屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

”ブリザックREVO2”と晩秋の手稲

2006年11月21日 | 日常
先日、スタッドレスタイヤに交換したばかりだが・・
三シーズンも走っていたし、減り具合はともかく、
硬度計はやはり黄色ゾーン(注意)を指していた。
そういうわけで、ブリザックREVO2 を購入・・
ブリザックのタイヤは高いが、まあ雪道はこわいから。
ただどんなタイヤを履いていても安全運転と早めのブレーキは絶対厳守、
もちろん飲んだら乗らない、これは当然だからね。



おろしたてのタイヤは効きがよくないので、慣らしをかねて少し走ることにした。
うちから15分もいけばこんな風景と出合う。
折り重なった落葉を踏みながら、晩秋の寂しい景色のなかをぶらぶら歩く。
小さい赤い実をつけている木はなんという木かなあ。
ぶちょうほうさん とちがってその実を賞味する度胸はない。




父と暮らせば  

2006年11月20日 | 日常
父と暮らせば  は被爆した若き女性の物語・・
娘は原爆投下で父を亡くし、ひとり生き残ってしまった罪悪感に苦しんでいる。
しかし、その娘に好意を示す青年が現れた。
「幸せになりたい自分」と「幸せになってはいけない自分」・・
「幸せになりたい自分」は父の亡霊となって、自虐的なもう一人の自分を励まそうとするのだが。
そして、・・・

ラストシーン、カメラは台所で人参を刻んでいる美津江から徐々に天井へ向かう、
それは鉄筋だけの空が透けて見える原爆ドームであった。
ドームの廃墟に二輪の白い花・・
もしかして、その二つの花は父と娘の魂であったかも知れない。

井上ひさし原作・・
宮沢りえと原田芳雄の二人芝居のような映画であった。
近日中にBSで放映されるから、もう一度観たいなあ・・
美津江の広島弁の台詞を聞いているだけでも悲しい。



石狩番屋すぐ近くの石狩川の夕暮れ三景・・
ここから石狩川河口まで、あと少し、
それにしても流れはとてもゆったりしていた。






京都摩訶不思議ライブ

2006年11月19日 | 日常
「世界鬼学会」から、京都摩訶不思議ライブの案内が送られてきた。

11月21日は 「鬼の棲む都~化粧文化の側面から探る」
出演者は鬼学会の兄であるから、弟たるもの、兄の宣伝に努めるのが魔界の掟なのである。





俳句のまち石狩の句碑二つ

2006年11月19日 | 日常
   番歌の途切れ途切れて風に乗り  竹内日奈

俳句のまち「いしかり」の第一回俳句コンテスト金賞作品である。
石狩の海と風の音が聞えてきそうないい句だね。



石狩弁天社の西国三十三ケ所霊場の石碑・・
野ざらし観音を囲むように33体の地蔵が奉られている。
西国というから四国八十八箇所の札所と関係あるのだろうね。

ウォーカーズ~迷子の大人たち
さまざまな悩みと過去をかかえた大人たちが、悲喜こもごも四国巡礼の旅を続ける。
先週に続いてこのドラマをみていたら、
自分も”歩き遍路”になって四国巡礼をしているような気分になってきた。



秩父事件 の首謀者といわれる井上伝蔵が石狩に逃れて小間物兼文房具屋も営み、
「柳蛙」の号で句会に参加していた。

石狩弁天社にある彼の句碑である。

   俤の目にちらつくやたま祭

はるか秩父の大宮神社のことを想っていたような気がする。



よごれたる煉瓦の壁

2006年11月18日 | 日常
   よごれたる煉瓦の壁に降りて融け
     降りては融くる春の雪かな     石川啄木




「心にしまっておきたい日本語」

金田一春彦氏は石川啄木のことをこう語っている。

啄木は東京に出てからも赤貧にあえぎ、しょっちゅう父のところに借金にきていた。
父は啄木に劣らず貧しかったが、なにもいわずになけなしの金を貸してあげたらしい。
そんなわけで母は啄木をまるで仇敵のように憎み、わたしが子供のころも
「あの人はひどい人だ。家だって苦しいのに、その家からお金を持っていってしまうのだから」
といつも愚痴をこぼしていた。
啄木はそのお金で妻子を養っていたわけではない。
酒と女に使っていたのだから、母の憤慨ぶりもわかる。
彼はきつい言い方をすると嘘の天才である。
たぶん父に借金するときも、あることないこと並べ立てて父の同情を買ったのだろうと思う。

   東海の小島の磯の白砂に
   我泣き濡れて蟹とたわむる   

   たはむれに母を背負いてその余り
   軽きに泣きて三歩歩まず

啄木のこの歌はあまりに芝居がかっていて好きになれない。
しかし、”よごれたる煉瓦の壁・・”この歌だけは啄木の心情が素直に歌われているような気がする。
よごれたる煉瓦というのは啄木自身の心のことかと思う。




作品と作者の人格は関係ないといってしまえばそれまでだが、
それも限度があると思う。
もちろん、高潔な人格でなくてもよいが、
酒と女と嘘だらけの男が、
”たはむれに母を背負いて・・”
と詠まれてもこれはどうも胡散臭いと感じるしかないのである。

このころNHK俳句の入選作をみて首をかしげるときがある。
そこには写実も感性もなく、
巧みな言い回しでお題を盛り込んでいくテクニック、
それだけが見え隠れする。
選者はその小器用さに惑わされているのではないかと思ってしまう。



11月15日石狩の海と灯台