歩いている途中で偶然知った飯能市立博物館。
予定には入っていなかったのですが
初めて訪れた飯能市について、少しでも知ることが出来たらと思い
立ち寄ることにしました。
飯能市立博物館(旧郷土館)
博物館に通じる道が見えたので、こちら側から
入ろうとしたのですが、出入り口はありませんでした。
見学中に2階のバルコニーに出てみると、
人々で賑わっている飯能河原がよく見えました。
ジオラマ
能仁寺~天覧山~多峯主山~御嶽八幡神社
今まで歩いて来た経路が一目でわかります。
大八車と飯能縄市の様子
手前は、飯能戦争でも使われたといわれる大八車
後ろの写真は、明治44年に撮影された大通り。
国旗はこの日、飯能の町に電話が開通したことの
祝意を表したものだそうです。
飯能縄市は、現在の飯能商工会議所会館が立地する付近の大通りで、
約360年前の江戸時代に始まった定期的な市で、
市は、縄やむしろの取り引きから始まったことから縄市と呼ばれました。
縄市は月6回開かれ、当日は近隣から商人や村人が大勢集まり、
賑わいを見せていたそうです。
堺屋の屋号を持つ飯能村の名手家、大河原又右衛門家の神棚。
幅180.2㎝、高さ199㎝の巨大なもの。
写真は半分も写っていませんが立派な神棚でした。
右の写真は木の切り方
飯能では昔から、良質なスギやヒノキが産出され
火事の多かった江戸への木材供給産地として
発展してきたそうです。
木材は入間川から荒川を経由して、江戸まで運ばれ、
江戸から見て西の川から運ばれてくる材木なので、
いつの頃からか「西川材」と呼ばれるようになったそうです。
国指定重要文化財「木造軍荼利明王立像」のレプリカ
雲版
飯能焼
飯能に焼物があったとは知りませんでした。
素朴な色調が魅力的です。
縄文式土器
幕末の戊辰戦争で、彰義隊脱退者で結成した振武隊の旗
「飯能と渋沢栄一」パネル展も開催中でした。
写真右端の紋付き袴姿の侍は、
渋沢栄一の従弟で養子となった渋沢平九郎。
明治維新時、幕臣の子として新政府軍と戦い、
彰義隊・振武隊に参加して飯能戦争を戦ったが敗北し、
20歳の若さで現在の越生町で自刃したそうです。
諏訪八幡神社
時代を反映して、狛犬もマスクをつけています。
境内から見えるモミジは真っ赤でした。
諏訪八幡神社を後にし、飯能市民会館の駐車場に
着いたのは1時35分ごろ…。
山と言っても市街地に近いので、どこかにレストランは
あるだろうと思い、お菓子と飲み物しか
持参しませんでしたが、歩いた県道沿いや飯能市民会館
の近くには、一軒のお店もありませんでした。
仕方なく帰りがけに、一番近くのコンビニで、おにぎりや
お弁当を買い、車の中で食べました。
運転を引き受けてくれた息子には、美味しいランチを
ご馳走してあげようと思っていたのに、ごめんなさい。
ハイキングで歩いた歩数は13740歩でした。
急登がなく、お散歩気分で気楽に歩け、低山なのに眺望がよく、
山だけでなく、峡谷も楽しめ、とても良かったです。
“飯能市郷土館”は“飯能市立博物館”と名称変更されていたのですね。
運営の格が上がったということでしょうか。
このような外観だったのですね。
Saas-Feeの風が撮った外観とは撮影方向の違いなのか
印象が異なるように思いました。
ジオラマものこっていましたね。
これもSaas-Feeの風が撮ったものとは、少し異なっているような気がします。
8年と、ほぼ9ヶ月の年月が経っていますからね。
修復や修正などがあったことでしょう。
諏訪八幡神社のことは知りませんでした。
真っ赤な紅葉が美しいですねえ。
飯能駅から徒歩10分ほどのところに““暖らん”というレストランがありましたよ。
確か和風だったと思いますが存続しているのかどうか・・・。
↓
“埼玉ミニミニオフ会・飯能篇 その1 “暖らん”の“ちらし寿司御膳””
https://floatbridge.blog.fc2.com/blog-entry-829.html
(子どもたちが水遊びした入間川は、もっと下流の入間市内でした)
飯能市立博物館はおしゃれな建物で立派です
飯能市のことはほとんど知りません
飯能焼きもあったんですね 知りませんでした
素朴な先焼き物はいいですね
国指定重要文化財「木造軍荼利明王立像」のレプリカ
や雲版は初めて見ました
諏訪八幡神社の真っ赤な紅葉は素晴らしいです
ハイキングでいい出会い沢山あり良かったですね
途中で飯能市立博物館に寄られた
のですね。撮影が可能だったのですね。
渋沢栄一は大河で本当に身近な
人となりました。それまではお札の人
としか知りませんでした。
平九郎の最後の場面は今もまざまざと
目に浮かびます。
息子さんは本当に親孝行ですね〜
おいしいランチでなくても車の中での
昼食は楽しかったことでしょうね!
見せていただき、とてもsiawase気分です。
ありがとうございました。
ブログ交流で、ちょっと得した気分、いいものですね。
応援ポチ(全)。
パソコンセブンからテンに移行していただきスムーズになりました。
気になっていたのでよかったです。
おはようございます。
寒さに超弱い私、寒さが増すに連れ身体が
意思に反し思うようにならずでしたが、
寒さにも少し慣れて身体も少しですが活動再開です。
11月28日に息子さんと一緒に埼玉県の能仁寺などにお散歩ハイキングされたのですね。
「能仁寺~天覧山・多峯主山 ~吾妻峡」は、我が家からもドライブ圏内ですが、行った事がありません。
今回、①~⑤を拝読させて頂き、特に
・青々とした空
・綺麗な紅葉
に、見入ってしまいました
(澄み切った青空背景の撮影が素晴しい)。
更に、「歴史」も知らない事が沢山あり知識が増え増した。
更に、さらに①~⑤の記事作成記録・・・脱帽です。
そして、息子さんがドライブ・散歩に同行されるなど我が家にはあり得ない事で羨ましいです。
飯能市郷土館から飯能市立博物館に名称が変わったのは
平成30年4月1日からですが、従来の歴史博物館的な機能に加え、
自然の魅力を発信するビジターセンター的な役割も新たに担う
ことなど、内容を拡充させたようです。
正面の入り口はシンプルで、2階のバルコニーに出て
外を眺めなかったら、同じ建物とは思わなかったかもしれません。
風さんのブログの「埼玉ミニミニオフ会・飯能篇 その4」での
“飯能市郷土館”の画像を再度拝見しましたが、
撮影方向の違いだけで、現在の建物と全く同じでした。
諏訪八幡神社は博物館のすぐ後ろにありました。
息子もレストランは駅の方に出ないとないのではと言っていましたが
駅に出ず圏央道・青梅インターに入るまでの間にあるお店に
入ろうということになり、青梅市に入ってから最初に見つけたのがコンビニでした。
風さんたちが召し上がった“暖らん”の“ちらし寿司御膳”も美味しそうでしたね。
ありがとうございました。
最初、なんの建物かと思ったのですが、建物の前に特別展「飯能縄市」
の幟が何本も立っていたので、飯能市立博物館だとわかり
寄っていくことにしました。
秩父はもう少し奥の方に、何度か行ったことがあるのですが、
飯能市を訪ねるのは初めてです。
でも、東京都下の生まれなので、青梅市に隣接しているということ
だけは知っていました。
関東の焼き物といえば、益子焼や笠間焼が有名で陶器市にも行ったことが
ありますが、飯能焼きのことは全くしらなかったです。
(現在焼かれているかどうかはわかりません)
数は少なかったですが、なかなか渋くて素敵でしたよ。
ありがとうございました。
国指定重要文化財「木造軍荼利明王立像」や雲版はレプリカ
なので、撮影は可能でした。
飯能市の地形や地質、近くの山の紹介などのパネル、
特産品の一つである西川材を使った製品なども展示されていましたが
blogでは画像に制限があるので載せるのはやめました。
春馬君が亡くなってから日本のドラマは見ていないので、
大河や朝の連ドラはまだ見ていませんが、大河を見ていたら渋沢栄一も
もっと身近に感じられたかもしれません。
平九郎もドラマに出ていたのですが。
見逃してちょっと惜しい気がしてきました。
お腹が空いていたのでコンビニ昼食でも十分美味しかったです。
ありがとうございました。
私もsiawasekunさんのブログを拝見して、岐阜県の自然などを知る
ことが出来て得した気分でいます。
blog交流は良いものですね。
ありがとうございました。