東京大空襲から67年。そして明日、あの大震災からちょうど1年を迎えます。
被災地から離れた横浜でさえ、自然の力の大きさを身近に感じ、驚くばかりだったあの日から1年。
他人事で済ませてしまうにはあまりにも大きすぎる出来事に、とまどいながらも何かをしなきゃ、考えなきゃと思う1年でした。
6月末と8月半ばに、本当に短期でしたが、気仙沼へ行きました。現場を目の当たりにし、言葉もありませんでした。自然の恩恵という言葉がありますが、それとは真逆の脅威とも、隣り合わせていることをはっきりと自覚した瞬間でした。
写真の場所は今どうなっているのでしょうか。ボランティアが激減していると報道されています。
あのとき思ったことは、小さな力でも集まれば大きな力になるということでした。最近そのことを忘れかけていました。
今自分にできることは、あまりにも小さなことだけど、それでもやらないよりはささやかながら義援金を送ったり、被災地のことを思ったりすることに何かしら意味があるかもしれないと、あるならいいなと思います。
温かくなったら、時間を見つけて気仙沼を再訪してみたいと思います。どなたか一緒に行きませんか。
※明日はお気楽な記事を書くにはふさわしくないと考え、ブログの更新を1日休止します。
被災地から離れた横浜でさえ、自然の力の大きさを身近に感じ、驚くばかりだったあの日から1年。
他人事で済ませてしまうにはあまりにも大きすぎる出来事に、とまどいながらも何かをしなきゃ、考えなきゃと思う1年でした。
6月末と8月半ばに、本当に短期でしたが、気仙沼へ行きました。現場を目の当たりにし、言葉もありませんでした。自然の恩恵という言葉がありますが、それとは真逆の脅威とも、隣り合わせていることをはっきりと自覚した瞬間でした。
写真の場所は今どうなっているのでしょうか。ボランティアが激減していると報道されています。
あのとき思ったことは、小さな力でも集まれば大きな力になるということでした。最近そのことを忘れかけていました。
今自分にできることは、あまりにも小さなことだけど、それでもやらないよりはささやかながら義援金を送ったり、被災地のことを思ったりすることに何かしら意味があるかもしれないと、あるならいいなと思います。
温かくなったら、時間を見つけて気仙沼を再訪してみたいと思います。どなたか一緒に行きませんか。
※明日はお気楽な記事を書くにはふさわしくないと考え、ブログの更新を1日休止します。