老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

知力 体力 労力

2022-01-02 18:09:28 | 老いびとの聲
1763 二宮金次郎像




大晦日から正月三日まで
wifeの実家先 筑波山が見える地に帰省した。
昨日、beagle元気とwifeとで
wifeが卒業した小学校の校庭を「徘徊」した。

懐かしい人に出会えた。
二宮金次郎さん
薪を背負い歩きながら本を読んでいる
勤勉と倹約の象徴として昭和の時代は
田舎の小学校には二宮金次郎像があった。

「力」という言葉が流行した時があった。
「消臭力」という消臭剤が売られており
老臭がする、と言われ スプレーで消臭力をかけられる親父

話がずれてしまいました
二宮金次郎は
薪を背負い歩きながら本を読む姿は
知力と体力と労力を同時に実践されている
凄い、のひと言です。

いまの子どもたちは
歩きながらスマホを手にしているのかな

生きているだけで

2022-01-02 12:59:01 | 自分は何者か
1762 我思う故に我在り

デカルトの言葉を ふと、思い出した。
老いた躰となっても
自分はまだ生きている。

生きているだけで
生きている意味がある人もいる。
自分は、ただ生きて来ただけで在り
生きてきた、という実感がまだない。

八歳九ヶ月を数日で迎える我家の長男
beagle元気は
顔全体白さが増え始め
耳の淵は白くなってきた。

日々、良く食べ、良く寝ている。
元気にも悩みが在るのだろう
時々後ろ足で首の下を掻きピンク色が見え隠れする。

元気は居るだけで癒され
家族の一員である。
暗くなり、仕事を終え玄関ドアを開けたとき
元気は嬉しさのあまり跳び上がり、甘えて来る。

あなた傍に居るだけでで
癒される。
あなたが私の愚痴を聴いてくれるだけで
元気な気持ちになる。

生きているだけで
意味の在る老い人になりたい。
老い人になっても
老けず若いい気持ちでいたい。