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眠っていた新芽たちが、何やら一斉にざわざわと目覚め始めました。
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命の力強さを感じずにはいらにさしたままだった、ガジュマルの小枝も根を出し始めていました。
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生きとし生けるものがもつ生きるというパワー。その力強さ。
命の輪は受け継がれ、繰り返されていきます。
間も無く迎える父の命日。
父の最期を看取ったときに受け取ったメッセージは「生きるという強さ」でした。
父のことを考えるとき、頭に浮かぶのは小学生のときに習った「ゆずり葉」という詩。詩人、河井酔茗さんが57歳の時に書いた詩だそうです。わたしが生まれる前に亡くなられた方なので、ちょっと前時代的な印象もありますが、まっすぐに生きる父親像が自分の父の面影と重なります。
父のことを考えるとき、頭に浮かぶのは小学生のときに習った「ゆずり葉」という詩。詩人、河井酔茗さんが57歳の時に書いた詩だそうです。わたしが生まれる前に亡くなられた方なので、ちょっと前時代的な印象もありますが、まっすぐに生きる父親像が自分の父の面影と重なります。
わたしは確かに両親からたくさんのものを譲り受けたと思います。そして、ゆずり葉を見上げるとき、新芽ではなく散りゆく葉に想いを寄せる、そんな年齢にいつの間に近づいてきたようです。
この詩の中でわたしが唯一違和感を感じる一節があります。
「こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずって――。」
命は無造作に散ったりはしません。自分の意思には関係なく、体は必死に生きようと最後まで粘り続けるようです。それが生き物の本能なんだと思います。その力強さが命の輪を巡らせているように感じます。春はそんな命の力をいつも以上に感じる季節です。
※※※※※※※※※※※※※
「ゆずり葉」
子供たちよ。
これはゆずり葉の木です。
このゆずり葉は
新しい葉が出来ると
入り代わってふるい葉が落ちてしまうのです。
こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずって――。
子供たちよ
お前たちは何をほしがらないでも
すべてのものがお前たちにゆずられるのです。
太陽のめぐるかぎり
ゆずられるものは絶えません。
かがやける大都会も
そっくりお前たちがゆずり受けるのです。
読みきれないほどの書物も
みんなお前たちの手に受け取るのです。
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれど――。
世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちにゆずってゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
一生懸命に造っています。
今、お前たちは気が付かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のようにうたい、花のように笑っている間に
気が付いてきます。
そしたら子供たちよ、
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見る時が来るでしょう。
この詩の中でわたしが唯一違和感を感じる一節があります。
「こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずって――。」
命は無造作に散ったりはしません。自分の意思には関係なく、体は必死に生きようと最後まで粘り続けるようです。それが生き物の本能なんだと思います。その力強さが命の輪を巡らせているように感じます。春はそんな命の力をいつも以上に感じる季節です。
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「ゆずり葉」
子供たちよ。
これはゆずり葉の木です。
このゆずり葉は
新しい葉が出来ると
入り代わってふるい葉が落ちてしまうのです。
こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずって――。
子供たちよ
お前たちは何をほしがらないでも
すべてのものがお前たちにゆずられるのです。
太陽のめぐるかぎり
ゆずられるものは絶えません。
かがやける大都会も
そっくりお前たちがゆずり受けるのです。
読みきれないほどの書物も
みんなお前たちの手に受け取るのです。
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれど――。
世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちにゆずってゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
一生懸命に造っています。
今、お前たちは気が付かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のようにうたい、花のように笑っている間に
気が付いてきます。
そしたら子供たちよ、
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見る時が来るでしょう。
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