名古屋の白ウサギ・1964年生・

自称、宗教家・宗教家は、職業ではなく「生き方」です。
職業・会社員

生き残る為には・・

2017-01-31 | 時事


ビートたけしが分析「SMAPでこれから誰が生き残るのか」


以下・・Iivedoor‘NEWS・・より転記

漫才ブームでいろんな芸人が世に出て、
人気絶頂になって、そして数年でいなくなった。

芸能界から消えたヤツラってのはみんな
「ブームが永遠に続く」
と勘違いしていたヤツラなんだよな。

オイラは、漫才ブームの絶頂の時、
パーッとカネを遣ってドンチャン騒ぎしたり、
車やら高い買い物をしたこともあるけど、基本的には冷めていた。

「こんなことは長くは続かない」と思ってたんだよ。
だから飲んだり、みんなとバカやったりしていても
「このままじゃヤバイ」「どうにかしなきゃいけない」と、
頭のどこかでスーッと冷たく考えているところがあったんだ。

 それは、たぶん母ちゃんの教育というか、
影響が大きいんだと思う。ガキの頃から、
オイラに調子のいいことが続いていると、
母ちゃんはいつも
「浮かれちゃダメだ」
「いいことは長くは続かない」
「いいときこそ反省しろ」
みたいなことをいうんだよな。

・・以上・・・Iivedoor‘NEWS・・
より転記※週刊ポスト2017年2月3日号
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許されているのは自分です。

2017-01-13 | 宗教

宗教関係の本を読んでいると
「 人を裁いてはいけません。‘ 許しの心 ‘ を持ちなさい 」
と言うようなお話がでてきます。

こういう教えは確かに尊い教えであると思います。

しかしながら・・・生半可に宗教をかじって、
「 自分は偉い人間だ 」
「 自分は徳を積んでいる 」
などと思っている人が、
この言葉を浅はかな捉え方で吸収し
「 悟った 」などと勘違いすると、

大きな落とし穴にはまるような気がします

私は20代の頃  本業とは別に、小遣い稼ぎの為に、
レストランで深夜アルバイトをしていた時期がありました。

そのレストランに、
Tさんという50代の男性がいました。

Tさん本職は 洋服の仕立て職人。 

近年、洋服をオーダーメイドする人が激減して、
本業だけでは生活できる収入を確保できない。

やむを得ず、週3~4回、8時間、パート社員として、
このレストランで働いていました。

Tさんの仕事は主に 仕込み でした。

店に出たり、厨房で料理を作ったり といったことは
一切できません。

野菜を切ったり、米を研いだり、皿を洗ったり・・・
裏方の仕事のみを毎日黙々とこなしてゆく、
そういった仕事を任されていました。

このTさん、真面目で大人しく、
気が優しく、真面目で、温厚な人柄。

悪い人ではないけれど、周りの評判は物凄く悪い。

何故かというと、 

Tさん 常に マイペース。

ピークの時間 他の人達は必死になって走り回っているときも
自分だけは常に涼しい顔をしている。

人手が足りないとき、他の人達は、自分の担当以外
の仕事でも無理をしてでも助け合う。

もちろん、Tさんの仕事が回らない時は、
誰かが助けに入るのだが、

Tさんは、どんな状況であろうとも、自分の仕事さえ切りがつけば、
あとは、さも仕事をしているようなフリをして時間を潰す。

他の従業員はこういうTさんの態度に相当イラついている。

しかしながら、

従業員のなかで、
Tさんが最年長であったこともあり、

Tさんをバカにしたり、
感情的に苦情を言ったりと云うような、
態度をする者は、誰もいませんでした。

そういった意味でこのレストランの従業員はみな紳士的な
人ばかりでした。

「 あれでも、Tさんは Tさんなりに精一杯やっているのだろう 」

そう言って、Tさんの態度をかなりの部分で黙認していました。

それでも、ごくごく稀な事ではありますが、
忙しいとき 誰かが Tさんの態度に腹を据えかねて

強い口調で 

「 Tさん! 少しは周りの状況を考えてください!!!! 」

「 Tさん、早くやってください!!! 」

などと言ったりすることがありました。

こういうとき私は Tさんをフォローしようと思い
Tさんのそばにそっと近づくと、

Tさんが必ず言う言葉

「 ああいう人はどこにでもいるけど、
私は憎んだり怨んだりしませんよ
‘ 許す ‘ という気持ちが大切だからねー 」

  許す??????? 

この言葉、あなたが使うべき言葉なの?

口まで出掛かるけどいつも我慢しました。

いつも許されているのはTさんであって、
他の従業員ではありません。

要するに、Tさん 自分の立場 自分の状況 自分の能力  
がまるで分かっていない。

Tさんの「 許す 」 という言葉の裏には

傲慢さがあるのではないでしょうか・・・

じつは許されているのは Tさん であり
許されている Tさんが人を 「 許してやる 」
 などと思うのは全くオカシナ話であると思います。


Tさんは極端な例ですが・・・

Tさんと同じカラクリで、
 
何の恥じらいも無く、優越感に浸り、得意満面になって、
‘ 許す という傲慢 ‘ を
犯している人を時々見かけます。

こういう人は 、何らかの宗教を信じていることが多いと感じます。
これが 「 宗教の落とし穴 」であるといつも感じます。

わたしは常々 ‘ 人を許す ‘ と言う言葉に対して

大きな警戒感を抱いています。

この言葉を軽々しく発する人を見ると何かの違和感を感じます。

特に、宗教病に感染した、
「自称・徳を積むひと 」は危なっかしく感じます。

そういう、自分も知らず知らずのうちに、
この落とし穴に足を突っ込んでいるかもしれません。

誰かに対して腹が立った瞬間、
許してあげよう と思った瞬間、

「 許されているのは、実は自分ではないだろうか? 」
「 傲慢になって、謙虚さを忘れていないだろうか? 」
「 許すという言葉を使える程、自分は立派な人間なんだろうか? 」

常に こう自問自答する必要があると思っています。

突き詰めて考えれば、
自分こそが多くの人から許されて生きている。

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単なる偶然ですが、

2017-01-10 | 自己紹介


最近、「 しろうさぎ 」と名乗る人物が、
ネット上の、ある掲示板にて、
言論しているようですが、

「 しろうさぎ 」と 「 名古屋の白ウサギ 」は
別人です。

・・・・わたくし「白ウサギ」は・・・・
「しろうさぎ」様とは全く関係ございません。

この類似は、単なる偶然です。
・・・わたくし「白ウサギ」は・・・
マネされるほど有名ではありません。

『しろうさぎ』様と・・わたくし『白ウサギ』は・・
「 」 (カッコ)の使い方がよく似ています。
これも単なる偶然ですが・・・
何かの因縁かもしれません。

因みに・・・
私は、「しろうさぎ」と平仮名表記はしません。

字が下手な私は、平仮名で
「 しろうさぎ 」
と書くと上手く書くことが出来ないからです。

「 白兎 」と云う字も使いません。

この字も、書いてみるとバランスが取りにくく
非常に書き辛い字で、
下手糞丸出しになるからです。

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ウソでもない、真実でもない。

2017-01-09 | 宗教


人間の運命を決定する要因は複雑怪奇であり、
ひとつの要素をもって断定することは不可能です。

それ故、占い師の言う事や、特殊能力者の予見は外れる事が多い。

ならば・・・人間の運命を支配する最大の要素はなにか?

1・・・家系に於ける、先祖からの遺伝的連鎖。

2・・・先祖からの霊的な影響。


これこそが運命や、その人の人格を決定つける最大の要素です。

この影響は、大まかに言って、2つに分類できます。

1・・・知能、才能、身体的特性、性格、などの、
遺伝子による、肉体的な遺伝、( 脳内情報も含む )

これは、科学的な説明のできる領域です。

2・・・  肉体的要素(遺伝)では説明の出来ない特性。

ある人が火災で焼死したとすします。
不思議な事に、その人の親も、その親も、更に、その先祖も、焼死していた・・・

こんな話はざらにあります。
これは、肉体的遺伝では説明出来ない事です。

本人の努力や考え方とは、まったく無関係に、不可抗力で起きる事象、
無意識のうちに決定してしまう、自分の方向性。

これは、良い事も、悪い事も含めて、その人の人格や、行動、運命を
大きく支配しています。

この部分が、「 魂レベル 」 「 霊的連鎖 」連鎖。


輪廻転生・・・前世云々・・・

という考え方もあります。
輪廻転生は、仏教の考え方であり、
突き詰めれば奥深い意味があります。

しかしながら、巷に云う、「 生まれかわり云々 」
は、方便( 例え話 )の世界のお話しとして、
軽やかに受け止めるべきである思う。

すべての人間は、人間である以上、納得のゆかないことに答えを求める。
人間の脳は、全ての事柄に説明を求めて来る。

脳は、納得出来ない事に対して、否定的になる。
それ故、全ての事柄に、説明を求める。

残念ながら・・

説明を求めれば求めるほど、空しい世界に引きずり込まれる。

その、最たるものが、「 生まれかわり 」
この概念を持ってくれば、
この世に起きる個人レベルでの「 不公平 」
を納得させる事ができる。

私は、決して、「 生まれかわり 」を否定している訳ではありません。

たぶん、それらしきことはあるような気がします、

「 あるかも知れない、ないかも知れない 」

これが私の輪廻転生に対する認識です。

以前、浄土真宗の偉い坊さんに尋ねたことがあります。

「 輪廻転生・生まれ変わり・・はありますか? 」

高僧は自信ありげに答えました、
 
 「 あるかも知れない、無いかも知れない 」

功徳(善行)を積んで前世の悪業を相殺する・・・

功徳を積んで、悪業を相殺する・・・

功徳を積んで、来世は良い人生を歩む・・・・

立派な考え方であるとは思いますが、
この考え方こそがが「 終着点・頂点 」信じるていると、
いつか行き詰まる。

これは「 入口 」であり、 「 頂点 」とは思えない。

この考え方が究極の真理  なら、今生は、「 天国への待合室 」
「 死の準備 」 「 過去の清算所 」 となってしまう。

そういう私も、若い頃の私は、功徳を積もうといつも考えて行動していました。

でも、今は、「 功徳を積もう 」 などと一切考えておりません。
「 天に宝を蓄えよう 」などとも思いません。

この思いがもし、間違いなら、
地獄に落ちても異論はありません。

閻魔様に 「 お会いできて光栄です 」と申し上げようと思っている。

だだ、人のお役に立てれば ウレシイ
人を幸福に出来たら ウレシイ

人に幸福を与えるとは 単なる 「 行為 」 てあって、
それに理屈を付け始めた瞬間、「 傲慢 」という烙印が押される。

「 生きてるだけで丸儲け 」と思い、

「 無条件感謝 」

これこそが
神から生命を頂いき、親から肉体を頂き、育てて頂いた者の
 義務 だと思っております。

このことにより、
自分が幸福になる事こそが、他者に連鎖し、幸福をもたらす。

これこそ仏教で言う 「 無尽蔵 」

神は全ての人間に愛を注いでいます。
仏は、全ての比丘阿比丘たちに、慈悲の光を照らしています。

宗教団体は、
人間知では言葉に出来ない膨大な要素を、抽象化して、そのあと
輪郭をつける。

答えのないモノに、 答えを出し、断定する。
そして、それを信じるフリをする人間を養成する。

これらの教義は、ウソでもない、真実でもない。

罪は無い  無明は無い  悪因縁は無い 生も死も無い
あらゆる不幸、不調和、不完全は本来無い 

これこそが釈迦の悟った本義であると思う。

釈迦ほど明確な意図はなかったが、
キリストの言いたかった事も此処にあると思う。

これを音ににすると、

「 南無阿弥陀仏 」
「 アーメン 」

真に実在するものは、
神のみ、仏の慈悲のみ、生命のみ、 
光のみ、光明のみ。

神と自分をつなぐのは 親であり、先祖である。
それ故、親と、先祖に感謝できないものは、
神を見ることができない。
仏の慈悲を知ることはできない。
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霊能者は怖いです。

2017-01-08 | 宗教


「 霊能者 」
と自称する怪しいお方が多く存在します。

霊能者は怖いです。
霊能力と人格とは、何の因果関係もありません。

もちろん、霊能力があり、人格も優れた立派なお方も存在しますが、
そうでない人も多く存在しています。

怪しい霊能者は詐欺師よりタチが悪いです。

詐欺師は人を騙して金を奪いますが、
心や魂まで奪いません。

怪しい霊能者は、奇怪な能力を使って、
飴とムチで支配して来ます。

最後は判断力を奪い、金を搾取し、
家庭を目茶目茶にして、そのうえ心や魂に大きな傷を負わせ、
挙句の果てには、その人を廃人にしてしまいます。

まさに人間の生き血を吸う吸血鬼です。

こういう輩の特徴は、
「 褒めと、脅し、」
初めは相手を褒めちぎり、
同時に怪力を使って、「良い事」をお起こす。

依存体質を植え付けることに成功すると、
そのあと「脅し」の技を繰り出す。

前世の因縁云々・・ 悪霊云々・・・
 
先祖の祟り・・・(先祖が祟ることなどあり得ませんり)

水子の祟り・・・(水子の祟りなどありません)

そういった、訳の分からない話
(宗教的観点から見て)を持ち出し、
少しずつ恐怖心を植え付けて来ます。

そして、相手の恐怖心と不安感に付け込み、支配して来ます。

霊能者の言う祟りとか、悪霊とかは、
ほとんど場合、その霊能者自身が
「念」の力で作り出した、「 念の合成 」です。
これ即ち、
「 虚像 」「 妄念の塊り 」です。
それを他人に張り付ける。

即ち、奇怪な力を駆使して、
自作自演のドラマを相手に張り付けて、
演出しているだけ。

怪しい霊能者に近付くと、
霊能者の心が描いた、
「 奇怪なドラマ 」の共演者にされてしまう。

更に厄介なことに、霊能者は・・・

必ずしも悪意をもってやっているのではない。

怪しい霊能者は、自分は世の為人の為にやっていると、
大真面目に信じている場合も多くある。

これらの輩のなかには、
純粋で、心が優しい人も多く存在する。

純粋で心の優しい人の言う事だからと言って
それが必ずしも「正しい」訳ではない。

むしろ、そういう人が一旦、妄念に取り憑かれてしまうと、
その人のばら撒く罪悪は甚大である。

悲しい事に、こういった怪しい霊能者自身も、
魔物に支配されている。

この手の方は、左翼思想に傾倒し易い。
私はこの手の犠牲者を、

「 スピリチュアル左翼 」と呼ぶ。

よくテレビに登場する女装した
化け物みたいな情熱的なお方も、この類です。

有名な物書きの尼さん、
(欲情因縁を持つ色ボケ老人、肩書は立派な僧侶)
も同類だと思います。

怪しい霊能者、スピリチュアル左翼の方は、
非業の死を遂げる事が多い。

因みには、名古屋の白ウサギには霊能力などありません。
時々、不可解な力を発揮することがありますが、
これは霊能力ではありません。

ならば、何だ??? とよく聞かれるます。

これを私は「 ウサギセンサー」「 ウサギパワー 」と
呼んでいます。

意味不明・・・ふざけているのか?
と思われる方もいるかも知れませんが、
どう判断するかはその人の自由であり、
「 実績が全て 」「 信用が全て 」
と思っています。

はっ、はっ、はーーー

でなければ危険です・・・

以前、私に縁がある人に対して、
「 霊的支配を目論む危険な霊能者 」
と対決したことがあります。

正直言って、怖くて逃げだしたくなりってしまいました・・・

捨て身でバカ道まっしぐら・・・
最後は、

はっ、はっ、はーーー

で「 技あり!!! 」でした。

勝たねばならぬ・・・・
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信じていない証拠

2017-01-06 | 宗教

利口すぎて、バカな人もいる。
バカ過ぎてバカな人もいる。

私の場合、後者だと思う・・・

どうせバカなら、
悪あがきをせず、バカを極めてやろう。

一善、一善に、意味など求めず、
自分の良心の声のみを恐れ、それに従う。

神を信じる必要などない、
信じようと努力すること自体、
信じていない証拠である。

謙虚な気持ちを持つ人間は、
「感じている」から、「信じよう」
などとは思わない。

これは理屈ではない。

驚くことに・・・宗教指導者や、宗教団体信者のなかには、
神仏や、死者の御霊を、
「信じる努力」 をしたり、
「信じているフリ」 だけはするが、

「感じていない人」も多く存在する。

こういう犠牲者を多く輩出することが
宗教団体の弊害であると思う。

それ故、神仏や霊魂を侮辱、
するような行為を無意識のうちに選択する。

そういう状況を見ても何とも思わな人々を創り出す。

こうなってしまうと・・・手の施しようがない。

そんな事なら、
「信じていない人」「意識していな人」
の方が遥かに上等だ。

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伊勢神宮・別宮 伊雑宮(いざわのみや)」

2017-01-04 | 宗教
伊雑宮参拝。


伊雑宮は、皇大神宮(伊勢神宮)の、
14ある別宮のひとつです。

中世には、日本書記の記述を根拠に、
伊雑宮の位置付け対する
諸説があったそうです。

1658年、朝廷の裁決で、伊雑宮は内宮の別宮と定められ、
伊雑宮は、ある意味、静かに封印されたような状態になりました。

伊雑宮は、押し寄せる観光客、外国人の
雑踏から、その威厳、神聖が穢されることなく
静寂を守り続けています。

これも、神様が仕組んだ巧妙な仕掛けであったと感じます。

今日は、朝5時に名古屋を出て、
内宮付近に7時30分頃差し掛かったのですが、
内宮駐車場に入るための車が大渋滞、
たぶん、1時間以上の待ち時間だと思います。


それをよそ目に、伊雑宮に向かったのですが、
(内宮から車で約30分)
駐車場は車が4~5台程度、静寂に包まれていました。





















伊雑宮を訪れるこたが出来る人は、
ある意味、特別優遇された人であると感じます。
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