元ラーメン屋店主のツイート集

ラーメン屋を10年経営し、今は閉店し、介護士をしています。

外山恒一・・・過激政権放送

2007年04月29日 | テレビ番組
先日行われた東京都知事選に、外山恒一という
強烈キャラが出馬していたようですね。

YOU TUBEで見つけましたが、こんな過激派の
政権放送初めて見ました。

まず、政権放送の喋りはじめが

「有権者諸君。
私が外山恒一である。
諸君。
この国は最悪だ。
政治改革だとか何とか改革だとか、
私はそんなことには一切興味がない。」

で、どんどん熱弁口調になり、

「こんな国はもう見捨てるしかないんだ、
こんな国はもう滅ぼせ。
全てをぶち壊すことだ。
諸君の中の多数派は、私の敵だ。
選挙で何かが変わると思ったら大間違いだ。
所詮選挙なんか、多数派のお祭に過ぎない。

もうこんな国に何も望まない。
期待しないし、勿論協力もしない。
残された選択肢はただ一つ。
こんな国はもう滅ぼすことだ。
ぶっちゃけて言えば、もはや政府転覆
しかない。」

外山はカメラに中指を突きたてて、

「これを機会に、 政府転覆の恐ろしい陰謀
を、共に進めていこうではないか。
ポスターに、連絡先が書いてあるから、
選挙期間中でも、終わってからでもかま
わない。私に一本電話を入れてくれ。
勿論、選挙権のない未成年の諸君や、
東京都以外の諸君でもかまわない。
我々少数派には、選挙なんか元々全然関係
ないんだから。」

当然、こんな過激派なんて相手にされず、
石原都知事の一人がちでした。

有名人多数出馬で何かと騒がれた都知事選
でしたが、 外山恒一というクレイジーな
人も出馬していたとは知りませんでした。

それにしても、よくテレビで放送したと
思います。


酒井康の何が駄目なのか? 

2007年04月29日 | ♪ハードロック/ヘヴィメタル∮♭
ウィキペディアの「酒井康」の欄に、
「彼を嫌うヘヴィメタル・ファンは少なくない。」
と書いてあり、あちこちのヘヴィメタル系サイト
にも酒井康に対する反発が多々ありました。

簡単に酒井康が誰なのか説明すると、シンコー
ミュージック系列の株式会社バーン・コーポレー
ション社長で、DJ,評論、CD解説、
ハードロック/ヘヴィメタル専門雑誌BURRN!
元編集長。今は広瀬和生が編集長を引き継いでいる。

酒井康に限らず、BURRN!という雑誌は、編集
者の1個人の感想や意見を堂々と言う所に面白さ
があります。それが独りよがりな独善的意見であっ
ても、自由でノビノビ好き放題言いまくるから
信頼もできます。客観的意見を言うだけの評論なん
て面白くないです。また、レコード会社やプロモー
ターと癒着しているような音楽雑誌なんて買う価値
ありません。BURRN!は率直で過激な発言が
多く、BURRN!のレビューによりCDの売上は
左右されます。だから、レコード会社とのトラブル
は絶えないようですが、BURRN!は良質なヘヴィ
メタルを広めたいという根源が揺らいでいないの
でレコード会社に屈しません。

確かに、BURRN!にはCDの広告もたくさん
載っているし、レコード会社との繋がりも深いです。
レコード会社との繋がりがなければ音楽雑誌は
成立しません。
しかし、レコード会社がスポンサーだからと、レコー
ド会社が喜ぶような記事は書きません。他誌では、
駄作も当り障り無いようにオブラートに包みまくっ
ていますがBURRN!は直球です。

音楽雑誌で新譜CDを点数で評価しているのは
BURRN!だけです。100点満点ですが、20
年以上続いている雑誌なのに、今まで100点は
いません。それなのに、0点評価や、?評価は
時々あります。10点前後は結構頻繁にあります。

CDレビュー内容も、
「1度聴いたら中古屋に持っていきなさい」

「ゴミですが許してやってください」

「このレコードは塩化ビニール、人件費、
時間のムダ使い」

「最低を追求しているバンド」

「迷惑な騒音CD」

「絶対買うな」

「誰からも相手にされないかわいそう
なバンド」

「強烈なイモ・バンド」

「これを音楽とは呼びたくない」

「中身はウ○コ!」

「体中のエネルギーが抜けていった。」

「このアルバムはただのゴミにしかすぎない」

「もう2度と聴きたくないとだけ言っておこう」

「世の中で一番の無駄はこのCD」

「これ以上雑音を聴くと耳がおかしくなるっ!」

「こんなもん聴いているほど暇じゃないよ。」

「真夏の腐った生ごみの方がマシ」

「ただのノイズ」

「こんな最低最悪なCD聞くと耳が腐る」

「このバンドメンバーは自殺して地獄に落ちろ」

「もう勘弁してください。拷問だ」

「驚異的なクズレコード」

「醜く酷い物の究極版」
などと、ファンは激怒するかもしれませんが、
新作のレビューで、これだけの事を書ける
雑誌は他にないです。レコード会社が全力で
売り出そうとしたものに対して、最宣伝媒体
のヘヴィメタル雑誌が酷評するからこそ、
BURRN!で「生きててよかった。史上最高
の名作と出会えた。」などと書かれていたら、
絶対に買ってしまいます。

また、BURRN!はグイグイと突っ込んだ
インタビューをして、喋りたくないだろう事
まで引き出します。要はファンが知りたい事
をミュージシャンにぶつけるから、音楽面以
外の色んな事まで知ることができます。

BURRN!の編集者は、一音楽好きの立場
として書いているので、暴言、失言めいた事も
多いけど、イチイチ、ミュージシャンサイドに
英語に訳し送っている人がいます。暴言などは
ファンとしては許せなく「BURRN!は、
こんなこと書いていますよ」と送るのでしょう。

その一部のファンの余計な行動のせいで、ミュー
ジシャンと雑誌社の摩擦関係が生じ、取材拒否
になる事もあります。有名な騒動は、ストラト
ヴァリウスです。ストラトヴァリススの批判
をBURRN!がした事で、ティモは抗議し
今後の取材拒否を申し出てきました。
しかし、BURRN!で紹介されない事は
ヘヴィメタルバンドにとって致命的なので
ストラトヴァリウスサイドから和解を求めて
きました。

色々、BURRN!については書きたいけど
僕達メタラーと同じ視線、感覚で作られている
BURRN!はメタラーの必読書です。

当店には、新旧のBURRN!をご自由に
読めるように置いています。ラーメンができる
までの間などにご覧ください。

すべらない話

2007年04月29日 | 小ネタ
先日、厨房用の靴を3足買いました。

今まで、とび職の靴をはいていましたが、
これが水を常にまいている厨房内では
結構すべりやすく危なかったです。

また、とび職の靴は靴の表面が布なので、
すぐに内部まで水が浸透してしまいます。

厨房用の靴も、普通の靴と変わらんやろう
と思っていたら、全然滑らなく、両手に
熱い油やスープや熱湯を持っている時でも
安心です。

やはり、用途に合わせた物を身につけるの
は大切だと実感しました。

白い靴を1足と、黒い靴を2足買いました。

今、BSでレインボーのライブが放送されています。

2007年04月29日 | リッチー・ブラックモア
僕は何十回もDVDで見たので、頭の3曲だけ
見ました。

しかも、この1977年のレインボー・ミュン
ヘン公演放送後、続けざまにレッド・ツェッペ
リンの「狂熱のライブ」が放送されます。

もちろん「狂熱のライブ」DVDも買いました。

一晩で、レインボーとレッド・ツェッペリンの
一番いい時期のライブが見れるなんて贅沢です。

中高年層の元ロック少年だった人たちには、
眠れない熱い夜になりそうですね。

僕が週に3,4回行っていた高宮のハードロック
専門ビデオ&CD屋の50歳ぐらいのオーナーは
廃業間際にポツリと「もう閉店セールで叩き売り
しているが、ツェッペリンの「狂熱のライブ」
だけは売らない。思い出にこれだけは持って帰る」
と言っていました。何十年もハードロックと共に
生きてきたおじさんの一番の思い出作とも言える
ライブが、今宵放送されます。

ハードロックに興味がある人は勿論、まだハード
ロックに興味を持っていない人も僕達ハード
ロック好きが愛してやまない音楽がどういうもの
なのか知ってほしいです。

②リッチー・ブラックモアとイアン・ギラン

2007年04月29日 | リッチー・ブラックモア
イアン・ギランとロジャーグローヴァーが
加入しディープ・パープルが、ようやく
ハードロックバンドとして輝きだす。

しかし、皮肉にも再編成第1弾は、ジョン・
ロードが長年夢見ていたオーケストラとの
競演作でした。

ジョン・ロードがディープ・パープル加入
以前から譜面を書き続け、オーケストラ
全パートをジョン・ロードが書く力の入れ
ようでした。

今聞いても名作ですし、ディープ・パープル
のメンバー全員の演奏も凄まじいです。

しかし、後にハードロック至上最高の
ボーカリストと称えられたイアン・ギラン
の加入第1弾が、しっとりと歌い上げる
とは皮肉ですね。

その後「イン・ロック」「ファイアボール」
「マシン・ヘッド」とロック史に残る名作を
生み、ディープ・パープルはロック界の
御三家(他、ブラックサバス、レッド・ツェッ
ペリン)と言われるようになりました。

バンドは成功していましたが、リッチー・ブ
ラックモアとイアン・ギランは対立を繰り返
し、ライブのステージ以外では顔も合わせぬ
ほどになっていました。

リッチー・ブラックモアは、イアン・ペイス
とフィル・ライノット(シン・リジーの
リーダー)とベービー・フェイスという
バンド結成予定もありました。

リッチー・ブラックモアは自分の脱退か、
イアン・ギランのクビか?の選択をマネー
ジャーに決めさせ、結果、イアン・ギランは
解雇され、イアン・ギランのオマケで付いて
きたロジャー・グローヴァーも解雇しました。

ポール・ロジャースが新ボーカリストで迎え入
れられる予定でしたが、話し合いの最中に、
新聞記事で「ディープ・パープル新ボーカル
。ポール・ロジャース決定」と発表された
事にポール・ロジャースが腹をたて、ディー
プ・パープル加入を見送りました。

新人発掘の為、オーディション用テープを
聴きあさり、他よりズバ抜けて上手い
ディヴィット・カバーデールを発見。

そして、人気バンドのトラピーズのリー
ダーであるグレン・ヒューズをボーカル兼
ベースで加入させた。

①リッチー・ブラックモアとロッド・エヴァンス

2007年04月29日 | リッチー・ブラックモア
リッチー・ブラックモアのセッション
ミュージシャン時代、スタジオミュー
ジシャン時代のキャリアは省き、
ディープ・パープル結成時から今まで
一緒にやってきたヴォーカリストに
ついて振り返ってみます。

レインボー時代のリッチー・ブラック
モアは、並レベルの演奏しか出来ない
ミュージシャンでも平気で採用するの
に、ボーカルだけには異様にこだわり
ました。

そんなリッチー・ブラックモアが、
「誰でもいい」と適当に採用したのが、
ロッド・エヴァンスです。

ディープ・パープル結成以前からリッチー
・ブラックモアはセッションギタリストと
して有名でしたが、雇われギタリスト生活
に飽き、自身の音楽を探求する自分達の
バンドを結成したかった。

そんな時、偶然出会ったのがジョン・ロード
(ハモンドオルガン奏者)です。リッチー・
ブラックモアは衝撃を受け、ジョンにプラン
を話し、口説き落としました。そして、手数
が多くアグレッシブで安定した高度な演奏力
のドラマー、イアン・ペイスとも運命的に
出会い、バンド始動の準備が着々と進みま
した。

上手く歌えるボーカル、ロッド・エヴァンス。
王道のロックンロールスタイルのベーシスト、
ニック・シンバーが加入しました。

そして、ディープ・パープルというバンド名
で始動するものの、デビュー直後こそヒット
したものの3枚目のアルバム(LP)を出す
頃には人気も低迷していました。

そんな時期、レッド・ツェッペリンはデビュー
アルバムから爆走し一気に大物バンドにのし上
がり、リッチー・ブラックモアも影響されまし
た。音楽性には共感しないものの、ロバート・
プラントのルックスの良さと、高音で叫ぶスタ
イルを「成功の鍵」と見抜きました。

リッチー・ブラクモアが、
「ロバート・プラントに比べ、うちのロッド・
エヴァンスは何だ。あいつは普通だ。もう、
あいつは要らない。ついでにニックもいらない」
と、ミック・アンダーウッドに相談した。

ミックが「うちのバンドのボーカルは、ルック
スがいい。しかも、ロバート・プラントに負け
ない高音で叫べる(シャウト)」と聞き、リッ
チー・ブラックモアはライブを見に行きイアン・
ギランの採用を決定した。ついでに、イアン・
ギランと一緒にバンドをやっていた、ロジャー・
グローヴァーを加入させた。