老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

761;「さんま」について思う

2018-05-29 03:31:54 | 老いびとの聲

「さんま」について思う

「さんま」と書くと
秋刀魚が思い浮かぶ
猫が秋刀魚を銜え逃げる情景は
余り見なくなった

このblogで取りあげる
「さんま」は
「さん間」のことである
「さん間」だけではイマイチ意味不明
「三つの間」と書いてみる

三つの間
それは
時間
空間
そして
人間
である

いま余が白髪になり
(後頭部の一部は白髪が不毛)
ときどき
ふと
考えさせられることは
老いに入り
残り少ない「時間」が気になる
時間そのものは
無限だが
人間に与えられた時間は
有限である
それだけに
いま、という時間が大切であり
時をどう刻んで逝くのか

空間
宇宙空間は無限
無辺ともいう
余における空間とは
居場所を指す
今、居る場所は
余にとって居心地がよいかのかどうか
居場所
それは
その場所が
余に取り
生きがいをかんじるかどうかにも繋がる
家には居間がある
居間とは
家族が集まる場所
昔は
囲炉裏を囲み
そこで暖をとり
団欒の場(空間)があった
家族の言葉が聴こえていた
今、家族の声が遠のいている居間
空間は
人間にとり居場所を示す

時空間のなかに
人間が存在すると
三つの「間」になる
人間は
人の間と書き
人間は一人では生きて行けない存在
人間は時には孤独を好むが
孤立は欲しはしない
孤独と孤立は似ているようで
意味は全く違う
人間は
孤独を欲すると同時に
人恋しさを欲する

人間生きて行く上でも
死する瞬間まで
三つの間は大切である

何処で死を迎え
誰かに看取られたい

死ぬ瞬間
何処で
誰の手を握り
逝くのか
最期の瞬間まで
三つの間は絡む

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