大阪水曜ほっと集談会一世です。
基本、抑鬱や鬱を経験したことの無い人とは友達になりたくない私です。
鬱というと何か人間的に弱いイメージがあるかもしれませんね。
けれど私はそうは思わないのです。
よく言われることですが、鬱という漢字には2通りの意味があります。
●心が晴れず気持ちが滅入る。
●草木が生い茂るように、活動が盛んである様。
行き場を失ったエネルギーがマグマのように心の中で燃えている。
ひとたび、方向性を見出せばそれは、しなやかさを得て必ず激しい生きる力になる。
人も物も強靭であるがゆえに壊れるのです。
固いものは壊れやすい。
極限まで仕事や人間関係に努力してどうしようもないところまで自分を追い込み、妥協を許さず頑張ることが出来る人間が弱いはずがないのです。
何十年も苦しんでおられる方が有りますので軽率に言うつもりはありません。
でも人生において一度はそんな鬱状態で立ち止まる経験があっても良いのではないでしょうか!
但し命が尽きるまで自らを追い込んではいけない。
鬱状態は、足踏みでも後退でもなく、再生なのです。
新しく生まれ変わるのです。
以前にも書かせていただきましたが、私は鬱によって人は完結すると思います。
自分が自分がと、自力で生きている世界から生かされている世界に生まれ変わる経験が私にとっては抑鬱体験であったと思います。
見えないところで、誰かが私を支えてくれていたのではないか。
何処かで私の事を心配したり、祈ってくれている人がいる。
初孫で可愛がってくれた亡き祖母の事をふと想い出したりする。
紅葉の美しさや金木犀の上品な香り、すべてが生き生きと命の躍動として心に入ってくる。
その事に気づかされるのも、抑鬱を経験したことで得られた貴重な体験からでした。
私の59年の人生において最高のギフトは、神経質性格と鬱であったと感じている一世です。
2021・11・5 一世