「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

1月15日(水)14時~・1月21日(火)20時~(ZOOM)にてリモート集談会&新年会を開催します

ネット社会と森田

2021年06月25日 08時05分07秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

いきなりですが、集談会で社会問題を取り上げることへの是非はあると承知している。

私は異論はあると思うが、社会問題と森田療法を切り離して考えることは不自然であると思う。

私たちの苦しみの背景には、社会人であればブラック企業での過酷な労働環境やハラスメントもある。

そして学生であればアカデミックハラスメントやいじめの問題もある。

さて、先日NHKの「逆転人生」という番組を見た。

『ネット中傷・絶望からの‟生還”』というタイトルであった。

フリーアナウンサーで現在は天台宗僧侶・高橋美清(たかはしびせい)さんが、実際にネットで受けた誹謗中傷のため仕事も地位も失い、死の淵をさまよった事件が描かれていた。

現在、彼女は同じような悩みに苦しむ人の駆け込み寺として自宅を開放し活動されている。

誰にでもできることではない。

生死の闇から光明を見出した高橋さんの清新で輝くような笑顔がいつまでも心に残った。

SNSにより、飛躍的に情報が拡散され、世界の情報が集まってくる。

私が子供の頃の世界とは別次元である。

何十年と培った経験やスキルだけでは、若い人たちに太刀打ちできない。

私も、オンラインで集談会を開催したり、メールなどのやり取りをする中でSNSを危ういなと感じたことがある。

対面による違和感とは違い、何とも言えない深海のような不気味な感覚である。

攻撃する人間も攻撃される人間も匿名性が強いだけに、ステルス戦闘機のように見えない敵と戦うイメージである。

そのリスクも背負いながらSNSを有効活用して森田療法や私たちの自助グループについてこれからも発信していきたい。


2021・6・25 一世


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何かが、おかしいと感じませんか?

2021年06月24日 06時57分32秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

私、めちゃくちゃ怒っています。

何についてか?

ひとつは、ブラック校則です。

弁護士会が、人権侵害を指摘する程、根拠のない悪質な校則が存在するという事実です。

管理というより監視じゃないのか?

いったい学校は何がしたいねん?

おそらく、最後は誰にも責任が及ばないように作られているルールのようで胡散臭い。

元落ちこぼれのおまえが言うなと言われそうだが、敢えて言わせていただきたい。

私は、長い間自分は勉強が嫌いだと思い込んでいた。

今から40年以上前にいわゆる受験校と言われる高校に在学していた。

風紀を乱す生徒などいないにもかかわらず、細かい校則が存在した。

校則かどうかは忘れたが、男女交際はダメとか、喫茶店に行ってはならないとかバカみたいな暗黙の決まりごとがあった。

社会人になって、自分の給料から学費を捻出して、専修学校で学んだことがある。

こんなにも、学ぶことは楽しいことだったのかと目から鱗であった。

縛り付けられるために学校に行きたい人間がいるのか?

10代でしか得られない、友人との出会いもあるだろう!

本来新しい知識を得たり、学ぶことは楽しい事ではないのか?

10代の多感な時期に感動したことが、将来の夢や成りたい職業につながる事もある。

個性を無視して同じことをさせていれば安心などと安易に考えるな!

もう一つは、学校にいじめはありませんという見え透いた建前論である。

嘘を言うな!

社会でもパワハラやいじめはいくらでもあるやろ!

子供の世界は、大人社会の縮図である。

その事実を踏まえて、生きる術を教えるのが教育ではないのか?

私はブラック校則の延長線上にブラック企業があって、国民の命を最優先にと言いながら、生命の選別や軽視を思わせるブラック行政が存在するような気がする。

なぜこれほどこの国は、本音と建前が乖離しているのか?

森田先生の再教育は、今の時代にこそ、求められるのではないか!


2021・6・24 一世

 

 

 


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ピンチは、チャンス!

2021年06月22日 05時59分13秒 | コラム 

 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

今日も私の住む街は、快晴です。

もう暑すぎて、笑ってしまうぐらい、ヘロヘロです。

最近湿度と急激な気温上昇により体が悲鳴を上げている。

加えて仕事上のトラブルに奔走!

少しの気温の変化にもふらふらする人間とは、何と弱い生き物か!

もう、あかんと思いながらも何とか森田・仲間の支えを得て生活を立て直してきた私ですが、最近は普通に生きるだけで本当にしんどいなと思う。

さて、神経質症状を単に自己実現を邪魔するものしてとらえるのであれば、こんなにも無駄なものはないだろう。

何度も何度も確認をすることによる時間の無駄、死の恐怖から外出が出来ないことによる生活の停滞。

対人不安による社会的なつながりの喪失など、全てが意味のないことになってしまう。

そうではないだろう!

症状は私たちの生活や考え方の偏りに気づくヒントや軌道修正の機会を与えてくれる。

パニック障害などは普段、日常の中に覆い隠された死の問題と向き合う事を否応なしに求められる。

ピンチはチャンス!と思いたい。

症状を無駄なものと決めつける、これほどもったいないことはない。

もっと、もっと自分に優しく、症状を包み込む私でありたい。


2021・6・22一世

 

 

 

 

 


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恐怖突入は、本当に必要か?

2021年06月20日 04時49分56秒 | コラム 

 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

ただいま、朝の4:45分です。

今日は、晴れそうです。

さて最近私は、何ごとも無理をすると長続きしないなぁとあらためて感じています。

どうしても、自分がやりたいことのために必要な恐怖突入は否定しません。

しかし、症状を克服するための悲壮感漂う恐怖突入など自信喪失を加速させるだけです。

偏見を承知で、社会で神経質性格ではない人を観察するとこのような事を発見します。

まずは自分には、相当甘い。

そして他人に厳しいですね。

苦手な事、嫌な事からとことん逃げる。

そして指摘されてもあつかましく開き直る。

得意な事は、自慢する。

ごまかしたり、手抜きは日常茶飯事です。

しかしですね、ここが今日の私の話の肝ですが、完全に逃げないのです。

仕事の中身は別にして、とりあえず出勤している。

成果が出なくてもチャレンジしたふりをしている。

何とかごまかしながら学校や会社に行って、勉強や仕事をするふりをしている。

嫌な会議も何の発言もしないけれど、とにかく座っている。

それに引き換え、とらわれの最中の神経質者は症状を理由に生活をストップさせることがあります。

完全でなければ全ての責任を放棄して組織から急に撤退することがあります。

この紙一重の差が地獄を生み出すのです。

いわゆる、100点か0点かの発想です。

20点や50点が存在しない。

誤解をしないでください。

生活を維持しながら森田を学ばれている皆さんは、社会とつながりながら70点主義を実践されている方も多いですね。

コロナ禍で、いかにも体裁を整えているようにみえる偉い人もいざとなれば、危ういなぁと感じました。

今更ですが、完全など存在しません。

最後に仕事をしている振りをしてきた私一世は、いつまで経っても出世しない。(大泣)


2021・6・20 一世


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出会うべき縁があれば出会い、離れるべき縁があれば離れる。

2021年06月19日 04時07分46秒 | 集談会日記

 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

6月もオンラインで大阪水曜ほっと集談会を何とか開催することが出来ました。

夜間懇親会も含め2日間で、延べ20名の方が参加してくださいました。

感謝!感謝!です。

ところで、しばらくお休みされていた方が、久しぶりに参加されることがあります。

逆にいつも参加されていた方が急にお休みされたりすることがあります。

何故なのかと、とても気になります。

最近やっとわかったことがあります。

基本人間関係は、相手がある事なのでコントロールできないのです。

どんなに努力しても離れていく人間関係もあれば、つかず離れずで何十年も続く人間関係もあります。

職場の様に何十年一緒にいても心の距離が縮まらない人間関係もあれば、集談会のように初めてあったのに意気投合することもあります。

人と人との関係は、摩訶不思議ですね。

私自身の事で申しますと、去る者は追わずという感じでしょうか。

出来るだけ感謝や見返りを要求する人とか、心理的な取引をする人とは関わらないようにしています。

年齢を重ねるうちにそのような人間の人工的な笑顔や優しさに隠れた不誠実さがわかるようになってきました。

また、大切な人ほど距離を置くようにしています。

その人と長く友人でいたいが為に、どかどかと相手の心の境界線に侵入しないように気を付けています。

以前新聞で読んだ記事に、このような記述がありました。

出会うべき縁があれば出会い、離れるべき縁があれば離れる。

なんだか心が少し軽くなった気がする一世です。


2021・6・19 一世


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