過日,一枚の便りがカナダから届きました。絵ハガキです。ナイアガラの滝がライトアップされた風景を撮ったもので,向こうには高層ビルやまちの明かりがあって大自然と人の気配が溶け合っているようで,「ああ,一度は行ってみたい」と思わず旅情を誘うすてきなハガキです。
びっくりすることに,差出人はNさん! 彼女は,わたしがかつて管理職で勤めていた小学校の在校生でした。わたしの部屋を頻繁に訪れては気さくに話して帰って行くタイプの子どもで,当時低学年。わたしは子ども中心の学校づくりに徹していましたので,気軽にやって来る子どもが後を絶ちませんでした。Nさんもその一人だったのです。今の時代はどうなのでしょうか。管理職によって違うといえばそのとおりなのですが,子どもにとって窮屈な環境でないことを祈っています。
わたしの驚きは,担任してもいないNさんがその後,中学校を無事に卒業したことや年賀状をときどき送って来ていたことです。担任ならいざ知らず,管理職であり直接教科を教えることを通してつながった関係でもないわたしに対して,こうしたかたちで近況を伝える便りを出そうとするこころにただ恐縮するばかりです。もちろん,わたしの部屋を通して,また教室巡りを通して,はたまたわたしの特別授業を通してつながりができていたのでしょうが,いつまでもこころに刻み,わざわざ便りを届けるという行為にすっかり恐縮するのです。
便りにぎっしり綴られた内容は,大学を休学して短期語学留学で来ていること,大自然を見てわたしを思い出したことにかかわっています。内容にこころが打たれるので,以下抜粋してご紹介することにします。きっとNさんは許してくれるでしょう。
- ずいぶんと多くの生徒さんをみてこられた先生はきっと覚えておられないと思いますが,わたしは鮮明にそのときの事を覚えております。先生からは多くの自然の素晴らしさとそれに触れ合う機会をいただきました。
- バンクーバーにはたくさんのたくさんの自然があり,休みの日には新しい発見を求めて山や川,海などに行きます。その時ふと思ったのです。この好奇心(自然に対する)は小学生の頃に先生から学んでいなければなかったなと。
現役当時も“自然となかよしおじさん”を自称していましたから,それなりにあれこれ話題を出していたはず。細かなことは覚えていませんが,自然を見たり感じたりするたのしさを全体としては伝えようとしていたでしょう。それがNさんのこころのアンテナにキャッチされて,今も刻み付いているとは。
内容もりっぱだと感じ入りますが,ことば遣いもまことにりっぱだと感じます。語学を志し,母国語である日本語をゆたかに身に付けていっている姿が伝わってきます。これまでの成長のゆたかさが感じとれます。こうして一人の人間として生きる力を育む姿に触れるのは教師冥利に尽きます。
そんな思いを抱きつつ,Nさん宅にご連絡させていただき,Nさんには謝辞とともに,留学目的をしっかり果たして帰国してほしい,そのときは直接お話ししたいなあ,という内容を添えて返信したのでした。