今から約140年前にダーウィンさんが説いた、
進化論によると、
「全ての生物は自然淘汰により進化を遂げた」
とのこと。
自然淘汰(しぜんとうた)とは大まかに解釈すると、
「 生物は、同じ種に属していても
時間の経過のなかで多くの異変が起き、
その異変の一部は子供に遺伝する。
その課程のなかで、滅びてゆく生物も存在する。」
というような意味です。
しかしながら・・・
ダーウィンさんは、自らが主張した自然淘汰説を、
自らが否定するような発言もしておみえになります。
ダーウィンさん曰く・・・
「あらゆる生物の中で、進化論に一番あてはまらないのは人間だ」
人間は猿が進化した生物である
という迷信が、進化論のイメージとして定着しているのですが、
(厳密にいえば、猿とヒトは、同じ祖先)
ダーウィンさんの本を読んでみると解かることですが、
じつは、ダーウィンさん、地球上の生物のなかで、
「 人間 」に対してのみ
クチを濁しておみえになるのです。
ダーウィンさんの共同研究者も
「人間に対してのみ自然淘汰の原理をあてはめる事ができない」
と述べています。
進化論の基本的な考え方は、
「 進化するには時間がかかる 」
ということです。
進化の速度の単位は、
「 数千万年 」なのです。
生物学者のトーマスハクスリーは
種における大突然変は、一億年位の時間を要する
と述べています。
68~78万年前、
ホモ・エレクトス・ペキネンシス(北京原人)
が存在していたようですが、近年の研究で、
この「原人」は、何らかの理由で絶滅した
「 種 」であり、
現生人類の祖先ではないことが判明しています。
20万年前、
人類の祖先(ホモサピエンス)が突如出現。
ホモサピエンスの脳の容積は、北京原人と比較すると
50パーセント増量。
もし仮に、北京原人もしくは、
同時期のそれに類する原人が進化して
ホモサピエンスが誕生したとするなら、
わずか50万年位で
脳の容量が2倍の進化を遂げたことになります。
あくまでも、ダーウィンの進化論の前提は
自然淘汰説であり、自然淘汰説の基本は
「 一億年単位の、長い時間を要する 」
なのです。
どうして、人間だけが例外なのでしょうか?
20万年前、ホモサピエンス(人類の祖先)が突然現わ、
そのあと、現代に至るまでの短い時間のなかで、
なぜ驚異的な速度で進化を遂げたのでしょうか?
ここからの説明は、残念ながら科学の領域ではないのです。
ここからが宗教の領域なのです。
(ここで、「宇宙から渡来した」と云うような
説を唱えるお方もおみえですが・・・・
これは、ある意味「思考停止」のように感じます。)
人間の尻の上に、尾骨と呼ばれる骨があります。
これは、「尻尾」が退化した痕跡であるといわれています。
これを見れば、
「やはり人間は太古の昔、四足歩行する動物で、
尻尾もあったのだな・・・」
と思えてしまいます。
そうです、これは確かにシッポの跡です。
おい!!白ウサギ!!
あんた、前回、人間は猿が進化したのではなく、
神の分身として
突如現われたと言ったじゃないか!!!
と言われてしまうかもしれませんが・・・
ここで、私が申し上げたい事は、
人間の本質は、
肉体ではなく、そこに宿る「 霊 」なのです。
人間の本質は「 霊 」なのです。
「 肉体 」という乗り物に、
「霊」が乗っているだけなのです。
「乗り物」(肉体)に対しては、
ダーウィンの進化論は適切な理論であり、
間違った事はいっていない。
約20万年前、
「 生物として存在していた個(種)としての生物 」に
人間という「 霊 」が突然天下った。
これこそが、
神の創り給もうた万物の霊長・・人間・・・
人間は「神の自己実現」なのです。
目に見える人間(肉体)が実在ではありません。
これは仮相(仮の姿)です。
仮相とは、「 現象 」と同義。
現象として展開する、人間の醜さ、愚かさ、
をもって「人間の本質」を掴むことはできない。
人間の本当の姿(真に実在するもの)とは、
は「 霊 」であり、
四苦八苦を超越する道は、唯一つ・・・
霊である人間を観る (実感する)以外の道はない。
四苦八苦の奥に、神の分霊・仏の分身たる、
「 真実の自分 」「 真実の人間 」が存在する。