大阪水曜ほっと集談会一世です。
現在早朝の4時半です。
最も私が心落ち着く時間です。
さて、私は50代ですが、高齢化社会の中ではまだまだ洟垂れ小僧です。
しかし最初の入会の時期は古く、40年以上前から発見会の変遷を組織の内側から時には、外から眺めてきました。
変化の証は組織としての発見会というより、人の問題が大きかったように思います。
もちろん良い意味で、こんなにも人は変われるのだと思ったことが多々ありました。
このように穏やかで柔軟で人を包み込むような人柄になりたいと思えた人もたくさん有りました。
いわゆる、寄り添い感オーラにあふれている人です。
しかしごく一部の方の中には、症状に苦しんでおられた時の方が人間的で好感が持てたこともありました。
落ち込んで、とつとつと症状へのとらわれを語っていた同じ方がある日を境にいつの間にか豹変する。
完全に森田理論を指導する、教える立場になっているのです。
あたかも自分が森田療法の創設者のような口ぶりを聞くと思わずこのように言いたくなります。
どの口が言うてんねん!
ところで森田先生は人が本当の意味で共感したり同情することをどのように認識されていたのでしょうか?
われわれが自我というものを推し拡げていくと、人も自分と同じ人間ということがわかり大我ということになる。
本当の同情とは、相手も自分も、同じ我になって考えるのである。
人が、他者を理解しようとするとき、確かに知識は必要であると思います。
しかし知識のみで、人のこころを理解できるかと言われれば答えはNOです。
知識と智慧は違うのです。
私たちの集談会において、的確なアドバイスなど必要ありません。
また、私にはそのような能力もありません。
答えは、ご本人が見つけるのです。
私たちはそのための環境を整えるだけです。
心の発見は、あなたがするのです。
2021・8・23 一世