大阪水曜ほっと集談会一世です。
不思議です。
一旦プチ鬱になると普段簡単に出来ていたことができなくなる。
例えばGmailやLINEの返信が容易に出来ない。
当然電話もできない。
喫茶店やレストランのメニューがなかなか決められない。
買い物も億劫。
料理もNG、そもそも食べたいものがない。
テレビ、YouTubeも刺激が強すぎてダメ。
パソコンのブルーライトが悪魔の光に見える。
いつも同じようなパターンである。
集談会に於いて鬱傾向がない人にお願いしたい。
私のようなプチ鬱になりやすいタイプは、スマホと同じで心の充電切れによるオンとオフの差が激しい。
やらないのではなく出来ないのだと認識していただき、出来るだけ発見会の報告書の作成や返信は猶予がほしい。
私は以前は夜中に無理してやっていたが、今は失礼ながら仕事ではないのでスルーさせていただく。
仕事ではそうはいかないので、出来るだけ普段から、頼む・頼まれるの関係を築くことが望ましい。
人に何かをお願いすることが苦手な神経質である。
かくいう私も、インフルエンザで39度近い発熱でも過剰な責任感から仕事をしていたことがある。
本来ならば当然休むべきである。
ついつい、何でも抱え込んでやっている割には、感謝されない。
無理が重なりメンタルの不調で仕事に穴をあけると、それ見たことかと随分目立つ。
社会には、理知的な神経質タイプと異なり複雑な企画書の作成や対人折衝などが出来ない人も多い。
なぜやらないのかと思っていたが、本人にとっては苦痛以外の何物でもないのだと思う。
普段から正論ばかり言わず、さりげなくサポートしておけば分かるひとには伝わる。
神経質者は、理に優れているが情に欠けることがある。
優れた資質だが自分に頼りすぎるのではないか。
もちろん森田により認識や人生観が変わればそれは一変する。
要は相手が気持ちよく動いてくれれば、自分の感情がすっきりしなくても良いのだ。
コロナ対策もプチ鬱対策も何処か似ている。
普段の人間関係における貯金が大切だと思う。
備えあれば憂いなし。
昔の人は本当に智慧があった。
今を生きる私たちは過剰な知識はあっても智慧が働かないというのは言い過ぎであろうか?
2022.10.15 一世