「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

2月19日(水)14時~・2月18日(火)20時~(ZOOM)にてリモート集談会を開催します

カニカマ森田と破邪顕正

2022年05月06日 08時35分13秒 | コラム 

 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

カニカマが好きな私です。

貧乏で本当の蟹が買えないだけですが。

カニカマとは、風味、食感、色、形などを蟹の身に似せて作られた蒲鉾です。

主な原料はスケトウダラです。

これを発明した日本人は天才ですね。

これが大好きな私です。

しかしカニカマ森田は大嫌いです。

誤解を承知で申します。

森田療法を装った行動主義、成果主義が嫌いなのです。

森田療法の目指す処が人間的成長というのも何か違和感を感じる天邪鬼な私です。

以前人は成長しなければならない存在なのかというタイトルでブログを書きました。

人間的な成長とは何でしょうか!

私には今の自分がどう考えても森田療法に出会わせていただいた10代より成長したとは思えないのです。

10代の方が生きることに真摯でありました。

今は苦しいと、ハイボール3杯飲んでしまう私です。

1杯では、ダメなのです。(どうでもエエやろ)

カニカマ森田、パチモン森田、森田もどき、森田まがいなど新しい森田用語を発明している私です。

当然ですが、発見会では非公認です。

10代から数えきれないくらい講話や体験記や自己紹介を聴いてきた私です。

直感でこれは違うなと思うことが時々あります。

共通するのは饒舌すぎることです。

そしてもうひとつは、行動による成果に誘導、帰結させよう

とする内容です。

またあまりに理路整然としてとして立て板に水のようにスッキリと語られる森田に違和感を感じます。

森田療法に出会うまでに数多く人生論や啓発書を読みましたが反省を強いられるばかりでよりとらわれを深めました。

しかしこの体験からこの内容は神経質性格には合わないと直感的に見破ることができました。

森田先生はこう述べられています。

破邪顕正といって、正道・真理を発見するには、迷信・邪道を明らかにし、見破ってでなくてはできない。

白い色を認識するには、必ずその他のすべての色を否定しての、後でなくてはならない。

否定の研究の必要なことは、これがなければ、正しい肯定を確保することができないためである。

もっと早く森田療法に出会えていればと嘆く人があります。

大疑あれば大悟ありといわれますが、その回り道は決して無駄ではなかったのです。



2022・5・6 本当の蟹が食べたい 一世 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

端午の節句と弱さになりきる

2022年05月05日 05時48分07秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

さて、今日は端午の節句ですね。

男の子のすこやかな成長と健康を願って、お祝いをする日とされています。

私にも初孫の4歳になる男の子がおりますので、これからささやかなお祝いをしてやるつもりです。

端午の節句も書きたい、弱さになりきるも書きたいと、このようなちぐはぐなタイトルになりました。

さて、家庭や企業においても弱者の極みの私です。(トホホ)

時折集談会では、過去にいじめられた体験や友人がいない孤独などが赤裸々に語られます。

そのような私たちに森田療法は、弱者としての生き方を説いていますね。

森田先生は、このように言われています。

すなわち「弱くなりきる」ということは、人前でどんな態度をとればよいかという工夫の尽き果てたときであって、そこにはじめて、突破・窮達ということがことがあるのである

窮達とは願望などを成就すること、やりとげること。

私にも40年近い長きにわたるサラリーマン生活に於いて過去にどうにもならない時期がありました。

人間関係がもつれ、四面楚歌で適応障害にも追い込まれました。

しかしそこから人生の新しい局面が展開し、違う自分や友人との出会いにもつながったと感じています。

それゆえに森田先生の言われる弱さになりきるが心に沁みるのです。

さらに森田先生はこう述べられています。

この弱く「なりきる」ではなく、たんに付け焼刃で、空元気で突破するというときは、たまたまこれが成功して、自分もやれば、やれるものということを知り、恐怖が軽快したようになるけれども、これは再発を免れないのである。

私は、親愛なる会員の皆様に申し上げたい

神経質者の生き方は、たとえとらわれから解放されたとしても、行動・実践でどんどん突き進んで行く強者の生き方でないと思います。

そしてこの得難い神経質性格を変える必要はまったくないのです。

常に神経質のアンテナを立てながらリスク管理を怠らず、どこまでも、いつまでもビクビク・ハラハラしながら生きていきたいと願う一世です。



2022年5月5日 一世 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

重大事故と悪智

2022年05月03日 06時05分44秒 | コラム 

 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

ゴールデンウイーク7連勤の山を越えられそうな予感がしています。

蔓延防止が解除され、経済活動の復活の兆しが見られますが問題は山積です。

人員は、そのままで仕事が増えていくのです。

結果としてミスが生じやすいのです。

さて、先日大きな海難事故が発生しました。

このような大事故が起こる度に思うことがあります。

最終決定権のあるリーダーに神経質の素質があれば回避できたのではないか!

私たちは取り越し苦労をします。

起こりえないことに振り回されるのはとらわれですが、取り越し苦労をすることでリスクを察知している場合も多いのです。

私も随分この取り越し苦労に苦しみましたが、後でその通りになった事も多々ありました。

結果として取り越し苦労に助けられたのです。

さて有名な重大事故発生の確率に関して「ハインリッヒの法則」があります。

別名を「1:29:300の法則」「ヒヤリハット」の法則と呼ばれることもあります。

よく言われる「1の重傷事故の影には29の軽症事故と300の無症事故が発生している」というものです。

無症事故の段階でどう対応するかこれが一番大切ですね。

私はもうひとつ人間の心に潜む問題にも触れたいと思います。

この度もそうですが自然界の摂理を無視した人間の驕りは常に繰り返されるのです。

それを、森田先生はずばり悪智と呼ばれています。

森田先生は端的にこう書かれています。

自分の考え方で、事実の真相を曲げようとする。

これが悪智です。

集談会のような心の機微な問題を扱う場では、個人情報やコンプライアンスに関しての取り越し苦労は特に必要です。

私たちの集談会では、始める前に必ず個人情報に関する決め事や発見会の活動指針を読むことにしています。

自助グループだからあまり細かい規定は避けたいものです。

ただ自助グループだからこそより一層、リスク管理を怠ることは危険であると考えている一世です。



2022・5・3 一世


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アーカイブ 傷ついたっていいじゃないか! 1年前の投稿より

2022年05月02日 08時00分26秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

ゴールデンウイークは、もっとも仕事が忙しい時期です。

毎日仕事で忙殺され少々疲れ気味の私です。

過去の投稿で失礼かと思いますが再度ご覧いただければ幸いです。

2022年5月2日 一世



大阪水曜ほっと集談会一世です。

若い時は心が傷つき立ち直れないように思うことも多かった。

そのような時代が長くあった。

くよくよする自分が嫌で嫌で仕方がなかった。

しかし傷つくことは、不必要なことなのか?

以前にアコヤガイ(別名真珠貝)は、海の中の虫や砂なる異物を取り込むことで異物を包み込みあの美しい真珠を生み出すと聞いたことがあった。

ああそうなのか!

人もまた外部から与えられる心の傷を取り込み包み込むことで人として完結するのかもしれない。

自分と違う者、自分を否定するものを受け入れることは辛い。

しかし時には、排除するのではなく包み込む。

私は、プライドが傷つくという若者が嫌いだ。

そんな小さなプライドなんかさっさと捨てちまえ!

もっと若者らしいひたむきさや一途な思いがあっても良いではないか。

人からどう思われるか?

そんな小賢しいことより馬鹿みたいに突っ走って傷ついたっていいじゃないか!

結果として毎日、毎日くよくよ思い悩んでもいいじゃないか。

これはかつて、失敗を恐れて石橋をたたいて叩き割って進まなかった私への怒りのメッセージである。

人は失うことがあれば、必ず新しい出会いに恵まれる。

知らず知らずのうちに面の皮が分厚くなって傷つくことが減った。

傷つくことも感性のひとつかもしれない。

58年間生きてきてそう思う。

時々あなたは、強い人ですね。

と言われることがある。

 強いも弱いもない。 

傷を少し早く癒す老獪さが身についただけである。

しいて言えばただ、自分の人生を引き受けようと決めただけである。


2021・2・17 一世

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする