古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『立禅』(りつぜん)の金子兜太さんは今頃あの世で再会してるかな。

2018年02月22日 01時00分05秒 | 古希からの田舎暮らし
 大正8年生れの俳人・金子兜太さんが、98歳で亡くなりました。朝日俳壇の選者を長らくつとめて、俳句の現代化に力を入れた方です。このブログでは2年前に金子さんの『立禅』を紹介しました。
 生前、毎朝、先に逝った人たちの名前を唱えていた金子さんは、今頃あの世で再会し「やあ、やあ」と思い出話に花を咲かせてるかも。亡くなられたのを機に、もう一度彼の『立禅のやり方』を、著書『あの夏、兵士だった私』より引用します。


 私は毎朝、神棚の前で、死んだ人の名前を唱え、みんなに向き合う「立禅」を続けています。時間にして約30分弱。やらんとその日は眠られないくらいです。
 私は無神論者ですが、神棚には郷里の椋神社なんかを祭ってある。亡き家内の位牌もそこにある。その神棚の前で名前を唱えていると、気持ちも体もスーとしてくる。これが私流の「立禅」。いまのところ全部で130人くらい。続けていると気持ちがいいので、毎朝繰り返しています。
 やり方はまったくの自己流。立ったまま、座禅のように手を丹田(たんでん)のところで組んで、目をつぶって、小さく名前を唱えていく。それだけ。
 すると不思議なことに、亡くなった人たちの顔が浮かび、喜んでいる顔と再会しているような気がする。こっちも元気になります。
 こうして毎朝、立禅で亡くなった人たちと交流するんですが、唱える名前の順番は決まっていて、いっとう最初は実家の菩提寺の和尚。次は私の俳句の師匠加藤楸邨(しゅうそん)先生。そして日銀の鎌田正美さん。4番目が私の俳句の基礎をつくってくれた堀徹(ほりてつ)さん。それから何人か唱えて、両親や女房の名前はいちばんしまい。新しく他界していった人は、その後に付け加えさせていただく。


「ぼくもリストアップしてみよう」とあれこれ思い出してメモしたことがあります。しかし名前を唱える気持ちにはなりません。いまは毎朝仏壇を拝みます。仏壇の横に亡くなった身内、先輩、友の写真、アルバムを置いて。

 朝の瞑想前に仏壇に向かう。電池のロウソクを点け、線香(半分)に火を点ける。数珠を手にして写真を見る。鈴を鳴らす。拝む。
 このルーティーンを、なんとなく気に入っています。
コメント
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