古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

民度の問題です。

2014年07月22日 01時29分18秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 韓国で船の事故があったとき、安全対策の手抜きの多さに「我が国は3等国という実態が明らかになった」と韓国のある新聞が書いて、自国の「民度」の低さを嘆いていました。
 日本で政権交代があって民主党政権になったとき、国民はいままでは感じなかった清新な空気にふれた気分でした。しかし日本の国の人々はその清新さを育てず、潰す方向に動き、また自民党政権に戻ってしまいました。
 いま半藤一利の『いま戦争と平和を語る』という本を読んでいます。その中にこんな見方が書かれています。


(半藤) 言論の自由は国家安寧(あんねい)の「生命線」です。この生命線だけは何があっても守らねばなりません。ところが、戦前の日本は、とくに昭和10年代はこれが完全に奪われましたからね。結局は国民全部が無能であったといっていい。そりゃ、頑張って抵抗して、「これはすばらしい人だな」という人は探せば一人や二人はいますが、それだけでは「どうもねえ」と思います。反軍演説の斎藤隆夫にしたって、ある部分では非常に先見の明もあったし、頑張ったと思いますけれども、大きな力にはなれなかった。

(対話の相手) 相当な人物が一人、二人出てきてもだめなんですね。結局、国家の方向を決めるのは国民全体の民度かもしれません。

(半藤) それこそ民度の問題です。リーダーが駄目なのは国民そのもののレベルが低いからです。全体のレベルが低いのに傑出したリーダーが多く生まれるわけはありません。


 自民党が公明党と結んで大勝したとき、「ああ、こんな民度の国でずっと生きてきたんだなあ」と思いました。どうして再度ひっくり返ったか / どうすればよかったか / これからどうなるか / なんて思いわずらう気になりませんでした。「ああ、こんな民度の国で70年あまり生きてきたんだ」と自分をなぐさめて、ニュースはあまり見なくなりました。
 
 
 
 


コメント
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