元ラーメン屋店主のツイート集

ラーメン屋を10年経営し、今は閉店し、介護士をしています。

RAINBOW ROAD~様式美麺れいんぼ~への道1

2007年02月18日 | RAINBOW ROAD
今回よりブログで不定期な新連載をはじめます。

当店も開業から2年4ヶ月弱が経ちました。
振り返るにはまだ早い時期ですが、初心を忘れ
ないよう記憶が鮮明なうちに書き留めたく
「RAINBOW ROAD」という名で過去を回想する
事にします。

今回はエピソード1なので「僕とラーメンとの
出会い」というテーマで、小学時代~高校時代
ぐらいまでについて書きます。

物心ついた頃から小学6年までは、ラーメン屋
というと唐津市大手口にあった「トーホーエン」
(漢字を忘れました)しか知りませんでした。

うちでは外食をする習慣が殆ど無く「トーホーエン」
や「牧のうどん」も年に2回行くか、どうか、ぐら
いでした。なので、当時はラーメンと言うと、インス
タントを食べる頻度の方が圧倒的に多かったです。

だから、時々食べに行く「トーホーエン」が楽しみ
でしたし、あの味が好きでした。日頃から外食慣れ
していたなら「えーまた、ラーメン」てな感じで、
ありがたみが無かったかもしれませんが、時々だっ
たので、幸福感も絶大でした。

中学1年からハードロックを聴き出し、AMの深夜
ラジオを聴き出しました。RKBラジオ「足達ヒデヤ
のHiHiHi」から影響を受けまくり、福岡市内に
行ってみたくたくなりました。

中学1年の頃、叔母ちゃんの誘いで初めて「博多ど
んたく」にバスで行きました。それまで、何故だか
福岡市に行った事が無かったです。もしかしたら、行っていた
のかもしれませんが、僕の記憶では中学1年が初
福岡でした。家族で旅行やキャンプというと田舎町
や、山だったので、中学1年にして大都会というの
を知りました。

「博多どんたく」とは言え、ものすごい数の人の波
で、大きなビルが立ち並ぶ天神は圧巻でした。そし
て、片道3車線の道路などもはじめて見て、何でも
新鮮で驚きの連続でした。街は熱気に溢れ、街人の
ファッションも洗練されカッコイイ。周囲をキョロ
キョロしながら街中を足早に歩きまわった。

叔母ちゃんは疲れきっていたが、僕は疲れるどころ
か福岡に興奮していた。叔母ちゃんが「私、ちょっ
と休むから自由に見てらっしゃい。1時間後にココ
に来て」という事で、夢中で町を見てまわりました。

CD屋や楽器屋や書店の品数の豊富さには驚きで、興奮
しっぱなしだったら、叔母ちゃんとの約束の時間を
10分過ぎてしまったので、あわてて待ち合わせ場所
に行ったが叔母ちゃんの姿がない。そこで数十分待っ
たが、叔母ちゃんは現れなかった。

騒がしい群集の中に、1人でいることの心細さが込み
上げ、とりあえず助けを求めるべく家に電話をした。

母が「あんた何しよっとね。叔母ちゃんから離れたら
いかんやろう。もう、天神で会うのは難しいけん、
あんた1人で帰ってこんね」と叱られた。
僕が電話する前に叔母ちゃんから電話があって、だい
たいの状況は把握していたようだった。

今だったら携帯電話が有るので、逸れてもすぐに会え
るが、当時は携帯なんて殆ど誰も持っていなかった。

とりあえず、帰る手段は後で考えるとし、福岡見物を
しばらくし、博多名物のラーメンを食べる事にしまし
た。ラーメン屋が多いが、ビブレの地下街に「名代
ラーメン」というのがあり、そこで1口食べた瞬間、
あまりの美味さに驚き、福岡の凄さを感じました。

その日は、地下にまで街がある事に驚きながら、
初めての1人電車を経験し帰りました。終始驚きの
連続で刺激的な1日でした。その日から、ずっと
福岡に憧れ続け、いつか福岡に住むことを夢見て
過ごしていました。

中学3年ぐらいから、高校時代までは、半年に1度
のペースで福岡に遊びに行くようになりました。

何度かは友人達と行っていましたが、友人が靴、服
を見たがり、そこに付き合うのは僕にとって面白み
がなく、僕が見たい楽器屋や中古CD屋巡りには
友人が興味を持たない事から、1人で福岡に
行くようになりました。

高校は佐賀市内の学校だったので、放課後は毎日
「トム・カンパニー」「久米楽器」「積文館」
に行っていました。時々、ラーメン屋にも行って
いましたが、当時はラーメンに夢中だった訳でも
無いので屋号は殆ど覚えていません。
でも、1番通った松原神社前の「一休軒」は、
高校卒業後も何度か食べに行っています。

高校時代までは、福岡のラーメンというと、
「名代ラーメン」と「一蘭」しか知りませんで
した。天神に行く度に「今日は一蘭にしようかな?
名代にしようかな?」と2択で、新規開拓する
気はなかったです。2店とも、たまたま食べたら
美味しかったから、福岡というと、この2店が
僕の原点でした。

でも、まだ当時は僕がラーメン屋をするなんて
思ってもいませんでした。

では、つづきはRAINBOW ROAD2とし、専門学校
時代~について書きます。