19年前の1995年3月20日。
東京で、地下鉄サリン事件が起こった。
この当時は、インターネットが普及はしていなかったので、大阪にいた私には、ほとんど情報が入ってこなかった。
昼休み、東京で大事件が起こっているという噂話だけだった。
その日の夜、テレビを見て、その悲惨な状況が分かったが、その悲惨さもテレビでは、正確に把握できていなかったことを覚えている。
今月(3月)20日、夕方、サリン事件で亡くなられた方の追悼式をテレビで見た。
改めて、ご冥福をお祈りいたします。
オウム真理教の悲惨な事件については、今回は、書かない。
19年前のインターネットや、情報伝達の状況を書きたい。
この1995年は、1月17日には、阪神淡路大震災があった。
大阪は、その地震の被害の大きさのショックから、少し落ち着き始めていた頃である。
その同じ年の3月20日、東京での地下鉄サリン事件が発生。
テレビは、テレビ受信機がないと見えなかった。
勿論、携帯電話でテレビが見える時代ではなかった。
会社にも、テレビが無かった。
携帯電話は、阪神大震災の時に、携帯電話だけ通話できたという情報で、関西では、このころから普及し始めた頃である。
私も、この地震の後のこの頃に、携帯電話を購入した。
この当時は、会社も携帯電話の明細表(どこに通話したかの記録)を付けて請求すると、支払ってくれた、そんな時代である。
PCのOSは、Windows3.5か、Win3.1。
この年の11月23日に、Windows95の日本語版が発売された。
インターネットは、会社でも、特殊な通信経路のみで使える状況であった。
ニュースの発信源である新聞社、放送局でも、インターネットでニュース提供していなかった。
従って、サリンのニュースは、知る方法がなかったのである。
その当時では、今のスマホなどと言うものは、想像できなかったものである。
通信手段の高速化と、CPUの高速化と小型化、液晶画面、タッチパネル、新聞社によるニュース提供等、あらゆる技術、インフラが高度化し、今のスマホが使える環境になっている。
IBMがThinkPadを作ってから、LAPTOPのPCが普及したような気がする。
当時のLapTopと言っていても、重いもので、携帯するようなPCではなかった。
その後、ThinkPadが発売されたは、93年頃で、20万円以上していた。
このThinkPadから、携帯できるPCになった気がする。
アメリカの会社は、.COMを宣伝していたが、日本では、そんな企業はなかった。
個人のブログやSNSの世界が来るなんでことは、その当時は、考えられなかった。
(恐るべき技術の進歩。)
通信速度も、1980年で、1,200bps。
1984年で、2,400bps。9,600bps.
1980年代の銀行の1支店の通信回線は、9,600bps回線を2本で対応していたくらいです。
9,600bpsは、Mbpsで表現したら、0.0096Mbpsと言うことになります。
bpsとは、ビット・パー・セカンドで、1秒間に送付できる bit数です。
文字にしたら、約10分の一くらいなので、700~800文字程度です。
これでは、文字でもイライラする環境だったことが分かりますよね。
今は、インターネットの時代。
真実なのか、嘘なのか分からない程、様々な情報に溢れています。
例えば、NYツインタワー飛行機衝突の9.11、アポロ11号は本当に月に行ったのか、ボストンマラソン爆破事件 等。
良い悪いは置いといて、様々な情報を知ることができることは、素晴らしいこと。
「情報とは、素データにフィルトレーションしたものである。」
どう、フィルターを掛けるかは、その人の能力となる時代とも言えます。
19年前の事件から、当時のインターネット環境を思い出しました。
つまり、当時の日本では、殆ど普及していなかった。