1985年8月12日、JAL123便が御巣鷹山に墜落した。
あれから、28年。
私は、事故の前日(8月11日)、昼間の便であったが、東京から大阪へ、JALに乗っていた。
8月12日は、月曜日。
そう、今年と同じカレンダーだった。
私は、月曜日から仕事だったので、前日の日曜日に移動。
月曜日、仕事が終わり、同僚と飲んでホテルに帰ったら、TVでJAL123便の飛行機が消息不明と放送していた。
大阪の友達、東京の友達が、乗客名簿に無いかを、深夜まで食い入るように見て探していたのを思い出す。
さて、28年も経つと、JAL123便の真実と言って、いろいろ語られる。
読むと背筋が凍るようおな内容の記事があった。
ご参考まで、ここを参照し、見てください。
http://blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/4121599.html
このWEBでは、墜落時、40-50人の生存者がいた。
自衛隊が、夕方には100人単位現場にいて、何かを回収していた。
ひどく焼かれた遺体があったが、周りの木々はそれほどでも無かった。
生存者はVXガスで殺された?。
ミサイルが飛んできた。
等の情報が書かれています。
いづれ、真実が公開された時に、なぜ、そうなったのか、もう一度見直す必要があると考える。
坂本九さんはじめ、事故で亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈りいたします。
休題:
私は、その週の金曜日(16日)に、JALの最終便で、東京に帰りました。
JAL123便では、後部座席に座っていた人が助かった。
普段は、前方の席から埋まっていくが、金曜日の便は、前の席に10名ぐらいが座って、まばらな状態。
ほとんどの乗客は、後方の席を希望し、後部座席は、後ろから綺麗に埋まっていた。
不安だったら、飛行機に乗るのを止めたらと思った。
たぶん、キャンセルできない事情があったのだろう。
私は、飛行機事故の確率から言うと、同じ週に墜落することはないと考え、搭乗した。
ジャンボ機で、お盆の時期でもあったが、とにかく、空席が目立っていた。
同じ週の飛行機だったので、JAL123便墜落事故の影響が大きかった。