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世の中には、
星の数ほど多くの思想や、
宗教が存在しています。
ななには、荒唐無稽なことを言っている
狂気のような集団や、思想もありますが、
立派なことを言っている団体や、思想家も
多く存在します。
しかしながら・・・
理論的で、立派なことを述べているからといって、
必ずしも、
それを言っている人が立派な人である訳ではありません。
私の眼から見て、どんな宗教団体でも、思想団体でも、
一般信者ほど、純粋で謙虚で、裏表がなく尊敬できる人が多い。
しかし、残念ながら、その中にはオカシくなってしまうひとも
存在する。
私の言う、「オカシイひと」とは、
傲慢・・
独りよがり・・・
うぬぼれ・・・
純粋で清廉潔白だが、
資本主義経済の枠組みのなかで
金銭感覚が幼稚でモラルに欠ける・・
(右脳崇拝人間に多いような気がします)
それゆえ、無意識のうちに人を見下したような考え方をする。
そういう人に共通することは、
「 人の話を聞かない 」
霊感があって、聞かずとも事の本質を
直感することが出来るのならば良いのですが、
こういう人に限って、
霊感力 ・ 直感力 ・ 洞察力・などというものは、
ひとカケラもない・・・
にも関わらず、自分は、霊的次元で
高いところにいると思い込んでいる。
若い頃、
何人かの「偉い先生」とやらと会話したことがありますが、
自称・偉い先生は、ひとの話を聞かない人が多い。
何か疑問を投げかけると、
最後まで話を聞かず、
こちらの言葉の頭の部分だけを掴んで、
自分の教義や、思想の演説を始める。
「 言葉尻を取る 」という言葉がありますが・・・
この場合、
「 言葉の頭を取る 」という、
実に幼稚な性癖と思えます。
恐い業界の人は
「 言葉尻を取る 」のが仕事ですが、
ある意味、 特殊業界人のほうが、
最後まで人の話を聞くだけ知的な意味では
高等に思えます。
要は、
「 あんたの細かな疑問や、話など聞いている暇は無い、
オレの絶対的真理を黙って聞けばそれでよい 」
と心の奥底 (無意識の領域) で思っているのでしょう。
こういう輩は、こちらが何かを述べようとすと、
時間にして、わずか10秒の話も、
最後まで聞くことができません。
最初の1~3秒で、遮ってしまいます。
若しくは・・・
黙って聞いているフリはしますが、
人の話を聴いていません。
こういう低俗なお方に対しては、
英語の文法で日本語を喋らなければ
会話が成立しないと思える程の事もありました。
その状況にもよりますが、一貫して
このような態度をする人間には、
近づかないことが一番です。
特に、組織宗教 や、組織的な思想集団 の
「 中途半端な先生 」「 中堅活動家 」に、
こういうタイプの人が
異常に多いような気がします。
( もちろん、ホントウに立派な頭の下がる
宗教家・指導者・信仰者もおたくさんいますが。)
‘ 自称・偉いひと‘ 達は、
「 自分は神から選ばれたる人間である 」
と思っておみえのような気がします。
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ふざけるな!!!
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といいたいです。
すべての人間が「 選ばれたる人 」であり、
立派な理屈を言う人のみが「選ばれたる人」
であるはずがありません。
こういう感覚はヘタをすると非常に危険な
落とし穴に落ちてしまうような気がします。
こう云う「選民意識」が結果的に戦争、侵略、略奪を誘発する。
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即ち・・・500年間に渡り有色人種を劣性と見下し、
奴隷にして来た人種と
同列と云う事です。
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深い意味で
「選ばれたる人間」であることを
自覚しているひとは、外見的にも、内面的にも、
おのずと、謙虚で、低姿勢です。
深い意味で「 選ばれたる人間 」は、
常に謙虚で、慎ましい。
自分に厳しく、人に対しては
決して傲慢な態度はしない。
そう云うお方も、多く存在していますが、
あまり目立ちません。
思いあがった傲慢なひとたちより、
教義やな理論などとは無縁である、
ごく普通のオヤジ
ごく普通の主婦
ごく普通の労働者
こういった人のなかにこそ、
私の眼から見て、立派で偉大な人は多く
存在しているような気がします。
狂ってしまっている‘ 自称・偉いひと‘ も、
偉くなる前は、「 平凡なる偉大者 」
であったかもしれません。
批判は誰にでもできる、
それ故、私は立派な人間ではありません。
最低の人間です・・最低の人間であるが故に出来る事も多い。
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これは「すべての人間は神の分霊」という真実の裏側です
「 お偉い先生 」にならない様に努力しています。