古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

うちの村の『祇園さん』の日でした。

2014年07月15日 01時44分37秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのう7月14日は裏山山頂の祠(2つある)の「祇園さん」に「お参りする日」でした。
 当番の家(2軒)が前の日までに参道を掃除して、当日の夕方はお供えするお酒やおつまみを用意して登ります。我が家は勝手に裏山の祇園さん・愛宕さんに年末年始に登って注連飾りをつけたり、秋の収穫の感謝を捧げたりしますが、正式なお参りは<7月14日=祇園さん / 7月24日=愛宕さん>だけです。
 で、きのうは早めに畑仕事を切り上げ、6時半頃に登りました。「上で待機しているのは当番だけ」で「お参りする人ゼロ」という年もありましたが、きのうはうちを入れて3軒がお参りしました。
                       
 写真に写っていますが、それぞれ藁の束を持って登り、おしりに敷いて車座になります。おしゃべりし、お神酒をいただき、とんどで藁を燃やして下りてきます。7時過ぎ、足元がおぼつかなくなるのを用心して、ぼくたちは早めに下りてきました。それでも参道では懐中電灯が必要でした。
 小豆を植えました。ポットで育てた苗です。
 まずイチゴのあとを耕して畝をつくり、畝間に防草シートを敷きました。このブログでは「道子さんが <アズキノメイガ> からいかにして小豆の鞘を守ってきたか」というこの数年間の長い戦いの物語をお伝えしてきました。毎日小豆を点検して蛾の卵を生みつけた鞘をとり、補虫網でアズキノメイガを捕えてつぶし、それはそれは大変な苦労をしてきました。
 で、いよいよ究極の対策です。
                       
 写真のように4ミリ目の防風ネットを小豆の畝にスッポリかぶせてしまいます。小豆は一度に収穫できるのでなく、だらだら鞘ができ、豆ができ、乾いてきます。それをつぎつぎ収穫する作業ができるように、高さ175センチ・幅150センチ・長さ10メートルの畝をおおうのです。中に空気がこもらず風通しがよくなるように、ネットはできるだけピンと張ります。
「アズキノメイガくん、これでどうだ!」と見得を切っているところです。
コメント
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