大阪水曜ほっと集談会一世です。
本日朝2時、台風の影響で暴風雨です。
昨夜東京2020オリンピックが無事閉会式を終えました。
そして8月24日開会式のパラリンピックが開催されます。
民間ボランティアなど大会関係者はもとより、コロナ禍でも一切ぶれなったアスリートの皆さんに敬意と感謝を伝えたい。
さて、ぶれないと言えば私は、五木寛之氏の大河の一滴を思い浮かべる。
1999年初版のこの書は、コロナ禍以前から読み継がれてきた素晴らしい作品である。
新型コロナウイルスの脅威が報じられた1年半前、社会不安から五木寛之氏の大河の一滴が再びブームになった。
事実私たちの大阪水曜ほっと集談会でも読まれた方が多かった。
20代の若い頃、講演会で一度だけ氏のお話を聴いたことがある。
10代から氏のエッセイのファンであった私である。
あらためて大河の一滴を読み返すことで、何がそれほど私たちの心を惹きつけるのであろうかと考えた。
不安を受け入れる、不安と共に生きていく思想が日本人、特に神経質傾向を有する日本人の心の琴線に触れるのではないだろうか?
私は、下記の言葉に深く共感した。
「希望というものは絶望と背中合わせになっていて、深く絶望する者だけが本当の希望をつかむことができる。」
「大河の一滴」 P267優雅なる下山のやりかたを求めてより抜粋
心のとらわれから、何の希望も見出せなかった時期がある。
それは、このブログを読んでくださる会員の皆様も同じ体験をされているものと感じる。
最後にもうひとつ氏の言葉をお伝えしてこの駄文を締めくくりたい。
「この苦しみさえ、人生の大切な瞬間だと思えるようになりました。」
「苦しみは喜びを生み、悩みは発見の母となります」
「どちらがいい悪いではなく、この瞬間全てが愛おしい人生そのものなのです」
「ただ生きていく、それだけで素晴らしい」P2前書きより
氏の著書から神経質性格者の生き方を学ばせていただきました。
心の金メダルをお渡ししたい一世です。
生活の発見会このネーミングは、あらためて良いですね。
2021・8・9 一世