愛のある手紙…内容証明

2011-05-21 18:00:00 | 日記風
 私は事情がありまして、今家を空けております。

 その日は親族会議が開かれることになっていたので、私と共に私の家に叔父、叔母などが上京してきていたのです。

 そこへピッポーンといいタイミングでインターホンが鳴るんですね。
 1番近くにいた私が何気なく出てしまうと
 「内容証明で―す」
 ハンコください、状態だったのです。


 まあ、どこが、何のために送ってきただろうことはすぐに察しがつきましたし、実際差出人を見たら、某社の雇っている弁護士事務所だったので、あ~これは、某社について書かれたブログ記事の削除命令だろうと思ったのです。


 かーーーーっと来てしまいましたので、明るく
 「受け取り拒否していいですか?」
 と拒否りました。

 消すこと自体は別にいいのよ。後で違う形で書きなおすっていうのもありかもしれないし。
 でもこういうやり方すると、ひねくれるというか、頭に来るだけ。


 ただ、叔父にそれを言いましたところ
 「拒否してるんじゃない」
 と怒られました。
 内容証明は相手の気持ちを知るための手紙でもあるそうで、必ずしもブログの削除命令だったわけではない可能性がある。
 これは読んでないからもう判らないけど。

 その後、弁護士さんに聞きましたが、やはり受け取れと言われました。受け取ったところで、何の意味もないし、相手の意図が判ればそれだけ手の打ちようもあったらしいですね。

 もちろん拒否してもいいわけです。

 でも、もしこれが金銭を含む話であれば、拒否をした日から利息というのがつくらしいんですね。
 0,いくら、とか言ってましたが。
 だからもらっておいた方がよかった、となるのです。

 でも叔父が怒り狂ってるところに母がいなくてよかったわ。
 あの2人が揃ったら阿鼻叫喚の館に我が家が変わっていたもの。
 お隣さんが思わず
 「隣の家で殺し合いが起きてます」
 と通報したくなるような大騒ぎになっており、私は2人から責めたてられていたことでしょう。

 

 ということで、叔父の怒りを買わないように某社話題については、私は静かにいたします。

階段は40階から降りてね

2011-05-21 15:00:00 | 日記風
 あの震災の日、直接受けてない都会でも大変なことがあったようです。

 ある方が東京のホテルに泊まっていたそうです。
 そして地震が来る。

 ホテルのマニュアルであるらしいんですが、地震後、避難してくれということで、ホテルの外へ出されたそうなんです。

 もちろん、エレベーターなんて使えません。

 ホテルだから上が高い。


 降ろされた。


 40階から階段で。


 ご年配の方が未だに足が痛いそうです。


 だから、みんながなんかの形で傷を負っているのが今回の震災なんですね。
 もちろん直接被災された方からしたら、規模は違いますけどね。

北区つかこうへい劇団 初読みでドン

2011-05-21 04:07:46 | 戯曲塾
 良く判らなないタイトルになりました(笑)

 授業の際の仕方の一環なんですが、年2回作品を提出します。それを使ってダメだしだったり、どうすればもっと良くなるのかそういうことを論じ合うわけです。



 だいたい初読みですね。その日突然渡されて読んで、こういうシーンがいい、こういうところがちょっとみたいな話になってくるわけです。

 1番不思議だったのが、あまり意見が出ないというところです。

 なんででしょうね。


 あるときなんだったのかな。
 なんとなく思ったんで、私が言ったのですが
 「これは話の根本的な流れがオペラ座の怪人に似ているから、あの様式に当てはめて書いてみればいろいろすっきりしていいんじゃないか」
 何か見えてくるかもね、そういうことが言いたかったんです。
 4人しか出てこない本でした。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 うーん、遥かなる沈黙。

 「気になるから聞きたいんですが」
 1つ聞かれました。

 「オペラ座の怪人に例えるなら支配人は誰でしょう?」
 何故、そこにこだわるかはわかりませんが、○○さんじゃないですか?と答えておきました。


 私としてはですよ、たんてきにものを言おうとするわけです。その結果としてピンポイントになりすぎてしまい意味が通じないということがあるらしいです。

 かなりしょっちゅう。

 よく通訳が入ります。

 そうよ、それが言いたいのに何故伝わらないの?


 よく「劇団××」で公演している「美女と野獣」も「オペラ座の怪人」と展開が似ていると言いますよね。
 どちらも初演の頃観ましたが、客席からそういう声が聞こえてました。私もそう思った。
 
 じゃ、パターンとしてはわかりやすいからありってことじゃないですか?

 そこから自分なりの展開がまた取れればいいわけですし。

 小説など、昔はよく、自分の好きな作家の本を1度原稿用紙に書きなおしてみて、勉強するなどありましたよ。
 私も1度やったことがあるんですが、言葉癖というか、それに気をつけて写して、だからなんだというんだ?となってしまったので…。1度しかやったことがないです。
 数度やっていれば価値が判ったかもしれませんね。

 この後飲み屋では比較的口が軽くなるようです。

 この後の飲み屋のことはよく知りません。
 酒が飲めないっていうのもあるですが、かなり時間を惜しんで書いていた一時期がありました。

 そうそう、必死だった時期があるのよ。

そうそうそうそう、ハーグ条約~わが子を連れて帰ると誘拐になる~

2011-05-20 11:00:00 | 日記風
 これはあんまり知らないんですが、あるんですよ。

 例えば米国人と日本人が結婚したとするでしょ。
 子どもが生まれるでしょ。

 そしてその結婚が不幸に終わった場合、日本人は日本に子どもを連れて帰れないとかあるんですよ。
 無理に連れ帰ると誘拐になるんですね。

 わが子を自分の国に連れ帰ってでもですよ。

ハーグ条約っていうのがあって、そうして親権のある親からない親が子供を連れて行ったら申し立てをすることができる。
 それとは別に面会や交流を実現するように守られたりもするらしい。


 先日知り合いの家にいたら電話がかかってきたんですよ。
 今、お客さんだから…と断っていたんですが、時差がと、聞こえたので国際電話か?と思っていました。

 知り合いが電話を切って戻ってくると、やはり米国人と結婚した人が離婚になりそうなんだけど…という相談の電話だったらしい。

 ハーグ条約って名前を知らないんだけど、あ~、国際結婚の場合はね、難しいことがあるんだよな~と漠然と思った。

 日本はこれを結んでないんですよね。とても少ないらしいですよ。先進国としてはほぼ結んでいる。

 難しい問題はあって、例えDVが原因で別れても子をふるう親に任せるのか、合わせるのか?
 あるらしいんですよ。

 でも日本も条約に加盟か?と言われます。


 何とも言えない。


 国際結婚も…難しですね。

 親ではなく、悲しむのは子どもとなってしまいますものね。




 個人的に国際結婚はずっとないと思っている私です。
 将来、ハーフを生むとなると、そっちが難しいというか、ちょっと考えられない。

 大変な問題を生まれながらに背負うわけですからね。
 2つの国の血を持つのだから想像できないハッピーもあるかもしれませんよ。

 子どもの頃、ハーフの子ってそばにいたけど、特に子どもの頃って、見た目が違うだけでもいろいろあるじゃない。
 憧れや嫉妬かもしれないけどね。



 どんな事態でも家族を作るのは難しい。

 まして国境があると、さらに難しい。




 あの電話の日は早々に知り合い宅から戻りました。

お守りに包まれて

2011-05-20 02:19:30 | 日記風
 神社仏閣に行くのが好きな人が身近にいるのですが、行くたびにお守りをくださいます。

 全国一周とはいきませんが…パワースポットのある所だと伊勢とか、高千穂、天河などになってしまいますからそこら辺はあつまってます。
 そう言えば北がない。

 その方のご出身の関係もあり、南オンリーって感じです。
 鎌倉方面もあるらしいですが、こっちは私がまるで疎いのでどれくらいの凄さのある神社か判りません。


 でも集まってますね~~。お守りが。


 いっぱい持ってると神様が喧嘩するとか言いますが大丈夫かな。



 神の木の葉っていうのもいただきましたよ。
 時期が来ればそりゃ枯れますけど。
 写真で撮っておいても効能があるらしいです。




 あまりお守りを大事にしていない私ですけどね。



 もの頼りってあんまりしないです。


 でもここしばらく守ってもらった方がいいかなと思います。


 家の病気がちの家族が、昨年の3月に倒れ、今年の1月2日にまた倒れております。
 年中行事ですかと、そろそろ言いたくなってくる。
 ちゃんと治療しないから忘れたころにやってくるんだよ。
 しかも冬をめがけて。

 1月1日に倒れなかっただけでもありがたいのかもしれませんが、2日に倒れ救急車沙汰では…困ります。しかもこの日は1度病院に行くものの年始だからなのか、すぐに返されます。ろくろく身体が動かない状態なのに。
 そして、夕方また救急車を呼ぶのです。

 救急車Wでお願いしますになってます。

 同じ病院でも、この手の病気の患者は受け入れづらいというのがあるみたいですね。
 もう良く判らないけど。


 叔父が上京している間に少し意見をしていただきました。
 私ではどうにもなりません。
 親族会議も議題はWですね。

 そちらの病気がちにお守りを持たせた方がいいのかもしれないな。

PTSDからPTGへ 心の傷はプラスに変わる?

2011-05-19 15:00:00 | ニュース
 良く聞く言葉だと思います。


 PTSD 心的外傷後ストレス障害



 震災でもこのことが心配されています。
 これはすぐ出るわけでなく半年くらい経って事態が落ち着いてから、出ることがあるそうだ。

 なってしまえば苦しむ。
 ならなければそれに越したことはない。



 誰にでもその危険性はあり、まさしく今そういう問題に直面している方も多いことでしょう。



 今はPTGって言葉もあるそうです。

 トラウマ後の成長を現すそうです。最後のGがまさしくgrowth(成長)のGをとっているそうです。
 つらい思いをしてもそれを乗り越えてられた時が、成長となる。
 ポジティブ思考に切り替えられる。心の傷も乗り越えられるとそうなるそうです。だから逆にちょっとした事が起きても却って、あの心の傷でも乗り越えられたんだからと強くなり力を得られるらしい。



 PTSDそれだけを考えてしまうとつらくなってしまうけど、PTGまで考えることができれば、人は乗り越えられ、希望を得られることができるんだ。



病人、病人、私、そしてまた病人、

2011-05-19 02:00:00 | 日記風
 2009年暮れに本が出ました。

 でも数日前から緊張のあまり微熱が止まらない、そんな状態が延々続いていました。

 そして本が出ます。

 奥付は12月25日となっていますが、大人の事情で12月22日が刊行日となっています。

 この日初めて自分の本というものと巡り合います。


 さてここからです。

 私は、本屋へ挨拶まわりに行くことになっていて、その準備もあり、緊張のあまりの微熱となっていたのでしょう。


 でも喜ばしい時です。
 喜べばいいのです。


 しかし、それが最後までできなかった。

 22日がすぎ、年末年始が近づいてきます。本屋へ行くなら早く、そう思っていた矢先の23日の祝日、事件は起きます。

 事件、と呼んでいいのでしょうか。

 家族が倒れるのです。救急車で病院送りなのです。

 何が起きたのか判らない。

 年末、祝日、受け入れ先が決まらない。

 どこかパニック、それでいてどこか冷静でした。


 元々、23日に倒れた家族とは別に家は病人を抱えていました。

 だから、2人目の病人が出たにすぎないのです。

 出たにすぎないのですって言ったって、両方症状も違います。
 23日に倒れた家族は原因不明だったのです。とにかく搬送先が決まり検査を受けます。

 祝日と言っても救急は普段のように患者が溢れている。

 病院も人不足なんでしょうかね。

 廊下で診療が終わるのを待っている私に、看護師さんがこれからMRをとりに行くのでストレッチャー押してくださいというのです。

 ストレッチャー、家族が押すんですか?
 患者が寝かされて運ばれていくベットですよね。

 MRをとる時ストレッチャーを入れるためにドアまで抑えます。

 もう、パニックですよ、パニック過ぎて逆に冷静になってるような感じですよ。


 それでとにかく一晩はお泊りになるのです。
 原因判りませんし、もしかしたら脳溢血って言われたのかな。脳卒中じゃなかった気がする。
 「脳」がついてたのは判ったのですが、もうこっちもパニックですから半分聞いたら頭は飛んでます。

 それでも私は書店へ24日は挨拶に行こうとするのです。

 本を作りたかったのも、作ったのも私かもしれない。
 けれどその過程で、多くの方が手を貸してくれてここまで来ているのです。私の気持ち1つで挨拶なんていっていられないとは言えないのです。

 でも限界なのです。とりあえず病院に一泊状態でも、私にしたら、そんなことまで言われなくてはいけないのか?ということが看護師の口から出るのです。

 何が何だか分からない状態になるのです。

 それでも持ち直し、24日挨拶に行くのです。
 挨拶に行くだけならそんなに疲れなかったのかもしれない。でも、入院の準備だなんだで病院へ行っていたら、もう持たないのです。

 こちらだって数日微熱が続いているのです。

 体力の限界は越えてしまっている。それ以上に精神力の限界を越えてる。

 無理なのです。

 でもどうにかしたかったのです。


 でも、ならない。


 年末というのが背を押します。家族が集まり独特な雰囲気の時期なのです。

 その時に何故、こんな思いをしなければならないのか。

 どんな悪行を犯すとそんな目にあわなくてはいけないのか。

 この当時の私は、よくこんなことを言っていました。

 
 本を出したというのに、1番晴れがましい気持ちの時のはずなのに、嬉しいと言えない。


 例えれば、
 
 やっとこぎけた結婚式の最中に実家が全焼したような気分だ


 喜んでいいのか、判らない。

 本を出そうが、周りはそれどころじゃないのです。おめでとうも何も言ってる状態ではないのです。

 病人が優先なのです。

 しょうがないのです。しょうがないことなのです。しょうがない巡り合わせになったのです。
 
 家族はとりあえず、2週間で退院をします。本人が退院を望んだので十分でない状態の退院となります。それでもどうにか気持ちは楽になります。
 なりますが、ショックは隠しきれない。

 あの頃の私、いろいろなショックが重なりすぎて、怖くて外に出られないほどになっていた。

 そしてつか先生のご病気の報道…。

 私の書いた本は、偶然と言えど、胃がんで余命3カ月の父親を息子が刺した?というものでした。

 この家に2人の病人を抱えた段階で、先生のご病気がある中で

 自分の本をどう肯定したらいいんだ?

 でも自分1人の本じゃないんだよ。私1人の思いで、私の勝手で、本の存在を否定できないんだ。
 売れてほしくないと、思ってはいけない。
 売れてほしいと思うことが悪いと考えることなんてできないんだ。

 多くの方が手をかけてくれてできた本だから、その方々の思いを考えれば、してはいけないんだ。
 私がどんな複雑な胸中を抱えていたとしても。

 それでも2月には劇作家コースに原稿を書かないといけないのです。

 だから、2月に入ってどうにか書き始めます。
 そして末日に出します。

 そしてその2日後に去年の23日に倒れた家族がまた倒れます。

 私の神経が尋常な状態でいられるでしょうか?
 いろという方が無理じゃないのか。

 どんな巡り合わせ?
 ここから何を学べというの?

 どんな思いが流れていてもすることはしないといけない。
 毎日泣き続けても、しないといけない。

 1年後には答えが出るだろう。何故こうなったのか答えが出るだろう。

 そう、この時点では信じるしか、私には道はなかった。

医者VS弁護士 どちらがそんなに偉いのか?

2011-05-19 00:00:00 | 日記風
 私の思いこみとしてまして、親族に医者と弁護士を揃えておけば、何かあった時は万全だというのがありました。

 違うようです。


 あるお医者様がトラブルを抱えた時、お知り合いのパートナーが弁護士だったため、助言をいただけないかと言ったそうです。


 

 それが、



 そんなこと電話で言えないよ




 とけんもほろろに言われたそうです。


 「弁護士ってそんな偉いのかとびっくりしたわ」
 とおっしゃっていた。


 私からしたら、医者も弁護士も共に社会的な地位があって、共に良識のある方という印象がありましたが、違っていたのでしょうか?


 少し前の話なのでその当時と今とでは事情が違うのかもしれませんが、家の母も医療関係の仕事をやってますが、相談されるとほいほい乗ってますけどね。



 医者と言えど、弁護士と言えど、最後は人間性の問題でしょうか?

 弁護士さんってそんな怖いのかしら~~?

北区つかこうへい劇団 つか先生が最後にくれたもの

2011-05-18 21:00:00 | 戯曲塾
 本を出すので5月中に書きあげれば後は少しの直しでいいと思っていたのは、他の原稿を書きたかったからです。

 劇作家コースは年に2回作品を出すというのが建前です。

 どちらにしろ、5月から空いた時間でそれを書きたいというのはあった。

 特に深い理由があって、今回は絶対書きたかった。




 話は同じ2009年の2月末に戻ります。 

 2月末で1つの年度が終わります。授業が終わるということです。

 そこで思いがけないことが起きたわけだ。


 ところで岸田國男戯曲賞というのをご存知でしょうか。演劇界の芥川賞と呼ばれている賞です。
 近年では、宮藤官九郎さん、三谷幸喜さんなどが受賞されてる賞です。

 戯曲を書く者にはある種の憧れの賞かもしれないです。
 私は高嶺の花なので、手が届くと考えたことはなかったです。
 
 どう考えても高嶺の花で高い山の崖の先端に咲いてるような賞だったわけです。


 
 もちろんつか先生もかつて受賞してます。その当時としては最年少の受賞です。受賞作は「熱海殺人事件」だったと思います。ここから大きく運命が変わられた。
 「つか以前つか以後」という言葉が生まれるのです。

 そんな遠い存在のはずの賞が突然、目の前に降りてくるのですね。

 なんでか、突然に。


 本来(以下岸田戯曲賞)はその年に上演された芝居、雑誌などに発表された戯曲からノミネートをされて、そこから選ばれます。

 それが何故か、つか先生が

 自分の推薦枠で持って行くから9月末までに書かせろ

 とおっしゃったようです。


 青天の霹靂

 理解不能の極致

 全員で同じ話を聞いたはずなのにあとで個々で話すと、全く違うことを言う。
 いやそうじゃなくて。あれは…。の世界です。

 なんたって幼稚園児が突然大学受験に挑戦するようなものです。
 理解できなくて当然なのです。

 でも劇作家コースと言っても20人くらいはいるのです。
 いくらつか先生と言えど20人は持ち込めまい。じゃどうするの?

 (この話はその年の入所式でも先生ご本人がされているようです)

 答えはこの時点ではないのです。
 多分、先生の頭の中にはあったのでしょう。
 それは今となっては永遠に聞けなくなってしまいましたが…。

 劇団の芝居をご覧になった方はご存じでしょうが、この2009年はいやに劇作家コースの芝居が多かったのです。1年に1度か2度が当たり前の公演回数に対して明らかに多かったのです。

 裏にはそんな事情があったのです。
 まあ、あったのです、と言っても私はもう自分の本を仕上げることで手いっぱいで、この辺の細かい事情はまるで感知していません。
 

 二兎追うものは一兎も得ず

 それは嫌というほどよく判っていた。
 もう1月の段階で本を出すことは決まっていた。
 そのあとに出てきた岸田戯曲賞推薦話である。

 どうして共に起きる?と思っても同時に起きてしまったものはしょうがない。

 2月末の時点では時間もあったし、もしかしたらどうにかなるのでは…と思っていた。

 5月末までに小説を書きあげれば時間ができる。そこから4か月フルに使えればもしかしたら可能じゃないか。


 思っていたが。

 8月になってもまだ直している。
 10月の頭の段階でまだ直していた。

 
 でも9月末までに作品は出したんですよ。


 というとことはどこかでどちらかを休み、書きあげたってことですね。
 
 この辺の記憶すでに定かでありません、それくらいぐちゃぐちゃとにかく書かなきゃなんない、それしか頭になかった。

 1度頭が突き抜けたもの。
 薬でもやっているのか―というくらい、綺麗に抜けた。

 しかし岸田戯曲賞の話はやがて判らなくなっていく。

 私が先生のご病気を知ったのは、翌年1月の報道でだった。

 そりゃ、無理はなかったのだ。
 おそらく逆算していくとご病気が発覚したのと岸田戯曲賞の推薦の話が進むだろう時期が一致しているのである。
 それどころじゃなかったのである。

 岸田戯曲賞推薦話は、最後はから騒ぎに終わったようなものだった。
 しかし1年近い夢を見せていただいたのである。こんなチンピラのお姉ちゃんでさえ、もしかしたら演劇界の芥川賞と呼ばれる賞に手が届くかもしれないという、信じられない夢を見させていただいたのである。

 マッチを売ることでしか生きていけなかったような少女が、もしかした普通に学校へ行ける、みんなと同じように勉強ができるそう思ったのと同じくらい大きな夢をもらったのだ。

 これはいつまでも自分の中で支えとなって生きていくだろう。
 

 それほど大きな夢を見られることを教えられたのである。
 希望をいただいたのである。
 不可能はないと、教えていただいたのである。

 だからこの後私を襲う不幸を…試練を乗り越えて行けたのかもしれない。

 私の不幸

 もしくは私の試練…本当にこんなことってあるんだ。


 それはまだまだこの時始まったばかりだった。

旅が間違っていなければ

2011-05-18 18:00:00 | 日記風
 そんなセリフを聞いた。

 旅をしている者が、

 お前の旅が間違っていなかったなら、正しい正解が出るだろう




 私のここ数年は間違っていたのだろうか。
 だから間違った答えや方法が出たのだろうか。



 そんなことを考える。




 まだ何とも言えなのかもしれない。