常念が見える部屋から

ここから北アルプス常念岳が眺望できます。
季節の移ろいに写真を添えて発信します。

一陽来福

2011年12月22日 | 季節の便り

冬至 は、太陽がどん底から再生する有り難い日とされている。

日本では冬至に向かって、短くなっていた昼の時間が、冬至を境に反転し米一粒づつ長くなるといわれる。

米粒一つは約5ミリである、時間に換算して何分に相当するのだろう。

一陽来福 乱雑に扱っていたセッコク欄に、瑞々しい新芽が伸びてきた。

植物は力強く生きている。

人間は柚子湯に浸り、南瓜スイトンを食して、明日を力強く生きることを願う。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

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博打の木

2011年12月21日 | 季節の便り

過日の宮崎観光で「博打の木」を教わった。

年を経て表皮の脱落した木肌を、博打に負けて身ぐるみ剥がされた人に見立てた命名だそうだ。

冬枯れの植え込みに、少し色あせた紫式部が百日紅の根元で存在を誇示していた。

紫の小粒にカメラを向けると、表皮が剥けて寒々とした百日紅の素肌がファインダーに飛び込んできた。

ここにも「博打の木」があったのだ。

身ぐるみ脱いで片がつく程度の博打ならご愛敬かもしれない。

 

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ミヤマイラクサ

2011年12月20日 | 季節の便り

Tさんは時々通ったスナックの常連さんだった。

さびしがりやで人懐こい若者だった

何年か前 Tさんが悪性腫瘍で左足を切断した時、大学病院に見舞ったことがある。

布製の袋を外して切断したところを見せてくれた。

退院して義足のTさんとはその後2,3度あっただけですっかり疎遠になっていた。

Tさんが1ケ月前に亡くなったという。

夜の街を見下ろしながら、山菜を仲立ちにして知り合ったTさんが、ミヤマイラクサを届けてくれた事を思い出した。

 

 

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あらさがし

2011年12月19日 | 来し方

ご飯の中に籾粒が一つ入っていた。

珍事中の珍事である、精米の過程で混じり込んだのではなく、籾が一粒残っていた袋に精米を入れたのだろう。

ご飯の中の籾をアラといった

昔の精米技術は、1椀に1~2粒のアラは普通に入っていた、神経質にアラを探し出し、お膳に並べないと落ち着かない人、アラごと食べてしまう人もいた。

もし米屋さんから調達した銘柄米から、アラが1粒でも発見されたら、異物混入で大騒ぎになるだろう。

それは良いことだと思う反面、大変恐ろしい気もする。

 

 

 

 

 

 

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防護フェンス竣工

2011年12月18日 | 鳥獣害防止対策協議会

 

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東京へ

2011年12月17日 | 旅先の風景

新宿区四谷あたり

JR四谷駅で降りて会議会場へ

空は何処までも青く、木立はまだ晩秋の気配が残る

甲府付近の富士

会議が終わり帰途、甲府で途中下車しワイズ関係の打合せ会、実りある打合せを済ませ乗車した車窓から夕映えの富士が見えた。

韮崎平和観音像

黄昏の南アルプスを背に際だつ平和観音像のシルエット

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さびしいピエロ

2011年12月16日 | 季節の便り

片付けをしていて見つけたもの

ピエロ

壊れたピノキオの操り

タイで見つけて竹の風鈴等

階段踊り場のコーナーにつるした。 

 

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再会

2011年12月15日 | 来し方

兄弟姉妹が同じ屋根の下で暮らした日数は本当にわずかだったことを実感する。

早く嫁に行った長姉と末弟はたった2年である。

物心付いた末弟が何かの折り、断りもなく我が家に上がり兄弟に指図する長姉を見て「あの人はだれ?」と母に問うたという。

いつも集まるところには、親戚がいて、親がいて、連れ合いや子供、孫がいた。

兄弟姉妹だけの集まりは初めての様な気がする。

同居できたのは短い少年期であり、年齢差から同じ立ち位置で話し合うこともなかった。

兄弟たちを近親者と感じたのは血縁故であって、実際は遠い存在だったのかもしれない。

暖かい薪ストーブを囲んで来し方を語った。知っていることもあり、初めて聞く事も多かった。

 

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激動期を生きながらえた訳は?

2011年12月14日 | ワイズメンズクラブ

4月に亡くなった義兄の仏事に兄弟姉妹全員がそろった。

昭和1桁が2人、10年代が3人、20年代が2人である。

貧しい昭和の激動期を全員が生き抜いてこられたのは何故だろう。

躊躇なく全員が好き嫌いなく何でも食べたことを上げ、孫たちの好き嫌いの多さを嘆いた。

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狐火 鬼火 提灯

2011年12月13日 | 季節の便り

鬼灯(ほおずき)

木枯らしが吹き、木々の葉が落ちて、寒々と見通しが良くなった山の斜面に日が暮れると狐火が走った。

新しい墓を暴いた狐が人骨を口にくわえて走るのだと云う。

大きな火の玉のように見えることも、蛍火のように弱弱しく点滅する事もあった。

人骨に含まれる燐が燃えるのだという説明に、なにも判らずに納得し安心したものだ。

日が落ちて漆黒の闇に包まれると、魑魅魍魎の存在がにわかに現実味を帯びて不気味である。

大人でも夜の外出を嫌った。

しかし 急用というものは得てして夜に多いものだ。

そんな時、提灯は必需品であった。提灯で遠くを照らすことはできない、視界のおよぶは範囲は一寸である。

 

 

 

 

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