前回は高校時代まで書きましたので、高校時代
後期から専門学校までを書きます。
高校3年ぐらいの頃に佐賀駅内にある「ピエトロ」
のスパゲティにはまり、お金に余裕があれば通って
いました。(お金に余裕が無い時は、佐賀県立図書
館の食堂に行っていました)
休日は、パスタ料理を自作するのが趣味になり、
缶詰ソースなんか使わず、色々試しました。
80年代初期までは、日本でスパゲティと言うと
ミートソース、ナポリタンが一般的で、お洒落な
人でもバジリコソースや、ヴォンゴレ、カルボナ
ーラぐらいしか知らなかったし、無かった時代
でした。
しかし、バブル絶頂期に空前のイタメシブームで
スパゲティの種類が一気に増えました。ペスカト
ーレ、ペペロンチーノ、アラビアータ、プッタネ
スカ、ポロネーゼなど本格的なものから、
スープスパゲティや、サラダスパゲティ。はたまた、
アレンジの天才日本人が次々に生み出した和風スパ
ゲティ(タラコパスタや、山菜パスタ、大根おろし
パスタなど名作です)
スパゲティやマカロニ(総称してパスタだけど、日本
では主にスパゲティの事をパスタと言います。でも、
イタリアではケーキもパンも小麦粉料理全部パスタ
です)に夢中になり、ツイストマカロニを初めて
食べた時は衝撃的でした。口の中でダンシングする
マカロニの食感がたまりません。
高校時代は部活をしていなかったので、放課後は
暇だったので、美術館、映画館、友人の家に行くと
き以外は、図書館で料理の本を見ては、週末に作る
スパゲティメニューを考えていました。
この時期に蓄えたレシピは、後に1人暮らしをした
時に大変役に立ちました。
高校卒業後、プログラマーを育成する専門学校に
入学しました。何の気なしに専門学校の体験入学に
いったら、数日後に採用担当者から猛烈プッシュ
され、「いい学校。凄い学校」と洗脳され入学し
ました。
学校が、福岡市の天神にありました。九州一の大都会
で勉強できる事に興奮しましたが、入学はしたものの
「プログラマーって何?」というトンチンカンな状態
で数日は学校生活を送りました。
入学から数ヶ月で「プログラマーだけには成るまい」
(成れないと悟った)と心に誓いました。
入学時ですでに周囲はパソコンオタクのような人達ば
かりで、パソコンのパの字も知らない僕なんて最初か
ら大差をつけられている状況でした。
同級生が喋ってる専門用語が理解できず、授業も難解
極まりなく、「2進数の足し算では、1+1=10にな
る。10+1=11や。11+1=100」などと
10進数で慣れている一般人には理解しがたい計算が初期
段階の授業でした。また16進数、フローチャート
C言語、ビジュアル・ベーシックなど難解さが増すに
従って、どんどん苦痛な授業になっていきました。
プログラマーを目指しているなら、やる気も出ますが、
プログラマーに成りたいなど1度も思っていない僕は
「どうせ、プログラマーには成らないから、将来の役に
は立たない知識なんだから適当に単位だけとっとこう」
という感じで、検定試験の前以外は全く勉強しませんで
した。
ただ、僕のように何故か流れで入学した同級生が何人か
いて、放課後は彼らと毎日つるんでいました。定番パタ
ーンは「ふき矢」でお好み焼きか、ロッテリアかで、
しばらく喋ったりしながら飯を食い、「クレージー
ホース」でカラオケでした。週に3~5は、このパター
ンでした。そして、お互いに別れる時間までは、アクロ
ス福岡前の公園でグダグダと喋っていました。
この毎日つるんでいた友人の共通点は楽器、音楽だけ
で、性格はバラバラでした。
専門学校の頃は週1,2回ペースで「一蘭」に行って
いました。(誤解が無いように書きますが、当時の
「一蘭」は本当に美味しかったんです)また、「元祖
長浜屋」にはまり出したのも当時ぐらいです。
電車通学をしていましたが、ラーメンを食べる為だけ
に途中下車をしていたのが西新の「しばらく」でした。
でも、同級生とつるんでいる時は「ふき屋」「ロッテリア」
「マクドナルド」以外だと、「CoCo壱番」のカレー
「吉野家」の牛丼、「牛心」の牛丼、ファミレス「ジョイフル」
「金龍」のラーメンを頻繁に食べていました。
学校の授業は簿記やビジネスだけ真面目に受け、プログラム
の講義などうわの空でしたが、それなりに楽しい学生生活
でした。
専門学校時代の1番の思い出はバンド活動です。楽器屋に
メンバー募集のビラを貼り、ベスト電器本店のスタジオを
メインスタジオとして使っていました。僕はドラムだった
からスッティックは、学校のバックに忍ばせられるけど、
ギターのマツコウはギターを職員室に預けていました。
この時期のバンド活動が後々のラーメンと深く結びつい
てきます。その話はまた後日。
次の「RAINBOW ROAD」では、専門学校卒業~
就職といった話をしてみます。いよいよ、ラーメンフリー
クへと変貌しだす頃です。
後期から専門学校までを書きます。
高校3年ぐらいの頃に佐賀駅内にある「ピエトロ」
のスパゲティにはまり、お金に余裕があれば通って
いました。(お金に余裕が無い時は、佐賀県立図書
館の食堂に行っていました)
休日は、パスタ料理を自作するのが趣味になり、
缶詰ソースなんか使わず、色々試しました。
80年代初期までは、日本でスパゲティと言うと
ミートソース、ナポリタンが一般的で、お洒落な
人でもバジリコソースや、ヴォンゴレ、カルボナ
ーラぐらいしか知らなかったし、無かった時代
でした。
しかし、バブル絶頂期に空前のイタメシブームで
スパゲティの種類が一気に増えました。ペスカト
ーレ、ペペロンチーノ、アラビアータ、プッタネ
スカ、ポロネーゼなど本格的なものから、
スープスパゲティや、サラダスパゲティ。はたまた、
アレンジの天才日本人が次々に生み出した和風スパ
ゲティ(タラコパスタや、山菜パスタ、大根おろし
パスタなど名作です)
スパゲティやマカロニ(総称してパスタだけど、日本
では主にスパゲティの事をパスタと言います。でも、
イタリアではケーキもパンも小麦粉料理全部パスタ
です)に夢中になり、ツイストマカロニを初めて
食べた時は衝撃的でした。口の中でダンシングする
マカロニの食感がたまりません。
高校時代は部活をしていなかったので、放課後は
暇だったので、美術館、映画館、友人の家に行くと
き以外は、図書館で料理の本を見ては、週末に作る
スパゲティメニューを考えていました。
この時期に蓄えたレシピは、後に1人暮らしをした
時に大変役に立ちました。
高校卒業後、プログラマーを育成する専門学校に
入学しました。何の気なしに専門学校の体験入学に
いったら、数日後に採用担当者から猛烈プッシュ
され、「いい学校。凄い学校」と洗脳され入学し
ました。
学校が、福岡市の天神にありました。九州一の大都会
で勉強できる事に興奮しましたが、入学はしたものの
「プログラマーって何?」というトンチンカンな状態
で数日は学校生活を送りました。
入学から数ヶ月で「プログラマーだけには成るまい」
(成れないと悟った)と心に誓いました。
入学時ですでに周囲はパソコンオタクのような人達ば
かりで、パソコンのパの字も知らない僕なんて最初か
ら大差をつけられている状況でした。
同級生が喋ってる専門用語が理解できず、授業も難解
極まりなく、「2進数の足し算では、1+1=10にな
る。10+1=11や。11+1=100」などと
10進数で慣れている一般人には理解しがたい計算が初期
段階の授業でした。また16進数、フローチャート
C言語、ビジュアル・ベーシックなど難解さが増すに
従って、どんどん苦痛な授業になっていきました。
プログラマーを目指しているなら、やる気も出ますが、
プログラマーに成りたいなど1度も思っていない僕は
「どうせ、プログラマーには成らないから、将来の役に
は立たない知識なんだから適当に単位だけとっとこう」
という感じで、検定試験の前以外は全く勉強しませんで
した。
ただ、僕のように何故か流れで入学した同級生が何人か
いて、放課後は彼らと毎日つるんでいました。定番パタ
ーンは「ふき矢」でお好み焼きか、ロッテリアかで、
しばらく喋ったりしながら飯を食い、「クレージー
ホース」でカラオケでした。週に3~5は、このパター
ンでした。そして、お互いに別れる時間までは、アクロ
ス福岡前の公園でグダグダと喋っていました。
この毎日つるんでいた友人の共通点は楽器、音楽だけ
で、性格はバラバラでした。
専門学校の頃は週1,2回ペースで「一蘭」に行って
いました。(誤解が無いように書きますが、当時の
「一蘭」は本当に美味しかったんです)また、「元祖
長浜屋」にはまり出したのも当時ぐらいです。
電車通学をしていましたが、ラーメンを食べる為だけ
に途中下車をしていたのが西新の「しばらく」でした。
でも、同級生とつるんでいる時は「ふき屋」「ロッテリア」
「マクドナルド」以外だと、「CoCo壱番」のカレー
「吉野家」の牛丼、「牛心」の牛丼、ファミレス「ジョイフル」
「金龍」のラーメンを頻繁に食べていました。
学校の授業は簿記やビジネスだけ真面目に受け、プログラム
の講義などうわの空でしたが、それなりに楽しい学生生活
でした。
専門学校時代の1番の思い出はバンド活動です。楽器屋に
メンバー募集のビラを貼り、ベスト電器本店のスタジオを
メインスタジオとして使っていました。僕はドラムだった
からスッティックは、学校のバックに忍ばせられるけど、
ギターのマツコウはギターを職員室に預けていました。
この時期のバンド活動が後々のラーメンと深く結びつい
てきます。その話はまた後日。
次の「RAINBOW ROAD」では、専門学校卒業~
就職といった話をしてみます。いよいよ、ラーメンフリー
クへと変貌しだす頃です。