日本じゃないとこへ?それとも日本で?

2011-05-18 15:00:00 | 日記風
 今、少し事情があって東京を離れています。

 今日は東京へ戻っています。やんごとなき事情があって、叔父叔母付き添いのもと、戻ってまいりました。
 明日あたり用事が済めばまた東京を離れ、叔父の所へ戻ることになるかもしれない。




 多分、もう今年はどこへも行かず日本にいようかと思っていましたが、いけるようならまたパリへ行くのもいいかと思っています。

 時間が、費用がという物理的な問題はありますが、もしかしたら、その方がいいのかもしれない。



 少しそんなことを思っただけなので、実行できないまま、日本で真面目に働いているかもしれません。


 今年の夏は大変なことになりそう。電気代問題とかね。
 それが理由ではないですが、成長できるのであれば、そのチャンスにもう少し自分の器を広げることを考えたい。





 日本が大変な時に、私もなんだか大変な感じになっている。


 困っている方の協力もできず、申し訳ないとも思うんだけど、できるようになれば、何か私ができる範囲で協力していきますね。

ザクロが来ている

2011-05-18 12:03:01 | ランチ&ディナー
 日本のちょっと高級なお店でもザクロジュースというのがあります。




 これはフランスに行った時、近くのスーパーで購入したものですが、ザクロが入ってます。



 韓国もザクロのジュースは当たり前に出してます。

 最近はザクロのお酢もあるようで、韓国の食材を扱うお店に行くとあります。
 この前、購入してみようかな―と思ったのですが、持って帰るのがその時は荷物となったので、止めました。
 でも通販で購入できるみたいだから、それでしてみようかなと思います。



 牛乳で割って飲んでも美味しいみたいです。

 お酢は何かと身体にいいと言いますものね。

 身体にいいものだったら、試してみたい。

なんで赤じゃなければいけなかったのか(夏前)

2011-05-17 21:00:00 | 私の本
 私は2009年の末に本をだしたのですが、この時期の出版になったことにも事情があります。

 本当は10月の予定だったのです。

 だから5月末までに原稿を仕上げてあとは、軽く直して、カバーイラストを作って、という話を聞いていた。

 6月だったか7月だったか記憶が曖昧だが、編集者が突然、メールで言い出します。


 ヒロインの座っている椅子は、何故、黒なのか。

 
 設定が、おんぼろビルに豪華な家具が入っている事務所となっているのです。それで椅子が黒と書いていたのです。

 何故、そこ?

 まさか、椅子の色が黒なのが問題になるとは思ってもいなかった。

 もちろん理由はあるのです。それを説明して
 「でも私が書くんなら、赤でもいいってことですよね」
 とこれが、余計なことを自ら答えてしまうのです。

 そしたら
 「赤にしてください」
 と返答がきた。


 今から~~?

 作品が全部できてから~~?

 ありえないーーーいと思ったんだけど、やるわけです。

 戯曲を書く勉強をしているせいもあって、直せと言われれば直して当たり前という気持ちがあるのですね。
 でもまさか、椅子の色を指摘されるとは思ってなかった。

 ネットで家具など見ながら考えてます

 とメールで書くと
 
 こういうのもあります

 と資料を送っていらっしゃる。とても速い。
 
 そこまでして直させたいかと思うのだが、直すと言った以上、気持ちが動揺しながらも直す。

 言ってはいたのです。単に紙の上で色を「黒」から「赤」に変えればいいってもんじゃない。前後の内容も変えないと変えることはできませんよ。


 それでもいいようです。


 簡単に直すと言った私も、まるで弱みがなかったわけではない。だからわりと簡単に受け入れてしまった。


 「熱海殺人事件」という芝居をご存知でしょうか。
 つか先生が書いたものです。過去いろいろなバージョンで長い間上演されています。
 演じた役者さんもそうそうたるもので、古くは風間杜夫さん、阿部寛さん、石原良純さん、映画版では中代達矢さんも演じていらっしゃいます。
 そのほかにも数えたらきりがないほどの役者さんが演じています。

 簡単に内容を説明すると
 
 警視庁の捜査室の中で、不細工な女工を絞殺した幼馴染の男を、お前それじゃ恥ずかしくないのかと、刑事たちによって13階階段を上るまでの立派な殺人者に仕立て上げれていくというストーリーです。

 その主人公の木村伝兵衛が座っているのが、豪華なテーブルに椅子というセットなのです。
 もちろん、椅子の色は黒です。

 おわかりいただけましたか。これの影響が大だったのです。

 でも私の中でつかさんの影響というのは否定しがたく絶対であったのです。だからもう刷り込み現象のように豪華な机と椅子というと伝兵衛セットが出てきちゃうのです。
 もう無意識で出ているといってもいいくらい、すりこまれているのです。

 だから私としても言われた時に「私が書くなら…」となってしまったのです。


 しかしね、それでも、変える、すでに出来上がってしまっている話の椅子の色を変えるというのは簡単なもんじゃないのです。
 私の想像力が貧困と言ってしまえば簡単ですが、やはり師への尊敬有らばこそ出てきている所もありますからね。

 難しいのです。

 それでも変えました。
 私の話ですから。


 でもこの「椅子」については長い間遺恨が残ったようで、なるたけピリピリしないようにしていたのですが、どうもこのあとも「椅子」の話が出ると、ピリッとしてしまっていました。
 
 今はもう納得してますけどね。

 ここが大きな分岐点になりました。
 だからもしかしたら、ここで編集者に感謝すべきなのかもしれません。
 日が経つにつれ、そう思います。


 でもこれで10月に出るものが12月に変わったわけではありません。
 もう1回8月に変えませんかという箇所が出てきて、それに1番時間がかかってます。それと前後してラストのあたりも変えないかという話も出てきます。

 なんとなくぼかした、今風と言えば今風の終わり方をしていたのですが、はっきりさせた方が読者ももやもやしないから読後がすっきりするのではないか。
 そんなことを説明された気がします。

 
 読者のために書いてもらえませんか。
 そうしたら作品の質がもう1段階上がります。

 そう言われて、じゃ、上げましょうと直すわけです。


 そして当初の予定より70枚原稿が増えたわけです。

 もう中編の話を1本書いたようなものです。


 お客さんが手に取りやすいなら、200ページくらいがいいだろうと最初言われていました。行や文字の数の組み方を変えをしても70枚増えるとまずいわけです。

 どうしますか?

 きかれましたので

 削ります

 と答えました。


 この作業をするのに2か月ずれた、ということです。

 でもこの頃の5月以降これだけの原稿を書くというのはいろいろ計画が狂うことでした。
 「まやかし嬢」という話を考えるなら、これでよかったのですが、私の予定としては、


 ど~したらいいの~~というくらい狂いました。

 もう5月過ぎたら書かなくていいって言ったじゃない。
 そう言いたいくらい、事情が変わったのです。

それは真実か、いなやか、とにかく6月を待て

2011-05-17 15:00:00 | 日記風
 私が1人でぐちゃぐちゃ言ってる間に、5月が半ばを過ぎていた。
 驚く。
 今年が半分過ぎて言ってるってことですね。



 去年の秋くらいまではこの6月からどーんと運勢が上がると言われていた。知り合いの某占い師さんからね。
 本当にあがるかしら?そしたらあと2週間弱ってことよね。



 でも今年に入る頃から、今年は地道に行く方がいいと言われるようになった。


 何故、変わる?

 どっちが本当?

 どっちも適当?


 とりあえず、2週間くらい待ってみましょうか。




 でも徐々に私の頭の中で今年に入ってから何かがずれ始めている。
 何が?っていうと、なんだろうって感じだけど、自分の中で、来る時が来ている。
 そんな気が、少ししている??




 やはり6月運勢向上説は真実だろうか???

だから世界は面白い

2011-05-17 13:00:00 | 日記風
 いろんな人がいていろんな考え方がある。
 ここへきてそれを勉強していると思う。


 いろんなことが絡まっていろんなことが起こる。


 だからこの世は面白いのかもしれない。


 そう思えばたいがいのことは笑って許せるのかもしれない。




 雨に濡れるほど、花は美しくなるだろう。

恩も忘れて?

2011-05-16 21:00:00 | 日記風
 最近、そんな感じでバッシングを繰り広げてしまいました。



 でもね。
 過酷よ。



 いろいろと通り抜け成長していくのでは?と思っています。

 元々縛られるの嫌いだしね。でも縛られ切ってる感じがあったのよね。とりあえず縛りをほどいてという気持ちがあった。


 某出版社がよく「火に油を注ぐことになってしまって」と言っていたんですが、結局、油を注いでいるのはあんたがたじゃないの?と思わないでもない。

 疲れきってるところにろくな対応もないじゃね、そんな気分にもなる。


 私が強くなればいい、それだけです。

 やれるところまでやった。今はここが限界。それを越えられる時を待つ。
 それがもう心境です。

 とくに2009年の暮れに本を出しましたが、たまたまというか、2009年は波乱だった。やがて詳しく書きたいと思いますが、ここまで書かせるかというくらい書いていたのがあの年だった。
 書いて手を離れれば楽になるかと思ったら、これがならない。計算がその時点で狂って


 ど~したらいいの~~と

 
 パニックになりながらここまで来ちゃった。

 しばし休ませていただきます。
 書いた翌年、今年はもう何も考えないで遊んだ方がいいとアドバイスを同じ出版に明るい方からされたのですが、そんなこととてもできないよと追われたままきた。
 そのアドバイスも聞いてみるのもよかったのかもしれません。

 全ては自分の責任、それだけです。


 自己責任


 劇団で、1番尊敬する講師の方にかつてよく言われましたがまさにそれです。

 総務局のS氏に電話で大号泣しましたが、あれでずい分楽になった。
 ありがとうございました。

 頭のおかしなおねーちゃんの相手をさせられてさぞご迷惑でしたでしょうが、助かりました。
 あとは自分の頭で考えますから、大丈夫です。

 何が最もいいのか、答えを導き出しますね。

ホットはあってもアイスはないの

2011-05-16 18:29:30 | おでかけ
 そういえばなのですが、フランスに行くと、コーヒー類はホットはあってもアイスはない。
 夏場に行ったことがないので、夏もなのかどうか判りませんが、ない、という話は聞いたことがあります。



 日本では、両方あって当たり前なんでですがね。なんであちらの方はアイスの感覚がないんでしょう。



 でもティーに関しては、アイスの感覚が生まれているようです。
 ペットボトルで売っています。






 そこまでコーヒーは特別なのでしょうかね。
 みたいですね。



 文化の差なんですね。



 あった方が面白いと思うけどな。

 ないっていうのも、面白いんでしょうか。

北区つかこうへい劇団 劇作家、そして誰もいなくなる?

2011-05-16 02:32:34 | 戯曲塾
 何のかのと言っているうちに、解散が近づいてしまいます。
 解散してしまう前に、いくつかのことを書き残しておきたいと思う。

 もしかしたら、解散後の方がいいのかもしれない。

 思うのだが、私の気持ちの整理もつけないといけないので、6月を終わるのを待つでは遅いのだ。

 劇作家コースは当初「井上ひさし戯曲作法塾」という名前で始まりました。それが途中から、「劇作家・演出家コース」として生まれ変わります。

 何故かは、大人の事情でしょう。私たちには判りません。
 
 
 当初はいることができても2年が最高でした。この2年の間に新人作家公演をする。それができれば無期限で残れるけど、できなければ2年できられる。

 ただし、ここは、絶対、というわけでもないらしく、どうしても、という熱意を見せれば、2年を越しても残ることができるという話もあります。

 ある頃から無期限で残ることができるようになりました。これは講師が変わってからです。

 講師は3代目までいます。3代目に入ってから無期限のルールはできました。
 何故?と聞いたことがありますが、
 
 そうしないと、誰もいなくなるからと言われました。

 元々劇作家になりたい人間は少ない。そして個人の進展の仕方もあります。
 ある時期が来るとそれまで停滞していても突然伸びるタイプと、順当に伸びるタイプ。
 伸びていたかと思うと突然折れる人もいる。

 ある程度時間をかけた方が…という考えがあるようです。授業の回数も増やした方がという案もあったようですが、それは様々な事情でなくなったようです。

 それで、私も、あれ?何年いるの?ということになるわけです。

 3代目が入った時に6期生が入ります。私もそうです。大量に入れた理由は、大量に消えていたから、かもしれません。
 5期はまだ残っていましたが、1期生は2人。2期が0人。3期が2人で4期も2人だったのかな。定員としては20人ですから、10人は入れないと定員割れを起こす。この人数でだいたい20人は確保してるに近い状態です。

 私たちの頃はその授業の場所も一定ではなく、稽古の拠点となっている文士村でということもあれば、某小学校の一角ということもあり、その時々で違った。
 今の場所に稽古場が落ち着いてからは変わることがなくなりました。北園まなび館なのかな。
 私としては旧北園小というのがぴったり来ます。

 書くということは一切教えませんでした。当初から書き方は教えないと言われていました。
 あくまで演出を教えていた。

 でもこれもやはり同じことを言っても、飲み込みの早いタイプ、遅いタイプ、いろいろあるから何とも言えません。

 日々の修練と言ってしまえば、それまでね。

 私たちの入った年は多かったせいか、つか先生が稽古に来ていらっしゃる様子も…、稽古を直している様子と言った方がいいかもしれませんが、見せいていただきました。この後も機会はあるんですが、最初の頃からそれをしていただけたことは本当に嬉しかった。

 そして、このあとも大きな夢と希望をいただける機会がふたたび巡ってくるのです。

導かれるままに

2011-05-15 22:43:10 | 日記風
 天気がよかったので叔母と外へ散歩に出た。

 明るい太陽の下にしばらくいたら、日焼けも心配なんだけど、今の自分がばかばかしくなる。

 小さいな、というやつだ。

 どうしても、今、閉じこもっていることが多いので世界が狭いというか、考えの切り替えがうまくいかないのね。

 だからどうしてもこだわってしまうという状態が生じるわけだ。


 小さいなぁと日差しを避けながらも1人感じる。

 人の気持ちに対してまでどうこういうことはやはりできないのだし、するべきではないのかもしれない。

 それでも珍しく…どうしようもなくなっちゃったんだけど。




 うーん、切り株をとってみたのだが、何か違うものに見える。

 もうすぐいろんなことに答えを出せるだろう。そんな予感がしてきた。




 気持ちの整理をしつつ新しい出発をすればいいということだ。

 できるんじゃないか、そろそろ。

 この3年間は露と消えた。
 それでもそのあとには何かが残るだろう。

 何かがどこかへ導くだろう。

「辞める」はどうも嫌いだ

2011-05-15 18:00:00 | 日記風
 私は「辞める」という言葉が言えない。

 もしかすると過去のどこかに書いたことがあるかもしれない。
 でもその時と若干内容は変わると思う。

 知り合いが
 「2,3年しか続かないんだよね」
 と言っていた。1つの勤務先がだ。
 
 私からすれば、2,3年続いただけでも凄いものだと思う。
 私は1年続けば凄い方だもの。2,3年続けようと思うとどっかで1か月くらいの病気休暇が入ったりする。

 続かないことがコンプレックスとなるから、辞めるという言葉は言いたくない。

 場合によって相手から言っていただくことになる場合がある。
 本心は辞めたいのだ。でもコンプレックスだから言いたくない。
 そのはざまで苦しんだ挙句、出るべき答えが出るのである。
 それが先方からだったりすることもあった。

 「辞めたくなると、もう無理だ」
 知り合いがそう言った。
 その脇から違う知り合いが
 「でもやってるときは一生懸命やるけどね」
 という。
 真剣なのだ。やっているときはね。
 でも、どこかで、ダメだと思ったらダメだしかない。

 学生の頃はあっさり言えたが大人になるにつけ、やはりそれは無責任では?と思うようになる。そうすると言えない。言いたくても言えない。

 悩む。

 その内出るべき答えが出たりするし、結局、あちらからせっつかれて、こちらから本心を言わざるを得なくなることもある。

 出るようにして出るのだ。ある日、突然に。それが時が巡ったということかもしれない。

 まあ、遠からず、答えは出るかもしれない。
 

 出ることを期待している、としかまだ言えないけど。