古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

学校は夏休みになります。

2014年07月21日 02時50分20秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                       
 顕微鏡を覗いて、孫の萌ちゃんがなにか宿題をしています。小学校中学年になった大志くんも百字練習帳を買ったって。子どもたちは夏休みになりましたが、たのしいことばかりではないようです。でも「我が家ではたのしいことをしよう」と、夏休み早々ウッドデッキでバーベキューをしました。裏山BBQは6月の終わりにしましたがあれは昼間。夜は蚊の襲来がひどいから、ウッドデッキに蚊取り線香を10本くらい配置して、夕方BBQです。午後はちょっと雨が降って三木市に大雨・洪水注意報が出たりして、果たして夕方できるかと気をもみましたが大丈夫でした。
                       
 BBQの写真で右のほうに二つ光ってるのは、おじいちゃんが朝から作った専用照明塔です。地面を掘って脚を埋め、黄色のペイントを塗りました。夜7時ではまだ目立ちませんが、このあと役に立ちました。
 暗くなり、片づけたあとは恒例の花火です。デッキに敷いたベニヤ板2枚の上でたのしみました。ここでいつものようにおじいちゃんは退席して寝にいき、みんなは星空を眺めておしゃべりした(でしょう)。ひいおばあちゃんは自室でマイペースの食事。BBQと関係なく大好きな海鮮丼で猪口一杯をちびちびやりながら召し上がりました。
 
 いま読んでる本から引用します。半藤一利の『いま戦争と平和を語る』(対談風に書いてある)から。

 昭和期の日本を歪めた大事件をあげてください。その一つに……。

 2・26事件はひと言でいえば「恐怖の梃子(てこ)」ですよ。あの恐怖の梃子が抜き差しならないぐらい大きな形になってくる。何かをいえば陸軍の上に立つ人は「わたしたちはいいが、部下の方がどう出るか」と脅すんです。大抵の人はおじけ震えますよ。
 これはもう最後の最後まで、終戦のときまでそうですからね。昭和天皇でさえ、「わたしが開戦のときノーと言えば、たぶん軍がクーデターを起こしただろう」と『昭和天皇独白録』でいってるじゃないですか。内大臣の木戸幸一なんかはおびえっぱなしです。それを恐れずに終戦に持ち込んだのは鈴木貫太郎だけです。

 
 
 あの事件は陸軍の皇道派が起こしました。日本中が震え上がりました。事件のあと皇道派を追放して主導権を握った東条英機以下の統制派は、国民の心に宿った恐怖心を、事あるごとに、徹底的に、利用しました。それに天皇があんなこと言ってどうするんだ! 
 いまの日本であんな事件を起こしたらどうなるか。国民にそんな勢力を潰す力はあるのか。
コメント
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