老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

435;他ト我

2017-09-28 04:43:12 | 老いびとの聲
 他ト我

北原白秋『白金ノ獨樂』

二人デ居タレドマダ淋シ
一人ニナッタラナホ淋シ
シンジツ二人ハ遣瀬ナシ
シンジツ一人ハ堪エガタシ


人間とは勝手な生き物であり
一方では孤独を好みながら
他方では他者を求む

『他ト我』を目にしたとき
人間の淋しさをこうも短い詩で表現できるものか、と。
二人で居ても
淋しさは消えない。
夫婦でなければ
時間は許さず
そこを去らなければならない。
遣瀬なさが込み上げ
その淋しさは余計に辛くなる。
あなたが何処に帰ったかは知る由もないが
一人置かれ私は
淋しさが募り堪え難たくなる。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 434;感謝知らずの人間 | トップ | 436;独り暮らし »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

老いびとの聲」カテゴリの最新記事