昨日の地震。
「起きた」ことを知ったのが、暫く経ってからのことで、しんのうクンのブログにも
「正直、親から安否確認来てると思ったけど
友達から4通だけだったね」
と書かれてしまいました。(いやはや...)
「高度情報化社会」の現代ですが、昨日の我が家のように
テレビ・ラジオ・インターネット
に接していない状態では、自身の体で感じ無い限り、世の中で起こったことを全く知り得ないのだということを実感しました。
こういう状況で情報から孤立していたら、「日本以外全部沈没」なんていう、映画のタイトルのようなことが実際に起きても、暫くの間、そういう事実を知らないままに過ごしていくのではないかと、ちょっぴり危機感を持った次第です。
とはいえ、たかだか一世紀くらい前(1907年て?...明治40年?まだラジオ放送も始まっていません)の日本では、まだまだ当たり前のことで、
今回のように「新潟で大きな地震があったらしいよ」
という情報も、何ヶ月か経ってから、富山の薬売りのおじさん(?)から聞いて、初めて知るようなものではないでしょうか。
そんなことを考えてみると、「情報伝達速度」の進化と、今の時代に、その情報から孤立することの意味を、改めて考えさせられました。
(なんて、しんのうクンの安否確認が遅くなった言い訳を、わざとらしく書いてみたりしたような.....)