元ラーメン屋店主のツイート集

ラーメン屋を10年経営し、今は閉店し、介護士をしています。

日本のシンガー5

2007年07月14日 | 音楽・楽器
僕が聴く音楽の95%は洋楽です。でも、邦楽のCDアルバムも
100枚以上は持っていますし、テープやMDは無数に持って
います。詳しくは無いけど、好きな日本人ボーカルは沢山
います。バンドとして好き、歌唱力がある、いい歌を作る
など判断基準は様々ですが、卓越した歌唱力、音域の広さ、
表現力、声量などをベースにしながら、単純に僕が今好きな
5人を選んでみます。

■人見元基
伝説的ヘヴィメタルバンドVOWWOWの元ボーカリストです。
日本人で、海外の一流規模のボーカリストと対等に渡り合
える力量を持っているのは人見ぐらいです。他の本格派な
日本のヘヴィメタル・ボーカリストの全否定になりますが、
「日本人にしては凄い」というクラスが殆どで、純粋に
興奮出来るボーカリストは少ないです。

■森川之雄
日本が誇る、ジャパニーズ・メタル界の大御所、アンセム
の元ボーカルです。アンセムのボーカルと言うと、坂本英三
の方が知名度は高いです。しかし、僕は森川之雄派です。
最初は坂本英三のシャウトしまくるボーカルが好きでしたし、
アニメタルの活躍で坂本英三の歌声に惚れ込んでいましたが、
森川之雄率いる「虹伝説」というレインボーのトリビュート
盤を聴き、一気に逆転しました。バラードも、スピードチュ
ーンも完璧です。

■影山ヒロノブ
アニメソング、戦隊ヒーローのテーマ曲を100曲ぐらい
歌ってきた、昔の子供から今の子供まで御馴染のボーカリ
ストです。僕が幼稚園の頃はKAGEという名前で「電撃戦隊
チェンジマン」を歌っていて、小学時代は「ドラゴン
ボールZ」を歌っていました。でも、元々は日本版
ベイ・シティ・ローラーズの、LAZYでした。あの、
LAZYはアイドルサウンドから、ムード歌謡までこなし、
再結成時には高崎晃や樋口宗孝がドドーンと目立ち
ヘヴィメタルバンドとして復帰しました。あの熱帯夜
の暑苦しく、まとわり付くような、濃厚で、男臭い
個性的な景山節に一度はまると、癖になります。

■永井龍雲
演歌でもなく、フォークでもない、ニューミュー
ジック系音楽です。財津和夫と松山千春を合わせ
たようなあの歌声は月に1度は聴きたくなります。
僕は日本のフォークやブルースも結構好きですが、
アメリカのフォークやブルースほどは深く好きに
なれません。しかし、永井龍雲は、歌詞をじっく
り聴くと、思わず涙が出てしまう程、深く深く
僕を感動させてくれる数少ない歌手です。
他に、永井龍雲並に僕を感動させてくれるのは
長渕剛や、森進一ぐらいです。

■稲葉浩志
日本一リッチなボーカルです。ブルースベースの
ハードロックが基盤にあり、これだけ長年日本の
音楽引っ張ってきたバンドは他にいない。小学時代
僕はブルーハーツやBOOWYが好きでした。その
頃、B’zの楽曲をラジオで初めて聴き痺れまくる
大衝撃を受けました。これが、僕とハードロックの
出会いです。稲葉のあの歌い方、歌声、独特のシャウ
トも、それまでの日本のロックに類を見ない、初めて
づくしの新感覚さにどっぷりはまりました。僕の
青春はB’zとの出会いにより始まりました。

フラガール

2007年07月14日 | 映画レビュー
日本アカデミー賞総なめの映画とはこんなもんですか?

炭鉱の町が閉山なり、村興しの起死回生プロジェクト
が「常磐ハワイアンセンター」でした。田舎を馬鹿に
している東京のトップダンサーの先生と、ド素人の
娘達の対立もありながら、アロハダンスを習得し、
人気観光施設のメインとし華やかに踊ります。

ヒットする日本映画は何か似ている。
「スイング・ガール」「ウォーター・ボーイズ」
などとかぶります。下手な素人集団が、努力で
上達し、ラストでは華やかに披露し、観衆から
絶賛されるというお決まりパターンです。

マンネリ系とは言え、あれだけのアロハダンス
を習得するには女優さんたちも相当練習を積んだ
と思います。かくし芸大会を見る感覚で見たら
楽しめる映画かもしれないです。

ボン・ジョヴィに大興奮した69歳のオバサン占星術師

2007年07月14日 | ♪ハードロック/ヘヴィメタル∮♭
先日、細木数子の「ズバリ言うわよ」に、ボン・ジョヴィ
のメンバー全員が出演し、細木数子にメンバーからキス
しまくりでした。

細木数子も、メンバー全員に高価なアクセサリーを大盤振る
舞い。

細木数子がハードロックにどれほどの理解があるのか知らない
けど、如何わしい占星術師がロックについて最もらしく
「すっぴんの丸裸にした魂の叫びを歌ったのがロック」と
言っていました。

ボン・ジョヴィの新作「ロスト・ハイウェイ」について
細木数子は「究極の魂の叫びよ。最高よ」と高評価でした。

占いは無難な鑑定で、短く、「これぐらいにして歌が聞き
たいわよね」と、さっそくボン・ジョヴィのライブに
なります。

「メイクア・メモリー」を生で聴いて、細木数子は、
「ね~みんな~。今の歌聞いて泣きたくならなかった?」
と感動を表現し、ジョン・ボン・ジョヴィのサングラス
を指先して「あら、あなた、いいサングラスしてるはね」
と催促し、ジョンのサングラスを貰っていました。

この変な取り合わせは何でしょう。僕が大好きな
ボン・ジョヴィが、細木数子みたいなショーモナイ
インチキ占い師なんかと絡んでほしくなかったです。

雨ニモアテズ

2007年07月14日 | 小ネタ
宮沢賢治の有名な詩に「雨ニモ負ケズ」という詩が
あります。今、そのパロディ詩がブームになっている
らしいです。変え詩人は明かされていませんが、
学校の校長先生が現代っ子について書いたようです。


 雨ニモアテズ 風ニモアテズ

 雪ニモ 夏ノ暑サニモアテズ

 ブヨブヨノ体ニ タクサン着コミ

 意欲モナク 体力モナク

 イツモブツブツ 不満ヲイッテイル

 毎日塾ニ追ワレ テレビニ吸イツイテ 遊バズ

 朝カラ アクビヲシ  集会ガアレバ 貧血ヲオコシ

 アラユルコトヲ 自分ノタメダケ考エテカエリミズ

 作業ハグズグズ 注意散漫スグニアキ ソシテスグ忘レ

 リッパナ家ノ 自分ノ部屋ニトジコモッテイテ

 東ニ病人アレバ 医者ガ悪イトイイ

 西ニ疲レタ母アレバ 養老院ニ行ケトイイ

 南ニ死ニソウナ人アレバ 寿命ダトイイ

 北ニケンカヤ訴訟(裁判)ガアレバ ナガメテカカワラズ

 日照リノトキハ 冷房ヲツケ

 ミンナニ 勉強勉強トイワレ

 叱ラレモセズ コワイモノモシラズ

 コンナ現代ッ子ニ ダレガシタ

ウィスキー

2007年07月14日 | 映画レビュー
皆さんはウルグアイ映画を見た事ありますか?

映画というと、フランス、ハリウッド、韓国、
香港ぐらいしか見た事無い僕にとって初の
南米映画です。

何とも面白く無い、靴下工場で働く、つまんない
仕事風景が何十分も続きます。結局、つまんなく
面白みが無い、暗い社長と、無口でツンケンした
おばちゃん社員というのを前半は伝えています。
後半では自分の人生を変えようとするおばちゃん
と、変わらない社長を描いています。

何とも全体的にシュール・・・。

「ウィスキー」は写真を撮る時に笑顔をつくる決め
ゼリフです。日本の「はい、チーズ」と一緒です。

オー・ブラザー!

2007年07月14日 | 映画レビュー
こういった映画を僕は「雰囲気系」と言って
います。ストーリーうんぬんより、全体的
雰囲気が何となくいい、ほんわか和み系
です。

1930年代のカントリー系音楽ファンには
必見と言うべき、泥臭さ満載の映画です。

3人のキャラ濃すぎな囚人が、刑務作業の
地均し中に脱走し、埋めた大金を目指し
旅をする。その珍道中をコメディタッチで
描いています。

囚人3人で結成したバンド「ずぶ濡れボーイズ」
は、かなりいいです。ヨーデルも完璧な
ハイクオリティなカントリーナンバーです。

全体的にくすんだような、何ともレトロな
雰囲気がいいです。

サウンド・オブ・サンダー

2007年07月14日 | 映画レビュー
この映画は「つまんない」って程つまんなく無い
けど、「面白い」とも言えない。可も無く不可も
無く、別に人に薦めたい映画じゃないです。

富豪がタイムトラベルを楽しめる時代になった
という設定の近未来SF映画。

過去にタイムトラベルをし、死ぬべき運命にある恐竜の
狩りを楽しんでいた所、生きるべき運命にあった蝶を
踏んでしまい、現代に戻った時、地球は破滅的に
なっていた。6500万年前の些細な事が、時間の
流れで大きく変動し、現世を大きく歪めてしまった
という映画です。

SFでは定番的な設定でしょうね。

あの日の台風と僕・・・

2007年07月14日 | 小ネタ
沖縄に長年住んでいる友人が、今回の台風の凄さを
メールで語っていたので、ハンパない威力だと
思い、佐賀県が強風・豪雨圏に入る前(PM3:30ごろ)
に店は早仕舞いしました。

店の片付け掃除も済み、外の様子を伺うと、まだ然程
台風の影響を感じなかったので、市役所まで参議院の
期日前投票に行ってきました。

今はようやく台風らしい強風が吹いていますが、佐賀県
は余波だけなので、3年前の台風ほどでは無いと思います。

3年前は川が氾濫し、トライアル、TSUTAYAが水びたしになり、
ドコモショップは復旧に2週間もかかりました。

台風というと色々と思い出がありますので、いくつか
紹介します。

■エピソード1
僕が今「様式美麺れいんぼ~」を営業している敷地で、
以前までは父がアパートを経営していました。アパート
と言っても立派な物では無く、2階建てで、1階で靴を
脱ぎスリッパに履き替え、自分の部屋に行くというアパ
ートです。要するに各部屋が南京錠のような鍵で、1階
に共同キッチン、共同便所、共同洗濯機があるアパート
です。昼間でも薄暗く、カビ臭く、どんよりした重い
空気流れる部屋がメインでした。2LDKや3LDKの部屋は
リフォームして比較的綺麗でしたが、ワンルームは恐ろ
しく廃屋化していました。そのアパートが台風後には
必ず瓦、雨戸、網戸、トタンなどが散乱していました。
台風が来ると吹き飛ばされるアパートだったのです。
幸い怪我人が出ず、近所の車などにぶつからなかった
から良かったものの、当時は父も台風に悩まされて
いました。

■エピソード2
中学1年の頃、電話網で、僕の次に回すクラスメート
は女の子でした。学校の用事、臨時休校の時などに
電話が回ってきて、僕が女の子に電話するのですが、
あれが滅茶苦茶嫌でした。日頃あんまり喋っていない
クラスメートに電話するのが嫌な訳じゃないです。
その女の子の家に電話すると必ず、その子のお父さん
が電話に出ます。そして、僕の話も聞かないうちに

「何だね君は。淳子(仮名)と、どういう関係なんだ」

と、怒ってきます。毎回ドキっとし、挙動不審な感じで
どもり、シドロモドロしていると電話を切られて
しまいます。僕の番で電話がクラスに回らなかっ
たらいけないので、嫌々ながらもその女の子に
かけ直します。やっぱり、その子のお父さんが
出てきて

「君もしつこいね。淳子(仮名)に何か用なのか」

とか言われ、電話は意地でも女の子に変わってくれ
ないので、電話網で学校閉鎖である事を回していると
伝え、次の人に回すように言ったのに、必ずその家で
電話が止まりました。

その女の子の父親のせいなのに、担任からは僕が責め
られたので、1年生の最後あたりは僕の次の女の子、
そのまた次の子にも電話をしていました。

■エピソード3
僕は佐賀市内の龍谷高校に行っていましたが、佐賀市の
大雨、洪水はとんでもない。

佐賀駅から自転車通学をしていましたが、タイヤが全て
水に浸かり全く前に進まないので、太ももぐらいまで水
に浸かりながら自転車を押して学校に行きました。
でも、そんな時は学校も臨時休校で、校門で
「今日は休み。さー帰った帰った」と追い返さ
れトボトボと数キロある佐賀駅に自転車を押して
帰りました。行きは良い良い、帰りは怖い。
電車が運休で、駅員さんに復旧見込み時間を聞いても
「いやー分からんね」などと言われ、バスで帰ろう
と思ってもバスも止まって、唐津市まで帰る手段を
断たれました。家に電話して迎えに来て貰おうと
思っても「この台風の中行かれんから、電車が動く
まで待ってなさい」と冷たい。結局、午前10時ぐ
らいから、午後5時ぐらいまで清水義則の小説を
読みながら佐賀駅にポツンといました。ただ、
このような事が高校在学中に5,6回ありました。
唐津線は厳木がネックでした。大雨や、台風で
厳木は必ず土砂崩れを起こし、復旧に時間が
かかっていました。復旧後もノロノロ運転なので
佐賀→唐津間で3時間ぐらいかかっていました。

■エピソード4
雨が降れば桶屋が儲かるじゃないですが、僕が
初めて就職した会社は、台風が来るとめちゃ忙しかった
です。九電関連業務が数倍に増えるからです。
目覚まし時計ではなく、電話で叩き起こされて
「おはよう。今からできるだけ早く会社に来な
さい」と言われ、時計を見ると朝6時って事が
ありました。当然、朝飯、朝シャワーなしで
スーツに着替え、バタバタ出勤すると、バス、電車
出勤の従業員全員に電話するよう言われました。
バス、電車が不通なので、出勤手段が無い人は
僕が1人で迎えに行かなければいけません。
約30人に電話すると、25人ぐらいが出勤手段
がなく「休む」とか言っていましたので、前原市や
春日市や大宰府や大野城市から、東区まで従業員の
ピストン送迎をしなければいけませんでした。
午前中はそのピストン送迎で費やしました。昼か
ら溜まりに溜まった仕事をし、多忙なまま深夜に
なり、今度は従業員を家へと送り届けなければ
いけません。もうピストンは面倒なので、積載
人数を無視し搬送用の荷台にもギュウギュウに
乗ってもらい送り届けました。従業員はほとんど
寝ていましたが、僕は朝3時過ぎまで従業員を
送迎し、会社に戻ってまた仕事でした。一応
着替えと、シャワーと、食事だけにアパートに
帰って、そのまま不眠不休でまた1日の仕事が
始まっていました。あの、当時の僕は何だったの
だろうと思います。

■エピソード5
僕が製麺、生めんインスタントラーメンの仕事を
していた時、配達用従業員は3人しかいなく、ほぼ
毎日、数時間は製造の社員も配達に回されていました。
ラーメンスタジアム、博多駅、福岡空港、福岡タワー、
福岡ドームと、製造の息抜きに丁度いいドライブが
出来、配達の仕事が好きでした。しかし、台風の日
はまいりました。そう、天神の地下鉄、地下街が
完全に水の底沈んだあの日です。
車道なのに、車のタイヤが完全に水に浸かり、車内にも
水が入ってきていました。福岡ドームに納品時、とてつ
もない突風で、巨漢の僕が風で吹き飛ばされました。
周囲の人も倒れこんだり、街灯の柱などに掴まっていまし
た。立ち上がろうにも体が風に持っていかれます。何とか
風が弱まるスキをして、ドームのおみやげ館に納品し、そ
の店から外に出た瞬間、僕の空のダンボール箱が上空高く
舞い上がり、一瞬にして遠くへと吹き飛びました。社名が
入っているダンボール箱だし回収しない訳にはいきません。
それから、しばらくダンボール箱との鬼ごっこが続きました。
見事に何にも引っかからず、僕をジャンジャン交わし、遠く
遠くへとダンボールは飛んでいきました。

■エピソード6
ある飲食店でバイトをしていた時、台風だけど休まず営業で
したが、案の定お客さんは少なかったです。でも、僕たち
バイトは「時給は変わらんから暇な方が嬉しい」とコソコソ
言いながら、掃除や、仕込みをダラダラしていました。
1日の営業を終えると、日頃の3分の1の売り上げでした。
でも、台風の中の営業なので仕方がありません。しかし、納得
してないのがオーナーでした。「こりゃ、あんた達に給料は
払えんよ。いつもより働いとらんちゃっけん、時給は半分で
よかね?どうせ、雑談したり遊びよったとと一緒やろうもん」
と言われた。確かに仕事は暇でしたが、時間の拘束はされたの
で貰う権利があります。しかも、当時時給630円ぐらいです。
最低賃金なのに、それを半分って、明らかな法律違反店なのに
オーナーの凄みに誰も何も言えず、しぶしぶ子供のお駄賃程度
を貰いました。