(ベランダがこの二~三日で青く繁った感じ)
「俳句の投稿をやってネ」
と親切に俳句の投句を促すNさんからの電話があった。
「俳句はもう作れないから、、、すべったこべった」
と返事をする。
それでも、俳句を作って投句さえすれば、良い句が生まれますよ、、、などと投句を勧めて下さる。
賢い方が言葉を選んで話してくれるものだから、ついつい、それじゃ詠もうかなどと、、、
Nさんは全国区では中堅どころ以上の俳句の詠み手の方。
彼女のお世話をして下さっている俳句の集まりには、日本全国から何百人かの指導を仰ぐ人達が月に一度の募集句を投句をする。
集計をした句の中から、二句投句二句選をやる。
彼女に勧められて、今月は投句を休もうと思っていながら電話があって「投句をしてね~」と言われると、作ると言うより八転八倒??し、(パパパと適当に詠む)で送る。
俳句になっているかな~。心もとないが5・7・5 にはなっている。
それを送ると選句をされた立派な選句紙が届けられる。
彼女は亡くなった兜太氏の秘蔵っ子。
彼女の周囲の投句者も大方は兜太氏の元で勉強をやっているから、私が学んでいた結社の句風とは少し違う。
良い俳句は句風が違えど読む人の心の芯に届くはず。
しかし、そこが私からすれば少し心もとない。
私が素直に五才の子供にも理解のできるような句に接すると、選も困るだろうな!
(部屋の中からベランダを見る それなりに、よく育ってくれている)
誰におもねること無く正直な投句と選句だけれど、そこが難しいところ。
私の選は、言葉使いが素直で二章転結より一句一章にちかいのを選ぶ。
文字に修飾を施したり、上手そうに読み手を煙に巻くように詠んでいるのには見逃さない。
本当は選句が難しいのだ、、と思っている。
しかし、お世話をして下さっているNさんには感謝、感謝。それ以外の言葉は見当たらない。
とっくに俳句から足を洗って無為無策、無為無職つまらぬ時間を送っているに違いなかったはずだ。
さて、これから二句を詠もうかな~。
その程度の俳句熱になっている。
これも老のせいにするか???