元ラーメン屋店主のツイート集

ラーメン屋を10年経営し、今は閉店し、介護士をしています。

つけめんの改正

2007年04月03日 | れいんぼ~情報
4月4日からの「つけめん」値上げに伴い、
部分改正いたします。

つけめんは当店のラーメン内でも特殊な
メニューですので、他のメニューとは
切り離したメニュー形態にいたします。

「つけめん」「豪華つけめん」の替玉と、
セットは廃止します。

今まではAセット~Cセットで、全麺メニ
ューでのセット注文が可能でしたが、改正後は、
ラーメン、様式美麺、チャーシュー麺、
ファイヤー麺がセット可能麺メニュー
になります。

「つけめん」「豪華つけめん」は単品のみ
での注文しか出来なくなります。

「つけめん」の替玉は手間がかかりすぎる
理由から廃止しました。1玉~無限での
事前注文でお願いいたします。

クレーム処理

2007年04月03日 | テレビ番組
先日、ラジオでクレーム処理コンサルタントの人
が出演し、現代のクレーム形態、処理法をお話さ
れていました。

今までは主要依頼主は、大手デパートなど、クレー
ム処理の部署が配置されている所に教育していた
らしいですが、近年は全業種から注文が多いよう
です。数年前より、クレーム件数も増加し、役所、
学校などもクレーム処理対策をされているいよう
です。

数年前まで無かったような、新形態のイチャモン、
言いがかりクレームも多発しているようです。
例えばデパートでは

「おもちゃを沢山置いているから、子供があれも
これも欲しいとうるさい。おもちゃを撤去しなさい」

「類似商品が多いから選ぶのが大変。醤油や塩など
1種類に統一して」

「きのう買ったお菓子がおいしくない。返金して」

「あの店員をクビにして」
など、自己中心的で何か歪んだ感情を持っている。

学校でも先生に
「塾の宿題が多いから学校の宿題は無くせ」

「欠席した分の給食費は返金しろ」

「子供が朝起きれないから、毎日起こしにこい」

「いじめた子供は転校させろ」
など、利己主義で家庭内問題や子供の性格まで
全てを学校側の責任にしてしまう親は、親の責任
逃避で親の自覚が足りないと思います。

今は撤去されていますが、あるスーパーが
「お客様ご意見箱」というのを設置されていて、
全ての質問、苦情に店長が返事を書き掲示され
ていました。これが、酷い内容が多かった。

「レジが会計だけで袋詰をしないのは職務放棄の
怠慢」

「○○スーパーには売ってある○○が、ここには
無い」

「○○スーパーより、○○が12円高い。ボッタクリ」

「あの店員は無愛想だからクビにしろ」

「店の音楽が気に入らない。主婦層にあった演歌とか
流せ」

「夜にお惣菜が少ない。営業時間中は売り切れたら
すぐに補充しろ」
みたいな、言いがかりだらけでした。

話をラジオに戻しますが、クレーム・コンサルタント
が言うのは、殆どはクレーマーで不当な要求や、文句
をつけないと気がすまない人らしいです。でも、中には
金銭要求目的の詐欺師も多いようです。しかし、クレー
ム処理対策では、とりあえずは「お客様の言う事は
全て正しい」と受け、謝罪し、その後、お互いの歩み
よりをするようです。不当であり無理難題でも、不快を
与えた店側の責任というスタンスで処理し、絶対に
クレームに対する反論はしてはいけないらしいです。

そいえば、居酒屋チェーンの和民のマニュアルでも、
「お客様が全て正しい」というスタンスで、
「これ注文してないよ」と言われれば、注文していて
も謝罪し「注文していなかった。店員の注文ミス」と
いう風に処理されます。

クレームを言う側の立場が強く、言われる側は言われる
がままに謝罪し、店が泣き寝入りで、時には金品を払
う世の中とはいかがなものでしょう。

クレーム詐欺で、謝罪の品や金で長年生活していた
男が逮捕されましたが、事実確認や不当なクレーム
でも跳ね除けない企業の体質にも問題ありだと思い
ます。

ただ、今はお客の力が強く、言われ無き噂や、インター
ネット等での風評被害は深刻で、売上や株価を変動さ
せます。なので、小さなクレームに真摯に対応する
姿勢を見せる事で、おおやけや、屈折して広まる
前に鎮圧させるのでしょう。

僕も商売人なので、クレームは付き物ですが、こん
な場所で内容を公開するのはタブーですから、割愛
させて頂きます。

RAINBOW ROAD~様式美麺れいんぼ~への道11

2007年04月03日 | RAINBOW ROAD
前回の「RAINBOW ROAD」では、ややマイナーな
プログレッシブ・ロック話で暴走しすぎて、あ
まりそっち系のロックを聞かない人にはチンプン
カンプンな話になりすいませんでした。

「RAINBOW ROAD」は僕の開店までの秘話を
紹介するスタンスの連載なので、なるべく万人
に分かりやすい表現をするようにします。

福岡のラーメン屋&製麺工場で働きながら、
プライベートでは自作ラーメンを作っていた
当時、呆然と「ラーメン屋になりたい」と
思っていました。でも、当時は「多分無理
かな」と思っていて、具体的にラーメン屋
を目指しての努力はしていませんでした。

でも、呆然ながらラーメン屋構想はありま
した。

誰かの真似をしたようなアイデンティ
ティが無い店なら、やらない方がマシ。と、
思っていていました。似たり寄ったりの
店が1店舗オープンした所で、何の意味
もありません。

また、トンコツラーメンが幅を利かせて
トンコツラーメン以外は価値が無いと思わ
れている風潮に、背を向け、僕自身が
純粋に心から信じたラーメンを作れば、
ジャンルを度外視し、意思が伝わり共鳴し
てくれるお客様もいると信じていました。

でも、店をやるなら、明らかに業界から
浮いた存在の店ではなく、現状の業界状況
に溶け込んだ店だけど、他店では決して味
わえない唯一無二な存在でいたかったです。
お客様に受け入れやすい味、当り障りが無
い無難な味、最先端製法を導入するブーム
後追い、のような事はしたくなかった。

自分でラーメンを作るまでは、お店で出さ
れたラーメンを食べ、好きなように感じ
とり、時には感動するような店に出会え
る事が幸せで、満足していた。

最初は、客として楽しみ、満足していた
立場から、従業員とは言えラーメンを
作る素晴らしい世界に参加できた事が
嬉しく、誇らしかったです。

でも、常に何かを探し求め、現状に満足
出来ない僕は、すぐにストレスを感じ
だした。企業なので損得ベースの思考
は仕方ないのかもしれないが、利益
優先、原価を削る事ばかり考える
産業的思考のラーメンに嫌気が差して
きていた。ピュアな心や魂がこもらな
いラーメンに魅力も感じなくなっていた。

実家に帰郷する度に、父に「もう福岡はよかや
ろ。唐津に帰って来い」と毎回毎回言わ
れていて、父は隠居生活、独り暮らしで
寂しく侘しく暮らしていたので、「いつか
は帰らにゃいかん」と思っていました。

ラーメン屋勤務も最初の頃のように充実し
た熱が籠った気分も薄れ、全く同じ事の
繰り返しの日々にいささか嫌気が差して
いた。転職しても同じ気分を味わう事は
目に見えていたし、独立するだけの金も
経験もないいから、将来を見据えるに
は帰郷し、じっくりとラーメン屋開業を
考えるのもいいかもしれない。と、思い
帰郷を決断した。

決断後は早かった。引越し数日前まで、
引継ぎなど仕事をし、毎晩少しづつ荷造
りをした。会社からダンボール箱を貰い
今使わない物はどんどん箱に詰めていき
ました。

休日は親戚からトラックを借り、山積みで
2往復しても、まだ運びきれなかった。
唐津から福岡に引っ越してきた当時は
軽ワゴン1台で充分だったのに、福岡に
来てから買った物が、とてつもなく多い
事に驚きました。

翌週も自家用車で、荷物を運びだした。

テレビも冷蔵庫も無く、ガランとなった
部屋で数日過ごし、アパート引渡し3日
前には全荷物運びだし、部屋中を綺麗に
磨き上げた。

3日間は、懐中電灯、下着、タオル、
服一式、ミニラジカセだけで過ごしま
した。もう、仕事も辞めていたので、
さっさと唐津に帰ってもよかったが、
住めるギリギリまで住んでいたかった
です。夕方以降の夜は真っ暗な部屋で
ラジオを聴きながら過ごし、昼は
何度となくアンプラグド・セッション
をした塩原公園でボーっと過ごした
り、近所の図書館に行っていました。

僕の福岡生活最終日は、僕のバンドマ
ン時代のパートナー、マツコウが何に
も無い僕の部屋に泊まり、布団も無い
状態でザコ寝しながら、真っ暗闇で
深夜まで雑談をしていました。

翌日、大家さんに部屋を明渡し、マツ
コウの車で実家へと帰りつきました。
正確に言うと、虹ノ松原駅で車を降り
電車で唐津駅まで行き、徒歩で帰宅
しました。

もう、福岡の家が無くなり、2日後
職安に行き、再就職先を探す事にしま
した。とりあえず、まだラーメン屋を
するには早いと思い、何か仕事をしな
がら具体的に計画する事にしました。

今日はここまで。つづきはまた・・・。