老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

921 生きた

2018-09-07 21:18:33 | 老いの光影 第3章
末孫(妻)と歩く109才のおばあちゃん

 生きた

妻の母方お婆ちゃん(109才)は
退院したばかりなのに
また入院した

なかなか水を飲むことが出来ず
脱水症で再入院した。

食べることも
水を飲むことも
大変になり
老衰なのかな、と

病室に居ても
いま居る場所が
病院であることがわからない

調子が悪いというので
110km余りの路のりを運転し
面会をしてきた

お椀を自分の手に持ち
自分の手でお粥を食べた

お粥だけしかたべないので
おかずは介助により食べてもらった

頑張れとは言えない
109才まで 頑張って生きてきた

37.4℃の熱がありながらも
ベッドから自力で降り
ポータブルトイレでオシッコをしていることに
凄いな感心してしまう

109才まで生きてきたから
もう頑張らなくていいよ、と思いながらも
一方では
少しでも食べて元気になり
退院して欲しいと願う

水は数口しか飲むことができなくなった
ベッドで寝る時間も増えてきた
死が近いのかな、と思ってしまう

今度の日曜日
また会いにいかなきゃ・・・・




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