hiroの花便り

我が家に咲く花や日々の暮らしを綴っていきたいと思います

北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)

2019-06-21 | 国内旅行
北海道庁旧本庁舎1888年は(明治21年)に
建てられたアメリカ風ネオ・バロック様式のレンガ造りの建築で、
現在使われている新庁舎ができるまで約80年、
道政を担ってきたそうです。
昭和44年に国の重要文化財に指定。
館内は、北海道の歴史をたどる資料が展示され、無料公開されています。



大通公園西3丁目の信号を曲がり、しばらく歩くと南門に着くので
敷地内に入ると、このような角度の
北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)に出会えます。



こちらが正面。
正門を入り、前庭を抜けた先にあります。



前庭に咲いていた薔薇2種
右側のピンクの花はハマナスだと思うのですが、
左がわかりません。棘はなかったです。



エントランスホールから見た三連アーチと階段



1階廊下と階段



2階廊下
館内のあちこちに北海道開拓の歴史を題材にした
絵画が20点飾られています。



1F・売店



1F・北海道の歴史資料ギャラリー
中央にあるジオラマは明治初期の札幌の街並みを表現しています。



2F・記念室
旧北海道庁長官・知事室



この記念室は、今の本庁舎ができる昭和43年まで使われおり、



歴代の長官や知事が執務を行っていました。
窓は二重窓。窓まわりは手のこんだ唐草模様の彫刻で飾られています。




2F・赤レンガ北方領土館



正門(東門)
北海道庁旧本庁舎は2019年9月末で休館し、
約3年間かけてリニューアル工事を実施すると発表しています。





白い綿毛
庁舎の前庭から「北の池」に向かって歩いていると、
白いふわふわしたものが、たくさん風に乗って落ちてきました。
草にも綿毛がからんで真っ白になっています。



どこから飛んでくるのかしらと、
綿毛を吸い込まないよう、上を向いて探してみると・・・



ありました。これがその木でした。
一般にポプラと呼ばれている木で、正式名はセイヨウハコヤナギだそうです。
初めて見る光景に驚きの連続でした。



庁舎の前には「南の池」と「北の池」があります。
周りには1300本の樹木がありますがますが、必要最低限の手入れのみを行い、
樹木のサイクルを生かしたより自然に近い状態となっているそうです。



黄菖蒲が綺麗でした。
夏には睡蓮の花が沢山咲くことでしょう。





仲良し



シラカンバ(白樺のこと)も北海道を代表する木ですね。



両方の池の周りを散策し、
南門から大通公園に戻り、大通公園の残っている部分を歩き、
札幌駅のバスターミナルまで歩き、高速バスに乗って娘の家に帰りました。
コメント (4)
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札幌市資料館

2019-06-20 | 国内旅行



札幌市資料館は大通公園の西端にあり、東端のさっぽろテレビ塔に対し、
東西に長い公園の西を締めくくる位置にあります。



1926(大正15年)に札幌控訴院、
のちの札幌高等裁判所として建てられた建物で、
現在は、札幌市の歴史と文化について、様々な物が展示・紹介されていたり、
ミニギャラリーや会議室として貸し出されています。



建物は札幌軟石が使われ、
2018(平成30年)に、札幌市有形文化財に指定されています。

札幌軟石は、およそ4万年前に札幌の南側、支笏湖にあたる場所で
起きた噴火によって発生した火砕流が冷えて固まった「溶結凝灰岩」という岩石。
火に強く保温効果があり加工しやすい札幌軟石は、
古くから札幌近郊の蔵や住宅、庭石に使われている自然が生んだ
歴史のある建材のひとつだそうです。



壁には丸い飾り



アーチが美しいエントランス



天井とシャンデリア



刑事法廷の再現



札幌市出身の漫画家・おおば比呂司さんの記念室。
沢山の作品が飾られていましたが、撮影は禁止でした。

2階に上がってみましょう。



階段のステンドグラス





2階の室内から見た大通公園



展示室
2Fは主にギャラリーや貸室になっています。



レンタルサイクルのようです。



ツツジ



一面の花(雑草?)



資料館の裏側



ツタ
秋には紅葉して綺麗でしょうね。



裏側の入り口



裏庭

札幌市中央区大通西13丁目
拝観料:無料 ( 9時 ~ 19時 )
休館日:毎週月曜日と年末年始(12月29日~翌1月3日)
月曜日が祝日に当たるときは、翌日が休館日
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大通公園の樹木

2019-06-19 | 国内旅行
大通公園を歩いていると『日本の道百選』
という石碑を目にしました。
なんで公園が『日本の道百選』に選ばれているのか
不思議に思ったのですが、歩いてみるとすぐにわかりました。
公園の用地が道路のまま使われていたからなのです。

公園には沢山の樹木が植えられており、
嬉しいことに、ほとんどの木には名札がついていました。
それらの樹木は、一見無造作に植えられているようにも見えますが、
車道側は、プラタナスやハルニレなどの大木が
中間には、ナナカマドなどの中木が、
そして通路側には、札幌のシンボルツリーである
ライラックなどの低木がバランス良く植栽されていました。

樹木を見るのは好きなので、
全部写真を撮ってきたかったのですが、何しろ種類が多い。
そこで花が咲いている木を中心に・・・
やはりライラックが一番多く、またも載せてしまいました。







ヤマボウシ(山法師)
咲き始めといったところでしょうか。



ナナカマド(七竈)
まだ蕾です。



苫小牧の街路樹のナナカマドは満開でした



プラタナス(鈴懸の木)
花は咲いていませんが、北海道というとプラタナスが思い浮かびます。



トチノキ(栃の木)



コンコロールモミと後方はハルニレ(春楡)
コンコロールモミの葉の美しさに魅せられました。



ハクウンボク(白雲木)
花はエゴノキに似るが、より大きい。


おまけはライラック(同じような花色ですが)







ライラックとコンコロールモミ
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札幌大通公園散策

2019-06-18 | 国内旅行
札幌のシンボルともいえる大通公園。
公園内にはアーティスティックなオブジェや噴水が点在し、
アカシア、カエデ、ハルニレ、プラタナス、ライラックなどの
樹木が生い茂り、幾つもの花壇には季節の花々が植えられていました。

お昼時には大勢の方がベンチに腰掛けて美味しそうに
お弁当を食べていたので、私たちも予定を変え、
近くのコンビニでサンドイッチや飲み物を買ってお昼としました。
気温は21度、風も爽やかで気持ちの良い一日でした。



さっぽろテレビ塔を背に、左側の道を1丁目から13丁目まで歩き、
突き当りの札幌市資料館を見学し、帰りは13丁目から1丁目までを、
途中赤レンガ庁舎を見学し、反対の道を歩きました。
直線距離は3キロですが、ぶらぶらとあちこちに寄って歩いたので
けっこうな距離となりました(一日の合計16367歩)



(画像は大通公園案内サイトよりお借りしました)



西1~2丁目(国際交流ゾーン)
こちらは先にご紹介しましたが「さっぽろテレビ塔」を主に観光しました。



花の母子像 (山内壮夫作) 開拓母の像 (佐藤忠良作)



ベンソンの水飲み
姉妹都市のポートランドから贈呈されました。

他にも壁泉、水位表示塔、
北海道の電話加入数100万到達を記念して建立された
北海道電話交換創始の地碑 などがありました。



紫のライラック



西3~5丁目(水と光のゾーン)
札幌駅により近いメインエリアで
2つの噴水と聖恩碑
3丁目には北海道にゆかりの深い石川啄木の歌碑像があります。



湖風の像 (山田良定作) 牧童の像 (峯孝作)



シャクナゲ



石川啄木歌碑



ゲラニウム・ジョンソンズブルー 
ゲラニウム・サンギネウム“アルブム”
キャットミント(ネペタ)



西3丁目噴水



ハマナス 
ブルンネラ:マクロフィラ ジャックフロスト 
シャクナゲ



西3丁目噴水の後ろにある泉の像 (本郷新作) と企業出展花壇



企業出展花壇に咲いていた花たち





西4丁目噴水



この他、西4丁目には、吉井勇歌碑(小谷博貞作)や日本の道100選の石碑もありました。



聖恩碑
明治・大正・昭和の歴代天皇の業績をたたえる碑として昭和14年に建立。
「聖恩無疆」の題字は閑院宮載仁親王によるもの。



藤色のライラック



西6~9丁目(遊び・イベントゾーン)
プレイスロープや遊具、コンサート会場が設置されたアクティブな空間。



開拓紀念碑
1899年(明治32年)に偕楽園から移設。
題字は榎本武揚によるものであり、碑石は本願寺道路開削時に
掘り出されたといわれています。



奉仕の道像 (峯孝作)。





上段
クレーンを使ってイベントの準備?
大通西7丁目
野外ステージ

下段
プレイスロープ(通称クジラ山)
遊具
遊水路



漁民の像 (田畑一作作)



ブラック・スライド・マントラ (イサム・ノグチ作)
マイアミにある白い「スライド・マントラ」の姉妹版。



有島武郎文学碑 (藤川基作)



山野草の花壇



縦長の写真・クマガイソウの蕾
イカリソウ ウスツキソウ
クルマバソウ フタマタイチゲ
日本桜草 ゴゼンタチバナ



白のライラック



西10~11丁目(歴史・文化ゾーン)
北海道開拓100周年記念に2つの像が建立された歴史・文化ゾーンです)。



㊧ホーレス・ケプロンの像 (野々村一男作)
アメリカ合衆国から開拓師教師兼顧問として参画。

㊨黒田清隆の像 (雨宮治郎作)
北海道開拓長官
北海道開拓功労者顕彰像建立期成会が北海道100年を記念して建立。





姉妹都市ミュンヘンから贈られたモニュメント・マイバウム



西11丁目噴水
通水期間は6月上旬から9月下旬。



ピンクのライラック



西12~13丁目 (サンクガーデンゾーン)札幌市資料館
中央にカナール・水路を配した沈床式のバラ園。



若い女の像 (佐藤忠良作)
後方の建物は札幌市資料館



カナール (山田良定作)
通水期間は6月上旬から9月下旬。



32種、1300株以上のバラが植えられているそうです。



バラの開花は1輪だけでしたが、
今頃は見事に咲き誇っていることでしょう。
八重のハマナスが綺麗でした。
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さっぽろテレビ塔

2019-06-13 | 国内旅行

次は札幌市時計台から徒歩で5~6分の、さっぽろテレビ塔に向かいました。
さっぽろテレビ塔は、大通公園東端にある、高さ147.2メートルの
電波塔で、札幌におけるテレビ放送開始を契機に1956年に建設されました。
地上約90メートルの展望台からは、
大通公園や日本海、石狩平野など札幌市全域を一望できます。



展望台入場券は3階のスカイラウンジで販売されています。
入場券は大人720円でしたが、札幌市時計台(200円)との共通券が
800円だったので、そちらを買えば良かったです。
購入後エレベーターで展望フロアまで上がります。



大通公園を一望。
展望台に上った最大の理由はこの景色が見たかったからです。
大通公園は、大通西1丁目から大通西12丁目までの長さ約1.5Km、
面積約7.8haの公園です。これから往復歩くつもりなので、
公園だけでも3Km歩くことになりそうです。

大通公園の突き当りの前方の山の中腹当たりの白く見えるところが
大倉山ジャンプ台。

それでは展望台から見た札幌市内360度の景色をご覧ください。
テレビ塔の東側からぐるっと回ります。



左下のピンクと黒の建物が北海道四季劇場
樹木が植えられた緑の分離帯がある、道路の突き当たりのブルーが豊平川
右側の地平線付近が日高山脈



手前角のビルは丸紅。丸紅の右側が創成川とその両サイドが創成川通。
丸紅の2ブロック目の青の低い屋根が二条市場。
2つの高いビルの間に見える道が国道36号線
(札幌、北広島、恵庭、千歳、苫小牧、登別、 室蘭までの全長133キロの国道)
地平線上に白く光るのが札幌ドーム球場。



国道36号線と札幌ドーム球場をズームで分かり易く!



二条市場の前が創成川公園(白いテントらしきものが見えます。イベントの準備中?)
右側中央あたりが「すすきの」
右端の山が藻岩山(531m)



藻岩山(一番高い山)とすすきをズームで‼
観覧車はすすきのにあるノルベサ7Fの屋上設置型観覧車ノリア

本来ならここでさっぽろテレビ塔から見て
西方面の大通公園の写真が入るわけですが、最初にアップしたので次に移ります。



中央あたりが札幌駅周辺
緑の森の中が北海道大学



10年前の写真ですが札幌駅と↓で見えなかったJRタワーの写真を載せておきます。



中央の通りは創成川通
左下がNHKと札幌市民ホール
左中央の大きなビルはさっぽろ創世スクエア
【高層棟には北海道テレビ放送(HTB)、低層棟には札幌市民交流プラザ等が入居】
さっぽろ創世スクエアの後方にはJRタワーがあるそうですが見えません。
創成川通の右側の一番後ろの高いビルの先には石狩湾



帰り、札幌駅に向かう途中に見たさっぽろテレビ塔。

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札幌市時計台

2019-06-11 | 国内旅行
5月29日
娘の家に滞在中、札幌行の高速バスに乗って札幌観光をしました。
最初に訪れたのは札幌市時計台。
札幌は10年前、娘が一時住んでいたとき、市内見物をしています。
その時、2歳のK君と生まれて半年のMちゃんを連れて
大通公園周辺を歩きましたが、時計台は遠くから眺めただけでした。
今回は建物の中に入ってゆっくりと見学してきました。

2009/03/05札幌市内見物←宜しかったらそうぞ!



札幌市時計台(重要文化財)
時計台の正式名称は「旧札幌農学校演武場」で、
クラーク博士の提言により、農学校生徒の兵式訓練や
入学式・卒業式などを行う中央講堂として
1878年(明治11年)に建設されました。

完成した当初の演武場には時計塔はなく、
授業の開始や終了を告げる
小さな鐘楼が屋根の上にあっただけでしたが、
演武場の完成式に出席した黒田清隆開拓長官の指示で、
1881年(明治14年)6月に塔部分を新築し、
ハワード製の時打重錘振子式四面時計が設置されました。

1872年(明治5年)太陰暦から太陽暦に変更されたのを機に、
明治が終わるまでに、72もの西洋式時計塔が
建設されましたが、当時の姿のまま現在も時を刻んでいるのは、
札幌市時計台だけだそうです。
札幌市民がいかに時計台を大切にしてきたかが良くわかります。



1階は資料展示室になっていました。
これは創建した明治時代の街並みを写真と校舎を模型で再現したジオラマ。
現在は、ビルに囲まれ小さく見える時計台ですが、
時計塔の一番高い部分まではおよそ20m、5階建ての建物に相当する
そうですから、当時とすれば高い建物だったのでしょう。



仮学校は明治5年4月に開校。
生徒定員は官費生、私費生生合わせて100名。
卒業後は北海道開拓に従事することが義務付けられていました。

明治5年9月、仮学校に官立の女学校では日本で2番目に古い
官費生50名の女学校が開設。
卒業後は北海道在籍の者と結婚することが条件だったようです。

明治8年7月、札幌学校と改称。



明治9年9月、札幌学校は、札幌農学校と改称し、
日本で初めて学士号の授与権が付与された
高等教育機関となりました。

新渡戸稲造のノートのレプリカも展示されていましたが、
この時代に授業はすべて英語で行われていたというのですから驚きです。



北大と言えばクラーク博士。
1876年8月、初代教頭として札幌農学校開校式に臨み、
Boy,be ambitious!
Be Gentleman!
等の言葉を残し、1877年4月に帰国しました。



内村鑑三や宮部金吾など、近代日本の思想界、教育界をリードした、
多くの優秀な人材が巣立っていったのですね。



有島武郎が卒業生とは意外でした。
そういえば、昨年ニコセを訪れた時、バスガイドさんが
ニコセにある自らの農地(農場)を無償解放したと話していましたが、
東京生まれの有島武郎氏がなぜ、北海道に広大な農地を
持っているのかも疑問でした。
(ネットで調べて納得)



札幌の街と時計台の存在を全国の人に知らしめた
高階哲夫作詞作曲による名曲「時計台の鐘」

高階哲夫は、1896年(明治29年)富山県滑川町(現在滑川市)に生まれ
東京音楽学校を卒業後、ヴァイオリン演奏家、作曲家、教育者として
日本国中を駆け巡って洋楽の普及に努めるとともに、
児童楽劇、トーキー導入期の映画音楽、放送管弦楽団の育成を行うなど
現代の音楽芸術の基礎づくりに大きな功績を残した音楽家だそうです。
 
「時計台の鐘」入って妻の高階ます子(声楽家・アルト)が独唱し、
夫の哲夫がピアノ伴奏を務めてレコーディングされ、昭和6年に発売されました。
展示台からは、ます子が歌っている歌が流れ続けていました。

ヴァイオリン、自筆の楽譜、テスト盤レコード、
「ヴァイオリン奏法の秘訣」原稿など貴重な品々は
高階哲夫の遺族の方から寄贈されたものだそうです。



時計台を取り上げた歌と小説がこんなにあるとは驚きでした。



2階演武場は1899(明治32)年に、
初めて農学校卒業生に博士号を授与した際の祝賀会場を再現したもの。
現在は演奏会などの催しの場として利用されています。



クラーク博士像と一緒に記念撮影



ビデオによる時計台の塔時計機械の説明と兄弟時計の紹介



実物の時計と同じ仕組みの兄妹時計の展示
時計塔の中で動いている時計機械は1881年(明治14年)に付けられたもの。
電気を一切使わず、重りが下がる力を動力とする振り子時計です。



帰り、札幌駅に向かう途中に見た時計塔
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奥尻島・積丹の旅③

2018-06-25 | 国内旅行

旅行3日目


朝食(ブッフェ)

ホテル出発は9時なので、とても楽です。
体をシャキッとさせたかったので、朝風呂に入ろうとしましたが、
大浴場のドアが開きません。
誰かが間違えて内側から鍵をかけてしまったのかもしれません。
部屋に戻ると友人が起きていたので、身支度を整え朝食を食べに行くことに。
その後、羊蹄山が間近に見られると聞いていたので、
外に出ましたが曇り空で見えませんでした。
まぁ、雨に降られなかっただけ良しとしましょう。

行程
ヒルトンニセコビレッジ09:00→積丹半島神威岬10:30~11:15→
島武意海岸11:40~12:10→小樽・自由散策13:30~15:50→
17:00新千歳20:15→羽田21:50

バスガイドさんから長万部を一躍有名にした由利徹さんの話やニコセの山々、
北海道産の農産物、アイヌの地名の読み方などを聞きながら、
泊村にある泊原発(少ししか見えませんでしたが)を通り過ぎると、
神恵内村に入ります。
アイヌ語で「美しき神秘的な沢」という意味の「カムイナイ」。
曇りのため、美しい積丹ブルーの海は見られませんでしたが、
積丹半島の神威岬にまでにある、多くの奇石・奇岩を車窓から楽しむことができました。
写真は失敗した方が多かったですが、撮れたものだけでもご紹介しましょう。



弁天島
昔、アイヌの娘が、遠方から毎日歩いてこの島に渡り、
恋を実らせたという伝説があるそうです

キス熊岩
雄と雌の熊が抱き合ってキスしようとしているように見えるのでしょうね。



窓岩とジュウボウ岬
ジュウボウ岬の付け根には、難破船の犠牲者を供養するために
祀られたお堂やお地蔵様、積み上げられた石の塔などがある
「西の河原」があるそうですが、船でしか行くことのできないそうです。



窓岩をズームで!
窓岩は神恵内のシンボル的な奇石。
中央付近に窓のような穴が開いていているのが特徴です。



神威岬が見えてきました。
岬の先には神威岬のシンボルとなっている
「神威岩」が左端に見えます。



積丹半島神威岬(10:30~11:15)
義経伝説
みちのくから北海道に逃れた義経はアイヌの娘チャレンカと恋に落ちます。
悲しい別れが訪れ、悲嘆にくれた娘は神威岬からそのまま海へと身を投じますますが、
その身は神威岩となり、女性の乗る船はことごとく海に沈められたとのこと。

時間がなくて岬の先端までは歩くことができず
「神威岩」が見られず、残念でした。
バスの中で、岬の先端まで行かれた方はいませんかとガイドさんが
尋ねられましたが、誰もいませんでした。
速足でも56分かかるそうですからもともと無理なのですね。
ましてツアー客はシニアばかり。
小樽は個々によって観光の仕方が違うので何とも言えませんが、
新千歳ではたっぷりと時間があったので、あと30分ここでの時間を
長くして貰えたら嬉しかったです。
でも先端まで歩きたいと思う人は私ぐらいしかいないかな・・・





駐車場から丘を上ったところにある「女人禁制の門」
ここから「チャレンカの道」が始まります。
神威岬の先端までは、アップダウンのある道を約770m歩きます。










神威岬に咲く花





エゾカンゾウ



エゾスカシユリ



ヘラオオバコ
不思議な形のお花を見つけました。
名前を調べるとヘラオオバコ。
江戸時代末期に渡来した、ヨーロッパ原産のオバコ科オオバコ属の帰化植物で、
外来生物法で要注意外来生物に指定されているそうです。



下の方のしおれているのは雌しべ。
クリーム色の葯がある雄しべが次々と出てきています。
綺麗な花ですが、駆除しないといけないのでしょうか。



ここにも咲いていたハクサンハタザオとハマナス。



エゾフウロ



ピンクの花はエゾノヨロイグサ?
茎は紫色を帯びていました。
白花はエゾノシシウド?
シシウドの仲間は多くて、違いがよくわかりません。



積丹岬の島武意海岸(11:40~12:10)



暗く細い島武意トンネルを抜けると眼下には島武意海岸の全貌が広がります。



ほとんどの方はこの展望台から景色を眺めているだけのようでした。



せっかくここまで来たので、エゾカンゾウの咲く小道を海岸まで下りてみました。



海岸には海と砂浜と遠くの岩の他はなにもありません。

帰りは時間ががなかったので、息を切らして階段を上り、
バスに戻りましたが、バスの中にはまだ二人だけ。
友人はバス停近くのお土産屋さんに寄っていたそうです。



小樽・自由散策(13:30~15:50)



小樽は16年ぶり。初めて来たときは美味しいお寿司を奮発し、
2度目は北一ガラスでお買い物を楽しみました。
今は欲しいものもないし、これといって見学したい場所もなかったので、
ルタオでお土産のお菓子を買ったほかは、
お食事をしたりコーヒーを飲みながら友人とゆっくり過ごしました。



小樽運河
平成9年10月4日



小樽運河(上↑とほぼ同じ場所)
平成14年6月7日



海鮮のお食事が多かったので、お肉が食べたくなりました。







長々とお付き合いいただき、有難うございました。
コメント (14)
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奥尻島・積丹の旅②

2018-06-23 | 国内旅行
2日目行程

奥尻島湯ノ浜温泉・ホテル緑館08:30→球島山展望台09:00~09:20→
賽の河原09:30~10:10→宮津弁天島10:20~10:35→
うにまる公園10:45~11:10→奥尻港11:15着(昼食・弁当)12:05発
瀬棚港13:40着13:48発→ヒルトンニセコビレッジ16:10



車窓より
奥尻島の魅力は澄んだ海と深い森。
海の色は「オクシリブルー」といわれ、透明度25mにもなり、
日本でも指折りの青く澄んだ海だそうです。
島にいる動物は野ウサギ、タヌキ、エゾリス、シマリス等で、
北海道で有名なクマやキツネはいないそうです。



車窓より
奥尻の森はブナが大半を占め、離島に生えるブナとしては北限にあたるそうです。
バスの中からはピンクのタニウツギが、あちこちで咲いているのが見え、
バスから降りて写真を撮りたかったほど綺麗でした。

球島山展望台(09:00~09:20)



約90段の階段りを上ると・・・



球島山頂(369.3m)
奥尻島で3番目に高い山です。
周りには視界を遮るものが無いので、360度のパノラマが楽しめます。



なべつる岩が下に見えます。



写真中央よりやや右の、尖った三角の山が奥尻島の最高峰・神威山(標高584m)
山頂には自衛隊の奥尻島分屯基地があり、
警戒管制レーダーにより24時間態勢で空の警戒監視にあたっています。



ツツジ
展望台に上る階段の脇や頂上付近に咲いていました。
人の手によって植えられたものだそうです。



トチノキ?



エゾヤマザクラ
山の中腹では花は終わり、山頂付近だけに咲いていました。
この時期に桜を見られるなんてほんとにラッキーでした。


賽の河原(09:30~10:10)
賽の河原は、奥尻島の最北端、稲穂岬にあります。
1993年7月12日に発生した北海道南西沖地震後に、賽の河原公園として整備され、
公園内にはキャンプ場、野球場、展望台、等があります。

賽の河原とは民間信仰で、死んだ子供の霊が集まると考えられたところ。
ここで子供は父母の供養のために小石を積み上げて塔を作ろうとするが、
絶えず鬼にくずされる。
そこへ地蔵菩薩が現れて子供を救うと言われている。

海岸には、石積みが延々と続いており、どれが積石で、
どれが元々ある海岸の石かわかないくらい沢山の石が積まれていました。
旅行者の中には、石を持ち帰り、良くないことが起こったからと、
送り返してくる人が毎年いるそうです。
なんで持ち帰るのか意味が分かりませんが、霊場の石を持ち帰るのは
良いことではないので、やめておいた方が良さそうです。



石碑



卒塔婆



地蔵



慰霊碑
北海道南西沖地震では、この稲穂地区に3分で津波が来たそうです。
これはその時に亡くなった方の慰霊碑で、17名の名前が記されていました。



ハマナス・白花



夏しか営業しない「さくらばな」というお店。
お店の半分が食堂で半分がお土産屋さん。
店頭でもほやをさばいて食べさせてくれます。
(大きさによって1つ 500~1000円)
何人かの男の方が食べていました。


宮津弁天宮(10:20~10:35)
1831年に島民が大漁祈願のためにお社を立てたのがはじまりですが、
その昔は番所が置かれ、対岸との連絡の拠点とし、
科人の逃亡監視の場所でもあったそうです。

ここに祀られている弁天様は弁財天とも呼ばれる福の神。
お社は海に突き出た岬の急斜面を登った頂上にあり、
対岸には北海道本島を見ることができます。



お社までの階段は164段。
急な階段を谷底まで下り、また上っていかなくてはお参りできません。



弁財天なのに家族一同の健康をお願いしてきました。
小さなお社ですが、すぐ後ろが崖なので、建物との距離が近すぎて、
全体像は写せません。



駐車場からパチリ!



階段わきに咲いていた
エゾスカシユリとエゾノシシウド



ハクサンハタザオ・アブラナ科


うにまる公園(10:45~11:10)
奥尻を代表する海の幸「キタムラサキウニ」をかたどっている
モニュメントがある公園です。
120本のトゲが夜にはライトアップされるそうです。

1989年のふるさと創生一億円事業で造られた公園。
ガイドさんから1億円と聞いて、「このモニュメントが1億円?」と、
皆さんビックリされていましたが、
モニュメントだけでなく公園の造成も含めての価格だそうです。

施設内にはアスレチック広場や展望施設、
元プロ野球投手佐藤義則氏の佐藤義則野球展示室などがありますが、
佐藤義則野球展示室は現在閉鎖されていました。



モニュメントを見た後は、何もすることがなく、
ただ海をボォ~と眺めていました。



夜のライトアップ
奥尻町のHPの写真をお借りしました。



これで奥尻観光は終わり。
「カランセ奥尻」に乗船して、瀬棚に戻りますが、
待ち時間が50分もあったので、フェリーターミナルでお弁当を食べたり
お土産を物色して過ごしました。



奥尻港フェリーターミナル
画像は奥尻観光協会さんのHPから拝借し加工しました。



お弁当

フェリーで1時間半、バスで瀬棚からニセコまで2時間20分。
宿泊先のヒルトンニセコビレッジには16:10に到着しました。





ヒルトンニセコビレッジ





夕食(ブッフェ)

夕食後は温泉に入りましたが、ヒルトンニセコビレッジの前身が
ニセコ東山プリンスホテルとのことで、大浴場の造りなどは、昔何度か利用した、
地方のプリンスホテルを彷彿とさせ、懐かしく感じました。

大浴場で聞こえてくるのは、中国語ばかり。
ロビーでも修学旅行生らしき若者でいっぱいだったので、
とても繁盛しているように思いました。

現在、ニコセの土地の上昇はすさまじく、その原因はオーストラリア人に加え、
香港などアジア系富裕層が買っているからだそうです。
今のうちに買っておいた方が良いですよ、とバスガイドさんが冗談交じりに
話されていましたが、シニア層にはそんな余力はありませんし、
いまさらお金を儲けてどうするのでしょう。
コメント (11)
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奥尻島・積丹の旅~朝の散歩

2018-06-22 | 国内旅行

旅行2日目
枕が変わると寝られないとよく人は言いますが、私もその口で
4時半には目覚めてしまいました。
昔は温泉に来れば、旅館に着いたとき、夜寝る前、朝と、
出発まで3回は温泉に入っていましたが、60歳頃からは夜だけになっていました。

友人はぐっすりと寝ています。
起こさないようそっと着替え、朝の散歩に出かけることにしました。
ホテルを出たのは05:50。
朝食は07:00からなので、それまでには戻らないといけません。



神威脇漁港06:05
奥尻島の西海岸に位置する第4種漁港。
神威脇漁港はこの海域に面する唯一の漁港だそうです。



宿泊したホテル緑館が見えます(ズームで)。



風が強く薄手のジャンパーを3枚重ねて着ても寒いくらいでした。



神威トンネル06:15
ここまで25分。
帰り道が登り坂のことも忘れ、どんどん先に進んでしまいました。
1時間以内で帰らないといけないので、ここで引き返すことのしました。

ここまでの間で、人に出会ったのは、自転車で北海道(全国?)を行脚している
若者だけで、自転車には大きなカバンやリュックが3つと
黄色い旗が立ててありました。
若者が海から戻ってきたので、一言声をかけてどこから来たのかとか、
自転車の写真だけでも撮らせて貰えば良かったと少し後悔。
若者は海辺の民宿に泊まっていたようです。



奥尻島の海の近くには、ウニの殻がたくさん転がっています。
多分、カモメの餌だと思いますが、贅沢なカモメです。



道端には特に珍しい花は咲いておらず、
どこにでも咲いていたのが、シロツメグサとムラサキツメクサでした。
コンフリーは一度誰かが植えたものが野生化したのかもしれません。

1週間前腰痛で、通院したので、ヒヤヒヤしながらも
時計を見ながら急ぎ足で帰りました。
登り坂はきつかったけれど、06:50には部屋に到着。
万歩計も朝だけで7000歩を超えていました。



朝食はバイキングでした(07:10)
歩いた後なので、たくさん食べられました。



出発前にホテルの部屋から一枚
朝のウォーキングは、岬の先端のトンネルまで往復約1時間、歩いたことになります。
早朝は雲に覆われていた海側も、雲がとれてきました。
今日も良いお天気になりそうです。

コメントを閉じています。
ご覧いただき、ありがとうございました。
コメント
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奥尻島・積丹の旅①

2018-06-20 | 国内旅行

6月14日(木)からツアー(2泊3日)で奥尻島・積丹方面を友人と旅行してきました。
集合時間が06:50だったので最寄駅(05:35)発のリムジンバスを利用しました。
空港集合場所には06:35に到着。
カウンターにはまだ職員の姿が見えませんでした。

一日目行程

羽田(07:30発・JAL503便)新千歳着(09:00)新千歳発(09:40)せたな港着(12:58)せたな港発(14:00)奥尻島着(15:30)

奥尻島内観光なべつる岩→青苗岬→奥尻津波館→奥尻島・湯ノ浜温泉(泊)



新千歳空港では現地添乗員さんがロビーで笑顔で出迎えてくれました。
お天気は曇り、気温は8~9℃と東京より10℃くらい低いので、
ものすごく寒く感じましたが、前日はドシャ降りだったそうですから、
それに比べたら、ラッキーだったでしょう。

苫小牧市~白老町~登別市~室蘭市~伊達市など、
通過する各地の歴史や産業などの説明をバスガイドさんから聞きながら、
バス旅を楽しんでいると、1時間もすると、最初の休憩地、有珠山SAに到着しました。
お天気も1時間ほど前から、曇りから晴れへと変わり、
有珠山や昭和新山などの美しい眺めを堪能できました。



有珠山SA(10:45~11:05)



中央やや左のはげ山が有珠山、右側の小さなはげ山が昭和新山



伊達市と内浦湾


長万部近くで2度目のトイレ休憩(11:48~11:58)があり、
奥尻島へのフェリーが発着している瀬棚港フェリーターミナルには
12:58に到着しました。

フェリー出航までは約1時間の待ち時間があったので、
瀬棚港付近を散策したり
瀬棚港フェリーターミナルでお土産などを見て時間を潰しました。

瀬棚は日本初の女医・荻野吟子が「荻野医院」を開業した地だそうです。



イカ釣り船とロウソク岩



イカ釣り船と瀬棚の町



風力発電



瀬棚港南外防波堤灯台



3日間お世話になった観光バス



「カランセ奥尻」の到着。
フェリー出航は14:00。
瀬棚から、約1時間30分で奥尻島に着きます。

船名のカランセは幻のラン科の植物「オクシリエビネ」の
学名「カランセ/Calanthe」より命名。
花言葉は「誠実」



その「オクシリエビネ」の写真が船内に飾られていました。
可憐な薄紫の花で、とても素敵でした。



2等室&覗き見したアイランドビューシートの1等座席

私達は2等室を利用。
枕があり、ゴロッと横になれるので楽です。



海の青。
離島では、利尻・礼文に15年前に訪れていますが、お天気が悪く、
こんなに綺麗な海は見ることができませんでした。
想像以上の美しさです。



遠ざかる瀬棚港。



奥尻島では、ゆるキャラの「うにまる 」君がお出迎え。
一緒に写真も撮ってくれるそうですが、ツアー一行はシニアばかり。
ちらっと見る方がほとんどでした。

奥尻島は北海道最西端にある面積約143㎡の横に長い島で人口は2700人。
道内の離島では利尻島(約182㎢)に次ぐ大きさだそうです。



なべつる岩(奥尻島のシンボル)
鍋の取っ手(つる)に似ているのが名前の由来。高さ19.5m。
夜はライトアップされ暗い海に浮かび上がるそうです。

岩の上部の植物は「ヒロハヘビノボラズ」
高山や岩場にみられ、枝に鋭いトゲがあってヘビも登れないことから名付けられたそうです。



青苗岬灯台&電波塔
時空翔の後ろにあります。



青苗岬に咲いていたハマナス
英語では「Japanese Rose」と呼ばれています。
北海道を代表する花で、北海道・道花の他 
道内13の市や町の花にもなっており 奥尻町でも町花になっています。



奥尻津波館(時空翔から撮影)
奥尻最南端の青苗岬(徳洋記念緑地公園)にある災害記録の展示施設。
1993年7月12日に発生した北海道南西沖地震で
壊滅的な被害を受けた青苗地区の旧5区(現在は非居住地域)に整備され、
震災から8年後の2001年にオープンしました。
総事業費 約11億円のうち、約6億円が全国からの寄付によるものだそうです。

写真中央左寄りの白い塔は、1931年に建立された「徳洋記念碑」で、
岬の先端に建っていたにも関わらず津波に耐え抜き、
青苗岬の象徴となっているそうです。

津波館ではガイドさんの説明を受けながら、
奥尻島における地震、津波、その後の火事や復興までの様子のパネル。
奥尻島の歴史を立体模型で再現した展示物の見学。
生々しい、震災ドキュメンタリーなどの映像も見ました。



「198のひかり」
災害で亡くなられた被害者198名を悼むモニュメントです。



「ヒスイの勾玉」
青苗遺跡で発見された北日本唯一の丁字頭勾玉。
とても綺麗でした。



時空翔
奥尻島津波館の向かい側の小高い丘の上にあります。
特に被害が大きかった青苗地区では、最大29mの大津波の他に、
船舶火災と建物火災も発生し、翌朝まで燃え続けたということです。



時空翔・モニュメント
北海道南西沖地震慰霊碑で世界的彫刻家の流政之氏の作品。
黒御影石でつくられた石碑のくぼみは、震源地となった南西沖を向いており、
地震のあった7月12日に、海に向かって石の正面に立つと、
くぼみの中へ沈む夕日を見ることができるそうです。



この写真がその時の様子。



車窓より
奥尻島は日本の離島で最北限の米どころ。
震災後は農業に従事する人が増えたそうです。



ワイナリーの葡萄畑


宿泊は奥尻湯ノ浜温泉・ホテル緑館さんで!
奥尻名物アワビの踊り焼きを堪能しました。



夕食



魚介の鍋&アワビの踊り焼き



三平汁
デザートはバニラアイス。
コメント (8)
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北陸旅行・金沢兼六園 ひがし茶屋街

2017-11-28 | 国内旅行

能登金剛巌門を1:40に出発し、途中休憩をはさみ、
兼六園には3:10頃に到着しました。
これから約50分の兼六園観光が始まりますが、
朝からの雨は一層強くなり、レンズには雨粒がかかり
がっかりの写真ばかりでした。

兼六園は17年前の9月に一度訪れています。
その時、初めて宿泊を伴うツアーに、一人で参加しましたが、
一人参加は近くの席の方だけでも私を含め4名おり、
仲良く一緒に行動しました。
夜は近江町市場に繰り出し、人気のある食べ物屋さんを聞き、
美味しい日本海のお魚とお酒を頂きましたが、
この食べ物屋さんが居酒屋さんで、私にとっては初めての
居酒屋体験となり、とても良い思い出となっています。
この旅行にカメラは持って行きませんでしたが、
持っていた方が、あとから何枚かの写真を送って下さいました。
久しぶりにその時の写真を見て、
17年の歳月はかくも人を老けさせるものかと愕然としましたが、
昔の自分に出会えたようで、嬉しい面もありました。

兼六園は加賀前田藩の「金沢城」の外庭として歴代の藩主によって作庭され、
水戸の偕楽園、岡山の後楽園と並び「日本三名園」に数えられています。
年間約300万人もの観光客が訪れる、北陸一の観光施設で、
将来、世界遺産に登録しようという運動も進められているそうです。
入園料は大人310円ですが、満65歳以上は無料です。(証明書が必要)



霞ヶ池のほとりにある「ことじ燈篭」



こんな風に撮れると良かったのですが・・・
(写真はお借りしました)



冬の風物詩・雪吊



京都ほどではないでしょうが、観光客であふれています。



明治記念之標
像は明治政府ができたときに造られた建国の祖「日本武尊像」で
人物を模した大きな像としては日本最古。
明治10年西南戦争の戦没者の霊をなぐさめる加賀藩旧士族の
記念碑でもあるそうです。

台座はセメントなどは使われず、石の重さだけで固定されているが、
決して壊れないとか。

その理由は、
台座には三竦(さんすくみ)と言ってナメクジ、蛇、蛙の形をした石があり、
蛇はなめくじを恐れ、なめくじは蛙を恐れ、蛙は蛇を恐れることから、
三者が互いに牽制し合って、それぞれが自由に動けないからだそうです。
(蛇がなめくじを恐れるとは初耳でした)。





成巽閣(重文)
兼六園に隣接した前田家の奥方御殿。
こちらの庭園も素晴らしいそうです。





瓢池に流れ落ちる翠滝



金沢城主公園・菱櫓(ズーム)

蓮池門通りに戻りました。
左前方には金沢城主公園の菱櫓が見えます。
あちこちで目にした金箔ソフトクリームが気になりましたが、
寒かったので、お土産屋さんで、餡串団子を食べました。
それが、冷凍白玉団子を3つ串に刺し、
電子レンジでチンして餡を少し塗っただけのようなお団子
だったのでちょっとがっかり。
食べた後、甘酒にすればよかったと後悔しました。



ひがし茶屋街
藩公認の茶屋街として栄えた所で、センスのよい和小物や和菓子のお店や
甘味処が軒を連ねています。



散策時間は55分ありましたが、こじんまりとしているのでそれほど時間もかからず、
お菓子をお土産に買ったくらいなので時間が余りました。
下調べをしてから出かけていれば、もっと見るべきところがあったのかもしれません。



夕食のローストビーフ弁当(オプション)
一切れ食べた後、気が付いて撮影。
見た目以上に美味しかったです。

帰りは小松空港発19:45のJAL192便で羽田空港に向かうはずでしたが、
出発が1時間近く遅れ、羽田空港に着いたのは21:45頃でした。
22:00発の横浜行きのリムジンバスにも乗れたのですが、
15分遅らせて22:15発の海老名行のリムジンバスにしたところ、
ちょっとしたアクシデントで30分ほど遅れ、
家に着いたのは24:00近くにもなっていました。
人身事故ではなかったので良かったですが、長~い一日でした。
コメント (12)
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北陸旅行・能登金剛厳門

2017-11-26 | 国内旅行



能登金剛厳門に着いたのは1時近く。
まず、腹ごしらへですが、
寒かったので能登金剛センターでチャーシュー麺を食べました。



不動滝
能登金剛センターから下に降りる途中にあります。



鷹巣岩と碁盤島(右端)



展望園地から見た鷹巣岩(ズームで)
高さ約27mの塔状をした岩に松が茂っています。
位置は巌門の南側。
昔は鷹の巣があったということから名付けられたようです。



展望園地から見た碁盤島(ズームで)
福浦から巌門に至る途中にある岩石。
高さ0mと案内板には書いてありましたが、時には沈んで見えないこともあるのでしょうか?
島上中央に湧水があり、中に基盤系の岩塊が沈んでいるそうです。



能登金剛を代表する巌門。
日本海の荒波が岩盤を削って出来たそうです。



↑上の巌門の隣には幅6m、高さ15m、奥行き60mの貫通洞窟があり、
中を歩くことができます。
出口は↓下の写真の少し先、遊覧船乗り場側にあります。



巌門洞窟内



松本清張歌碑
「ゼロの焦点」の舞台となったことから、
世に知られ観光地としての導火線となったことを記念し、
昭和36年、松本清張氏に碑文を依頼して建立したそうです。

雲たれて ひとりたけれる 荒波を
恋しと思えり 能登の初旅



幸せのがんもんつり橋

遊覧船からの景色も絶景だと思いますが、この日は海が荒れていたのか、欠航でした。
コメント (10)
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北陸旅行・千里浜なぎさドライブウェイ~白米千枚田

2017-11-25 | 国内旅行

永平寺を出て北陸自動車道、のと里山街道を1時間半ぐらい走ると
バスは「千里浜なぎさドライブウェイ」に入りました。



「千里浜なぎさドライブウェイ」は三十数年前、
一人の観光バス運転手が、広々とした波打ち際を思いっきり走れたらと、
空バスを試走させたのが始まりで、全長約8km。
2016年国内ベストビーチ・第1位に輝いたそうです。



沈む夕日を見ながらのドライブは感動的でした。


砂の芸術

ドライブインで4:25~4:45まで休憩。
和倉温泉の宿には5:15頃到着しました。



宿泊先は天空の宿大観荘。
お部屋はごく普通の和室でした。



   

   

夕食は「アワビの踊り焼き・カニの半身付き和会席」
お部屋食にプランを変更したので、
お友達とゆっくりとおしゃべりを楽しみながらお食事ができました。

温泉は少し温度が高めな塩化物泉。
体がほっこりと温まり、日本の温泉宿の良さをしみじみと感じます。
若い時は3度入浴するのが普通でしたが、
60代頃からは疲れるので、食事後に一度だけにしていましたが、
今回は朝風呂まで楽しんでしまいました。



朝食
バイキングが多いですが、めいめいのほうが食べ過ぎなくて良いですね。
ツアーなので朝が早く、7:50には「白米千枚田」に向けて出発です。



2日目は生憎一日中雨でした。
お天気が良かったら下まで降りで全景を写したいところですが、
中ほどの見晴らし台までしか行けませんでした。



夜にはライトアップされるようです。
余った時間は道の駅・ポケットパークでお土産を買ったり、
熱いお茶を頂いていました。



白米千枚田は2011年6月、日本で初めて世界農業遺産に指定されました。
約3.8ha の範囲に 1004 枚の棚田があるそうですが、
現在、耕作をしている農家はわずか3軒で、それ以外の田んぼにはオーナー制度を導入し、
地元の有志で結成した「愛耕会」が日常的な管理をしているそうです。
オーナーには安倍晋三首相夫人の昭恵さん、小泉元首相、
息子の小泉進次郎議員などが名を連ねているそうです。

千枚田のあとは輪島漆器工房へ。
輪島漆器工房では土曜日で従業員がお休みのため、
実演は見られず、社長さんの説明とショッピングタイムがありましたが、
目の保養だけに終わりました。



朝市も雨のため出店が少なく、お土産屋さんに入ってお買い物をして時間を潰しました。
コメント (6)
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北陸旅行・紅葉の永平寺

2017-11-23 | 国内旅行

実家が曹洞宗の檀家であることから
大本山の永平寺にはかねがね行きたいと思っていました。
今回やっとその願いが叶いました。

永平寺は、寛元二年(1244)に道元禅師によって開かれた座禅修行の道場で、
四方を山に囲まれた広大な敷地に、大小七十余りの建物が並んでいます。
現在は130人の修行僧が、厳しい修行生活を送っているそうです。



龍門(正門)



参道

   
苔むした参道の右手に建てられた石像や石碑など。
(画像はクリックすると大きくなります)



通用門
通用門をくぐると拝観料500円を払い吉祥閣に入りますが、
事前に添乗員さんが料金を徴収し、手続きを済ませておいてくれました。



吉祥閣前の紅葉
吉祥閣は一般の人々が禅の修行を体験したり
道元禅師の教えを実践するための道場で、鉄筋5階建ての立派な建物です。
(正面奥に見えるのは祠堂殿)

入り口で靴を脱ぎ、ビニール袋に入れて持ったまま1階の広間へ。
添乗員さんの話ですと、お坊さんが参拝のポイントや注意点について
説明して下さるはずでしたが、この日は見えませんでした。



見学は1:40~2:40の1時間。
順路に従い、回廊で結ばれている七堂伽藍を巡りますが、
時間を気にしながら急ぎ足で回ったので、頂いたパンフレットを見ることも出来ず、
何が何やらさっぱりわかりませんでした。
ブログを綴る時点で、パンフレットの説明と写真を合わせ
少しは理解したつもりですが、肝心な写真が揃っていませんでした。



傘松閣2階には156畳敷の絵天井の間があり、
昭和5年に川合玉堂、伊東深水など、当時の著名な画家144名により
描かれた230枚の美しい天井画が飾られています。
見学者が多すぎて、大広間全体は写真に収められませんでした。



階段状の回廊
廊下はよく磨かれているので滑らないよう注意深く歩きます。



承陽門とその奥に有る承陽殿



承陽殿内部
承陽殿奥には永平寺を開いた道元禅師の御真廟があります。
日本曹洞宗の発祥の根源として、曹洞宗の聖地とでもいうべき場所で、
道元禅師は「承陽大師」とも呼ばれていたことからこの名がついたそうです。





法堂
七堂伽藍の一番奥に位置し、朝のおつとめなど
各種法要が行われるそうです。



仏殿
七堂伽藍の中心に位置する仏殿は、二重屋根と石畳敷きの伽藍で、
曹洞宗の御本尊である釈迦牟尼仏が祀られています。



中雀門



中雀門右側



山門
七堂伽藍の中で最も古い寛延二年(1749)の造立で、
中国唐時代様式の楼閣門。
山門楼上の羅漢堂には五百羅漢などが祀られており、
毎日、修行僧が楼上に登り、お経をあげているそうです。

 

カラフルな山門の四天王
(画像はクリックすると大きくなります)



御朱印



最後に、
七堂伽藍とは日常の修行に欠かすことのできない重要な建物のことで、
「法堂」「仏殿」「庫院」「僧堂」「山門」「浴室」「東司」の七堂。
私が通り過ぎて写真を撮れなかったのは「庫院」「僧堂」「浴室」「東司」の四堂でした。
パンフレットの写真を載せておきますが、わかるでしょうか。





さあ、門前町の駐車場に戻りましょう。

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北陸旅行・東尋坊

2017-11-21 | 国内旅行

11月17日(金)から一泊二日で北陸旅行をしてきました。
出発は羽田空港7:55発のANA313便で・・・
7:15には出発ロビーに集合しないといけないので、
5:30には家を出ないといけません。
ツアーはハードですが、効率的に回れるので
これくらい我慢しないといけませんね。



9:15
富山空港から最初の観光地東尋坊に向かいます。
心配していたお天気もまずまず・・・
車窓からの景色や友人とのおしゃべりを楽しみながら
長いバスツアーが始まりました。



10:45~11:05
石川県加賀市にある「月うさぎの里」で休憩。
敷地内にいる、放し飼いのウサギに癒されました。



北潟湖(車窓より)
福井県 あわら市と石川県 加賀市に跨る、国道305号沿いに広がる湖。



東尋坊には11:40頃到着し、約1時間、自由行動での観光。
ランチの海鮮丼御膳はオプション。
すし飯のすし酢が濃い味付けだったので、同行した富山県出身のお友達に話すと、
富山ではもっと薄味とのこと。
お魚はあから、お吸い物のおうどんはわかめうどんだそうです。



まず記念撮影。
今まで旅行に行ってもほとんど人物撮影はしませんでしたが、
現在が一番若い時なので、1~2枚の写真は残しておこうと考えが変わりました。
先日のパソコンの故障でパソコン保存の写真はすべて没になりましたが、
(まだ取り出せる可能性はあります)
ブログに残しておけばいつでも見て思い出せます。



左の島は雄島、朱色の橋は雄島橋
雄島は東尋坊の先、周囲約2キロの越前海岸でもっとも大きな島。
「神の島」と昔から崇められているそうです。
東尋坊とは遊歩道で繋がっています。



波の浸食によって荒々しくカットされた断崖絶壁が
約1kmにわたり続いており、
水面から25mもの高さ(ビルの8~9階くらいに相当)があるそうです。



東尋坊を含め世界で3箇所しかないと言われている
「輝石安山岩の柱状節理」
国の天然記念物に指定。



この日は穏やかな海でしたが、これより先には進めませんでした。





東尋坊商店街
さぁ、バスまで戻りましょう。
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