているような店の場合、

自分の店の料理の自慢ばかりしている人を
見かけることがよくある。

客に褒められると、嬉しさいっぱいで有頂天となり、
得意満面となり、等々と講釈を垂れる。

こういうタイプの人は、
意欲的で、情熱的な姿勢で真面目に
仕事をしている人が多いのだが、
客観的に見て、「 自己満足 」
と思えてしまう。

お気の毒なことに、
こういうタイプの経営者ほど、
何事もドンブリ勘定で、物事を数値で把握していない。

それ故、損益勘定が出来ず、現状把握ができていない。
採算を度外視したような事を繰り返す。

経営者件、料理人がこういう姿勢だと、
客や奉公人が何かの不備を感じたりしても、

「 発言させる隙 」を与えない。

客としては、またこの店に来たいから、問題点を指摘したいだけで、
別に文句を言ったり、批判をしたいと
思っている訳ではない。

奉公人や、側近の人間も同様だ。

不満や要望があっても、
それを言わせないようなバリアを張られると、
誰しも敢えて、耳障り事は言いたくない。
その場の調子に合わせるだろう。

これを現代用語で
「 空気を読む・・・」と云うのだろう。

余計な事を言うと、
 「 空気読めないね・・・ 」
と陰で言われてしまう。

「 空気読めないね・・逃避原理」
が機能して、
結果的に、店の質は向上しない。

結果、客は減り続ける。
そして潰れる。


「 自分が納得したならそれで良い 」

「楽観的な明るい言葉しか使いたくない 」

「 耳障りなことや、
未来に起こり得る危険を想定をするような言葉は
語りたくない・聞きたくない 」

と思うなら、それはそれで構わないと思うのだが、

このような習性に極端に傾くと、
未来に対して大きな進展は望めないと思える。

それよりも、
自分の判断や行動に対して、

「これで良いと思うのだが・・・
ホントウに、これでいのか??? 」

「 独りよがりでないだろうか??? 」と

‘ 自分を疑ってみる ‘ 
そして人に意見を求める。

これこそが前向きな「真のプラス思考」ではないだろうか?

終始一貫、明るい未来への展望や、夢を語り、
賛嘆ばかりしていると、

周りの人間は、黙ってしまうだろう。

誰しも悪者になったり、
その場の雰囲気を壊すような言動は避けたと思うからだ。


常に進歩している人間は、

明るい前向きな心で、

「 問題点があれば知りたい・・ 」

「 聞いてみたい・・ 」

という態度で他者に接する。

これは、決してマイナス思考ではなく、

「 否定の裏にある前向きな姿勢 」

「 明るい心の猜疑心 」

「 明るい心で危機管理 」

「 柔軟性のある勇気 」

「 明るい責任感 」

「 明るい使命感 」


であると思う。

これこそが、深い意味でのプラス思考であると感じる。





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科学的迷信

2017-05-17 | 思う事

フロイトの「 花瓶を割った医者の話 」は、
人間には、自覚のない「 無意識の領域 」
が存在している事を説明する上で、
ひじょうに興味深い話であると思いますが、

フロイトの説明では広い意味での人間心理、人間の本質を
語り尽くす事はできていないと感じます。

フロイトはあくまで精神医学者としての立場で、
人間の心の生態を追求したひとです。

フロイトも、ユングも、最終的にはオカルト的な
世界に足を突っ込んでしまいました。

これは、非常に危険なことだと思います。

これは、私の持論ですが、
科学者・医学者は、その立場を越えてはいけないと思うのです。

医学を研究する者が、その一線を越えてしまうと、
限りなくカルト宗教になってしまうと思うのです。

以前「 脳ナイ革命 」とかいう疑似科学本が
ベストセラーになった事があります。

船〇〇〇氏のバックアップで世に出て来た、
東大出の医者が書いた本ですが、
医学・・・ 科学的 と言いつつも、
その内容は、「 結論先にありき 」で、
それに無理矢理都合の良いデーターのみを張り付けた、
眉唾モノで、高校生レベルの教養があれば、
????と思えてしまうような単純な本でした。

本の分類分類としては
「 講談 」「 メルヘンの世界 」 「 宗教 」です。

初めから、「これはお伽話です 」と断れば、罪はありませんが、
「 科学です 」と言ってしまったら、
ペテンではないでしょうか?

ひとことに「 医学 」と言っても、医学には、

疫学 ・ 病理学 ・ 臨床医学

との分類があります。
私は専門家ではありませんので、
聴きカジリの、雑学程度のことしか解かりませんが、

このなかの、「 疫学 」というのは、
平たく言えば、 「 統計  」の事らしいです。

多く人間の持つ、さまざまな要素と、病気の因果関係を
統計的に分類して、そこから仮説をたて、

疫学 → 病理学 → 臨床医学 

と発展させて、治療方法を確立するみたいです。

この、「 疫学 」とは、ある意味、
観察者の主観が入りやすい部分だそうです。

例えば、研究者が、「 タバコは絶対悪だ 」 
という主観をもって、疫学( 統計 )の手法で検証したなら、

必ず、 「 タバコは絶対悪だ 」という統計的結論を出す事ができる。

逆に、 「 タバコは必ずしも、絶対悪ではない 」
という主観をもって、検証したら、

必ず 「 必ずしも絶対悪ではない 」
という結論を導き出す事ができる。

要するに、
何をサンプルにするかで、導き出される結果は、
180度、変わってしまうと言うことなのです。

かつて日本は世界一の喫煙率でした。

しかし、その当時の統計では、
肺ガンの発生率は世界的に見て極めて低かった。
その反面、胃ガンの発生率は、世界のトップだった。

日本と比べて、はるかに喫煙率が低いドイツのほうが、
肺ガンの発生率は、桁違いに発生率が高かった。

最近はあまり見かけなくなりましたが、
「 タバコを吸ってた人の、肺の写真 」
真っ黒な状態で、それを見た人は恐怖心を持ちます。

その写真の横には、
「 タバコを吸っていなかった人の肺の写真 」
綺麗な色をしています。

この写真のアピールは、
「 非科学的な幼稚な行為 」です。

身元不明の変死者の遺体を解剖する、
解剖医の書いた著書に興味深いことが書いてありました。

「 身元不明の変死体を解剖した時、
その遺体の肺を観察しても、
その人が、タバコを吸っていたいた人なの
かどうかは、判別不能。
喫煙者か、非喫煙者かの判別は、‘ 歯 ‘を観察する。 」

とのこと・・・

この解剖医の話を聞く限り、
「 肺の色 」、と「 喫煙 」
の絶対的因果関係はないのです。

肺の状態は、居住地域の環境的要素、
個別の身体的要素に寄るもので、
喫煙とは無関係との意味と思われます。

あの恐ろしい写真は、
意図的に、「 真っ黒な肺 」の写真を探してきて、
「 普通の肺 」を並べただけの 
「 おとぎ話 」 なのです。

こんな事をしていたら、
大量の写真のなかから、目的に沿った写真だけを
作為的に選び出した、
「 水の結晶の写真 」 
( 厳密には氷が解ける時の過程をを映した写真 )
と同じです。

科学的と断言して、
モットもらしい解説を加え、
「水は語る・・」などと意味不明の商売をしている、
疑似科学の達人 〇〇 〇氏と同列になってしう。
( 〇〇 〇氏も船〇〇〇氏の後押しで世に出て来た人です)

こういうのを、「 ガマの油売り 」
と呼ぶのではないでしょうか?

・・・・・話を戻します・・・
だからといって、タバコの害は無いと
結論付ける事は出来ません。

「有害な場合もあるが、無害な場合もある 」
というのが答かも知れないし、

「個体差で左右される」が答であることもあり得る。

「トータルで見てやはり100害あって一利なし」

が真相かも知れない。

しかしながら、
何故こういう「 公正ではない非科学的広告 」
が公然と行われているのか?

なぜ、そんな方法を取らなければならないのか???

これは、「 脳ナイ革命 」を「 科学的・医学的 」と唄う、
手法と同じ組み立てではないでしょうか?

要は、「決定的根拠」が無いということではないでしょうか?

タバコは吸わないに越した事はありません。

タバコについては、私なりに思うことがありますが・・・

それを言うと現在、一般常識となっている、
「 科学的???な理論 」
の逆鱗にふれてしまうので、
気の弱い私は、
恐くて申し上げることはできません。

とはいえ・・・

東大名誉教授の、養老猛氏など、
飛びぬけた大物学者は、煙草に関して、主観を捨てた科学的論法で
ホンネを語っています。

これほどの大物になると、
袋叩きにされる心配がないので、
まったく臆することなく、
堂々と自分の見解を表明しています。

元慶応大学教授・三石巌氏も、
堂々と、公正な立場で、科学者のプライドを持って、
客観的な煙草に関する「科学的主張」を記しています。

皮肉な事に、三石氏の著書の裏表紙には、
国立がんセンターの部長・永田親義氏の
推薦文が記載されています。

永田氏も、表立っては言えないだけで、
本音では・・・・と考えているのでしょう。

大物でない一般の学者は、
思うことがあっても、ヘタな事を言って
干されてしまってはおしまいだと思い、
とりあえず歩調を合わせているだけなのかもしれません。

「 科学の迷信 」の創作は、
研究者が、必ずしも作為をもってやっているとも限りません。

「 自分の望む答 」「 望まれる答 」を出す為に、
「 無意識 」
が関与している事も多くあるはずです。

これと同じように、
科学や、医学に、垣根をなくした状態で、
宗教が入り込んでしうと、
その主観的要素が、かえって科学の進歩の
邪魔になると思えるのです。

科学と宗教を融合させないことは、
もったいないような気がすることも確かですが、
リスクが高すぎる。

垣根をなくしてしまうと、そのことによる害悪が
間違いなく発生すると思います。

これは、「 宗教 」が、
多くの対立と戦争を誘発したという、
歴史的事実と同じような関係性があると思うのです。


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選ばれたる人?

2017-05-14 | 宗教

世の中には、
星の数ほど多くの思想や、
宗教が存在しています。

ななには、荒唐無稽なことを言っている
狂気のような集団や、思想もありますが、

立派なことを言っている団体や、思想家も
多く存在します。

しかしながら・・・

理論的で、立派なことを述べているからといって、
必ずしも、
それを言っている人が立派な人である訳ではありません。

私の眼から見て、どんな宗教団体でも、思想団体でも、
一般信者ほど、純粋で謙虚で、裏表がなく尊敬できる人が多い。

しかし、残念ながら、その中にはオカシくなってしまうひとも
存在する。

私の言う、「オカシイひと」とは、

傲慢

独りよがり

うぬぼれ

それゆえ、無意識のうちに人を見下したような考え方をする。

そういう人に共通することは、

「 人の話を聞かない 」

霊感があって、聞かずとも事の本質を
直感することが出来るのならば良いのですが、

こういう人に限って、
霊感力 ・ 直感力 ・ 洞察力・などというものは、
ひとカケラもない・・・

にも関わらず、自分は、霊的次元で
高いところにいると思い込んでいる。

若い頃、
何人かの「偉い先生」とやらと会話したことがありますが、

自称・偉い先生は、ひとの話を聞かない人が多い。

何か疑問を投げかけると、
最後まで話を聞かず、
こちらの言葉の頭の部分だけを掴んで、
自分の教義や、思想の演説を始める。

「 言葉尻を取る 」という言葉がありますが・・・

この場合、
「 言葉の頭を取る 」という、
実に幼稚な性癖と思えます。

恐い業界の人は
「 言葉尻を取る 」のが仕事ですが、
ある意味、 特殊業界人のほうが、
最後まで人の話を聞くだけ知的な意味では
高等に思えます。

要は、
「 あんたの細かな疑問や、話など聞いている暇は無い、
オレの絶対的真理を黙って聞けばそれでよい 」

と心の奥底 (無意識の領域) で思っているのでしょう。

こういう輩は、こちらが何かを述べようとすと、
時間にして、わずか10秒の話も、
最後まで聞くことができません。

最初の1~3秒で、遮ってしまいます。

こういう低俗なお方に対しては、
英語の文法で日本語を喋らなければ
会話が成立しないと思える程の事もありました。

その状況にもよりますが、一貫して
このような態度をする人間には、
近づかないことが一番です。

特に、組織宗教 や、組織的な思想集団 の
「 中途半端な先生 」「 中堅活動家 」に、
こういうタイプの人が
異常に多いような気がします。

( もちろん、ホントウに立派な頭の下がる
宗教家・指導者・信仰者もおたくさんいますが。)

‘ 自称・偉いひと‘ 達は、

「 自分は神から選ばれたる人間である 」

と思っておみえのような気がします。

ふざけるな!!!

といいたいです。

すべての人間が「 選ばれたる人 」であり、
立派な理屈を言う人のみが「選ばれたる人」
であるはずがありません。

こういう感覚はヘタをすると非常に危険な
落とし穴に落ちてしまうような気がします。

深い意味で
「選ばれたる人間」であることを
自覚しているひとは、外見的にも、内面的にも、
おのずと、謙虚で、低姿勢です。

深い意味で「 選ばれたる人間 」は、
常に謙虚で、慎ましい。

自分に厳しく、人に対しては
決して傲慢な態度はしない。

そう云うお方も、多く存在していますが、
あまり目立ちません。

思いあがった傲慢なひとたちより、
教義やな理論などとは無縁である、

ごく普通のオヤジ

ごく普通の主婦

ごく普通の労働者

こういった人のなかにこそ、
私の眼から見て、立派で偉大な人は多く
存在しているような気がします。

狂ってしまっている‘ 自称・偉いひと‘ も、
偉くなる前は、「 平凡なる偉大者 」
であったかもしれません。

「 お偉い先生 」になったら、おしまいだ・・・・と
いつも自分に言い聞かせています。
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何を言っても無駄だ・・・

2017-05-13 | その他


「 言われなければ分からない人間に、
何を言ったところで無駄だ!! 」

この言葉・・・

私が若い頃、同じ職場で働く同僚だった、
「アンパンマン」と名乗る男の口癖でした。

アンパンマン氏は凡人離れした人間で、
卓越した処世術を身に付けた男です。

どんな偏屈な人間も、意地の悪い奴も、怠け者も、
根性の曲がった人間も、

彼の手に掛かれば、いつの間にか、
「 個性的で有能な人間 」
に変貌していた。

自分に対して敵対心をもっている人間も、
最終的には、自分の味方にしてしまう
技を持っている。

彼は、自分の事を、
「 私は、世渡り上手の罰当たりです・・・ 」
と公言する奇怪な人間であった。

アンパンマン氏の言葉・・・

「 言われなければ分からない人間に、
何を言ったところで無駄である」

彼の発する言葉は、言葉の「音」だけを捉えれば、
「冷たい言葉」である。

彼の発する言葉は、常に毒があった。

大多数の人間は、彼の事を
「 善人なのか?悪人なのか?サッパリ分からん??・・・」
と囁いていた。

でも、私には彼の手の内が見えていた。

実は、彼の言葉の裏にには、
相手に対する「 深い愛情 」と、
「 信頼 」の想いが込められていたのだ。

この言葉の奥には・・・

「 信じてますよ・・・あなたは、本当は分かっている・・・
気が付くまで、黙って見守りますよ・・ 」

これは、イソップ寓話の、「北風と太陽」の
「 太陽 」を意味しているような気がする。

彼との縁は、あれから25年・・・
途切れることなく今も続いている。
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日本人の思慮深さに拍手喝采

2017-05-03 | 思う事


右翼・・対・・左翼

この分類は、
ひと昔前まではある程度通用したが、
今の時代には通用しないような気がする。

現在の国際情勢を勘案するなら、

「 リアリスト 」 対 「 ドリーマー 」

リアリストとは・・・
歴史・人間の性(サガ)を直観したうえで最善を願い、
そのために動く人。

ドリーマーとは・・・

泣いて叫ぶ、夢見る善男、善女

戦争・争いのない世界が、必ず実現する日がやって来ると信じている人。

 ‘ 悪意ある勢力 ‘の
情報戦に乗せられてしまう純粋な人


‘ 夢見る善男、善女 ‘ とは???

防御するから、襲われると信じて、
自分の家に鍵を掛けない強い信念?のあるひと。

自分の子供が襲われた時に、
「 暴力反対!!! 」と言いながら
泣き叫ぶだけで何もしないひと。
若しくは、逃げる人。

右脳崇拝に端を発するスピリュユアル左翼(?)



‘ 悪意ある勢力 ‘ の特徴・・・とは???

戦争反対と泣き叫ぶが、、某・大国の軍拡は黙認。

原発反対と言いながら、某・大国の原発は黙認。

戦争反対と言いながら、某国の拉致問題には言及しない。

「 夢見る善男・善女 」を誘発する、
極端に偏った報道の嵐にも関わらず、
最近の傾向としては、
リアリストが増加傾向にあると感じる。


日曜日の朝、テレビに顔を出す俳優崩れの
反体制・反国家主義者の御用聞・・・優柔不断男
は言うでしょう・・・

( 確か・・咳口とかいう名前だったか? )

「 やるせないですね・・・・ 」

これを 「 思考停止 」 と呼ぶ。

いま、世論は、
「 御用聞・やるせないですね・・・男 」
の努力と反する
方向に向かい始めている。

愚かなマスコミと云う権力の扇動に気づき始めた、
日本人の思慮深さに拍手喝采
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