名古屋の白ウサギ・1964年生・

自称、宗教家・宗教家は、職業ではなく「生き方」です。
職業・会社員

人事を尽くしてから、天命に任せる・・・

2020-06-28 | 思う事


水と食料、最低1ヶ月分は備蓄。

   大災害  

   事変  

起こるかも知れない・・・・

起きないかも知れない・・・・

されど・・・・



出来る範囲内での最低限の危機管理をすべきと思っています。

何でもお上の責任にするのは見苦しい。。

 弱者救済 ・・・
これ人間界の原則。

 自分の身は自分で守る ・・・
これ、自然界の原則。



「心配すると・・・その心がマイナスエネルギーを蓄積して、
悪しき状態を引き寄せる・・」



悟ったような口ぶりで・・・
得意満面になって・・

こんなふざけた事を抜かす輩もいる・・・

「取り越し苦労」と「危機管理」は別物です。


耳障りの良い言葉でその場を誤魔化す人の言う
事を真に受けてはいけない。



こういう考え方の人間の本性は・・

 イザというときは何となるさ・・ 

これ即ち・・・
誰かが助けてくれるのを宛てにしてしていると云う事。

結果として・・人に迷惑をかける・・・

 経営とは危機管理 

 繁栄、とは、危機管理 

 安泰とは危機管理 

 誠意とは、危機管理  



 人事を尽くしてから、天命に任せる 

これこそが   誠意 ・・ 誠実  
と思います。





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原因の原因・・善人の落とし穴。

2020-06-08 | 宗教


「 原因の、原因 」

「 フト思いつく、ふと感じる 」これが 
「 原因の原因 」なのです。

これ即ち、「 霊的因果 」である。

ただ・・・この要素は、仏教で説かれている、
「 因果報応 」とは、別物であり、
その辺をハッきり区別しないと、
落とし穴にはまる。

この落とし穴に落ちた人を
多く見てきました。

この落とし穴にはまる人には、共通することがあります。

1・・真面目。
2・・正義感が強い。
3・・責任感が強い。
4・・親切心が強い。
5・・弱者に対して優しい。
6・・老人を労わる。
7・・愛情深く人情もろい。

8・・自動車事故をよく起こす。
9・・腰が弱い。(腰痛)
10・・食べ物に好き嫌いが多い。
11・・マルチ商法に狙われやすい。
(綺麗事を並べ、顧客の連鎖的な拡大を図る商売)
12・・騙されることが多い。

この12項目のうち、当てはまる項目が多い人ほど、
「 落とし穴」に嵌り易い。

この12項目のなかで、
8~12は別として、

1~7 の項目を満たす者は、
一般論で言う、 「 善人 」であるといえる。

にも関わらず、必ずしも幸運とはいえない。
このような人でも生涯、不運の連続という事もよくある。

このような人間は、 善行を積む、「 善人 」であるはずです。

どうして
落とし穴意に嵌ったり、不運に襲われ易いのか?

   

ここで、再び親鸞様のお言葉・・・

 善人なほもて往生をとぐ、
いはんや悪人をや。

しかるを世の人つねにいはく、
「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。

この条、一旦そのいわれあるに似たれども、
本願他力の意趣に背けり。

・・・・・・・・・・・・・・

親鸞がいう、 善人・悪人 の定義
をハッきりさせておかねばなりません。

親鸞のいう、「 善人 」とは?

「 善行を重ねると、往生すると信じているひと 」
( 往生=死後安楽な清浄真実の 世界に生れること )

「 善行を重ねると仏に近づくことが出来ると信じているひと」



親鸞のいう「 悪人 」とは?
自分の善行に溺れていないひと。
自分の行った、一つ一つの善行に捉われていないひと。



ここで、親鸞の言いたかったことは、

「 善人より、悪人のほうが救われる。
悪人だから救われるのではなく、
悪人のほうが救われるにふさわしい
心の状態になりやすい 」

という事なのです。

そういう意味で「良い人」の不幸は、
深い根があるのです。

即ち、善人であるが故に、
素直な心境になる事が出来ない。

自称・善人の意識のなかには、
強い信念が刻み込まれている。

「自分は善い行いを積み重ねているから、
それは必ず自分に戻ってくる・・」



これは、決して間違った信念ではありません。

これこそ、仏教の「 因果報応 」なのです。

この自覚は、人類レベルでは大きな意義のある真理です。
全ての人間がこのことを意識して行動するなら、
争いも、略奪も、暴力も根絶することが可能となるでしょう・・・

しかしながら、個人の運命を、これのみで説明する
事には無理があるのです。

皮肉な事に・・・
その信念の裏側には、「 傲慢 」という二文字が隠れている。

自分が善人であるという自覚は、言葉を変えれば、
「 自力の善に誇りを持っている 」という事。

これだけ善行を成したのだから、自分は救われる資格があるとか、
良い事が帰って来て当然であるという考えに偏り、
自分が成した、一善、一善を心のなかで、誇るようになる。

その、「 自信 」とは、
「 素直で、謙虚な心の姿勢 」と相反する性質をもつ。

善人の持つ特有の「 誇り 」と「 自信 」が、
謙虚さを失ってしまう大きな要因となってしまうのです。

彼の内面にある、「 善人の誇り 」が、
「 因果報応 」の絶対原則にフタをしている。

その結果、霊的因果に飲み込まれ、振り回され、
悪い連鎖を助長している。

形の上での‘ 善 ‘に捉われているうちは、
 本質を見ることはできない。

本質とは、人間のホントウの姿。
生命のホントウの姿。

全ての人間のは、神の分霊、仏の分身
人間は、神によって生かされている・・・
全ての人間の内に神・仏は存在する。

これこそが、「 ホントウの姿 」なのです。



この心境を音にしたのが、

南無阿弥陀仏
「 わたくしは(はかり しれない光明、はかりしれない寿命の)
阿弥陀仏に帰依いたします 」
( 帰依・キエ= 身をゆだねる )

キリスト教では、
アーメン
( ヘブライ語で 「 まことに、ほんとうに 」
という意味。)




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人は何の為に生きている??

2020-06-01 | 宗教


 人は何の為に生きているの?

 死ぬために生きてるいる。 

 ならば死とは何?

 卒業であると同時に、新たなる出発 

 卒業の条件は?

 報恩感謝 

 それ・・どういう意味?

 自分の生命を支えてくれた先祖・親・血縁者・隣人・・
に感謝してその恩に報いる 

 報いるとは?

  自分を大切にして、限りなく前に進む 



 前に進むにはどうすれば良いの?

 今ここ天国、極楽浄土。を悟ること 

 ここ掘れワンワン!!生きてるだけで丸儲け。。。



 ワンワン
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