大阪水曜ほっと集談会一世です。
東京オリンピックの日本人選手の活躍がうれしい私です。
さて、厳しいアスリートの世界では、激しくぶつかり合いながらも最後は握手で終わる。
時にはお互いを称えあう抱擁シーンなどが感動を呼びます。
しかしながら職場や趣味のサークルでは、必ずしもそのような時ばかりではありません。
お互いの主張がぶつかり合い、折り合いがつかないケースもあります。
それが、コミニュケーションを阻害し生産性や連携を阻むことも多々あります。
残念ながら、発見会でもそれは然りです。
誤解されることを承知で申します。
私は発見会もまた社会の縮図と捉えています。
大きくは森田療法を理論的に極めたい人と仲間との触れ合いにウエイトを置いた癒しを求める人のくくりがあります。
気になるのが、まれに一般社会で満たされなかった※自我欲求やを自己実現欲求を無自覚に発見会で満たそうとする人があります。
事実かどうかは別にして発見会のネットによる口コミにはそのような事例がかなり投稿されています。
そういう人がある重要な役割を担った時に、指導する立場と錯覚してしまうのです。
本人には、その自覚が乏しくボランティアという心地よい響きがそれを後押しします。
私は、発見会活動をボランティアと呼ぶのは嫌いです。
あくまでも、すべては自分の学びです。
※マスローの説く欲求階層説➡生理的欲求-安全への欲求-社会的欲求-自我欲求-自己実現欲求
違いを認めない、多様性を排除する組織に未来はありません。
違いを認める、埋めるためには、お互いに智慧が必要ではないでしょうか?
そこに森田療法を学んでいることの意味を私は見出したいのです。
智慧を得るためには、多くの交流(対面・オンライン)や読書、講話の傾聴など様々な方法があります。
最近私は、出勤前に「そのままのあなたですべてよし」を1~2ページ読んでから出勤することを日課としています。
本日開いたページには、「人生観が正しくなる」とは神経質気質や人間性の事実についてよりくわしく知っていくプロセスそのものを言うと書かれています。
人生観が正しくなると人との衝突も減ると頭ではわかっていますが、時々ブチ切れる私です。
2021・8・3 一世