名古屋の白ウサギ・1964年生・

自称、宗教家・宗教家は、職業ではなく「生き方」です。
職業・会社員

生まれ変わり 

2013-02-19 | 宗教

死んで あの世 に還った霊魂が、
また再びこの世に何度も生まれ変わってくることを

輪廻転生 という

はたして、人間は死んだ後、魂はまた再び
別の肉体に宿るのだろうか?

私は、若い頃からずっと考え続けてきた

「 生まれ変わり 」 はほんとうなのか?

あるとき

この疑問に対する答えを出した

 永遠の謎

これが私の結論です


宇宙の果てはどうなっているのだろうか?

どんなものにもその 終わり がある
宇宙の果てまで行く事が出来たら
そこには何があるのだろうか?

壁 があるとする

ならば壁の向こうには何がある

また、宇宙があるのか?


もし、宇宙の果てに壁がなかったら

地球上を まっすぐひたすら進んで行ったら
また同じ場所に戻ってくるように
宇宙も丸い形をしていて
一周してまた地球に戻ってくるのだろうか?

ならば、その 丸い宇宙 の外には何がある?

結局、答えは出せない

これは、

永遠の謎


即ち、「 解らない 」

が答えである。

輪廻転生 も事はこれと同じであると思う。

「 解らない 」
とは、逃げ で言っている訳ではない

「 解らない 」 も れっきとした 答え であると思う。

人間の頭脳や感性で
全ての事に対して答えをす事が出来るのだろうか

「 人間は、すべての事に対して必ず答えが出せる 」

と大真面目に信ずるなら、
それは、「 争いや、競争や、対立のない社会がいつか必ずやって来る 」
と、大真面目に信じる事と同じに思える。

その 希望的な妄想 が極度に達したとき

カルト宗教 となる

若しくは、ドラックに走る

アメリカで、かつて、ヒッピー と呼ばれる
人達が発生した

ヒッピー とは
伝統・制度などの既成の価値観に縛られた人間生活を否定し
文明以前の野生生活への回帰を提唱する人々の総称。

ヒッピー と呼ばれる人達の本質は
極めて純粋な人間であったと思う 

だが、哀しい事に
ヒッピー の人達の多くは必然的に

反戦運動 ・・・・・

薬物・・・・

カルト宗教・・・・

の道を辿る事になった。

皮肉なことに、ヒッピーは
西洋思想より、
東洋思想に憧れ、歩み寄った

かつて、オーム真理教 に洗脳され
奈落の底に突き落とされた その信者達は
どこか、ヒッピー に似ているような気がする。

 
実を言うと、
私の 願望 としては
輪廻転生 が真実であって欲しい

でも、それは 希望から来る 期待 であり

期待を持って物事を考えれば
それにたいして、都合の良い事例や要因などしか
目に入ってこないだろう・・・

お釈迦様は、結局最後まで

輪廻転生 や 死後の世界 について何も語らなかった。

即ち、肯定も否定もしない という立場を貫かれたのだろうと思う。

私も、輪廻転生 を信じたい願望は心の奥底に確かにある。

でも、それは 期待と願望 の世界に留めておくべきであると思うようになった。

それは 自称・宗教家 として大事な事と思う


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ゴキブリさんは人間より立派なのか?

2013-02-17 | 思う事


♪ 馬の赤ちゃんはね

♪ 生まれたらすぐにね

♪ 自分で立ってあるくんだよ

♪ 広い広い原野では そんな風に強くなくちゃ

♪ 生きて行かれないんだ・・・・・ 

この臭い歌

私の大嫌いな 

女性シンガーソングライターが昔歌っていた。


確か、‘ クジラ‘ か ‘ アザラシ‘ とかいう変な名前の

童顔で小柄な女性シンガーソングライターだった


人間は生まれたらすぐに歩けない

ほっておいたら、すぐに死んでしまう

やがて、成長して何とか最低限、
自力で生きることが出来るようになるには、
10年以上の歳月を必要とする

それまで、常に親が1から10まで世話をしなければならない

だから・・・

馬 は偉いのか?

馬を見習うべきなのか?

ゴキブリ さんや ネズミさんは、
生まれたと同時に生きてゆくための知恵と能力を
完全に備えている

ゴキブリさん ネズミさんは 偉いのか?


生物学的に見て

高等生物 ほど 生まれてから一人前になるまでに
多くの時間を要する

逆に、下等生物ほど 一人前になるまでの時間を要しない

ゴキブリさんは 子供に何か教育したり
世話をしたりするだろうか?

何もしない、ただ 産む だけである。

産んでしまえば、子供は生まれながらにして
一人前の ゴキブリ として自力で生きて行ける
生まれながらにして 完全無欠 である

ゴキブリさんは 生物として見るなら 人間より 「 偉い  」のか?

そんな論法はオカシイ

クジラ・アザラシとか名乗る女性シンガー
の言いたいことは

「 馬さんのように強く生きなさい 」

という事だろうがあまりにも浅はかな感性としか思えない

ゴキブリさんを見習え
と言っているのとその意味は全く同じに思える

人間は、生まれながらにして 完全無欠 ではない
死ぬまで、完全無欠 にはなれない

それゆえ、

人間は、生きている限り

苦しみ、悲しみ、反省し、後悔し、

苦悩が常につきまとう

苦しみ、悲しむ が故 

「 考える 」

という習慣を身に付ける


「 考える 」 事により

「 他人の苦しみも理解出来るようになる 」


人の苦しみも理解出来るから
他人に 苦しみ を与えてはいけないと思うようになる

他人の苦しみも理解出来るから
苦しむ人がいたら
助けてあげたいと思うようになる

私が思うに

人間は生物としての本能や肉体が 不完全であるが故に

万物の霊長 となり得た

そして、

神 を感じる能力を身につけた

神 を肯定したり

神 を否定したりすることが出来る 生物 は

人間以外、気球上に存在時ない

人間が神の 肯定・否定 ができる事自体

「 神が人間を作り給うた 」

という 証拠 ではなかろうか・・・・

 
人間が生物として不完全であることは誇るべき事
ではなかろうか・・・・・
私は クジラ・アザラシさんに対抗して

曲を書いた

♪ ひとの赤ちゃんはね

♪ 生まれたらすぐにね

♪ まったく何も出来ないんだよ

♪ 広い広い宇宙のなかでは

♪ そんな風に 弱く強く なければ

♪ 神を感じる事ができないんだ・・・・
クジラ・アザラシ さん、私の作詞 どう思いますか?



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一歩前に前進してみる

2013-02-13 | 姓名判断

運がいい人 もいれば

運が悪い人 もいる

不思議なことに、それは往々にして
本人の努力とは無関係に決定付けられている

裕福な家庭に育ち
経済的に恵まれ、
何一つ不自由せず、肉体は健康そのもの、金もあり自由が効いて
やりたいことは何でも出来る
人柄も悪くはない・・・

こう言う人は

運がいい人 と言うべきであろう

その逆に

貧乏な家庭に育ち、多くの逆境を体験し苦労の連続
体はあまり丈夫ではなく
真面目に、コツコツ努力をしているが
何をしても、いまひとつ成果が出ない・・・

こういう人を

運が悪い人 と呼ぶのだろう

私が思うに

運が良い人 の背後には「 福の神 」 がいる

運が悪い人の背後には 福の神 はいない


だが、この両者には共通する点もある。

その、どちらの頭上にも

 「 全知全能の神 」

が存在している。

「 全知全能の神 」 とは

人間を支配する 根源 と言う意味です

根源 とは形がない実体であるから

それが、ある人には 神様 であったり、別の人には 仏様 であったりする。

神と言うも、仏というも意味は同じです。


運が良い ことは良いことである

でも、

私は過去に、 運が良い人が最終的には奈落の底に落ちていった事例を見た

即ち、

人間には 運命選択の自由 があると言う事だ

DB君という男がいた

彼は、典型的な運の良い人間であった

裕福な家庭に育ち、物質的に何一つ不自由なく

体格はよく強靭な肉体の持ち主だった

人柄もよく 彼の悪口を言う人は一人もいなかった

私には、かれの背後に 福の神 が見えた


でも、そんな彼がある日

突如、自らの意思で 自らを最悪の状況に追い込んでしまった

詳しくは書けないが・・・・ 最悪の事態であった

福の神 は何をしているのだ?

福の神 なら、 彼に チョット待て!!!!

と言って、後ろ髪を引っつかんで愚かな行為を制止すべきではないか

なんで、黙って見ているのだ

そう思ってしまう

彼の背後には福の神などいなかったのか?

私の目が節穴だったのか?

いや、それは違う

彼の背後には 福の神 が確実にいた

・・・・・・・・・・

これ即ち、 運命選択の自由

福の神は 

本人の意思 、本人の選択 には関与しない

これが 自然の摂理 であると思う

神は人間に 自由を与えた 

その代わり その自由意志に対して 自らに責任を持たせた

キリストさんは言われた

「 あなた自身の信仰によって あなたの信じる姿になりなさい 」と


DB君の事を
別の視点で捉えることもできる

それは、 DB君とは逆のパターンもありうると言う事だ

福の神が付いているにも関わらず

自らの意思で運命を変えてしまったDB君、

DB君と 反対の事も起きると言う事だ。

「 生涯幸運に恵まれる 」 という決定付けられたられた運命を

自らの意思で 最悪の事態に一瞬にして書き換える事が出来るなら


「 生涯不幸 」 という決定付けられた 宿命・運命 も

その人の 意思 次第で、書き換える事も可能なはずである

それを見守るのが、 「 全知全能の神 」 である。

福の神 はその補佐役でしかない


私は、人の姓名を見ると

その人の性質がわかる

悪い事が分かる事もある

良い事が分かる事もある


姓名を見ただけで、 「 このひと最悪 」 と感じる事もある

宿命とは絶対に変える事の出来ない決定付けられたモノであるが

それ以前の、もっと 本質的な部分 には「 運命選択の自由 」がある

「 自分の信念によって、自分の信じるが如くなれ 」 である


もし、運命が絶対に変えることできないものであるなら私は何もしない

でも、本人の意識さえあれば 自分でコントロール出来ると思う

わたしは、静岡の(TFさん)と手を組んで新しい試みをはじめることになった

向こう傷を恐れず 

今まで私の技を一度も営利目的に使ったことはないが、

これからはそれなりのお金を頂戴することになる

このことに大きな抵抗があることも確かだが、

現実問題として、お金を頂かなければかえって弊害がある。

勇気を振り絞って 一歩前に前進してみる
 

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馬鹿げた挑戦

2013-02-12 | 出来事
あれは、私が中学3年の出来事だった・・・

当時、た〇出版とかいう出版社の本とか
今は、消えてしまった霞ヶ関書報 とかいう出版社の本をよく読んでいた。
( 現在は た〇出版の本は一切読まない )

そんなとき、霞ヶ関書報が出版する 「 ヒマラヤ聖者の生活探求 」
という本に出会う。
この本は、確か全10巻くらいの大作であった

この本の著者は、元 鉱山技師で
鉱山を探す目的でヒマラヤの奥地を探索していたところ
偶然 仙人 のような人間と遭遇する

著者はその、仙人に興味をもち仙人を長期間にわたって追い続け
その生活や生態を記録した

仙人は宙に浮いたり、長期間食事をしなかったり
テレパシーがあったり・・・

SF映画顔負けの 超人 であったようだ
こういったお話は、今は信じていない
100%否定している訳ではないが首を突っ込むと危険 と認識している
当時、中学3年の私はこの本を読んで好奇心と夢が膨らんできた
そしてインドのヨガ に興味を持ち始めた
ヨガ に興味を持ち図書館に出かけては ヨガ に関する経典を読みふけった
ある日、ヨガ に関する本を読んいて興味深い記述を見つけた

「 後ろ向きに歩く練習を繰り返すと 超能力や 直感力 が開発される 」

単純な私は、それを読んですぐさま行動に出た。

 よし!! 試してみるか !!

毎日少しずつやろうと思ったら きっと長続きしないだろう・・・

まとめて一気にやってしまえ!!!

私は計画を立てた
自宅から20キロ離れた場所に目標地点を設定し自宅からその地点を目指してひたすら
 「 後ろ向き 」 に歩く・・・・

極めてバカバカしいお話だ
でも、当時の私は 真剣だった

ある、日曜日の朝ついに決行の時がやってきた

朝、7時頃、自宅の前を出発地点に東の方角に向かって 
「 後ろ向き 」
に歩き始めた・・・

日が暮れるまでに20キロ先の目標地点に到達
するのが 今回の 修行 のノルマとした

大通りの歩道をひたすら 後ろ向き に歩き続けた

1キロ 位歩た頃感じた

「 これは、思ったより簡単な事だ・・ ゴール到達も夢ではない・・ 」

2キロ 位のところで感じた

「 なんだか 頭が冴えてきたぞ・・・・俺も、超人になれるかも・・・・ 」

2.5キロ 位の地点に達すると

少し気分がわるくなってきた

平衡感覚が徐々になくなって来るのを感じた

3キロ 位で完全に 目が回り始めた

平衡感覚がなくなり、まっすぐ歩く事が出来ない

2~3分進むたびに、立ち止まり休憩しなければ
進むことが出来ない

それでも、根性で前進した (後進か?)
5キロ 位の地点に達した、
とうとう 吐き気 を催した

ちょうど、その地点は名古屋の中心部の人通りが激しい
繁華街だった

これはヤバイ・・・・

こんなところでゲロを履く訳にはゆかない・・・・

止むを得ず ひと目のつかない場所で座り込んでで休憩した

30分程 休憩したあと決死の思いで立ち上がり
さらに前進 ( 後進 )

そこから約1キロ歩いたところで
ついに倒れてしまった

これが限界だ・・・・・・

わたしの馬鹿な挑戦は 6キロの地点でモロクも崩れ去った
今思うと、
あの馬鹿げた挑戦が、私の原点だったかも知れない

ちなみに この修行の成果は全く無かった

 (´;ω;`) 
 


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空中に浮き上がる

2013-02-11 | 思う事

空中に浮き上がる夢をよく見る

一度や二度ではない、

今まで 数え切れない程

空中に浮いている夢を見た・・・・


自分の意思で体が浮き上がり

自分の好きな方向に立ったまま移動したり、
上昇したりする

夢の中ではあるが、浮き上がる時の感触は
目が覚めたあとも
ハッキリ覚えている

その感触というのは
言葉にして表現するのは難しいが

自分の体がリアルに記憶している

それは、ハッキリとした、
体に染み付いた
現実的な感触である

自分は遠い過去に
実際に空中に浮き上った経験があるのではないだろうか

そんな気分になってくる

ひょっとすると、目が覚めているとき、
実際に浮き上がる事が出来るかもしれない

そんな感じすらする。

でも、実際に浮き上がったことは一度もない

( 当たり前か・・・・・・)


空中に浮いている時の感覚は

「 無重力 」 と言う感じではない。

明らかに 重力 というものを感じて浮いている


「 水中 」 という感触でもない。

「 空気抵抗を利用している 」 といった感触でもない


もし、空中に浮いている時に

「 浮いている 」 という意識を取り払ってしまったら

地面に叩きつけられるような脅迫感がある

でも、「 浮いている 」 という状態での

自分の心境は

まさしく快感である


空中に浮いた状態 を保つことは 

無気力状態ではなく、

願望 と 本能 と 脅迫観念 

が後押ししているといった感じである。


生きる 

とはひょとすると

これと同じ事のように思えてくる

生きてやる! 

という意識がないと

すぐに地面に叩きつけられてしまうかもしれない


生きてやる!!!!!

 

 
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T,F さんとの出逢い

2013-02-06 | 姓名判断




このブログが縁となり
静岡のある女性実業家と知り合いになった

私のブログを読んで私に興味を持ってくださって
メールを送って頂いたのが彼女との出会いだった

彼女からの、メールを受け取った瞬間
この人は なかなかのやり手で
信用が置ける人間であると感じた

すぐに、質問内容に対する回答を返信した
彼女とは 何かの 縁 があるのだろう

神様はインターネットの力をも利用して 縁 を取り持つようだ

今日、彼女はわざわざ、静岡から名古屋まで私に会いに来てくれた

名古屋のあるホテルのラウンジで5時間以上話をした



彼女はニューヨーク・香港 などの都市に長く在住していた
経験があるお方で
世界を舞台に活躍しておみえになる凄い人であった

T、F さんは
静岡でアロマと雑貨のショツプを経営しておみえになるお方で
それと並行してスピリュチャルな事業をしておみえになる

世界中から特殊な能力をもった人間を探し出し
日本に招致してイベントを開催ておみえになるとのこと

わたしは 彼女と手を組むことにした

記念に チョコレートパフェ を食べた
チョコレートパフェを食べるのは何十年ぶりかのことである



彼女の主催で多くの人を集め
私の 奇怪な能力を使ってみる事にする

今まで私は自分の技を営利目的に使ったことは一度もない
縁がある人に対してのみ無償でやってきた

無償 といえば聞こえが良いが、それに伴う弊害があることも確かである
それは、 依存心 のみを植え付けてしまうという危険性

これからは方針を変えることにしました

これからはT・F さんの店で
お客様からお金を頂いたうえで、私の技を使うことにする

どうなるかは 神様にお任せします



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大名古屋ビルヂング

2013-02-03 | 思う事


大名古屋ビルヂング

私はこのビルの名前が好きである

いかにも名古屋らしい

‘名古屋‘ の前に  大 を付けるところが
閉鎖的で保守的なな名古屋人気質を象徴しているようで
笑えてしまう



私は先祖代々この地に土着する
コテコテの名古屋人

良くも、悪くも 名古屋の地に愛着を持っている


 ‘ ビルヂング ‘

これまた強烈

名古屋の古い世代の人間は
‘スパゲティ‘ のことを ‘スパゲッチン‘ と呼ぶ人が多い

もっとも、最近はこの言葉はほとんど耳にしない

頭の古い私は、家では未だ 
‘スパゲティ‘ の事を‘スパゲッチン‘
と呼んでいる

家以外ではこの言葉を使わないが
ときどきついウッカリ  ‘スパゲッチン‘
と言う言葉を発してしまう

ビルの看板に ビルヂング と書いてしまうのは
たぶん名古屋人の
‘スパゲッチン‘ 的な 言語基盤 が影響しているのではなかろうか
 

名古屋駅の東側 真正面に鎮座するこのビルは
15年位まえまでは
名古屋ではひときわ目立つ立派なビルとして
一目置かれていたビルである

東京、大阪などはかなり前から高層ビルが存在していたが

15年位前から
名古屋にもやっと高層ビルが建ち始めた

残念ながら・・時代の急速な変化のなかでは
もうこのビルの栄光も過去のものとなってしまった

近いうちにこのビルも取り壊しになる・・・

取り壊して新しい高層ビルを建てる計画らしい
このビルは 三菱グループが所有するビルである
新しいビルはさぞかし立派なものになるだろう

三菱さんにお願いしたい

ビルが新しくなっても

大名古屋ビルヂング

という名称だけは絶対に廃止しないで欲しい

もし、この名称をもし廃止して

ハイカラな名前に改名したなら

名古屋の経済発展は勢いを失うだろう


保守的、名古屋土着民 からの切なるお願いです


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マンマ・ミーア

2013-02-02 | 出来事
マンマ・ミーア

1年前、柄にもなく、劇団四季のミュージカル を見るため
京都まで出かけた


どうしても マンマ・ミーア を見たい、
ある理由があった
マンマ・ミーア の内容が好きな訳ではない

準主役を演じた 谷口あかり 様 
をどうしても見たかったからである



劇団四季京都劇場 へ50歳近くのオヤジが一人でミュージカルを見に行くのも
なんだか滑稽である

家内を誘ったが 「 メンドクサイからイヤ 」の一言

美人の中島紀香さんを誘ってみたが
紀香さんも忙しくてそれどころではなさそう

止むを得ず、意を決して 一人で京都に向かった

劇場に着いてビックリ

マンマ・ミーア を見に来ている観客は
9割がた女性

たまに男もいるが、夫婦連れか、親子連れ
で来ているといった感じ 

ふだん人目など気にしない私も
なんだか場違いの所に来てしまったような気分になってきた

帽子をかぶり、うつむき加減に入口に向った

入口ゲートでチケットを渡し

足早に座席に向かう

なんだかミジメな思いになってきた・・・

座席に着いた・・・

開演まであと、20分位時間がある

トイレに行きたくなってき・・・

座席を離れ、劇場内通路に戻った

通路の突き当たりにトイレが見えた・・

トイレの前の通路には20人位の列が出来ていた・・・

その行列は全員、女性だった・・

「 女性トイレは満員なのか・・・ 」

と思い、 一列に並ぶ女性の列の横を突き当りに向かって
足早に前に進んだ・・・・・・

何か変な殺気を感じた・・・

列を作って並んでいる女性の一人が
私に何かの 「 念 」

を送っているような気配を感じた・・・

気のせいか?

すると、後ろから誰かが足早に私を追っかけて来る気配を感じた・・

振り向くと 劇場の女性係員 だった・・・

「 お客様・・・・ この突き当たりは女性トイレでございます
男性トイレは1階にしかございません、恐れ入りますが1階をご利用ぐださい 」

列を作って並んでいる20人以上の女性が一斉に顔を上げ 私を見た

注目の的 である

「 尻から火が出る 」 とはこの事だ

どうやら劇団四季 の劇場は女性用トイレは各階にあるが
男性用のトイレは1階だけにしか無いようだ・・・



血相を変えて 荒だしい音をたて、

走って私を追っかけて来る必要があるのか?

まるで、私が変質者のように思われてしまうではないか

そのおかげで、大勢の女性から冷たい視線を浴びてしまった・・・

私が、突き当たりまで行けば、

「 あっ、そうか、ここには男用トイレはないんだ・・・・ 」

と思って、引き返すだけのことである

私は、腹が立ってきた・・・

「 あんた! 接客のプロだろ! 状況を見ろ!

 露骨でないタシナミを持ちなさい! 」

と言ってやりたかった

口まで出かかったが やめた・・・・・・

こういう時 私は 天才バカボンの「 バカボンのパパ 」 

のセリフを思い浮かべる

「 これでイイのだ・・・・」

そのあと念願の 谷口あかり 様を初めて、
目の当たり見ることができた
久々の 感激だった

「 これでイイのだ・・・・・ 」


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