大阪水曜ほっと集談会一世です。
只今午前5時、外はまだ真っ暗です。
最近血圧にとらわれていた私ですが、症状が少し落ち着いて参りました。
そういえば、4年前にも似たような症状がありました。
それは私がこの大阪水曜ほっと集談会のブログの投稿を本格的に始めた時期とも重なります。
当時、大阪水曜ほっと集談会の事をもっと告知したいという強い思いがありました。
しかしそれ以上にあの頃の私は書くことでしか、自分を維持できなかったというのが本音です。
当時4歳下の弟が51歳で急逝して、その失意を何とか森田療法の感情の法則を唱えながら乗り越えようとしていた時期です。
初めて書いたのが、弟とアンパンマンというブログでした。
今から思いますと乗り越えるなど不遜であり、只々そこに心を委ねるしかなかったと感じています。
あの頃は職場の人間関係も最悪であり、絶えずめまいと耳鳴りに苦しめられておりました。
追い打ちを掛けるように、小さな行き違いから集談会の運営が行き詰まり一人でも続けると覚悟を決めた時期でもありました。
そのときほど生きていく上での、※不条理を感じたことはありません。
※人生に何の意義も見いだせない人間存在の絶望的状況。
その後も色々なことがありましたが、当時のことを考えますと苦しみの範疇には入りません。
一切皆苦という言葉があります。
全て、物事は思うようにならないという意味のようです。
考えてみますと、ひとは自分の意思とは無関係にある日突然、おぎゃと生まれさせられ、定命が尽きるまで人生の旅を余儀なくされます。
人間の存在そのものが、不条理であり不確かなものと言えるかもしれません。
森田先生は、不条理や不安に対して抗う心をこう述べられています。
人為的な工夫によって、望むように自己を支配しようとすることは、思うままにサイコロの目を出し、鴨川の水を上流に流そうとするものである。
思うとおりにならないで、いたずらに煩悶を増し、力及ばないで、苦痛に耐えなくなるのは当然のことである。
2021・11・28 一世