<孫文・梅屋庄吉と長崎><長崎上海航路>記念シンポジウム in 長崎
1月23日、長崎ブリックホールで
辛亥革命100周年・日中国交正常化40周年を記念して
孫文・梅屋庄吉と長崎、長崎上海航路就航記念のシンポジウムが開催された。
この日は月曜日。 ランタンフェスティバル初日。
中国式のNew Year's Dayでも、あった。
最初に中村法道知事を中心に昨年発足した
<孫文・梅屋庄吉推進協議プロジェクト委員会>の第3回委員会が開かれた。
時間30分では説明しきれないほど
多くのプロジェクトが昨年行われた。
プロジェクトを推進している間に
辛亥革命の発端の地、湖北省や
孫文先生の生誕の地、中山市と長崎との
友好交流締結など
孫文先生と梅屋庄吉の友情の歴史をベースに
現在の
友好交流の輪が広がりを見せていった。
孫文先生と梅屋庄吉夫妻の銅像が中国から贈られ
長崎県からは上海紹興公園に梅屋庄吉像が贈られた。
展示会や多くの交流事業も行われ
上海航路の就航も現実となった。
推進協議会委員会は予定時間を過ぎて、終了。
その後、
シンポジウムの会場となったブリックホールに
どどどどぉ~っと多くの方が入場されてきたのには驚いた!
会場の案内係の方がどんどん2階席へ案内する。
立ち見の人も!!
実はこのシンポジウムの日は平日の午後だったので
来場者はそんなにいないんだろうなぁ、、と思っていた私は圧倒された。
2階席の上の方までぎっしり!!満員御礼
まず、シンポジウムは
中村法道長崎県知事、
李文亮長崎総領事、
そして私の
3人によるトークショーからはじまった。
中村知事
多くのプロジェクトをひっぱっていってくださった
李総領事は長崎への思いも深く、このプロジェクトを
積極的に、全面的に応援してくださった
私はこのプロジェクトは辛亥革命100周年で終わるものではなく
むしろ、
これがスタートの年であると思う・・・。
これからは<アジアの時代>であるといわれているが
本当の意味でのアジア人だった梅屋庄吉なここ、長崎でだからこそ、生まれたということ
そのことをこれからもお伝えしていきたいし、
長崎の皆様は長崎というアジアへの架け橋の場所にいらっしゃるということを
この友情の歴史を通して感じていただければ嬉しい、、、
というような趣旨のことをお話しした。(と思う。)
3人のトークショーの後は
中国社会科学院近代史研究所前所長であられる
歩平先生による基調講演。
パワーポイントでさまざまな歴史資料や
先生の見解をまとめられたものをスライドで見せていただきながら、
先生の、
なんと<独学>で習得された日本語での講演に聞き入った。
歩平先生は辛亥革命100周年を記念して
孫文先生と梅屋庄吉夫妻像を寄贈するという素晴らしいご提案をしてくださった方でも、ある。
近代史、には当然、<戦争>がある。
日本・韓国・中国 それぞれの<戦争>について
被害者意識にだけ立つのではなく
それぞれの被害を認識しあい、
たとえば、広島・長崎と南京がそれぞれの戦争被害について
わかちあう、などの交流も大切ではないか、と話された。
片方の国からだけみる<戦争>ではなく
互いの国の視点からみて、思いを共有してはじめて、
私たちはこれから<アジアの時代>と胸をはって言えるのではないかな、と
思った。
歩平先生の基調講演の後は
歩平先生、上海の兪彭年先生、
谷野作太郎元中国大使、東京大学の川島先生・・・と
そうそうたる顔ぶれのパネリストの先生がたによる
シンポジウム。
コーディネーターの脇田先生は
全体の流れをみながら
会場の皆さんの興味をひくテーマを次々と先生がたになげかけていかれた。
長いこと外交の最前線で日中関係にかかわってきた
谷野元大使。
外務省からの資料もお持ちくださり、
フランス・ドイツも戦争を過去繰り返してきた両国だけれど
エリゼ条約を結び、さまざまな交流で互いの信頼関係を築いていることを
ご紹介くださった。
このお話に、日中関係をゆるぎないものにしていく大きなヒントを感じた。
川島先生ははまさに歴史を学ぶことによって
現代社会を見つめる、という視点でお話されるので
目からウロコの、ことがたくさんありますし、
多くの学問的裏付けの上にお話しされるので
そのお話のどれもが<かっこいい!・・・のデス>
<上海万博などを通じて、上海の皆さんが梅屋庄吉を知ることになりましたが
上海の皆さんはこのことをどう思っていらっしゃるのでしょうか?>
という脇田先生の問いかけに上海の兪彭年先生は
~テレビや映画などで頻繁に南京大虐殺など
日本の侵略戦争のことがとりあげられるので、
多くの中国の人々は日本人は<恐ろしい、怖い、鬼のようだ>と思っている。
しかし、梅屋さんのような<良い日本人もいるんだなぁ>ということを知った。
でも、梅屋さんがいくら良いことをしたとしても
それが日本の中国に対する侵略戦争を消すことにはならない。~
というご発言をされた。
ずいぶんはっきりとしたご意見だなぁ、と思ったが
もしかしたら大多数の中国の方の率直な意見かもしれない、とも思った。
私が上海万博をはじめ、
武漢、中山、香港、東京、長崎などで展示会をさせていただいてきているのは
何も
梅屋庄吉で日本の侵略戦争を無いものにしよう、
なんてこれっぽっちも、思っていない。
日本が多くの中国の方々を犠牲にした戦争はもちろん大変な歴史であると思っている。
でも
中国やアジアの将来、平和をのぞんで生きた日本人もいて
その日本人は
近代中国を築いた孫文先生はじめ多くの方々と
深い友情で結ばれていたのですよ、
ということを、という歴史もまた
日中の間の大切な歴史ではないでしょうか?
というのが私のやってきたこと、やっていることの思いだ。
このほかにも結構
白熱したテーマがいくつかあり、
登壇されていらっしゃる先生方も超一流の先生ばかりなので
私も
おそらく会場にいらした皆様も
食い入るように聞いていたのではないだろうか。
~日中交流の新しい潮流~という副題が
提示されていたが
実に素晴らしく濃い内容のシンポジウムであったと思う。
この後、
私たちはランタンフェスティバルの開幕式に出席した後
<はし本>に場所をうつし
お酒をくみかわしながらも
実はまだこのシンポジウムの興奮さめず
続編を繰り広げた。。。。
1月23日、長崎ブリックホールで
辛亥革命100周年・日中国交正常化40周年を記念して
孫文・梅屋庄吉と長崎、長崎上海航路就航記念のシンポジウムが開催された。
この日は月曜日。 ランタンフェスティバル初日。
中国式のNew Year's Dayでも、あった。
最初に中村法道知事を中心に昨年発足した
<孫文・梅屋庄吉推進協議プロジェクト委員会>の第3回委員会が開かれた。
時間30分では説明しきれないほど
多くのプロジェクトが昨年行われた。
プロジェクトを推進している間に
辛亥革命の発端の地、湖北省や
孫文先生の生誕の地、中山市と長崎との
友好交流締結など
孫文先生と梅屋庄吉の友情の歴史をベースに
現在の
友好交流の輪が広がりを見せていった。
孫文先生と梅屋庄吉夫妻の銅像が中国から贈られ
長崎県からは上海紹興公園に梅屋庄吉像が贈られた。
展示会や多くの交流事業も行われ
上海航路の就航も現実となった。
推進協議会委員会は予定時間を過ぎて、終了。
その後、
シンポジウムの会場となったブリックホールに
どどどどぉ~っと多くの方が入場されてきたのには驚いた!
会場の案内係の方がどんどん2階席へ案内する。
立ち見の人も!!
実はこのシンポジウムの日は平日の午後だったので
来場者はそんなにいないんだろうなぁ、、と思っていた私は圧倒された。
2階席の上の方までぎっしり!!満員御礼
まず、シンポジウムは
中村法道長崎県知事、
李文亮長崎総領事、
そして私の
3人によるトークショーからはじまった。
中村知事
多くのプロジェクトをひっぱっていってくださった
李総領事は長崎への思いも深く、このプロジェクトを
積極的に、全面的に応援してくださった
私はこのプロジェクトは辛亥革命100周年で終わるものではなく
むしろ、
これがスタートの年であると思う・・・。
これからは<アジアの時代>であるといわれているが
本当の意味でのアジア人だった梅屋庄吉なここ、長崎でだからこそ、生まれたということ
そのことをこれからもお伝えしていきたいし、
長崎の皆様は長崎というアジアへの架け橋の場所にいらっしゃるということを
この友情の歴史を通して感じていただければ嬉しい、、、
というような趣旨のことをお話しした。(と思う。)
3人のトークショーの後は
中国社会科学院近代史研究所前所長であられる
歩平先生による基調講演。
パワーポイントでさまざまな歴史資料や
先生の見解をまとめられたものをスライドで見せていただきながら、
先生の、
なんと<独学>で習得された日本語での講演に聞き入った。
歩平先生は辛亥革命100周年を記念して
孫文先生と梅屋庄吉夫妻像を寄贈するという素晴らしいご提案をしてくださった方でも、ある。
近代史、には当然、<戦争>がある。
日本・韓国・中国 それぞれの<戦争>について
被害者意識にだけ立つのではなく
それぞれの被害を認識しあい、
たとえば、広島・長崎と南京がそれぞれの戦争被害について
わかちあう、などの交流も大切ではないか、と話された。
片方の国からだけみる<戦争>ではなく
互いの国の視点からみて、思いを共有してはじめて、
私たちはこれから<アジアの時代>と胸をはって言えるのではないかな、と
思った。
歩平先生の基調講演の後は
歩平先生、上海の兪彭年先生、
谷野作太郎元中国大使、東京大学の川島先生・・・と
そうそうたる顔ぶれのパネリストの先生がたによる
シンポジウム。
コーディネーターの脇田先生は
全体の流れをみながら
会場の皆さんの興味をひくテーマを次々と先生がたになげかけていかれた。
長いこと外交の最前線で日中関係にかかわってきた
谷野元大使。
外務省からの資料もお持ちくださり、
フランス・ドイツも戦争を過去繰り返してきた両国だけれど
エリゼ条約を結び、さまざまな交流で互いの信頼関係を築いていることを
ご紹介くださった。
このお話に、日中関係をゆるぎないものにしていく大きなヒントを感じた。
川島先生ははまさに歴史を学ぶことによって
現代社会を見つめる、という視点でお話されるので
目からウロコの、ことがたくさんありますし、
多くの学問的裏付けの上にお話しされるので
そのお話のどれもが<かっこいい!・・・のデス>
<上海万博などを通じて、上海の皆さんが梅屋庄吉を知ることになりましたが
上海の皆さんはこのことをどう思っていらっしゃるのでしょうか?>
という脇田先生の問いかけに上海の兪彭年先生は
~テレビや映画などで頻繁に南京大虐殺など
日本の侵略戦争のことがとりあげられるので、
多くの中国の人々は日本人は<恐ろしい、怖い、鬼のようだ>と思っている。
しかし、梅屋さんのような<良い日本人もいるんだなぁ>ということを知った。
でも、梅屋さんがいくら良いことをしたとしても
それが日本の中国に対する侵略戦争を消すことにはならない。~
というご発言をされた。
ずいぶんはっきりとしたご意見だなぁ、と思ったが
もしかしたら大多数の中国の方の率直な意見かもしれない、とも思った。
私が上海万博をはじめ、
武漢、中山、香港、東京、長崎などで展示会をさせていただいてきているのは
何も
梅屋庄吉で日本の侵略戦争を無いものにしよう、
なんてこれっぽっちも、思っていない。
日本が多くの中国の方々を犠牲にした戦争はもちろん大変な歴史であると思っている。
でも
中国やアジアの将来、平和をのぞんで生きた日本人もいて
その日本人は
近代中国を築いた孫文先生はじめ多くの方々と
深い友情で結ばれていたのですよ、
ということを、という歴史もまた
日中の間の大切な歴史ではないでしょうか?
というのが私のやってきたこと、やっていることの思いだ。
このほかにも結構
白熱したテーマがいくつかあり、
登壇されていらっしゃる先生方も超一流の先生ばかりなので
私も
おそらく会場にいらした皆様も
食い入るように聞いていたのではないだろうか。
~日中交流の新しい潮流~という副題が
提示されていたが
実に素晴らしく濃い内容のシンポジウムであったと思う。
この後、
私たちはランタンフェスティバルの開幕式に出席した後
<はし本>に場所をうつし
お酒をくみかわしながらも
実はまだこのシンポジウムの興奮さめず
続編を繰り広げた。。。。