元ラーメン屋店主のツイート集

ラーメン屋を10年経営し、今は閉店し、介護士をしています。

ハードロックDVD名作選ぶ(僕が所持している作品)

2007年02月27日 | ♪ハードロック/ヘヴィメタル∮♭


RAINBOW/LIVE IN MUNICH1977

レインボー好き、リッチー・ブラックモア好きの
必須アイテムです。コージー・パウエル、
ロニー・ジェームス・ディオ在籍時の三頭時代
の貴重なライヴ&クリップ映像です。
名盤「オン・ステージ」のツアーです。


BLACKMORE’s NIGHT/
CASTLES&DREAMS

これは見応え充分です。ブラックモアズナイトの
古城でのライブと、インタビュー、クリップ、
シークレット・ギグ、テレビ出演映像など、
リッチー・ブラックモアの色んな表情が見れ
ヘヴィローテンション間違いなし。サービスで
レインボーやディープ・パープル時代の曲も
披露してくれています。


DEEP PURPLE/ARCHIVE COLLECTION

このDVDは1972年と、1973年のライヴを
収録したものです。伝説的バンド、ディープ・パー
プルが本領発揮をした第2期の幕開けです。
1972年のライヴはVHSで持っていましたが、
永久保存版的な素晴らしいライヴなので、DVD
を買いましたが、1993年のライヴも素晴らしい。
メンバー全員が凄いが、特にイアン・ギランと
リッチー・ブラックモアは人間業とは思えぬ。


LED ZEPPELIN/狂熱ライヴ

レッド・ツェッペリンのライヴ・ドキュメント
映画とし、伝説になっている1本です。
演奏はスタジオテイクの方がいいけど、
ライヴの熱狂ぶりは何度見てもいい。
ちなみに僕がロック界で1番好きなドラ
マーは、このツェッペリンのジョン・
ボーナムです。


EUROPE/LIVE FROM THE DARK

近年のハードロックニュースでも、業界に
衝撃が走ったのが80年代に総売上
4000万枚のビッグバンド「ヨーロッパ」
の再結成でした。ジョーイ・テンペストも
ジョン・ノーラムもソロで素晴らしい作品
を制作していて、「ヨーロッパ」の再結成
はありえないと思っていました。しかし、
80年代のライヴ映像よりアダルトチック
になり蘇りました。再結成のCDは、ヘヴィ
でダークで、かつてのメロディアス路線
を払拭した物でしたが名盤です。
ジョン・ノーラムが全曲の作曲を担当し
ただけあり、ジョンのソロに通づるもの
があります。


STEVE MORSE/SECTS、DREGS&
ROCK’N ROLL

このDVDは、ディープ・パープルのライヴ
会場で買いました。ディープ・パープルの
ライヴの中でもスティーヴ・モーズのソロ
タイムには深い感動を味わいました。
スティーヴ・モーズ・バンドのCDは
全て揃えているぐらいのファンなので、
このDVDには感動しっぱなしでした。
バイオリンとの競演は口がアングリと
開きっ放しでした。アコースティックラ
イヴも収録されていますが、これがまた
いい。フュージョン、カントリー、ブルース
好きにも満足できる、オールマイティプレイ
は是非見てほしいです。


STEVE VAI/LIVE AT THE
ASTORIA LONDON

スティーヴ・ヴァイは超絶技巧演奏の
代名詞です。VHSで何本か持っていますが
このライヴは凄い。生で体感した興奮が蘇って
きました。このライヴが凄い要因とし、ビリー・
シーンが参加している事です。ビリー・シーン
はミスター・ビックのリーダーで、日本では
B’zのグリーン・ツアーにてライヴ・サポートメ
ンバーとし、全曲に参加していました。
ビリー・シーン&スティーヴ・ヴァイは、かつて
ディヴ・リー・ロス・バンドで最強タッグと言われ
いました。その最強タッグの復活は興奮せず
にはいられません。


ULI JON ROTH/CASTLE
 DONINOTION

スカイギターを弾きまくるウリ・ジョン・ロート
を堪能できます。昔からのロックファンには
スコーピオンズのウルッリヒー・ロートと言っ
た方が分かりやすいかもしれないですね。
近年のロックファンには、フェア・ウォーニン
グの母体で新作もカッコイイ、ジーノの
ジーノ・ロートの兄貴です。ギター好きには
世界一の最高音域ギター「スカイギター」
の操り手と言えば分かりますか?
ソロでも、エレクトリック・サンでも最高の
ウリがギター仙人として、聴かせてくれます。
マイケル・シェンカーとの競演ですが、正直
マイケル・シェンカーがかすんで見え、ウリ
の引き立て役になっています。


YNGWIE.J.MALMSTEEN/
TRIAL BY FIRE

近代ギターヒーローといえば、まずイングヴェイ
が思い浮かぶ人が多いと思います。中学時代
イングヴェイを知った時は全然興味なかった
です。「ただ、速いだけ」って印象で、良さが
分かりませんでした。そんな僕が、イングヴェイ
の大ファンになったキッカケが本作です。
演奏の凄さは勿論、パフォーマンスといえ、
ルックスといえ、カッコ良すぎです。このDVDは
ロック史に残る名作です。この数年廃盤に
なった本作を捜し求めていましたが、ようやく
再発してくれ、ボーナス映像でクリップ映像が
つきました。イングヴェイ嫌いなかたは、本作
を見てから判断してください。ボーカルは、
レインボー2代目ボーカル、ジョー・リン・ターナー
です。


YNGWIE MALMSTEEN/LIVE AT 武道館

僕はこの時期のイングヴェイが1番好きです。
今のドゥギー・ホワイトとのイングヴェイもいいけど、
マイク・ヴェセーラが1番好きでした。マイクも
イングヴェイの女(アンバー)に手を出さなかったら
今もイングヴェイの横にいたかもしれないのに。
このライヴは凄まじいうえに、日本での公演模様
なので嬉しさ倍です。ハードロック界の名作ライブは
日本武道館で生まれている事が多いです。イングヴェイ
がフライングVを弾いているのも見れます。


親子で聴けるシルヴァー・タイド

2007年02月27日 | ♪ハードロック/ヘヴィメタル∮♭
誰しも年齢を重ねる度に趣味、趣向が
変わってきます。少年の頃に夢中だった
物でも、年齢を重ねると興味が薄れる
事は極当たり前の事です。

しかし、少年期の興奮、感動をそのまま
継続し、若き頃の趣味を保っている人も
少なくないです。そういう風に、ずっと
少年の心を持ち続けられる大人に僕も
憧れています。

しかし、少年の頃のハングリーさ、貪欲
さを維持し続けている人は少ないです。

ビジネス面での目標、達成のハングリー
さの話では無いです。

少年の頃に夢中だった趣味の分野での
探究心の話です。

15歳ぐらいから20歳ぐらいまでの
うちに吸収した物に対しては物凄い
執着心や愛着がるのに、それ以後の物に
対しては嫌悪感すら持っている人が少
なくないです。

音楽の話をすると、中年層でローリング・
ストーンズやビートルズは大好きだけど、
近年のロックに対しては嫌悪感を持ち批判す
る人が多いです。

自分が好きなバンドに対して絶賛しまくる気持ち
はよく分かりますが、引き合いに、まともに聴い
た事すら無いバンドを批判するのは問題です。

青春時代に熱中したバンドと対等に、20代、
30代の頃に聞いたバンドを並べたくないの
だと思います。

僕も、いかなるバンドでも、ディープ・パープル、
エアロスミス、レインボー、レッド・ツェッペリン、
クイーンなどと並べるバンドはいないと思っていま
す。

だから、そういった自分にとって特別なバンドは
別格として扱いながらも、新たなバンドから目を
背けていたら勿体無いです。

僕が特に好きなハードロック、ヘヴィメタル界は
かつての大物が、今も業界を賑わせています。
アイアン・メイデン、ジューダス・プリースト、
ヨーロッパ、クイーン、ディープ・パープル
エアロスミス、ハロウィン、メタリカ、
イングヴェイ・マルムスティーンなど
衰えぬパワーを聴かせてくれています。

近いうちにデイヴ・リー・ロス再加入で、
ヴァン・ヘイレンが新作を発表してくれます。

また、ジャーニーにはジェフ・スコット・
ソートがヴォーカルで加入しました。

2000年代の新人にも、凄いバンドが
続々出ています。例えば、
■ドリーム・イーヴル■ファイアー・ウィンドー
■アダジオ■ラスマス■ナイト・ウィッシュ
■チュリサス■ディファイン・ファイヤー
■アルメラ■ドリーム・タイド
■ドラゴン・フォース■アストラル・ドアーズ
■チルドレン・オブ・ボドム
■アヴェンジド・セヴンフォールド
などなど、素晴らしいバンドばかりです。

上記のバンドは70年代、80年代、90年代
と順を追って、ハードロックの歴史と共に過ご
してきた人には何の違和感もなく受け入れれ
ますが、そうじゃ無く、70年代ハードロック
で止まっている人には受け入れにくいと思いま
す。

「函館風塩ラーメンしか食わん」という人に
コッテリギトギトな魁龍のド・豚骨を食べさ
せるようなものです。逆にド・豚骨から入っ
た人には「塩ラーメンなんてインパクトが無い」
といった印象を受けがちです。

それが、いわゆるジェネレーション・ギャップ
と似た現象です。

若い世代は、昔の音楽を古い・ダサイと思い、
年配の世代は、若者の音楽をウルサイ、こんな
の歌じゃない。と、思います。

でも、若者にも分かる、中高年が好きな歌とは
あります。それが不朽の名作です。ビートルズ、
アバetc、邦楽で言うと尾崎豊、松山千春、
永井龍雲などで、今も第一線のヒット路線だと
エアロスミス、ボン・ジョヴィ、エルトン・ジョン
ビリー・ジョエル、長渕剛、中島みゆきなどで、
今時の親子ならビーズ、スマップの2世代ファン
もいるはずです。

でも、大方は子供が親の趣味に近づくケースが
多いです。エレキギターを掘り下げていけば
ジミ・ヘンドリクスにたどり着きますし、
ブルースを探求していくとロバート・ジョンソン
へと行きます。ここ10年以上ブームのアコース
ティックを追求すると、70年代の邦フォーク
ブームやサイモン&ガーファンクルへと辿り着き
ます。そうやって、子供の探究心により、親の
趣味へ近づく事は珍しくないです。

僕の父は演歌と民謡しか聴かないので合う事は
ありませんでした。多分、一生その分野へ踏み
込む事はなさそうです。

親世代が、子供が興味を持っている音楽に、興
味を持つことは少ないかもしれませんが、そう
やって見聞を広げてみると未知なる出会いが
あるかもしれません。

脱線しますが、唐津の老舗ラーメン屋
「関東軒」に今日行きましたが、厨房に大きな
張り紙で「未知なる発見」と書かれていました。
現状で安住せず、これからも新たな事に挑戦し
続ける姿勢を感じ、感動しました。老舗で
人気店を維持し続けている店は必ず、味の向上
をし続けています。創業時のままの製法、材料
を守り続け繁盛している店はありません。

本道に戻します。まさに、親子で楽しめる新人
がいます。シルヴァー・タイドです。全体的に
オールドロックスタイルで、曲によってスタイ
ルが異なりますが、ローリングストーンズ系、
ガンズ・アンド・ローゼス系、エアロスミス系
など、ルーツ音楽が色濃く表現されていながら、
今風です。

このシルヴァー・タイドは結構人気があるよう
で、僕も大好きなバンドです。僕の中では、
アストラル・ドアーズ以来の新人です。

RAINBOW ROAD~様式美麺れいんぼ~への道3

2007年02月27日 | RAINBOW ROAD
前回のつづきで専門学校在学中から書きます。

1年の時は西中さん、中村君、糸山さん、マツ
コウ達とハードロックバンドをやっていて楽し
かったものの、1年足らずで自然分裂しました。

2年になって新校舎「大橋校」へと移りました。

大橋には「フリーダム」という激安スタジオが
あり、楽器も無料で貸してくれる事もあり、放
課後は同級生とよくジャムっていました。

また、毎日のようにマツコウの家にいっては
ギタージャムをしていました。そのマツコウと
の2人ユニットは「フールフレンズ」と名づけ
オリジナル曲も沢山作りました。僕がアコー
スティックギター&ボーカルで、マツコウが
エレキギターで、マツコウの凄まじい超絶技
巧派プレイに毎日熱くなっていました。

大橋校に移っても、放課後の定番は、CoCo壱番
のカレー、ロッテリア、マクドナルド、ラーメン
というのは変わりませんでした。

ラーメンは、まだ「拉麺帝国」「いってつ」と
いった至高の名店が無かった頃なので、学校
周辺の「名代ラーメン」(大橋地下)「豚珍館」
「一九ラーメン本店」「てん」(実際は土偏の漢字)
などによく行っていました。

2年の夏ともなると、就職活動が活発化してきます。

プログラマーを就職先から除外した僕には、学校
求人は厳しく、福岡市内の就職セミナーには全て
参加しました。あちこちの企業セミナー、会社説
明会に通いまくり、その際の楽しみは、なかなか
いかない場所のラーメンを食べる事でした。

当時、まだ将来が見えず「何がしたい。何が出来る」
というのが分からないまま、就職活動をしました。
図書館にありったけの就職活動関連の書籍を読み
漁りました。

この結果「マスコミ業界」というキーワードが
ポーンと浮かび、新聞社、雑誌社、出版社、テレビ
放送局などをガムシャラに受けました。しかし、
マスコミ業界の競争率はとてつもなく高かった
です。作文、履歴書、学内活動経歴書、健康診断書
などの書類選考で振るいにかけられたにも関わらず
800人ぐらいが1次選考に来ている事もありまし
た。1次選考だけでも、学力テスト、一般常識テスト
適正テスト、IQテスト、EQテスト、面接官5人に
よる面接、受験者10人でのテーマディスカッション
など1日がかりのテストでした。でも、4次試験の
社長面接まで残ることなく脱落していました。

人気放送局には数千人が受験志願をしても、採用
されるのは数人です。僕が希望していた制作部も
2,3人の採用に、数百人が受験していたから
学もなければ、芸もなく、番組制作の学校すら
行っていない僕なんかが受かるはずないです。

そうこうしているうちに、秋になり、周囲では
内定者が出始め、あせりました。

マスコミ業界は一時的な憧れと、有名人に会え
るというミーハーさだけで受験していたので、
さっさと気持ちを切り替えマスコミを諦めま
した。

就職活動の準備段階では、何の根拠もなく、
将来への大きな希望だけがありました。

「何をしたい」かも不明なくせ、理想だけ
は高く、理想の待遇、勤務地、職種、業種
などガチガチに固めていましたが、徐々に
理想を緩和し、最終的には理想なんて崩壊
しました。

冬になると、もう何処でもいい。何処か
僕を拾ってくれ。と、投げやりな状態で
窮地に立たされていました。

僕が通っていた学校は、最終単位は「就職」
で、就職未定者は卒業が出来ませんでした。
留年になりますが、僕の中にその選択は無く
就職未定だと退学も止む終えませんでした。

でも、結果的には、広告、印刷、出版系の
会社に就職が決まり「ホッ」としました。

しかし、その会社の提示条件は「すぐに
働ける者」でした。卒業までは待てない
という事で、学校に相談し、研修扱いで
学校へは週1回のレポート提出で、会社
勤務になりました。

学生だった日々から、いきなりスーツ、
ネクタイを身に纏ったビジネスマンへと
変貌を余儀なくされました。

残り少ない学生生活をのんびり送りたかっ
たものの、いきなりの多忙な日々になり
ました。

会社の給料も研修待遇で、11月~3月
まで月給9万円でした。でも、研修とは
名ばかりで、親切に仕事を教えてくれる
人など誰もいませんでした。皆、あわた
だしく自分の仕事をしていて、僕に構っ
てくれませんでした。

僕が質問をしても、うるさがられるばかり
で「本当にこの会社でやっていけるのか?」
と思いながら数日が過ぎました。働き初めて
数日後、僕の名刺が出来、外回りに同行させ
て頂き、高くそびえる大企業のオフィスに
入った時は圧巻でした。各フロアーに
体育館なみの広いオフィスがあり、所狭し
とOA機器が並び、大勢の人が働いていまし
た。最初は、そのビルの3フロアー分の
人全員と名刺交換をし、僕が準備していた
300枚の名刺はすぐに無くなりました。

直属の上司は、取引先の会う人、会う人と
ても親しげに談笑して、僕は固く強張っ
ている状態でした。

1週間もすると、僕は単独行動をしなくて
はいけなくなり、住所のみを頼りに行った
事が無い場所でしょちゅう車でウロウロ
迷っていました。

僕はポケベルとテレフォン・カードを持た
され1時間に6,7回はポケベルが鳴り、
会社に電話を入れては「さっさと帰って
こい。仕事たてこんどるんや」と叱られ
ていました。

会社に戻ると次の仕事が山積みで、会社と
取引先の往復が、50回以上の目まぐるし
さでした。ダブルブッキング、トリプル
ブッキング当たり前で、事務員が勝手に
同時刻のアポを取り3つ以上重なる
事なんて日常茶飯事で、お客さんにも
怒られっぱなしで、オペレーターも
1人で膨大な仕事受けているので、
新たな仕事を持ってくると、オペレーター
から「もう出来んよ。どのオペレーター
も締め切り寸前の抱えてるんやから」
と、怒られまくりました。また、上司
も怒り、人生の中で最も怒られた時期
です。

心身ともにボロボロな状態の時に、
大企業のエリートが
「この原稿、30分以内に仕上げてきて」
と無理難題をふっかけてくる事も日常的
でした。僕が「当社との往復だけでも40
分かかりますので、製造、校正で、最短
でも2時間はかかります」と言っても、
「30分以内が無理なら、あんたの所
とは切る。印刷所は他にも沢山あるからな」
など言われ、暴走し会社に帰り、大至急
でオペレーターに依頼すると
「締め切りはいつ?今は皆、手いっぱい
だから無理」と言われ、しぶしぶエリート
さんに電話すると「じゃあ、もういい。
あんたの所には2度と注文せんから、
原稿返せ」などと板ばさみ苦しめられ
ました。そういったケースが、1度、2度
ではなく、何人ものエリートからやられて
以来、大企業のエリートアレルギーに
なりました。

でも、こういった僕が入社した会社と取引先
との上下関係は、僕が入社するずっと前から
出来ていたようです。

だから、完全に舐め切っているエリートさん達
は仕事と無関係な「ジュース買ってきて」
「昼飯食おうと思ったら、箸忘れたから、すぐ
割り箸を持ってこい」という滅茶苦茶な電話も
「はい。すぐ持ってまいります」などと、5キロ
以上も離れた会社に、僕の上司達が持っていく事も
珍しくないです。

僕が我慢ならなかったのは、毎日サービス残業7
時間させられた事です。毎日、会社内で日付が
変わっていて、大きな仕事の場合は、朝の3時、
4時まで仕事です。睡眠不足のまま、また朝の
8時からの慌しい仕事でした。

頑張った分、給料に反映されるなら、やりがいも
ありますが、夕方5時以降の7時間はタダ働き
でした。また、昼休みも仕事で昼食なんてまとも
に食べれませんでした。なので、ラーメン屋で
注文し料金だけ払い、1口も食えないまま仕事
モードや、カップラーメンに湯を注ぎ2時間
ぐらい経った物を食う羽目になった時なんて
泣きたい気分でした。

日曜、祝日も出勤させられ、月2日ぐらいしか
休めませんでしたが、日曜、祝日の15時間
労働は報酬0円です。ようするに、休日出勤は
給料に一切なりませんでした。

こんな、最低な会社に1年半いましたが、その
会社に数十年尽くしてきた部長の総支給額が
「23万円」と知った時に辞める決意をしました。
自分の息子ぐらいの若ぞうに、頭を床にこすりつ
けるぐらい土下座して謝罪までする部長がこの
程度の扱いであることに愕然としました。

社長は高級外車数台乗り回し、豪邸に住んでいて
絵画、骨董品に湯水の如く出費しているのに、従
業員に還元する気が無い会社にいるなんて、人生
の無駄だと思いました。

最低賃金以下の給料、過酷業務、残業・休日出勤の
未払い、長時間労働、精神的ストレス、社内の人間
関係の険悪など、救いようが無いほど酷い会社で
した。

この時期、夜の勤務でちょっと時間の余裕が出来た
際に毎日のように食べていた「大安」のラーメン
が1日で唯一幸せを味わえる瞬間でした。

この社会人1年目に地獄を見たことも有り、のちの
転職先は天国そのものでした。1日たったの8時間
しか働かなくていい事に、心底喜び、ようやく人間
らしいまともな生き方を出来るようになりました。

しかも、広告会社時代の半分ぐらいの勤務時間、
3分の1ぐらいの仕事量で、給料は6万円以上も
アップしました。

時間も金も多少の余裕が出てきた頃、マツコウが
バンドを再始動したいという事で、ハードロック
バンドを再び結成しました。

マツコウ、うとうさん、室田さん、僕で始動
しました。週1回のスタジオ練習で、1回につき
6時間から8時間練習しました。

しかし、仕事上の転勤通達が来て、僕の生活は
不穏な状況へと流れていくようになりました。

それは、また次、お話します。

河畔公園

2007年02月27日 | 唐津・からつ・カラツ・KARATSU
ちょっと前に辺見えみりが
「私は喫茶店に行くよりも、川原で川を
見ながら缶コーヒーを飲む方が落ち着く
んです。何も考えず川を見るのが好き」
と、川辺でのインタビューをしていま
した。

また、僕が大好きだったバンド、
アムドゥシアス(今は解散)のせーじさん
は、東京に移住した直後、友達もいなく
馴染みの店も無く、毎日のように川原で
小説を読んで1日過ごしていたらしいで
す。

僕も川のせせらぎが収録されているCDを
持っていますが、川とは人をリラックス
させる効果があるようです。

で、今日は定休日なので、仕事をパッパ
と片付けて、川を見に行く事にしました。

唐津市で川と言うと、第一に松浦川が
思い浮かびます。なので、松浦川沿いに
ある河畔公園に行きました。

河畔公園はどれぐらいぶりだろうか?
少なくとも10年は行っていませんでした。

以前は無かった、中国、韓国チックな
建造物がいくつか建っていて、とりあえず
それらを見物し、河畔公園横の小さい川を
見ると「汚い」ゴミは捨ててあるし、水は
ドブ色で透明度が全く無い。以前、菜畑に
あったモーター川並でした。

大きい松浦川の本線も、綺麗とはいいがたい。
しかも、水門でせき止められているので、
流れが全く無く、湖状態でした。

やっぱり川は上流、せめて中流で見るべきで
すね。下流ともなると、水は汚く、流れが
無く、面白みが無いです。

でも、一応、目的を果たすために、川原に
腰掛け、缶コーヒーを飲みました。ドーナツも
買っていたので一気に頬張りました。
昼食をとった沖縄郷土料理屋の「ゆんたく」
から、かりんとうを貰ったので、それも
食べました。一応は、川でのゆったり過ごす
想定もしていたので「落語全集」という本を
持ってきていましたが、その本は読むこと
無く、さっさと帰りました。

河畔公園あたりは車の通りも多いし、何やら
工事中という事もあり重機音もうるさく、雰
囲気的にも落ち着ける環境じゃなかったです。